「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「ふじのくに防災士」養成講座のDIGで再び5万図を展開、「防災の物語」を考えてもらう

2015-10-08 23:49:43 | 地域防災
毎年秋、静岡県からの依頼で、「ふじのくに防災士」養成講座のDIG実習(2時間半)を担当している。

参加者の便を考え、平日午後のこの日(10月8日)と日曜日である来月11月8日、
どちらかに参加してくれればよい、というプログラムとなっている。

せっかくの「ふじのくに防災士」養成講座でのDIGなので、
与えられた時間の前半、9月末に御前崎で展開したのと同様に、
1/50000図で小田原から都井岬までを示した上で、何かを考えてもらおうではないか、
というプログラムを行うことにした。

前日夜、ゼミ生と夕食を共にした後に研究室に戻り、
これまた明け方近くまでかけて5万図を20万図の図郭単位で(東西8枚ごとに分けて)貼り合わせ、
また、買い置きのあった図面保管用段ボールを20万図の図郭単位用に組み立て、
多少なりとも展開・撤収がやりやすいようにした。

(お近くの方、研究室をご訪問いただけるならば、現物をお見せします。遠慮なくどうぞ。)

プログラムは午後からゆえ、多少の仮眠をとった後、会場である(毎度おなじみ)静岡県地震防災センターへ移動、
3階の大会議室の床に展開しようとしたのだが……。

5万図の大きさは半端ではなかった。
150名分ほどの机といすが収容可能な大会議室から机を全部運び出した上で地図を展開したものの、
小田原から四国西部まで入れるのが精一杯で、九州東部の大分・宮崎周辺までは展開することが出来なかった。

ともあれ、この大きさの地図を展開し、
「自由に乗ってもらって構いません」として歩き回りつつ10分ほど全体状況を考えてもらった後、

(この地図の範囲が同時に被災を受ける超広域の災害であることを念頭に置いた上で)
ふじのくに防災士として説くべき・語りかけるべき「防災の物語」は何か?

この課題で、5~6名ほどのグループに分かれて議論をしてもらった。

手元にそのメモはあるが、個別の被害様相についての議論はさておき、
全体を俯瞰しての「防災の物語」に値するものは、この日の参加者からは出なかった。

「日本沈没」「対策なし・お手上げ」というのが、
一番率直なところであろう、とは思うが、これでは「防災の物語」にはならない。
せめて「あきらめ意識をどうするか」くらいのことは言ってもらわなくては、である。

かくいう「旅の坊主」ではあるが、「これだ!」という「防災の物語」を持っている訳ではない。
ただ、この作業を繰り返していく中で、そう遠くないうちには、何らかの想を得ることは出来るだろう、
とは思っている。

この5万図により、「時代の宿命」を含む全体状況の説明は出来たので、
後半の1時間余は残りの地震津波防災DIGの柱、つまり、

①震度6強の揺れのイメージと、己が果たすべき役割イメージのかき出し、
②地域の被害量見積もり
③地域分析のまとめ方

を、富士市のハザードマップ(冊子)に収録されているDIGの資料を基本に説明した。

「塗り絵」にDIGの本質はなく、地域防災の本質もない。
「ふじのくに防災士」になってもらう方々には、せめてこのくらいのことは理解してもらいたい、と思っている。

終了後、手伝ってもらった方々や学生クン、さらに受講生有志と共に、懇親の場を持つことが出来た。
懇親会終了後に週末の「ふじのくにDIGセミナー」関連で打ち合わせ、さらに
閉店ギリギリに静岡駅ビル「パルシェ」内の鮮魚店「北辰」で買い物をして富士へ。

(10月14日 記す)