朗読でも朗読劇でもない・・・。
太宰治作「走れメロス」暗唱劇とでも表現したらよいのだろうか?・・・
走れメロスの朗読は多くのプロ・アマがやっている。
原作を台詞にしてのアニメや芝居も多い。
この作品は小説を朗読するのではなくて、
暗唱して演劇にしたほうが、メロスの世界がより表現できると、
思ったことには間違いないと思っている。
黙読・音読、そして暗唱の作業を繰り返していると、
自分の欠点が分かってくるし、作者の才能が解ってくる。
どういうことかというと、
文章の展開、単語の使い方が適切なのである。
諳んじているつもりが、原文といささか違うところがかなり出てきます、
大事な部分を飛ばしていたりします。
何回も繰り返し作業をして覚える途中に、
作者の文章力に気が付きますし、自分の作家能力の低さに気が付きます。
二年前に「赤い取調室」やったときもそうでした、
これは、台詞劇でしたので覚えやすかったというか、
今回、小説ですけれど、こちらの方が覚えにくいのかなと感じています。
それとも年を取って老化したのかな・・・!?。
話変わって、小学校で先程六年生が中学校に進学する「ふれあいの会」に、
地域の一人として参加してきました。
もう何年も出席していますが、六年生が企画・準備して、
地域にお世話になりましたという会です。
ゲームあり・発表あり・児童お手製のお菓子ありの会です。
グループに分かれての会話のとき、
ある子が「頭が大変なことになっているよ」と言いました。
「えっ、なにがどうなってるって!?」
「河童の頭になっている」
「・・・・」
「おじさんね、今度走れメロスやるんだ」
小説台本持っていたので見せた、パラパラめくっていた。
「難しい漢字も多いから中学生になって読んでね」
やっぱり頭どうにかしないといけないかな・・・・
わたし「走れ河童」ならいいね・・・
彼女「おもしろいね!」
わたし「あなた作品書いてよ・・・」
わたしの隣に座った彼女、特徴のある子で表現力に面白いものを感じた。
今回は今までにない「ふれあいの会」であった。
子どもたちの未来にエールを送りたくなった。
太宰治作「走れメロス」暗唱劇とでも表現したらよいのだろうか?・・・
走れメロスの朗読は多くのプロ・アマがやっている。
原作を台詞にしてのアニメや芝居も多い。
この作品は小説を朗読するのではなくて、
暗唱して演劇にしたほうが、メロスの世界がより表現できると、
思ったことには間違いないと思っている。
黙読・音読、そして暗唱の作業を繰り返していると、
自分の欠点が分かってくるし、作者の才能が解ってくる。
どういうことかというと、
文章の展開、単語の使い方が適切なのである。
諳んじているつもりが、原文といささか違うところがかなり出てきます、
大事な部分を飛ばしていたりします。
何回も繰り返し作業をして覚える途中に、
作者の文章力に気が付きますし、自分の作家能力の低さに気が付きます。
二年前に「赤い取調室」やったときもそうでした、
これは、台詞劇でしたので覚えやすかったというか、
今回、小説ですけれど、こちらの方が覚えにくいのかなと感じています。
それとも年を取って老化したのかな・・・!?。
話変わって、小学校で先程六年生が中学校に進学する「ふれあいの会」に、
地域の一人として参加してきました。
もう何年も出席していますが、六年生が企画・準備して、
地域にお世話になりましたという会です。
ゲームあり・発表あり・児童お手製のお菓子ありの会です。
グループに分かれての会話のとき、
ある子が「頭が大変なことになっているよ」と言いました。
「えっ、なにがどうなってるって!?」
「河童の頭になっている」
「・・・・」
「おじさんね、今度走れメロスやるんだ」
小説台本持っていたので見せた、パラパラめくっていた。
「難しい漢字も多いから中学生になって読んでね」
やっぱり頭どうにかしないといけないかな・・・・
わたし「走れ河童」ならいいね・・・
彼女「おもしろいね!」
わたし「あなた作品書いてよ・・・」
わたしの隣に座った彼女、特徴のある子で表現力に面白いものを感じた。
今回は今までにない「ふれあいの会」であった。
子どもたちの未来にエールを送りたくなった。