木曜午後は本ゼミの日。
残念ながら今日はことのほか出席者が少なく、
さらに3名は途中抜けして地域の防災イベントに参加、ということで、
最終的には研究室に場所を移して1年生2名、3年生2名、4年生1名の5名で議論することとなった。
ただ、怪我の功名か、議論の質は大変高く、「まぁ、こういう日があってもよいかも」というところ、
ではあったのだが。
正式に3年の小村ゼミに所属された学生は6名いる。
ゼミが必修の本学であり、かつ、3、4年のゼミは移動しない・させないがルール。
という訳で、学生とて、それなりに選んできているはず。
もちろん、ゼミにも定員があり、全員が全員、第一希望のゼミに所属できる訳ではなく、
希望者が多ければ成績順に決まっていく、というのは、当然のこと。
というので、不本意ながら、小村ゼミに「流れてきた」学生もいる、とは思っている。
幸いにも、OBががんばってくれたので、就職先は本学富士キャンパス断トツのトップ。
もちろんそこには、ゼミ担任の罵声に堪えながらも続けていったOB諸君の努力がある。
3年生6名中、すでに2名、ゼミに顔を出さなくなった。
人と人との関係ゆえ相性があることは当然としても、やはり、考えてしまう。
このような事態は、避けられなかったものなのだろうか。
教員の側が、どういう学生を育てようとしているのか。まず、そのことは伝わったのだろうか。
ゼミには、当たり前に、OB・OGが顔を出してくれている。本学では他にまずない。
出なくなった学生クンは、そのようなOG・OGを見て、何も考えなかったのだろうか。
彼らが、なぜ、故郷のように、ゼミに顔を出すのか、その感覚は理解出来なかったのだろうか。
OB・OGは、いわばゼミでの教育の成果品。
OB・OGは、就職後の社会人経験もあり、面構えが変わっている。
その、面構えが変わった者達が、異口同音に「ゼミで鍛えられたから」と言っているのを聞いても、
このゼミでの学びから逃げるほうが良い、と考えたのだろうか。
あるいは、自分はこのゼミには相応しくない、と、引け目を感じたのだろうか。
引け目を感じたならばその分、一員として認めてもらえるようになるまで、己を高めようとはしなかったのか。
己を高めようと言っても、よくある「努力します」「がんばります」と言うだけで、
何をどう努力すれば、がんばればよいのか、その方法論を持っていなかったのかもしれない。
たとえ、己を高めるための方法論を持っていなかったとしても、
かつて小村が示して、何度となく触れている「ゼミ生を鍛える過程」というものが、
己を高めるための方法論だということに、気付けなかったのだろうか。
○ 基礎学力作りとしての天声人語書き取り。
○ 対人コミュニケーション能力作りの基礎としての、1、2年ゼミでの「雑談・近況報告」。
○ 対人コミュニケーション能力作りの実践としての、DIGセミナーへの参加。
○ 異文化間コミュニケーション能力の実践の場としての、途上国でのスタディーツアー。
○ 時事問題&社会常識を鍛えるための、時事問題討論ゼミ。
○ ビデオを撮りつつの面接練習。
等々。
Fラン地方大学で、学びを放棄、あるいは学びから逃走してしまったならば、
今後ますます激化していく格差社会の敗者として、下手をすると将来持つかもしれない子どもたちも含めて、
二度と浮かび上がることのない深みに落ちて(堕ちて)行ってしまう。
せめて、ギリギリでも生活給はもらえるような、そのような企業に拾ってもらえればよいが、
恐らくは、そのレベルの企業であっても、基礎学力の低さゆえ、二の足を踏むだろう……。
「心が折れた」などと軽々しく言う学生ゆえ、ここで述べてきたようなことにも気付くことなく、
ただ、「しかられたから」「批判されたから」「みんなの前で恥をかかされたから」と言って、
去っていくのだろう、とは思う。
もちろん、彼は、実社会のストレスがどれほど強いのか、知るはずもない。
現実社会の中で、金を稼ぐということがどれほどのストレスとの戦いなのか。
ゼミでの叱責などと比較にならないほど強く厳しい、ということに気付かないし想像も出来ないからこそ、
去っていく、否、去っていけるのだろうが……。
同じ去るなら、せめて、この辺りまではわかった上で、去って行ってほしい、と思う。
「小村先生のおっしゃっていることはその通りだと思います。でも、私には耐えられない。」
それならば、まだ、こちらの慰みにもなるのだが……。
このブログを読むであろう学生諸君、特に、今日5限、一緒にこの問題を考えてくれた学生諸君、
君たちはどう思うか。
残念ながら今日はことのほか出席者が少なく、
さらに3名は途中抜けして地域の防災イベントに参加、ということで、
最終的には研究室に場所を移して1年生2名、3年生2名、4年生1名の5名で議論することとなった。
ただ、怪我の功名か、議論の質は大変高く、「まぁ、こういう日があってもよいかも」というところ、
ではあったのだが。
正式に3年の小村ゼミに所属された学生は6名いる。
ゼミが必修の本学であり、かつ、3、4年のゼミは移動しない・させないがルール。
という訳で、学生とて、それなりに選んできているはず。
もちろん、ゼミにも定員があり、全員が全員、第一希望のゼミに所属できる訳ではなく、
希望者が多ければ成績順に決まっていく、というのは、当然のこと。
というので、不本意ながら、小村ゼミに「流れてきた」学生もいる、とは思っている。
幸いにも、OBががんばってくれたので、就職先は本学富士キャンパス断トツのトップ。
もちろんそこには、ゼミ担任の罵声に堪えながらも続けていったOB諸君の努力がある。
3年生6名中、すでに2名、ゼミに顔を出さなくなった。
人と人との関係ゆえ相性があることは当然としても、やはり、考えてしまう。
このような事態は、避けられなかったものなのだろうか。
教員の側が、どういう学生を育てようとしているのか。まず、そのことは伝わったのだろうか。
ゼミには、当たり前に、OB・OGが顔を出してくれている。本学では他にまずない。
出なくなった学生クンは、そのようなOG・OGを見て、何も考えなかったのだろうか。
彼らが、なぜ、故郷のように、ゼミに顔を出すのか、その感覚は理解出来なかったのだろうか。
OB・OGは、いわばゼミでの教育の成果品。
OB・OGは、就職後の社会人経験もあり、面構えが変わっている。
その、面構えが変わった者達が、異口同音に「ゼミで鍛えられたから」と言っているのを聞いても、
このゼミでの学びから逃げるほうが良い、と考えたのだろうか。
あるいは、自分はこのゼミには相応しくない、と、引け目を感じたのだろうか。
引け目を感じたならばその分、一員として認めてもらえるようになるまで、己を高めようとはしなかったのか。
己を高めようと言っても、よくある「努力します」「がんばります」と言うだけで、
何をどう努力すれば、がんばればよいのか、その方法論を持っていなかったのかもしれない。
たとえ、己を高めるための方法論を持っていなかったとしても、
かつて小村が示して、何度となく触れている「ゼミ生を鍛える過程」というものが、
己を高めるための方法論だということに、気付けなかったのだろうか。
○ 基礎学力作りとしての天声人語書き取り。
○ 対人コミュニケーション能力作りの基礎としての、1、2年ゼミでの「雑談・近況報告」。
○ 対人コミュニケーション能力作りの実践としての、DIGセミナーへの参加。
○ 異文化間コミュニケーション能力の実践の場としての、途上国でのスタディーツアー。
○ 時事問題&社会常識を鍛えるための、時事問題討論ゼミ。
○ ビデオを撮りつつの面接練習。
等々。
Fラン地方大学で、学びを放棄、あるいは学びから逃走してしまったならば、
今後ますます激化していく格差社会の敗者として、下手をすると将来持つかもしれない子どもたちも含めて、
二度と浮かび上がることのない深みに落ちて(堕ちて)行ってしまう。
せめて、ギリギリでも生活給はもらえるような、そのような企業に拾ってもらえればよいが、
恐らくは、そのレベルの企業であっても、基礎学力の低さゆえ、二の足を踏むだろう……。
「心が折れた」などと軽々しく言う学生ゆえ、ここで述べてきたようなことにも気付くことなく、
ただ、「しかられたから」「批判されたから」「みんなの前で恥をかかされたから」と言って、
去っていくのだろう、とは思う。
もちろん、彼は、実社会のストレスがどれほど強いのか、知るはずもない。
現実社会の中で、金を稼ぐということがどれほどのストレスとの戦いなのか。
ゼミでの叱責などと比較にならないほど強く厳しい、ということに気付かないし想像も出来ないからこそ、
去っていく、否、去っていけるのだろうが……。
同じ去るなら、せめて、この辺りまではわかった上で、去って行ってほしい、と思う。
「小村先生のおっしゃっていることはその通りだと思います。でも、私には耐えられない。」
それならば、まだ、こちらの慰みにもなるのだが……。
このブログを読むであろう学生諸君、特に、今日5限、一緒にこの問題を考えてくれた学生諸君、
君たちはどう思うか。
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