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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

去りがたい場所

2017-05-12 10:21:03 |  無社殿神社2

<大山・高倉神社 おおやまたかくらじんじゃ>

 

あたり一帯を美しい苔で覆われた

熊野川町の大山・高倉神社の神域に、

どれくらい滞在していたのか定かではありませんが、

気づけば予定の時間を大幅にオーバーしておりました。

「そろそろ戻らなくては」と何度も

その場を立ち去ろうとしたものの、

どうしても山を降りることができません。

 

神社を巡っておりますと時折、

「去りがたい場所」に巡り合います。 

まるで強い力で身体を押しとどめられるように、

いつまでもその場に佇んでいたくなるのです。

これほどまでに強力な磁力を発する、

この神社のご祭神の「空神」とは、

いったいどのような神様なのでしょうか…。

 

心に湧き上がった疑問の答えを確かめるべく、

再び神域の中へと足を向けました。


特別な色

2017-05-11 11:11:40 |  無社殿神社2

<大山・高倉神社 おおやまたかくらじんじゃ>

 

「日本の国石」にも選定された翡翠は、

古代より装身具や勾玉に加工されただけでなく、

祭祀・呪術の道具として使われてきた「霊石」です。

翡翠が放つまろやかで深みのある緑の輝きは、

心を癒やし安定させる効果があるとも聞きます。

各地の神社の境内を彩っているのが、

鎮守の森や苔むした岩であるのも、

「緑」という色が日本人にとって、

特別な意味を持つ色だからかもしれません。

 

「翡翠の庭」という言葉がふさわしい

熊野川町にある大山・高倉神社は、

俗に言うヒーリングスポットと表現しても、

決して間違いではない場所です。

ただし、ここは「スピリチュアルな場所」である前に、

地域の方々が大切にお祀りしてきた氏神でもあります。

神社参拝の仕方は人それぞれではありますが、

少なくとも「よそ者」が立ち入る際には、

礼節と謙虚さを忘れてはいけないのでしょう。


神々の演出

2017-05-10 10:39:09 |  無社殿神社2

<大山・高倉神社 おおやまたかくらじんじゃ>

 

熊野川町の大山・高倉神社で目にしたのは、

まるでビロードの絨毯を敷き詰めたかのような、

光沢のある苔が織りなす神々しい世界でした。

勢いを増した正午近くの太陽が、

木々の隙間から明るい光を放射させ、

苔の上にまだらな陰影を生み出しています。

 

「気持ちのよい場所」とは聞いていましたが、

実際にその光景を目の前にしますと、

気持ちのよさを通り越して、

畏れ多い感覚すら湧き上がってくるもの。

自然界を通じて見せられる神々の演出は、

私たちの想像をはるかに越えているようです。

 

かつて南方熊楠がこの熊野の地で、

「粘菌」の採取に明け暮れたように、

年間を通して温暖湿潤なこの地方の土壌には、

生命の源である「菌」が育ちやすいのでしょう。

神域を守るかのように苔が広がるこの場所にも、

間違いなく「神様」が宿っているのかもしれません。


翡翠の庭

2017-05-09 10:12:16 |  無社殿神社2

<大山・高倉神社 おおやまたかくらじんじゃ>

 

複雑な山の尾根をなぞるようにして、

右へ左へと曲がりくねったその石段は、

次第に足元の苔の量を増やしながら、

容赦なく上へ上へと伸びて行きます。

丸木と板を組み合わせただけの

簡素な鳥居が見えてきたのは、

麓から登り始めておよそ5分後のこと。

視界いっぱいに広がったのは、

まさに「翡翠の庭」とでも

呼びたくなるような見事な景観でした。

 

熊野エリアを探索し始めてから、

様々なの苔の神域に出合いましたが、

この大山・高倉神社の境内は、

他の神社とは比べ物にならないほど、

山肌を埋めつくすように苔が密集しています。

鳥居の向こうに広がる緑一色の楽園に圧倒され

なかなか足が前に進まず、ずいぶん長い間、

今来た道を登ったり下ったりしながら、

足裏全体で聖域の感触を確かめていました。


求めているお宝

2017-05-08 10:31:15 |  無社殿神社2

<大山・高倉神社 おおやまたかくらじんじゃ>

 

「ここしかないだろう」そんな確信を抱きながら、

熊野川・大山地区のある地点に差し掛かったとき、

ふいに小高い山を覆う森の中へと続く、

意味ありげな石段を視界の端にとらえました。

周囲の景色に隠れるようにして作られた

その「遠慮がちな姿」から想像する限り、

一見その先に神社があるとは思えません。

 

山々を巡っておりますと、

山間の集落のあちこちで、

このような石段を見かけますが、

とりわけ神社の参道というのは、

他にはない磁力を発しているもので、

「この先に聖域がある」ということを、

不思議と感じ取ることができます。

 

明らかに異彩を放つその姿を見て、

地図の中に浮かび上がった「点」は、

やはり聖域の目印であることを理解しました。

果たしてその石段を登った向こうに、

「求めているお宝」があるのかどうか、

己の運を試すような気持ちで、

イザ森の中へと足を踏み入れたのです。


浮かび上がる点

2017-05-07 10:17:08 |  無社殿神社2

<熊野川町・大山地区>

 

熊野川町・大山地区の無社殿神社を参拝するにあたり、

詳しいルートを探そうとネット上に地図を広げた瞬間、

思わず「これは…」と唸ってしまいました。

山間地にある神社のほとんどは、

川筋に沿って続く一本道のそばに作られているため、

まっすぐに走っていればほぼ迷うことはありません。

中には街道から離れた山中に祀られている神社はあるものの、

さほど複雑な経路ではないため探索も難しくはないのです。

 

しかしこの熊野川町・大山という地区は、

村全体に縦横無尽に農道が張り巡らされ、

どこがメインロードかわからないばかりか、

頼みの綱である川筋も細かく分岐しています。

「いったいどこから攻めるべきか…」と、

まるでハイレベルなゲームに挑むかのように、

二次元の画面を凝視し続けていたその最中、

ふいにネットの地図上に、ひとつの「点」が

浮かび上がったような気がしたのです。


地図勘と神社勘

2017-05-06 10:24:55 |  無社殿神社2

熊野川町・大山地区

 

古座川同様、興味深い無社殿神社が多数鎮座する、

熊野川町・赤木川流域には、支流のほうまで含めると、

「高倉」と名のつく神社が少なくとも10社近くあります。

流域全体を探索するだけでも軽く一日はかかるため、

前回は本流沿いのお社のみを参拝してきたのですが、

今回の旅ではさらに先まで足を伸ばすことができました。

 

熊野川町・大山地区にある高倉神社は、

「どうしても行ってみたい場所」

のひとつだったにも関わらず、

前回訪問を見送った経緯があります。

それまで訪れた他の山間地域とは異なり、

集落全体に複雑な道が入り組む大山地区では、

探索に時間がかかることが予想されたからです。

 

しかし今回は、数ある無社殿神社の中でも、

とりわけ「わかりにくい」とされるこの場所を、

ネットの情報や地元の人の介在なしに、

するりと参拝できる幸運に恵まれました。

恐らく、多くの集落を巡ってきた経験により、

「地図勘」「神社勘」が働いたのかもしれません。


念願の参拝

2017-05-05 10:11:13 |  無社殿神社2

<熊野川町・大山地区>

 

前回の旅では、諸々の都合により、

「参拝を諦めた神社」が少なからず存在します。

先日ご紹介した、田並・矢倉神社や

宇津木・矢倉神社などはその筆頭で、

旅から帰った後も「やはり行けばよかった…」

という思いがしばらく頭から離れませんでした。

 

すぐそばまで来ていたにも関わらず、

その地に背を向けるときの気持ちは、

何とも形容し難いものがありますが、

幸い今回、そのうちのいくつかを

お参りすることができたのです。

次に、それらの無社殿神社の中でも、

特に心を動かされた神社のひとつを、

ご紹介したいと思います。


スサノオの戒め

2017-04-29 10:30:05 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

池野山・八坂神社は、前回訪問した

近隣の神戸神社との縁が深い場所です。

実は神戸(こうど)という呼び方も、

スサノオの命の別名とされる

牛頭天皇の「頭(こうべ)」から

来ているのではないかという話があり、

この近隣一帯に早くから「スサノオ信仰」

が根付いていたことがわかります。

 

熊野地域の無社殿神社には、

「鳥居を建ててはいけない」

「社殿を作ったら火事になる」などの

言い伝えが残るところも多いのですが、

それらの伝承の中には、

古代の自然信仰を司るスサノオが残した、

「人工物でなく自然を拝め」という

人間への強い戒めが含まれているのでしょう。

 

様々な形態の無社殿神社を巡っていますと、

「●●がなければもっといいのに…」

と思うような聖域が、少なからず見受けられます。

中には強い信仰心がアダとなり、禁忌を冒して、

人工物を置いたケースもあるようです。

鳥居や社殿などがなくても、当たり前のように、

目の前の自然に手を合わせられる人が増えれば、

神社の風情も変わって行くのかもしれません。


先取りの場所

2017-04-28 10:27:21 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

昔、異国からやってきた文化や信仰の多くは、

「川筋に沿って遡上した」と言われております。

もちろん、山師や修験者などの介在により、

山脈を使うルートも存在したはずですから、

全部がそうとは言い切れませんが、

神社を参拝しながら川を遡って行きますと、

河口に近いところの神社ほど「現代的」で、

河口から遠いところの神社ほど「原始的」という、

およその図式が見えてくるのもまた事実です。

 

古来より「森」「樹木」「岩」「川」など、

自然界のすべてのものに宿る神として、

古代信仰(縄文信仰)の核を成してきたのは、

スサノオでありその大元の国常立大神であり、

熊野の人々がお守りする「矢倉の神」でした。

ただし、この地域でスサノオの名を

ご祭神として前面に出すようになったのは、

それほど昔のことではないのかもしれません。

ご祭神にスサノオの名を当てた池野山・八坂神社は、

いち早く文化を先取りした場所だったのでしょう。


最新の文化

2017-04-27 10:22:04 |  無社殿神社2

<池野山・八坂神社 いけのやまやさかじんじゃ>

 

宇津木・矢倉神社から南に下ってすぐのところに、

古座川町の池野山という集落があります。

その昔「矢倉明神森」と呼ばれていた、

この地区の氏神である八坂神社も、

もともとは樹木をご神体とした、

自然崇拝の場所だったのでしょう。

社殿の背後の鎮守の森は、貴重なシダ類が自生し、

古座川町の天然記念物に指定されているそうです。

 

山の斜面に建てられた小さなご本殿の中には、

神社のご神体だと思われる、しめ縄がかけられた

岩か木の切り株のようなものが置かれていました。

ご祭神にスサノオの名が充てられていることや、

獅子舞が伝承されていることなどから察するに、

この神社のある一帯は、他所よりも早く、

「最新の文化」に染まっていたのかもしれません。


神様目線

2017-04-26 10:13:21 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

たくさんの無社殿神社を参拝するうちに、

いつの間にか人間目線ではなく「神様目線」で、

空間をとらえる癖がついたような気がします。

私たちが神社を訪れると、

まずは社殿に向かって願い事を唱えたり、

ご神体に向かって手を合わせたりしますが、

これといった目印のない無社殿神社では、

自動的に周囲をグルっと見渡すことになり、

意図せず祭壇のほうから集落を眺めるという、

逆目線の景色を目にする機会も増えるのです。

 

そうこうしている中ふと思ったのは、

神域から見た人里の眺めの様相が、

その土地の人々の生活に、

深く影響しているのではないかということで、

祭壇から見た集落の雰囲気がよいところほど、

やはり心地よい空気が漂っていると感じます。

神社をお参りするということは、

人間が神様に気持ちを伝えるだけでなく、

「神様の気持ちを受け取る」という

真逆の意図もあるのかもしれません。


守るべき距離感

2017-04-25 10:07:15 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

本来神社というのは、

「神様と人」とが着かず離れずの距離感で、

共存できる場所に作られるのが最善だと思います。

神様の住処である山と、人間の住処である集落の

ちょうど境目のあたりに位置する地域の氏神は、

その土地に住む人々が神社を守るだけでなく、

神様の側からも人々を見守ることができるため、

お互いの存在を意識しながら生活できるのです。

 

もちろん、山頂や人里離れた場所にある神社が、

よくないというわけではありませんが、

修験道などによって山が開かれる以前、

日本に根づいていた古い信仰というのは、

未開の自然の中に分け入ることや、

力のある自然物を拝むことではなく、

「今いる場所から」目の前にある自然に

手を合わせることだけだったのでしょう。

 

人と神とが寄り添うような形で置かれた

熊野地方の無社殿神社の姿を見ておりますと、

私たちが守るべき「人と神との距離感」を、

無言で教えられたような気がしました。


犬が守る神社

2017-04-24 10:06:45 |  無社殿神社2

<宇津木・矢倉神社 うつぎやぐらじんじゃ>

 

「その先の道を山のほうへと曲がるとな、

犬がワンワンと吠えるからすぐにわかる」

「そうやな、あの犬はワンワンと吠えるわな」

「ワンワンと吠えたらその近くにあるわ」…と、

何ともローカル色満載の説明をしてくれた、

ふたりの地元のおばさんの道案内に従い、

神社(というより犬)を目指してほどなく、

ワンワンと吠えられるよりも先に、

あっさりと神社の入り口を発見しました。

 

宇津木・矢倉神社は、滝の拝・矢倉神社と同様、

「紀伊続風土記」への記載がないそうですが、

その姿はまさしく「矢倉神社」そのものです。

山の麓に作られた石の祭壇と二基の灯篭以外に、

余計なものは何ひとつなく、祭壇の裏手には、

石垣が張り巡らされた広場が作られています。

細い木々の隙間からは集落の家々がのぞき、

神様と人間とが適度な距離感で

見守り合っている様子がよくわかりました。


ローカルな道案内

2017-04-23 10:52:52 |  無社殿神社2

<古座川・宇津木地区>

 

国道371号線を古座川町の中心部のほうへと戻り、

洞尾・滝の拝の両矢倉神社を

再訪したのちに向かったのは、

宇津木という集落にある矢倉神社です。

この神社は、かなりわかりにく場所にあるため、

探索に時間がかかることを覚悟していたのですが、

地元の方の何とも的確?な説明により、

予想より早くたどり着くことができました。

 

ちなみに宇津木地区のあたりで、

地元の方に「矢倉神社」の場所を聞いた際にも、

一瞬「?」という顔をされたところを見ると、

やはりこの一帯では「矢倉さん」

という呼び方のほうが一般的なのかもしれません。

そのとき道を尋ねたふたりのおばさんは、

口々に「何にもないよ」と謙遜したのですが、

私が「何もなくても大丈夫です」と力強く答えると、

とてもシンプルに?神社への道を教えてくれました。