「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

新年度開始前の時間の中で考える:防災の戦術とは何だろう

2015-03-29 23:53:50 | 防災学
来週水曜日からは新年度。
すでに来年度に向けたガイダンス等も始まっているが、それはさておき。

「旅の坊主」自身が提起した、防災の戦略・戦術・戦闘という区分について、
自分自身の中で、「これだっ!」という腑に落ちる区分が出来ていない。
散らかり放題には焼け石に水なれど、仮寓の掃除などしつつ、考えている。

防衛研究所時代に、もっと、いわゆる戦略書を読んでいればよかったのだが、と、
時間を取り戻すことは出来ないが、改めて反省するところが大きい。
「○○の戦略論」といわれても、もちろん何人かの本は読んだものの、
その自分なりの体系性が頭の中に出来上がるほどまでは読み込んでいなかった。
まぁ、他の分野(この場合は防災)に適用可能はほど、哲学的なものがあったのか、
そこについては、いささかの疑問がない訳ではないが、まぁ、それはそれとして。

防災の戦略は予防。これは、きわめてクリアー。
しかし、この戦略目標は、現実的には達成されることはないだろう。
とすれば、予防し切れずに出てしまう被害に対する支援の仕組みを作り、生命と財産を可能な限り守ること。
このような、支援の仕組みを作ることを戦術と考えて良いのだろうか。
この部分が、相変わらず、すっきりしない。

防災は、直接、人の生命・身体・財産に関わる訳で、すぐれて実践的なものなのだが、
つまりは、理屈なんて後付けでよい、要は役に立てばよい、というもの、なのだが、
それでも、いざ、防災の体系性を考えてみると、意外なほど哲学的なものになってしまう。

まぁ、防災に携わっているほとんどの人にとっては、
防災の戦略だろうが戦術だろうが、どうでもよい話に受け止められてしまうのだろうなぁ、
とは思っている。
それがまた、防災という分野の、知的な積み重ねの浅さを示すもの、でもあるのだろうが。

もちろん、無理に哲学とか戦略とかという言葉を使わなくても、
考え方の枠組みをわかりやすく示せれば、それで十分。
実践の学は、まずはわかりやすくてナンボ、なのだから。

「住んではいけない場所に住む」ということが続いているならば、また、続けさせているならば、
どのような支援の枠組みを作ったところで、救える命に限りがある。
生老病死は人の常。今は避難できても、いずれ体の自由は利かなくなる。
医療機関や社会福祉施設の立地を間違うと、
下手をするとその支援者まで巻き込んで、もろともに死を迎えてしまうことになる。
これは何としても避けなくてはならない。

力の入れ方は、戦略に7、戦術に2、戦闘に1、と、
どこかで聞いたような割合であるが、こんな感じになるのだろうか。

こんな、のんびりした、でも、本質的な議論を考えられるのも、
来週からは難しくなってしまいのだろうなぁ、と、思いつつ、
3月最後の週末が過ぎていています。