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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

日置川の探索

2017-04-06 10:26:48 |  無社殿神社2

<市鹿野・熊野十二神社 いちかのくまのじゅうにじんじゃ>

 

太間川と別れを告げ、すさみ町の市街地から

和歌山方面へと車を走らせるとほどなく、

日置川(ひきがわ)が見えてまいります。

日置川とその支流の一帯にかけては、

無社殿神社が密集する地域のひとつですが、

いかんせん点在するエリアが広範囲にわたり、

また資料やデータの類も極端に少ない

「無社殿神社の未開地」でもあります。

 

まず初めに向かったのは、西牟婁郡白浜町の

市鹿野という地区にある熊野十二神社です。

ちなみにこちらは無社殿神社ではなく、

近隣地区の氏神を合祀した側の場所で、

古くは「熊野権現社」と呼ばれていました。

現在の主祭神はイザナギ・イザナミの夫婦神ですが、

もともと土着の神をお祀りしていた場所に、

熊野三山の神様が習合していったのでしょう。

毎年11月に開かれる例祭には、獅子舞が奉納され、

氏子だけでなくこの地を離れた親族なども集まり、

賑やかにお祭りが執り行われると聞きます。


地主の神

2017-04-05 10:23:11 |  無社殿神社2

<入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

すさみ町入谷にある地主神社は、地元の人たちから

「じのしさん」と呼ばれ慕われている産土神です。

神様を「●●さん」と親しみを込めて呼ぶのも、

神と人とが今よりずっと近くで共存し、

日常生活の至る所に、神様の存在を

感じていた頃の名残なのかもしれません。

たとえ目には見えなかったとしても、

「そこに」神様がいるのが当たり前で、

常に神様に見られていることを前提に、

日々の暮らしを送っていたのでしょう。

 

地主と名のつく神社は各地にありますが、

一説によりますとこの熊野地域では、

「矢倉神社」や「高倉神社」よりも、

古い名称ではないかともいわれています。

考えてみれば、立派な名を冠する神社も、

多くの参拝客を集める規模の大きな神社も、

もともとはすべて「地主の神」を祀る場所でした。

土地の神様がいなければ、私たちの生活はもちろん、

日本という国を守ることはできなかったのですね。


人の目

2017-04-04 10:20:52 |  無社殿神社2

<入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

入谷・地主神社の背後にそびえる山も、

その昔はもっと多くの種類の木々や、

もっと幹の太い樹木が生い茂る

深い森を抱いていたのでしょう。

枯れ枝に埋もれるようにして横たわる

岩壁のような物体は、もしかすると

この地域に分布する「巨大な岩」の一部であり、

地主神社のご神体でもあったのかもしれません。

 

この神社に限ったことではありませんが、

無社殿神社を取り巻く環境は、

決してよい状態に置かれているとは言えず、

どの山々も人の手が回らないため、

著しく荒廃の危機にさらされています。

伊勢神宮の森を見てもわかるように、

自然を自然のまま残すためには、

やはり「人の目」が必要なのですね。


おすすめの場所

2017-04-03 10:17:19 |  無社殿神社2

<入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

入谷・地主神社の境内へと足を進めると、

一見しただけでそこが、人の手で丁寧に祀られた、

理想的な形の神社であることがわかりました。

さすが世界遺産・熊野古道へと続く場所だけあって、

観光客やハイカーにも理解しやすいよう、

説明書きが綴られた立て看板まで設置されております。

 

山道を登った山中や、集落の奥まった場所などに

位置していることが多い他の無社殿神社と比べて、

この場所はとても安全かつアクセスも容易です。

それと同時に、神社の周りを見渡しても、

祭壇以外の人工物がひとつもないため、

原初の神社の姿をうかがい知ることもできます。

 

もし、「おすすめの無社殿神社」を聞かれたなら、

迷わずこの入谷の地主神社を選ぶでしょう。

豪奢な今どきの神社仏閣を見慣れた現代人の目に、

その簡素で素朴な自然信仰の有り様は、

ことのほか新鮮に映るかもしれません。


明るい聖域

2017-04-02 10:11:22 |  無社殿神社2

<入谷・地主神社 いりたにじのしじんじゃ>

 

旧太間川村の下村から、さらに県道を下って行くと、

ほどなくして入谷という地区に差し掛かります。

ここには、熊野古道・大辺路(おおへち)街道の

仏坂(ほとけざか)へと続く山道が通っており、

私が訪れたときも、トレッキングの途中と思われる

リュックサックを背負った年配の方々が、

道路沿いを一列になって歩いていました。

 

仏坂への道を示す木製の標識から、

ほんの少し森のほうへ足を進めると、

ひょろりと伸びた木立の間に、

ゆるやかな自然石の階段が見えてまいります。

周囲に大木が少ないせいもあるのか、

見通しがよく開けた場所にあるその聖域は、

とても明るく小ざっぱりとした雰囲気を感じました。


石が伝える記憶

2017-04-01 10:06:36 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

下村・矢倉神社へと続く石段は、

これまで訪れた無社殿神社の中でも、

とりわけ長くて急峻な参拝道でした。

ゆるいカーブを描きながら、

神社のある深い森の中へと

吸い込まれるようにして伸びるその様子は、

熊野古道の雰囲気ととてもよく似ています。

「石は人の思いを溜める」などと言いますが、

こうして無社殿神社の石段を登っていますと、

近年作られたコンクリート製の階段では感じられない、

古代の人々の思いが足元から伝わってくるようです。

 

全国各地から熊野の地を目指して人々が集まるのも、

そんな「古い記憶」に触れたくなるからなのでしょう。

古の時代、この祭壇を築き上げた人々は、

どんな思いを込めながら石を積み上げ、

どんな思いを込めながら神と向き合ったのでしょうか…。

もしかすると、千年後に訪れるであろう日本の様相や、

千年後に訪れるであろう私たちの心の中まで、

はっきりと見透かしていたのかもしれません。


真剣な思い

2017-03-31 10:03:39 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町・太間川にあるふたつの矢倉神社も、

明治時代の神社合祀政策により、

一時的に別の神社へと遷されました。

その後、合祀された神社に掛け合い、

元の場所へと神様をお戻ししたそうですが、

そのとき地元の長老たちは、

古事記の天岩戸神話に登場する

常世之長鳴鳥(とこよのながなきどり)

の発声をまねて、遷座を執り行ったと聞きます。

 

伊勢神宮の遷御の儀でも話題になった、

「カケコー」という長鳴鳥の鳴き真似は、

神様をこの地に呼び戻すための

大切な「音」でもあったのでしょう。

現代の常識からすると、神様の移動など、

何とも非現実的な行為のように思えますが、

昔の人々の「神様に対する思い」は、

私たちが考える以上に真剣なものだったのです。


堅牢な石積み

2017-03-30 10:03:01 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

下村・矢倉神社でまず印象的だったのが、

ご神体の山を取り囲む堅牢な石積みでした。

曲がりくねった石段の先にある境内にも、

しっかりとした造りの二重の石垣が、

城郭のように組み上げられており、

丁寧に積まれた大小様々な形の石と、

赤い鳥居がはめこまれたコンクリート製の社殿が、

ご神体を守るかのごとく前後左右に配置されています。

 

ちなみに、この下村・矢倉神社の神様と、

上村・矢倉神社の神様は夫婦神だそうで、

一説によれば、上村の矢倉神社は火の神、

下村は木の神をお祀りしているのだとか。

河口から川を遡り、人や文化が伝播していった

他の河川の状況とは逆に、ここ太間川地区では、

上流から下流へと諸々の風習が模倣され、

村が発展したのではないかという話も聞きます。


能動的な参拝

2017-03-29 10:07:03 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

一方を太間川、一方を崖に挟まれた

下村・矢倉神社へと続く石段の入り口は、

意識して探そうとしなければ、

あっという間に通り過ぎてしまうような、

とてもわかりにくい場所にあります。

事前にある程度の情報を入手できた、

古座川流域の無社殿神社などとは異なり、

太間川流域の無社殿神社に関しては、

資料らしい資料はほとんどないまま、

運を天に任せるような気持ちで、

ひたすら窓越しの風景に目を凝らしました。

 

頼りになるのは、地元の方の案内だけですが、

世帯数の少ない山の中の過疎集落で、

人と会うことは想像以上に困難です。

社殿はもちろん鳥居なども存在しない、

無名の無社殿神社を探し当てるには、

心から「参拝したい」という

気持ちがなければ無理なのでしょう。

何もせずに「神社に呼ばれる」わけではなく、

「行きたい」と能動的に行動を起こすからこそ、

神社のほうが呼んでくれるのかもしれません。


聖域の雰囲気

2017-03-28 10:14:00 |  無社殿神社2

<下村・矢倉神社 しもむらやぐらじんじゃ>

 

上村・矢倉神社のある上村地区から、

太間川沿いに約1kmほど下ったところに、

旧太間川村の下村地区があります。

きついカーブが連続する狭い坂道を、

ブレーキを踏みながら慎重に降りて行くと、

下村地区の中心部に差し掛かる手前で、

がっしりとした造りの石段が目に入りました。

 

「神社へと続く参道」というのは、

あたりに漂う雰囲気でわかるもので、

たとえ案内板が設置されていなくても、

「聖域への入り口」が発する独特の空気が、

その先に神社があることを教えてくれます。

ためらうことなく登り切った長い石段の先には、

やはり石垣に囲まれた立派な社殿がありました。


鳥居のない神社

2017-03-27 10:50:02 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

熊野地域の無社殿神社の多くには、

鳥居というものが設えられていません。

後年作られた場所はあるかもしれませんが、

ほとんどの神社が、鳥居という目印を持たず、

周囲の自然と混ざり合うように置かれています。

恐らく私たちが普段神社で目にする

鳥居・社殿・手水舎・しめ縄・鈴…などは、

想像よりもはるかに新しい風習で、

日本古来の神社にはなかったものなのでしょう。

 

ちなみに上村・矢倉神社のある集落に

残されている言い伝えによりますと、

「空神のいる天には境がなく、

境界を示す必要がない」から、

鳥居は必要ないのだそうです。

きっとこの地の人々のみならず、

私たち日本人の先祖すべてが、

鳥居という結界などなくても、

当たり前のように、神聖な場所を

かぎ分けていたのかもしれません。


空への意識

2017-03-26 10:47:44 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町の上村・矢倉神社を訪れた際、

当初社殿だと思い込んでいた建物は、

実はのちに合祀されたこの地区の弁天堂でした。

上村・矢倉神社の本体?は、

右隣の平らな石が何層にも積まれた祭壇です。

祭壇の両脇には石造りの灯篭が二基、

その向こうには三角形の稜線を描く小山が、

バランスよく配置されています。

紀伊続風土記の中に、「社なく木を祭る」

と書かれていることから、もともと「樹木」

をお祀りしていた場所だったのでしょう。

 

ちなみに、こちらの神社のご祭神も

「空神」だという伝承があるそうです。

「空」という共通項を持つことから、

天狗や猿田彦とも同一視される空神ですが、

山を仰ぐようにして設えられた祭壇を見ると、

昔の人々が「木」「森」「山」の先にある、

空という存在を強く意識していたことがわかります。

もしかすると、古代はこの上村・矢倉神社でも、

天から舞い降り、木や石に宿ろうとする神様の姿を、

はっきりと感じられたのかもしれません。


緑の絨毯

2017-03-25 10:45:35 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

すさみ町にある上村・矢倉神社は、

県道222号の行き止まりにほど近い、

人の気配が消えた川のほとりにありました。

対岸の一段高い場所にある境内へは、

コンクリートで頑丈に補強された

鉄製の橋を渡って参拝します。

昔は直接川を渡って身を清めてから、

神前へ向かったのだと思われますが、

こうして川のせせらぎに耳を傾けたり、

川面から立ち上る粒子を浴びたりすることも、

少なからず禊の効果があるのかもしれません。

 

慎ましく流れる太間川を横目にしつつ、

苔の絨毯が敷かれた石段を登った先には、

さらにこんもりとした苔の塊が、

あたり一面に敷き詰められていました。

フカフカとした感触を足裏に感じながら、

境内の中をひと回りしてみますと、

さながら「雲の上」を歩いているようで、

何とも言えず心地よい気分になります。

周囲を取り囲む森の木々の隙間からは、

午後の柔らかな光がうっすらと差し込み、

祭壇の中央を淡い色彩で染めていました。


期待値の高い神社

2017-03-24 10:39:41 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

本来ならば、「事前の調査」は最低限にとどめ、

余計な情報を頭に入れずに神社巡りをしたほうが、

素直な感覚で神社をお参りできると思います。

私自身も以前は、ネットは極力使わず、

おおよその場所だけを地図で調べ、

あとは行き当たりばったりで、

予定をこなしていたのですが、

諸々のリスクと天秤にかけた結果、

やはり入念に下調べをしてから、

現地に向ったほうがよいのではないかと、

最近は考えるようになりました。

 

その際、リストアップした神社の概要などを、

前もってネットで確認することも多いのですが、

画像をひと目写真を見ただけで、

強いインパクトを残すような場所が、

少なからず存在します。

上村・矢倉神社という無社殿神社も、

そんな「期待値の高い神社」のひとつで、

よほどの理由がない限り、

必ずお参りして帰ろうと心に決めていました。

そして実際に、林の中にひっそりと佇む、

上村・矢倉神社の姿を認めたとき、

抱いていた印象が確信に変わるのを感じたのです。


神社の必須条件

2017-03-23 10:27:37 |  無社殿神社2

<上村・矢倉神社 うえむらやぐらじんじゃ>

 

串本町・和深から海沿いの国道42号線を、

和歌山方面に向かってひた走ると、

すさみ町の中心街に差し掛かります。

交差点を右に折れ、道なりに進むうちに、

視界の先に川が見え始めました。

すさみ町の西端に位置する太間川は、

下流までの距離が約10kmほどの短い河川ですが、

川筋にはいくつかの無社殿神社が鎮座し、

そのどれもが非常によい状態を保っています。

 

まず向かったのは、最も上流に位置する

旧太間川村・上村地区の矢倉神社です。

次第に細くなる道を一気に北上すると、

民家が途切れた川の向こう岸のあたりに、

石垣の上に建つ小さなお社が見えてきました。

「無人の山中」「清流のそば」「木に囲まれた境内」

という、理想的な神社の条件を兼ね備えた

上村・矢倉神社は、今回私が訪れた神社の中で、

「最も期待を裏切らなかった場所」でもあります。