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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

再び現世へ

2020-09-27 09:49:18 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.28 *****

初夏から初秋にかけての4ヶ月。

古代の出雲に妄想の旅へと出発し、

様々なイメージを広げてまいりました。

2年前に出雲へ来訪した時の様子を思い浮かべながら、

古代の出雲を俯瞰していくうちに、

そのときは気付かなかったたくさんの事象が、

時が来るのを待っていたかのように、

次々と浮かび上がってくるのが印象的でした。

 

まあ、ほとんどが素人の勝手な想像ゆえ、

話半分に読んでいただければとは思いますが、

近代日本(神武以降)が出来上がる以前に、

「イズモ時代」とでも呼ぶべき、

太古の神々が生き生きと躍動した一時代があったことを、

頭の片隅にでも入れておいていただければ幸いです。

 

もしかすると、これからイズモ時代に

活躍した神々が永い眠りから覚め、

私たちにその実在を示し始めるのでしょう。

逆に言うと「天津神」だけでは、

今の日本が置かれている状況を

抑えきれなくなっているのかもしれません。

ゆえに、まだまだ「出雲」に関しての

ネタは尽きないものの、

ここで一旦古代出雲の世界から離れ、

現世に引き返してみたいと思います。


災害は必ず来る

2020-05-23 09:33:40 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.27 *****

大きな災害が起こるたびに

メディアが映し出すのは、

「よりインパクトのある被害」

「より悲惨な状況に置かれた地域」の映像です。

 

そして、災害から一ヶ月も経過すると、

今度は「よりポジティブな話題」

「より安心感を与えるような情報」を、

これでもかというくらい

繰り返すようになるのが常です。

 

ゆえに、どのチャンネルに合わせても、

似たような絵面・ネタばかりになり、

本当に重要な内容が被災者や

視聴者に伝わることはありません。

 

もちろん、いたずらに不安を

煽るのは控えるべきですし、

取材側の安全にも配慮が必要ですが、

「次の災害に備える」という部分において、

文明の極みである「情報産業」が、

古代の人々の知見よりも

はるかに劣っていることは、

これらのメディア報道を

踏まえても明白だと感じます。

 

昔の人たちは、「災害は必ず来る」という

前提の元に、日々の生活を送っていました。

しかし現代人である私たちは、

「災害は来るか来ないかわからない」

という観点で、日常生活を過ごしております。

 

数千年間に建てられた神社が

「未だに残存する」という事実は、

「災害は必ずやって来る」という、

いにしえ人たちの切実な声なのかもしれません。


大自然の営み

2020-05-22 09:31:13 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.26 *****

なぜ古くから日本人が、

他の民族より「自然災害」に対して

寛容でいられたのかと言えば、

それは大自然の営みを「善悪」で

決めつけなかったからなのかもしれません。

 

もちろん、地震や津波は

歓迎すべき出来事ではないものの、

「神の領域」で起きた現象に対しては、

「仕方がない」「人間が合わせるべき」

という基本的な価値観の元に、

諸々の対処法を探ってきたのでしょう。

 

恐らく、災害が起こる前から

「被災後の状況」を考慮に入れ、

住む場所を検討したり、神社という避難所を

設置したりしていたのだと思われます。

 

昔の人々は、「神の領域」と「人の暮らし」

とをつなぐ接点が「神社」だと知っていたからこそ、

神社を大切に管理することで

「より少ない被害で済むよう」

神様との距離感を保っていたのですね。

 

普段目にする小さな氏神も、

長い時代に渡りその地を守り、

ときには陰で人々の命を救ってきたことを、

そこに住まう私たちが知らないだけのかもしれません。


セーフティーゾーン

2020-05-21 09:26:42 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.25 *****

各地を旅しておりますと、

どんなに僻地の神社を訪れても、

境内はきれいに掃き清められ、

氏子の人たちが替えたであろう新しい榊が、

神前に供えられている様子を良く見かけます。

 

神社のそばには、「公民館」や「集会所」

などが隣接しているケースも多いことから、

恐らく集落の人々は日常的に

集まり話し合い祭りを行うなど、

「神社」を拠り所としながら様々な

「結びつき」を生み出しているのでしょう。

言うなれば、地域のコニュニティーセンター

としての役割を、「神社」という

聖域が担っているわけですね。

 

普段は都会的な生活をしている人でも、

また、個人主義をポリシーとしている人でも、

ひとたび災害が起きれば否が応でも

「被災者」となり、周囲の人々の

協力を必要とする事態に陥ります。

そして、「命が助かる場所」を探し求める中で、

必ず遭遇するのが「神社」という

セーフティーゾーンなのです。

 

被災をしてつらい思いをする前に、

各々が神社(氏神)の価値に気づき、

今からでも大切に守って行くことこそ、

有効な「減災対策」につながるのかもしれません。


自然は神の領域

2020-05-20 09:23:07 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.24 ***** 

東日本大震災後の東北では、

「巨大な防波堤の建設」

「集落全体の土地のかさ上げ」

「商業地と住宅地の差別化」……など、

地域独自の防災計画が進められております。

もちろん、近代の土木技術を

駆使した災害対策も重要ですが、

忘れてはいけないのは

「自然は神の領域である」ということで、

すでに地球全体が「かつてない規模の災害」

に見舞われる時代に入っているという事実を、

現代に生きる私たちは

理解できていないのかもしれません。

 

昔の人たちは、いわゆる「人知の及ばない」

ことに対しては、無駄に抵抗するのではなく

「どうやったら無難に避けられるか」を

念頭に知恵を絞ってきました。

災害で生き残った神社の姿は、

千年以上も前の人々が

「知恵を絞ってきた物証」であり、

各時代に生きた人々が「必要だ」

と思ったからこそ、取り壊されずに

脈々と継承されてきたのでしょう。

 

自分の住んでいる地域の「氏神」

を意識するという心がけは、

巡り巡って自分たちの「命」

を救うことにもつながるのですね。


謙虚だった先人

2020-05-19 09:19:49 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.23 *****

古来「神の住まう場所」と「人間の住む場所」

とは明確に分けられておりました。

「地域の氏神」と呼ばれるような神社が、

集落の中心にある小高い丘や、

少し離れた山のふもとに鎮座しているのも、

古代の人々が神々の領域とされる

「山」を神聖視していた証拠でして、

これらの信仰心が結果的に

「安全な立地」を導き出したのでしょう。

 

ただし、時代を経るに従い

「村と山との境界線」に居た神々は、

集落の中の「お参りやすい平地」に移され、

また人口増加と共に「小高い丘の上」

に居た神々は、過去に被災した

災害危険エリアへと招かれました。

つまり、「神様」を優先して

祭祀場を選んでいた古代人と、

「人間」を優先して神社を創建した

現代人の感覚の差が、

命の軽視を招いたというわけですね。

 

「先人は自然災害に対して、

非常に素直かつ謙虚だった」と、

防災の専門家たちは口をそろえて言います。

私たちは、「自然に対する畏怖」

という人間としての本能を

忘れかけているのかもしれません。


一番良い場所

2020-05-18 09:14:38 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.22 *****

自然災害を調査してきた専門家の多くが、

「被災地では想像以上に多数の神社、

特に古社と呼ばれる神社を

中心に被災を免れている」

という事実を目の当たりにするそうです。

その理由として考えられるのが、

「大災害を繰り返してきた結果、

津波や地滑りの起こりにくい土地を選んで、

神社を建立したのではないか……」

ということでして、

これまで記してきた東北の事例からも、

まるで「災害後」の状況を見越すかのように、

より安全な土地へと社を移転してきた

神社の姿が浮かび上がります。

 

国土のほぼ70%を森林に覆われ、

平地の少ない日本という国では、

「海の災害」「川の災害」「山の災害」……など、

すべてのリスクを避けられる土地は

限られているのが現状です。

ゆえに、現代になるに従い、

過去には手を付けなかった「危険地帯」にまで、

住宅が建設されるようになったのも

致し方のない流れかもしれません。

恐らく、私たちの祖先は、

それでも多くの住民の命が助かるよう、

「一番良い場所」に神社を置くことで、

現実的な避難場所の確保と、

精神面での防災意識を促そうとしたのでしょう。


防災の叡智

2020-05-17 09:05:05 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.21 *****

津波被災地や豪雨被災地の

写真を眺めていますと、

神社の一帯だけがまるで「浮島」のように、

水の中にぽっかりと浮かんでいる

様子を目にすることがあります。

恐らく、神社を取り囲む「鎮守の森」が、

社殿を守る砦のような役目を果たし、

そこに逃げ込んだ人々を救った

ケースも少なくないのでしょう。

 

また、水害の危険地帯だけでなく、

「地滑り災害」などの起きやすい地域でも、

地盤の強い「安全地帯」に神社を建てることで、

人々が避難場所として活用できるよう、

造成を工夫した形跡が見られると言います。

 

これまでの旅を思い返しても、

山間地の土砂災害区域にある神社では、

必ずご神木と呼ばれるような

「巨木」が出迎えてくれました。

樹齢何百年以上もの巨木が残っているということは、

地質が強固だった証拠でもありますから、

私たちの祖先は、自らが住まう土地の特性を見極め、

自らの神と自らの命を救うために、

「聖地」を選定してきたことは確かです。

つまり、神社という特殊な場は、

「防災の叡智」が詰まった場所でもあったわけですね。


防災施設

2020-05-16 09:01:13 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.20 *****

災害時の避難所として、高台にある「神社」

を指定するケースを良く見かけますが、

実は神社という建物自体が、

「災害を意識して建てられたものではないか」

という話を時折耳にします。

何でも、宝永地震の津波で

流された高知県のある神社には、

お社を別の場所へと移転する際に、

長い石段と大きな社殿を新たに造り、

津波の到達しない安全な土地に神社を

再建したという記録が残っているのだとか……。

 

さらには、各地の神社で行われる「祭」に関しても、

防災訓練を兼ねた所作が随所に見られるそうで、

例えば裸の男衆が激しく身体を

ぶつけ合う「裸祭り」などは、

災害に備えるための体力作りの場であり、

裸祭りを行う地域と「活断層」との間

にも相関性が伺えるのだそうです。

「お祭りの多い地域ほど災害が多い」

という俗説もあるように、神社というのは一種の

「防災施設」としての役目も担っていたのでしょう。

神社の近くに「災害記念碑」などが置かれているのも、

古くから人々が「神社」と「災害」

とを結びつけていた証なのかもしれません。


フツヌシと断層

2020-05-15 09:56:58 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.19 *****

昨日、ネット上に掲載されていた

怪しげな予言をネタに、地震の神様

についてあれこれ妄想してみましたが、

「ふっつの神……」を「フツヌシを祀る一族の神」、

「たけだのミカは既にいない」の

たけだのミカを「タケミカヅチ」に置き換えると、

なかなかに興味深い光景が見えてまいります。

もしかすると、本当の地震の神様とは

「タケミカヅチ」ではなく、

「フツヌシ一族が祀っていた神」

あるいは「富津や房総半島に縁する一族の神」

だったのかもしれません。

 

だとすれば、「フツヌシ」や「富津」

と関わる一族、そして彼らが祀っていた神とは、

いったいどのような存在だったのかが

気になるところですが、これ以上深入りすると

収拾がつかなくなりそうなので、

続きはのちの機会に譲ることとして、

いずれにせよ中央構造線の末端でもある

「千葉・茨城」という地に、

本当の地震の神様が祀られていたとすれば、

古代の人々はこのときすでに、

「断層」を認識していたことは明らかなのですね。


ふっつの神

2020-05-14 09:46:07 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.18 *****

少々都市伝説的な話題で申し訳ないのですが、

実は東日本大震災の発生に伴い、

ネット上に様々な予言の類が乱立する中で、

「ふっつの神でなければもはや止められない」

「たけだのミカは既にいない」

「石が溶けてもはや守れない」

「偽りの都は滅びる」といった

内容の予知夢が掲載されておりました。

 

そして昨年、大型台風が千葉県を

中心に猛威を振るう映像を見ながら、

ふいに「ふっつ(富津?)の神」という

言葉が頭に浮かび、あれこれ調べてみたところ、

どうもこのあたりは「首都直下地震」にも

関与する場所だということが判明したのです。

 

ちなみに、ネット上のコミュニティーでは、

「ふっつの神」とは「フツヌシの神」

であるという説が有力視されているのだとか……。

以前の記事内で示唆したように、フツヌシを

「布都御魂(神剣)を管理した斎主氏族」

と仮定するならば、「ふっつの神」には、

氏族間の複雑な歴史を感じるのですが、

果たして真相はいかに……。


なゐの神

2020-05-13 09:32:19 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.17 *****

「鹿島の神」こと「タケミカヅチ」は、

日本神話の「出雲の国譲り」の件

に登場する天津神の一柱です。

しかしながら、『記紀』においては、

タケミカヅチと地震とを

関連づけるような記述はなく、

いつどのような経緯でタケミカヅチが

「地震の神」として崇められるようになったのか、

明確な根拠を示す資料は残っておりません。

 

ちなみに、古代は地震のことを「なゐ」

あるいは「なゐふり」と言ったそうですが、

「地震の神(なゐの神)」との関連が噂される、

三重県名張市の名居神社(ないじんじゃ)

のご祭神は、タケミカヅチではなく

「大己貴命」つまり大国主神だと聞きます。

これらの例からも、大国主神に

「国譲り」を迫ったタケミカヅチが、

「地震の神」になった経緯には、

腑に落ちないものを感じるのですね。

 

果たして、「なゐの神」とは

いったいどのような神様なのでしょうか……。

もしかすると、東日本大震災で

倒壊した鹿島神宮の石鳥居は、

「本当の地震の神」「本当の鹿島の神」の存在を、

それとなく示唆していたのかもしれません。


鹿島の神

2020-05-12 09:28:50 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.16 *****

「地震鎮めの神」と聞いてまず思い浮かぶのは、

言わずと知れた「鹿島の神」です。

茨城県・鹿島神宮および

近隣の千葉県・香取神宮には

「要石」と呼ばれる巨石が存在しますが、

何でもこの巨石は地震を起こす

「ナマズの頭と尻尾」を抑えているそうで、

鹿島神宮の社務所の方いわく、

東日本大震災の発生からその後にかけて、

神社の内外で「鹿島の神」の霊威と

思われる様々な現象が起こったのだとか……。

 

また、「地震の巣」でもある東海地方では、

過去の大地震の被災地の中に、

どういうわけか「被害が少ない地域」

が点々と出現するため、

研究者が詳しく調べてみたところ、

そこには「鹿島の神」や「要石」が

祀られていることが多かったと聞きます。

 

恐らく、全国各地の「鹿島神社」や

「要石」にちなむ場所というのは、

もともとは地震被害を受けやすい

エリアでもあったのでしょう。

ゆえに、人々は「より揺れの少ない地点」

「命が助かる確率の高い地点」を探し出し、

そこに「鹿島の神」をお祀りしたのかもしれません。


石碑と社名

2020-05-11 09:22:57 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.15 *****

「神社」と同様、過去の津波到達エリアを示す

大事な指標となるのが、「津波記念碑」

「供養碑」などと呼ばれる建造物です。

 

三陸沿岸を旅した際にも、

これらの「石碑」が至るところで

野ざらしにされている姿を見かけましたが、

いくつかの地区ではこのような石碑が、

のちに住居建築の際の目安になったり、

避難時の誘導に一役買ったりと、

人命救助につながったケースも

間々あったのだとか……。

 

一説には、津波被害を示す

「石碑」のある地点を結ぶと、

波の到達ラインを描くように

並ぶそうですし、実際の被害状況を

如実に伝える「石碑」の位置を、

「神社」の位置とともに視覚化することで、

より具体的な避難経路が浮かび上がるのでしょう。

 

そして、同じように「過去の災害」

を私たちに伝えてくれるのが、

神社の「社名」かもしれません。

「浪分神社」「津神社」などはもちろん、

「八龍神社(リュウは水害の跡)」

「照崎神社(サキは割れる・崩れる)」

「鼻節神社(ハナは土地の端)」など、

神社の名前には様々な災害情報が

含まれていると聞きました。


新たな鎮座地

2020-05-10 09:19:04 | 神社と災害

 

***** 神社と災害 No.14 ***** 

各地の神社を巡っておりますと、

時折「ご神体がこの地に流れ着いた……」

「近くの水辺でご神体を見つけた……」

などの由緒に出合うことがあります。

それらのすべてが「津波」を

暗示したものではないとしても、

東日本大震災による津波で流失した、

岩手県陸前高田市の「諏訪神社」の神札が、

茨城県鹿嶋市の「鹿島神宮」近くの浜へと

漂着した例があるように、

水害によりご神体や宝物が流され、

「新たな鎮座地へ」とたどり着くような出来事が、

過去には頻繁にあったのかもしれません。

 

恐らく、「お札」などが打ちあがった地点

というのは「浸水域の縁」でもあることから、

必然的に被害をギリギリ回避するような場所に

神社が建てられる流れとなったのでしょう。

近年の豪雨被害においても、

浸水したエリアの端に悠然と佇む

神社の姿を多々見かけました。

私たちの祖先は幾多の水害を乗り越える中で、

「ここならば神様も安心」という

特別な地を探り当てていったわけですね。