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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

美しい社殿

2017-04-22 10:37:22 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ>

 

今は美しい社殿を持つ、真砂・宝山神社も、

もともとは「宝山明神社」と呼ばれる

無社殿神社のひとつだったと聞きます。

現在、社殿が作られている小高い丘の頂上を

ご神体としていたとするならば、

その昔は長い石段の下から、

山に向かって遥拝していたのでしょう。

もしかすると、鳥居の脇に置かれた丸石は、

当時の祭壇の位置を示しているのかもしれません。

 

「社殿」という人工物を作ることで、

人々はそれ自体が神様だと思い込むようになり、

本当のご神体である山や森そのものに、

無遠慮に足を踏み入れるようになりました。

山の上に神社を作るようになったのは、

ごく最近のことで、今も無社殿神社の多くは、

「山と平地との境目」に置かれています。

神様への信仰の厚さがかえって、

神様との距離を生んでしまっているのですね。


聖域の彩り

2017-04-21 10:33:41 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

人の気配も生活の「彩」も無くした廃村で、

その朱の鳥居はひときわ強い存在感を発し、

そばでは聖域の「生」を象徴するかのように、

可憐な梅の花が咲きほころんでいました。

鳥居の脇には、サッカーボールほどの

大きさの丸石が無造作に置かれており、

地元の人以外は滅多に訪れないこの山深い里でも、

熊野特有の信仰が息づいていることを教えてくれます。

 

鳥居の向こうには、薄く苔を纏った急な石段が

小高い丘の上へと太鼓橋のように続き、

社殿はおろか空しか見えない状態です。

ところどころで呼吸を整えながら、

波打つように積み上げられた階段を、

神様の頂へと足を進めて行くと、

ほどなく頭上から覆いかぶさるように鎮座する

色彩豊かな本殿が見えてきました。


呼吸をする場所

2017-04-20 10:31:31 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

宝山神社があるのは、古座川・真砂地区の

すでに廃村となった集落の中心部です。

山の斜面にへばりつくようにして作られた

自然石の階段を一気に上がっていくと、

一目で無人とわかる寂れた集落に入りました。

主が住んでいた頃の家財道具が残る、

荒れ果てた民家の脇を通り抜け、

さらに奥へと足を進めた先に見えてきたのは、

楚々とした佇まいの朱の鳥居です。

 

引き寄せられるように近づいてみれば、

そこは廃村の神社とは思えないほど、

掃除の行き届いた清潔な神域がありました。

苔むした石段には落ち葉ひとつなく、

鳥居の周りもきれいに掃き清められており、

一見して地元の人たちの手で、

手厚く守られていることがわかります。

 

このように土地に暮らす人々の努力により、

大切にお祀りされている神社を目の前にしますと、

「人がいてこそ神社が成り立つ」という真実が、

はっきりと理解できるのです。

周囲を廃墟に囲まれる中、

小高い山の周辺の一角だけが、

命を宿すかように静かに呼吸をしていました。


繁栄の面影

2017-04-19 10:28:44 |  無社殿神社2

<真砂・宝山神社 *まなごほうざんじんじゃ> 

 

峯の山の麓から、371号をさらに北上し、

前回訪れた洞尾という地区を通り過ぎて、

10分ほど車を走らせた先に、

「真砂」という集落が見えてまいります。

七川ダム湖の手前にあるこの小さな里は、

昭和初期には、約150軒の民家が軒を連ねる

古座川上流随一の集落で、銀行や小学校、

床屋や映画館などもあったということです。

 

その当時は、「真砂舟(まなごぶね)」

と呼ばれる全長約8m、幅1.2mほどの川舟が、

帆を揚げ船団を組んで古座川を往来するなど、

流域でも指折りの物流拠点だったそうですが、

今では川筋に10軒ほどのお宅が残るのみで、

村の中心部だった場所はすでに廃村となり、

主のいなくなったいくつかの廃墟が、

賑やかだった頃の名残を伝えていました。


不思議な天気

2017-04-18 16:28:00 |  無社殿神社2

 

<古座川・立合地区>

 

***** 無社殿神社4 *****

数か月ぶりに熊野を訪れたその日は、

朝から晴天が続いていたにも関わらず、

なぜか終日、小雨が降り注ぐという、

とても不思議な天気に見舞われました。

田並・矢倉神社からいったん海沿いへと戻り、

串本町の市街地に差し掛かる手前で、

371号線へと進路を変えてたどり着いたのは、

思い出深い古座川・峯集落への入り口です。

 

今回、峯・矢倉神社への参拝は見送ったのですが、

「せっかくここまで来たのだから」と、

麓の集落に立ち寄り山を遥拝してまいりました。

あとで地元の人に聞いたところによりますと、

この日の早朝、近辺では雪が舞ったそうで、

一日を通しての目まぐるしい天候の変化に、

「滅多にないこと」だと驚いたと聞きます。

 

古座川の川面を照らす太陽のきらめきと、

細かな雨粒が絶え間なく視界を横切る中、

橋の向こうにある深い森のさらにその先で、

峯ノ山は静かに春の訪れを待っていました。


飾り気のない神社

2017-04-17 10:34:40 |  無社殿神社2

<田並・矢倉神社 たなみやぐらじんじゃ>

 

山の裾野にひっそりと鎮座する田並・矢倉神社は、

前回、今回と巡ってきた無社殿神社の中でも、

とりわけ質素な雰囲気の場所でした。

社殿はもちろん、いくつかの神社で見かけた、

城壁を思わせる二重、三重の石垣もなく、

ただただ山と平地との境目に、

二基の灯篭と低い祭壇が置かれているだけです。

 

ちなみに田並・矢倉神社も、明治の神社合祀令により、

近隣の天満神社に一時期合祀されましたが、

ほどなく元の場所に神様が戻ってきたと聞きます。

11月の例祭では、湯立て神事と呼ばれる行事が行われ、

「熱湯に浸した笹の葉を頭上で振る」という、

非常に素朴な無病息災の儀式もあるそうです。

 

お祭りすら行われなくなった無社殿神社も多い中、

ここでは地元の人たちの手で行事が続けられています。

シンプルで飾り気のないご神事の様子と、

シンプルで飾り気のないご神域の雰囲気が、

日本人の信仰と、古代の無社殿神社の有り様を、

今に伝えてくれているような気がしました。


昔話のひとコマ

2017-04-16 10:24:54 |  無社殿神社2

<田並・矢倉神社 たなみやぐらじんじゃ>

 

串本町・田並上の無社殿神社を探すべく、

集落のあちこちを探索してみたものの、

熊野の地に入ったばかりで土地勘が鈍っているせいか、

いつものように「神社臭」を嗅ぎ分けられません。

道に迷うたびに、地元の方に行き方を教えてもらい、

あれこれと周囲を歩き回ってはみたものの、

まるで突破口のない状況が続きます。

今振り返ってみても、今回の旅はひたすら

「人に聞くこと」の繰り返しでした。

 

まるで昔話のひとコマのように次々とあらわれる、

4人のお年寄りたちのバトンリレーを経て、

ようやくたどり着いた矢倉神社(矢倉さん)は、

集落と山との境目にある簡素な佇まいの神社でした。

麓の広場から舗装された狭い道を山のほうへと向かうと、

すぐにコの字型に並べられた石垣が見えてきます。

祭壇の中央には、塗装が剥がれた貯金箱と榊立て、

そして一本の御幣と丸い手向け石が置かれ、

この場所が確かに祭祀の場であることを示していました。


たくさんの助っ人

2017-04-15 10:22:21 |  無社殿神社2

<串本町・田並上>

 

串本町・田並上の最奥地で出会った

おじいさんのざっくりとした説明だけでは、

どうにもこうにも目的地を探し当てられなかった私は、

次に下の集落にある一軒のお宅を訪問し、

中から出てきたおばあさんに道を尋ねました。

 

最初は「矢倉神社」の呼称を使ってみたのですが、

案の定このおばあさんも訝しげな顔をします。

先ほどのやり取りを思い出した私が、

あわてて「矢倉さん」と言い直したところ、

「それならこの先の広場の空き家の近くだよ」 と、

笑顔でその場所を指し示してくれました。

 

しかし、おばあさんの言う通り、

それらしき広場は見つかったものの、

過疎地である山間の集落には、

想像以上に空き家が多く、

今度は「広場近くの空き家」が、

どの家を指しているのかがわかりません。

 

のどかな山里の風景を楽しむ余裕もなく、

地図を片手にその場に立ち尽くしていると、

ふいに猛スピードで山道を駆け下りる

一台の自転車の陰を目の端でとらえました。

「この機を逃すものなるか」と

ありったけの力で追いかけて呼び止め、

ようやく「矢倉さん」の正確な場所を

聞き出すことができたのです。


手掛かりを探して

2017-04-14 10:19:43 |  無社殿神社2

<串本町・田並上>

 

串本町・田並上の集落で出会った高齢のおじいさんは、

「矢倉神社」の場所を訪ねた私に対し、

しばらくの間、あれこれと考えを巡らせたのち、

「矢倉神社は知らないが、矢倉さんなら知っている」 と、

驚きのひと言を伝えてくれました。

後から気づいたのですが、この集落では、

矢倉神社のことを「矢倉さん」と呼び、

「矢倉神社」という名称を出しても、

地元の人たちにはほぼ通じないようです。

 

とは言え、おじいさんの(かなりざっくりした)

道案内を頼りに、下の集落にたどりついたものの、

やはりここでもそれらしき神社は見当たりません。

「山の際」を凝視しながら歩いてみても、

かすかな手掛かりすら見つからないのです。

「これはもう別の人に聞くしかない」と判断し、

目についた民家の門をくぐり玄関から声をかけると、

家の奥からひとりのおばあさんが出てきてくれました。


予想外のつぶやき

2017-04-13 10:15:39 |  無社殿神社2

<串本町・田並上>

 

 田並上の最奥地の山里で、

神社があるであろう「山の際」をくまなく探してみても、

それらしき「匂い」はまったく感じられませんでした。

やむなく今来た道を徒歩で戻り、

両側に山が迫る狭い細道を下っていると、

ふいに小さな橋の向こうに停車する

一台の軽トラックを発見したのです。

それは、ほんの少し前にすれちがった車で、

そばには作業服姿のおじいさんが立っていました。

 

足早に駆け寄って挨拶をし、手持ちの地図を見せながら、

「矢倉神社」の場所をたずねてみたのですが、

そのおじいさんは「うーん」と首をひねって、

「矢倉神社なんて聞いたことない」と言います。

「この近くのはず」と地図を指し示してみても、

「確かにこれはうちの集落だが、

矢倉神社などという名前は聞いたことがない」

「この近くには神社と名のつくものはない」 と、

繰り返しその存在を否定します。

 

しばらく2人で考え込んでいたのものの、

どうしても埒が明かないと判断した私が、

ひとまずお礼を言って、

車のほうへと戻ろうとしたそのとき、

「…矢倉さんなら知っとるけどな」

という何とも予想外のつぶやきが、

おじいさんの口から発せられたのでした。


難解なルート

2017-04-12 10:10:30 |  無社殿神社2

<串本町・田並上>

 

第2弾の旅でまず向かったのは、

串本町の田並上という地区にある矢倉神社です。

およその位置はわかっていたのですが、

どうしても詳しい地図が手に入らず、

前回は仕方なくあきらめた場所のひとつでした。

* ちなみに、今回の旅で最も目的地に

たどり着くまで時間がかかったのも、

初っ端に訪れたこの田並・矢倉神社です

 

とにもかくにも、海岸沿いを走る国道42号線から、

田並上の集落へと抜ける道がわかりにくく、

駅前で地元の方に道をたずねながら、

ようやく山のほうへと走り出したものの、

いくら車窓の景色に目を凝らしてみても、

それらしい場所はまったく見当たりません。

 

気づけばいつの間にか、

道の行き止まりを目前に立往生してしまい、

「万事休す」の状態となったため、

やむを得ず車をUターンさせて、

地元の人を探すべく外に出ました。

しかし、どう多く見積もっても、

世帯数が2、3件ほどの小さな山里には、

悲しいほど人の気配がなかったのです…。


今も生きる聖地

2017-04-10 10:48:46 |  無社殿神社2

<生馬・篠原矢倉神社 *しのはらやぐらじんじゃ> 

 

山の斜面に埋もれるようにして置かれた

篠原・矢倉神社の石積みの祭壇は、

一見、歴史とともに風化しつつある

古代遺跡のような風情を醸し出しています。

初めてその姿を目にしたとき、

神社ではなく城跡の一部のようにさえ感じました。

 

ただし、この場所が「今も生きる聖地」であることは、

祭壇に供えられた榊の瑞々しさが証明しています。

人々の手で手厚く祀られ、

人々の崇敬の念を受け取り続けるからこそ、

聖地が聖地としての機能を果たすのでしょう。

 

もしかすると、私が訪れた無社殿神社の中には、

「神様のいない場所」があったかもしれませんが、

たとえその場に神様がおられなかったとしても、

「人」が静かに感謝の気持ちをあらわすことで、

その思いに呼応するように神様が呼び寄せられるのです。

 

神を象った置物や神を示す目印などなくても、

この地の人々はこの場所で、千年以上もの間、

祭壇の前に立ち「空」に手を合わせ続けました。

神様という存在は、聖地に宿るのではなく、

聖地で祈る「人の思い」に宿るのかもしれません。


天然の神域

2017-04-09 10:46:10 |  無社殿神社2

<生馬・篠原矢倉神社 *しのはらやぐらじんじゃ>

 

篠原・矢倉神社がお祀りされている森は、

古代の様相を残した貴重な自然林だそうです。

もともとこのあたり一帯は、

熊野地方の西側の玄関口としての

役割も果たしていたのでしょう。

ようやく熊野の地に足を踏み入れた旅人は、

この地域特有の「石の神域」を目にし、

「憧れの土地」に来たことを

実感したのかもしれません。

 

歩いても簡単に越えられてしまいそうなほど、

浅く幅の狭い川にかかる小さな橋を渡ると、

簡素な木の鳥居が出迎えてくれました。

足元に転がる大小様々な川原の石が、

天然の参道となり境内へと伸びています。

陽が陰りうっすらと暗くなった神域では、

生い茂る木々が鬱蒼とあたりを包み込み、

赤い南天の実が控えめに祭壇を飾っていました。


矢倉神社の際

2017-04-08 10:39:55 |  無社殿神社2

<生馬・篠原矢倉神社 *しのはらやぐらじんじゃ> 

 

白浜町・市鹿野地区から、日置川方面へ戻り、

北西に進路を変えてしばらく車を走らせると、

卒塔婆トンネルを出てすぐのあたりに、

上富田町・生馬という地区があります。

集落を流れる生馬川という川の向こうに、

その神社があると聞いてはいたのですが、

いかんせん周囲を山に取り囲まれており、

神社の入り口を探し出すのも一苦労です。

 

近くの集落には人の気配もないことから、

仕方なくカンを頼りに歩き出して間もなく、

森の中へと続く小さな木橋を発見しました。

すでにあたりも薄暗くなっていたため、

「10分で見つからなければあきらめる」

くらいの心づもりだったのですが、

朝から多くの無社殿神社を巡ってきたことで、

土地勘が研ぎ澄まされたのかもしれません。

 

橋の向こうの小高い丘の上に、

人目を避けるようにひっそりと鎮座していたのは、

生馬地区の産土神のひとつ篠原・矢倉神社です。

熊野エリアに密集する矢倉神社の

最北端に位置するこちらの神社は、

いうなれば矢倉神社の際(きわ)を示す、

注目すべき場所だと思われます。


熊野十二神社

2017-04-07 10:30:40 |  無社殿神社2

<市鹿野・熊野十二神社 いちかのくまのじゅうにじんじゃ>

 

日置川の河口から、熊野十二神社までは、

車でおよそ一時間近くかかります。

途中、神社のある市鹿野地区への県道へと

進路を変えると、そこからしばらくは、

くねくねと曲がりくねった細い山道です。

町と集落とを結ぶ生活道であることから、

思った以上に車の通行量が多く、

他の地域よりも幾分神経を使いました。

 

市鹿野地区に入るちょうど手前のあたりで、

道路沿いを流れる小川にかけられた鉄製の橋と、

その向こうにある古びた木の鳥居が見えてきます。

色とりどりの落ち葉が敷き詰められたその場所が、

この地区の産土神である熊野十二神社です。

近隣の氏神が合祀されたその神社は、

とても広々とした境内を持ち、

様々な大きさの春日造の社が立ち並んでいました。