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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

3つの社

2020-05-09 09:12:30 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.13 *****

927年制定の『延喜式』に記載された

東北三県の式内社が、869年に発生した

貞観地震の影響を受けて選定されたとすれば、

貞観地震における津波被害で

倒壊したような神社に関しては、

必然的に候補から外されていたとも考えられます。

 

つまり、現在「式内社」と認定されている神社は、

「貞観地震の際に津波被害に遭わなかった」

確率が高いわけで、これから起こるであろう

巨大地震や巨大津波に備えるにあたり、

これら一帯を避難場所として

活用できる可能性も見えてくるのでしょう。

 

そこで気になるのが、東日本大震災時に

生き残った多数の式内社の中で、

なぜ3つの社のみが全壊・半壊して

しまったかということですね。

 

聞いたところによりますと、

3つの社のうちのひとつは、

「里宮」と呼ばれる山頂の神社の遥拝所で、

もうひとつは後年に海沿いへと移転した神社、

最後のひとつは本来「沖の小島」で

祀っていた神様を港に移したものなのだとか……

(いずれも詳細は不詳)。

つまり、すべての社が『延喜式』当時の

鎮座地から移動していたのです。


式内社の選定

2020-05-08 09:05:42 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.12 *****

神社本庁の調査によりますと、

東日本大震災による神社の被害は

一都十五県におよび、4,500社を超える

神社が被災し、神職の方8名が死亡

または行方不明となっているそうです。

 

岩手・宮城・福島の三県に関しては、

4,827社のうち被害に遭った神社は1,509社。

ただし、そのほとんどが石段や

鳥居などの倒壊被害で済み、

拝殿や本殿にまで被害が及んだのは

わずかに145社のみだったのだとか……。

 

この事実を踏まえて、

神社本庁がさらに調べを進めたところ、

助かった三県の神社はほぼ「古い神社」であり、

中でも「式内社」と呼ばれる100社のうち、

津波によって全壊・半壊したのは

わずかに3社だったと言います。

 

ちなみに、式内社と申しますのは、

およそ1,000年以上の歴史を持つとされる

『延喜式(927年制定)』記載の古社ですから、

その中には「縄文」に起源を持つ

場所も含まれているのでしょう。

 

神社本庁の見解としては、

「869年に発生した貞観地震が、

式内社の選定に影響したのではないか」

ということですが、果たして真相はいかに…。


心の芯

2020-05-07 09:00:10 | 神社と災害

 

ということで、古代に起きた「疫病の大流行」と、

現在進行形である「新型コロナウイルスの拡大」

とを絡めて考察してまいりましたが、

ここでいったん思考を切り替えて、

当ブログのメインテーマである「神社」

へと話を戻すことにいたしましょう。

 

すでに数か月もの間、地球上全体が

「ウイルス」という見えない難敵と対峙し続け、

多くの人が「これさえ克服すれば、

また元の日常生活が戻るだろう」

という淡い期待の元に、

不便な暮らしを耐え忍んでおります。

 

しかしながら、私たちがウイルスに

翻弄されている間にも、地震や火山噴火などの

自然災害の脅威は刻々と迫って来ており、

「被災」と「パンデミック」とが

同時にやってくる可能性も否定できず……。

それらを未然に防ぐ手段を考えたとき、

やはりたどり着くのは、

日本の支柱である「神社という聖域」、

そしてそれらを数千年単位で

守り続けてきた「日本人の精神性」だと、

個人的には感じているのですね。

 

そんなわけでして、ここで再び

「心の芯」をまっすぐに保つべく、

「神社と災害」についての記事を

UPしてまいりたいと思います

(神社と災害No.1~No.11の続きです)。

なお、世の中の動きによっては、

途中で「別ネタ」に差し替える

かもしれませんのでご了承ください。


縄文海進との関係

2019-12-27 09:11:16 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.11 *****

「縄文海進」と呼ばれる現象がピークを迎えた、

5,000年~6,000年前の縄文時代、

関東平野を始めとする海沿いの

平野のかなりの部分は海の中でした。

一説によりますと、沿岸部にある

神社の多くが高台に鎮座するのは、

「縄文海進」が終了したのちに海水面が下がり、

海辺だった一帯が陸地化した結果、

岬の先端などにあった祭祀場が

「丘」になったからだそうです。

 

それが事実だとすれば、

津波被害を免れた来歴不詳の「古い神社」は、

もともとは「縄文時代の祭祀場」であり、

縄文海進の時代の海岸線に沿って

設けられていたとも考えられますね。

貝塚などの「縄文遺跡」が海から

離れた場所に点在するのも、

同じく縄文海進後の海岸線の

後退が原因だと言われていますから、

現在の海辺よりも幾分内陸に入ったあたりに、

当時の「聖地」が眠っている可能性もあるのでしょう。

 

もしかすると、縄文時代の海岸線のラインと、

東日本大震災における津波の到達ラインとの間にも、

何か深い関連があるのかもしれません。


特別な立地

2019-12-26 09:07:18 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.10 *****

神社を巡っておりますと、少なくない数の神社が

「高い場所に鎮座している」ということに気づきます。

神社が高台にある理由に関しては、

様々な理由が取り沙汰されてはおりますが、

実は山頂に置かれているような特殊なケースを除き、

神社の標高は「さほど高くはない」ことも多く、

場合によっては神社の上方に

民家が立ち並んでいる場合も間々あるのです。

 

つまり、人々が神社を築く際

「一番高い場所」を最優先したわけではなく、

別の理由でその場所を選んだとも考えられるわけですね。

 

ちなみに、東北沿岸のある地区では

助かった神社の標高がほぼ10m、

別の地区では助かった神社の標高がほぼ5mなど、

地域ごとに明確な規則性が見られるのだとか……。

これらの現象から想像できるのは、

自然災害を繰り返し経験する中で、

人々は「特別な立地」を知っていた

ということかもしれません。


人間の思惑

2019-12-25 09:03:42 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.9 *****

もし仮に、「新しい神社のほうが津波被害を受けやすい」

という調査結果が事実であるとすれば、

その理由のひとつとしてあげられるのが

「人間側の都合が優先されたから」かもしれません。

恐らく、比較的創建の新しい神社

(詳細な由緒が残る神社)というのは、

「天災」を意識して建てられたものではなく、

「土地開発の際に邪魔になったから」

「山麓だと遠いので沿岸に引っ越したから」……など、

あくまでも住民側の都合により

別の地に移されたケースも多いのでしょう。

 

そのため、本来は「津波の来ない場所」

に建てられていた神社も、必然的に危険な

浸水域へと移転せざるを得なくなり、

結果的に被害に遭う確率が高まって

しまったのだと思われます。

数百年、あるいは数千年というスパンで発生する

「巨大地震」の記憶が住民の頭の中から薄れるに従い、

貴重な「災害モニュメント」でもあった神社までが、

その機能を失ってしまったわけですね。

 

神社があるから神が宿るのか、

それとも神が居るから神社が生まれたのか……、

もう一度神社の在り方を見直すべき時期なのかもしれません。


来歴不詳の神社

2019-12-24 09:59:31 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.8 *****

東日本大震災の津波被災地において、

大きな損傷を免れた神社の多くは、

「来歴不詳」とされる古い神社だったそうです。

いわゆる「村社」に分類されるような小さな氏神、

その中でも元地から「移転」せず、長きに渡り

その場に鎮座していたと思われる「社」が、

「生き残った神社」の大多数を占めていたのだとか……。

 

何でも、諸々の理由で別の土地に移った神社や、

近年に創建された来歴の浅い神社には、

「全壊・半壊」などの被害が目立つ一方で、

古くから同じ場所に置かれていた

「来歴不詳の神社」に関しては、

被災率が低い傾向が見られたと聞きます。

 

まあ、これらの調査結果については、

少々複合的な見方が必要なのですが、

ひとつの可能性として古くから同じ場所にある神社は、

他の神社と比べて「自然災害の被害を受けにくい」

とも推測できるのでしょう。逆に言えば、

「自然災害の被害を受けなかったからこそ」、

現在まで継続できた面もあるのかもしれません。


神社からの警告

2019-12-23 09:52:11 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.7 *****

数年前のTVの報道特集で、

「神社が伝える津波のメッセージ」と

題する内容の番組が放送されていました。

リアルタイムで視聴したわけではないのですが、

「神社と災害」の関係について調べているうちに、

「津波の浸水域に沿うかのように神社が建てられている」

という、東日本大震災の被災地の情報に行き当たり、

興味を持って掘り下げて行ったところ、

前述の特集番組を含むにわかには信じられないような

(ただし、神社の成り立ちを考えればあり得る)

現象に行き当たったのです。

 

それらの話を総合しますと、

津波による甚大な被害を受けたエリアには、

なぜか「被災を逃れた神社」が多数存在し、

そこに逃れた人々が命を救われたとのこと。

そして助かった神社の多くが、

浸水域の「縁」に立ち並んでおり、

「何らかの意図の元に神社が建てられたのではないか」

という可能性が浮かび上ってくるのだとか……。

果たして、「神社」と「災害」は

見えない糸で深く結びついているのか、

特番の取材記録をまとめた本などを引用しながら、

個人的な見解をつらつらと綴ってみたいと思います。

 

【参考書籍】

神社は警告する ~古代から伝わる津波のメッセージ
高世仁 吉田和史 熊谷航 --講談社--


特殊な立地条件

2019-12-17 09:46:46 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.6 *****

すでにご存じかもしれませんが、

古社と呼ばれるような神社の多くは、

地震や津波などの「天変地異」を

避けるかのような立地条件の元に

建てられているケースが間々あります。

 

例えば、伊勢湾にほど近い伊勢神宮の外宮などは、

ハザードマップ上では浸水被害エリアに

位置しているにも関わらず、

ご正殿のある一帯のみは危険エリア外であり、

また山側に位置する内宮に関しても、

神域全体が土砂災害の危険区域の外にあるのです。

 

これらを実証する事例として、

東日本大震災の発生時に、

「高台にある神社に避難した大勢の人が助かった」

という東北沿岸部のケースがあげられるでしょう。

 

数年前、三陸の被災地にある神社を訪れた際には、

「鳥居の前まで水が来た」「本殿だけは大丈夫だった」

「階段の下にいた人は流された」

などの状況をよく耳にしましたし、

各地のハザードマップを確認しても、

神社マークのある周辺だけは不自然に

「色抜け(標高が高い……等々)」しているもの。

 

逆に言えば、「神社」を意識することで、

災害から免れることもあながち

不可能ではないと思われるのですね。


土地への愛情

2019-12-16 09:42:21 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.5 *****

なぜ日本全国津々浦々、

大都市のビルの谷間から

小さな集落の山の中にまで、

「神社」という聖域が存在し、

長い間大切に守られているのかと言えば、

それは「自然への感謝」が自分たちの命を

守ることにつながると、私たちの祖先が

直感で気づいていたからなのでしょう。

現代社会においては、

「異端」「非現実的」と言われる所業が、

知らず知らずの間に国や国民の命を救っているのです。

 

もちろんそれがすべての理由ではありませんが、

災害が甚大化しやすい地域というのは、

その土地の有力者の行動

(住民を危険にさらすような選択)や、

住民たちの意識(この土地は大丈夫という過信)

などに問題が潜んでいる場合が少なからずあります。

 

選挙ひとつをとっても、

特定の思想に染まった人間と、

日本や地元への愛情が強い人間と、

どちらが当選するのかによって、

その土地の災害リスクにも甚大な差が出るのですね。

 

私たち日本人ひとりひとりが、

自然や神を敬う習慣を取り戻さなければ、

日本という国は早々に消えて無くなります。

つらい状況に追い込まれて初めて、

自然への畏怖を感じるのではなく、

普段から常に「自然の中に神を観る心」を持つことで、

住民の心が正され、災害を最小限に抑える

エネルギーに変わるのかもしれません。


災害による気づき

2019-12-15 09:40:15 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.4 *****

大きな自然災害が起こるたびに思うのは、

「人間の欲望なんてちっぽけなものだ」ということで、

大自然の力を目の当たりにすると、

昨日まで堂々めぐりしていた諸々の問題が、

いかに取るに足りない悩みだったかに気づきます。

命の危機を感じるような災害を経験した後、

被災者の死生観に変化が出るのも、

その人の心を厚く覆っていた

「自我」が強制的に吹き飛ばされ、

心の芯がむき出しになるからなのかもしれません。

 

天災というのは、人間に「大事なあること」

を気づかせるために起こる場合が間々あります。

逆に言えば、人間のほうが先にそのことに気づければ、

災害発生の確率は格段に下げられるのですね。

これからさらに、地球全体の地殻変動は本格化し、

世界各国で自然災害の嵐が吹き荒れるでしょう。

まずは自分を守る家族や先祖や精霊に、

そして地域の自然を守る氏神に、

感謝の気持ちを捧げることが大切なのだと思います。


神を感じ神を観る

2019-12-14 09:37:54 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.3 *****

私たち日本人は、どんなに大きな天災に

見舞われても、決して神や自然を恨まず、

逆に見えない存在に「感謝を捧げること」で、

その後の災害の連鎖を乗り越えてきました。

 

だからこそ、災害発生時の極限状態に置かれても、

パニックにも陥ることもなく、毅然とした

心を保っていられる人が多いのだと思います。

 

きっと信仰の対象が、目に見える人間や物であれば、

非常事態に陥り崇拝の対象を見失った瞬間、

人としての尊厳を失うでしょう。

 

何もない空間に神を感じ、

何でもない景色に神を観る……。

 

日ごとに変わる四季の光景に彩られた、

神社の参道を歩いておりますと、

神様は特別な人間や建造物に宿るのではなく、

神様を敬う人々の心に宿るのだとわかります。

 

わざわざパワースポットなどに行かなくても、

心を癒し罪穢れを浄化する場所は、

私たちのすぐ近くにあるのかもしれません。


自然との会話

2019-12-13 09:32:07 | 神社と災害

 

  ***** 神社と災害 No.2 *****

1000年に一度とも言われるような大地震、

大津波、大水害、巨大台風……などを経験した今、

改めて思うのは「予測よりも防災が重要」

だということです。私たちに必要なのは、

自分の生活に即した防災対策を取ることと共に、

日本人が古来より守ってきた、

「自然への感謝の習慣」を取り戻すことなのでしょう。

 

日頃から神様や先祖を敬い、

氏神や産土神へ「感謝の気持ち」

を奉納する住民が多い土地は、

災害から守られる力が強くなるのですね。

 

現在、地球上の信仰の大部分は、

「偶像」や「特定の人物」への

崇拝を促すものだと思います。

神に対して感謝を捧げるのではなく、

目に見える対象を拝み、願いを叶えて

もらおうとする信仰がほとんどです。

 

「神に祈る」という姿は一緒でも、

「神様に向き合ったとき何を思うのか」で、

その後の展開やその人の人生は大きく変わります。

災害を抑えるために必要なのは、

日常的な自然との会話なのかもしれません。


防災強化期間

2019-12-12 09:15:30 | 神社と災害

 

 ***** 神社と災害 No.1 ***** 

先週、「体感 首都直下地震ウイーク」

というキャッチフレーズの元に、

NHKでは連日、東京圏を襲うであろう

大地震関連の番組が放映されておりました。

ネット上では様々な見解が飛び交っているようですが、

個人的な印象としては「ここまで迫って来てしまったんだ」

という強い切迫感を覚える内容だったと感じます。

 

番組の中でも繰り返し

「あえて衝撃的な映像もお伝えしております」

というアナウンスが入っていたように、

今回の企画の意図は「人々の思考を刺激する」

「人々に現実を見てもらう」ことにあったのでしょう。

逆に言えば、それくらい今現在の国民全体の

「危機意識」が薄れていたわけで、

生易しい映像やありきたりの防災喚起では対応できないほど、

私たちの意識は「眠ったまま」だったのかもしれません。

 

というわけで、次回以降は別テーマの記事を

用意していたのですが、「縄文」の目覚めと共に、

私自身の中の「眠っていた危機意識」も

一気に刺激されてまいりましたので、

こちらも「防災強化期間」と題しまして、

過去に書き起こした記事などを再編集しながら、

しばし「神社と災害」について書き綴ってみるつもりです。