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たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

五角形の磐境

2018-04-14 09:52:31 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

陰陽師・安倍晴明のシンボルでもある

セーマン(五芒星)という印は、

道教由来の魔よけの護符とも、

ヘロデ王の紋章とも言われており、

ユダヤに縁ある六芒星とともに、

マジカルな図形として知られています。

 

八倉比売神社の奥の院にあったのは、

まさに「五芒星の磐境」とでも呼ぶべき、

特異な姿形をした礼拝所でした。

また、奥の院の祭壇だけに限らず、

この近辺には、五芒星の刻まれた灯篭や

五角形の井戸なども存在するそうです。

 

「五」角形の石の建造物が、

「八」倉比売神社に造られた背景には、

どのような訳が秘められているのでしょうか……。

ちなみにユダヤ教では、

古代イスラエル氏族の数である12と、

神を示す1という数字を足した13という数字を、

聖数として崇めてきたと言われています。

 

もしかすると、八倉比売神社の

本来の表記である矢倉を「八」倉に変え、

祭壇を「五」角形にした背景には、

5+8=13の数字が示唆する、

彼らの絶対神「ヤ」の影響が

あったのかもしれません。


人間の干渉

2018-04-13 09:50:10 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

本殿裏の小高い山の斜面を登り切ると、

広場の奥に奇妙な形の石積みが鎮座していました。

林の間から見えるその平らな石造物は、

明らかに普通の石とは違う

ある種の近寄りがたさを漂わせています。

恐らく、その不自然な石組みこそ、

八倉比売神社の奥の院であり、

卑弥呼(大日霊女命・天照太御神)

の墓所を示す目印なのでしょう。

 

ちなみに、こちらの石積みの

顕著な特徴としてあげられるのが、

何ともアンバランスな五角の形状です。

まじまじとその形を眺めておりますと、

どことなく天地が定まらず、

次第に足元が不安になってきます。

石積みの中央には小さな石の祠が置かれ、

祠の中にはリンガを象ったと思われる

数十センチほどの棒状の石が入っていました。

 

天照太御神を埋葬した古墳の上に、

男性器を模した石があるというのも、

何とも不思議な印象を受けるものです。

その昔この地に葬られたのは、

どのような立場の人物だったのでしょうか……。

他の神社には見られないその特異な様相は、

この地が長い月日に渡り、多くの人間の

干渉を受けてきた痕跡のようにも感じました。


神への宴

2018-04-12 09:47:31 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

やっとの思いで八倉比売神社の

ご神域にまでたどり着いたとき、

視界に飛び込んできたのは、

境内の片隅に置かれていた古いお神輿でした。

雨除けのシートがかけられたそのお神輿には、

真新しい榊と御幣が捧げられており、

いつでも出陣できるよう、

静かに出番を待っているようにも見えます。

 

「なぜこんなところにお神輿が?」と

不思議に思いつつ神社の案内板を見ると、

どうもこれからお祭りが行われるとのこと。

そのときはまだ境内は無人でしたが、

これから氏子の人たちが集まり、

「神への宴」が行われるのでしょう。

 

滅多にない催しに遭遇するとは、

何とも奇遇なことと驚いたものの、

先を急がなければならない身としては、

お祭りを拝見するための時間がありません。

後ろ髪を引かれる思いで本殿への参拝を済ませると、

目的地である神社の裏山へと一目散に足を向けました。


八倉比売神社

2018-04-11 09:45:44 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

八倉比売神社を訪れたのは、早朝の薄闇が消え、

街が静かにざわめき始めた午前8時頃です。

すでに朝からいくつかの神社に立ち寄り、

「果てしなく続く石段」を踏破してきたその日も、

行く先々の神社で修行の道が待ち受けていました。

 

八倉比売神社の参道の入り口付近に建つ

イヌマキで造られた鳥居の風合いは、

神社の景観にとてもよく溶け込んでいます。

扁額に書かれた「天石門別八倉比売神社」の文字は、

ここが延喜式神名帳にも記された「その場所」

であることを主張しているのでしょうか……。

 

足腰を引きずるようにして、

いざとばかりに最初の一段に足をかけると、

周囲の森から無数の鳥が飛び立ち、

シンと鎮まっていたあたりの空気が、

さざ波立つように振動し始めました。


「人」の匂い

2018-04-10 09:43:33 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

阿波の神社を巡っていて感じたのは、

神様の奥に潜んでいる「人」の匂いです。

この地域の神社の特徴とも言える、

古墳との切っても切れない関係は、

やはりそこに「人」が祀られていることを、

私たちに差し示しているのでしょう。

阿波の国において神様という存在は、

ただの曖昧模糊とした象徴ではなく、

「古代に実在した人物」でもあるのですね。

 

古くから聖域と崇められてきた場所に、

権力者の古墳が造られるようになった結果、

いつしか古墳に葬られている人自体を、

「神」と呼ぶようになったのかもしれません。

古墳上で祭祀を行う行為には、

様々な意図があったはずですが、

恐らくそのほとんどは「魂鎮め」であり、

ある種の封印の型なのだと思われます。


卑弥呼の墓

2018-04-09 09:41:02 | 阿波・忌部氏1

<阿波史跡公園>

 

八倉比売神社のご祭神である

大日霊女命(おおひるめのみこと)は、

天照太御神の別名とも言われています。

阿波の郷土史家の人たちによれば、

大日霊女は日の巫女、つまり卑弥呼を指し、

大日霊女と天照太御神と卑弥呼は、

同一人物だと考えられるのだとか。

 

八倉比売神社に関連する古文書等には、

卑弥呼(大日霊女命・天照太御神)の

葬儀の様子が記載されているそうで、

卑弥呼の墓所と伝えられる古墳が、

八倉比売神社の裏山に残っていました。

 

ちなみに、阿波国の神社というのは、

その多くが「古墳」とセットになっており、

祀られているご祭神も、単なる象徴ではなく、

「実在した神」として扱われる場合がほとんどです。

八倉比売神社が天照太御神の墓所とされる由縁も、

そんな阿波独特の信仰の型が影響しているのでしょう。


比売の裏側

2018-04-08 09:39:06 | 阿波・忌部氏1

<阿波史跡公園>

 

八倉比売神社の「ヤクラ」の部分について、

昨日の記事であれこれと考えてみましたが、

今回は「比売」について考察してみることにします。

「比売」の名称から思い浮かぶのは、

八幡神社などに祀られる「比売神」という存在です。

八幡大神や応神天皇が主祭神となる以前、

その土地を守護していたとされる比売神は、

一説によりますと、古い日本の国土神であり、

スサノオとも相通じる神様だと聞きました。

 

また、個人的な印象ではありますが、

古代の女性首長が統治していたとされる場所に、

「比売」や「姫」と名のつく神が

祀られているケースが多いとも感じます。

もしかすると、「比売」という存在は、

各々の土地の神に仕えていた

女性首長のことだったのでしょうか……。

阿波の地で目にする男性器を象った多数の石と、

阿波の地に祀られる比売の名を冠する神々の痕跡は、

古代この地で起きた「裏歴史」を

暗示しているのかもしれません。


ある暗号

2018-04-07 09:36:50 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

八十八か所巡礼の「八」や、八幡神社の「八」など、

「八」の数字に彩られた四国を歩いておりますと、

この地一帯に「八」の呪縛が、ぐるぐると

張り巡らされているような感覚を覚えます。

恐らく当初は、「矢」倉と表記したであろう、

こちらの八倉比売神社の名称に、

「八」の字を当てるようになったのは、

為政者の意図的な策略だったのかもしれません。

 

「矢倉」と聞いてまず思い出すのは、

熊野の無社殿神社「矢倉神社」の存在です。

一般的には「櫓(やぐら)」

が語源ともされる矢倉神社は、

もともと名もなき自然神をお祀りしていた場所で、

その裏にはスサノオという存在が隠されていました。

この八倉比売神社の一帯も、

恐らく古い自然信仰の聖地だったのでしょう。

 

ちなみに、以前のブログの中で、

「八」はユダヤの神の「ヤ」を示す、

といった内容の記事を書きましたが、

同時に「八」の名称を冠する神社には、

古代イスラエルの「八つの部族」が

関わっているという話も聞きます。

いずれにせよ、「矢」「八」「ヤ」の文字は、

古代人が私たちに残した「ある暗号」なのです。


八倉と矢倉

2018-04-06 09:19:48 | 阿波・忌部氏1

<八倉比売神社 やくらひめじんじゃ>

 

 ***** 忌部2/粟国と長国 *****

徳島市の西側にある国府町は、

その名が示す通り阿波国の中心部で、

周囲には城跡や古墳なども点在する、

古代史の香りが濃厚に漂うエリアです。

この地には八倉比売神社という古社が鎮座し、

延喜式神名帳に載る「天石門別八倉比売神社」

の比定地のひとつにもなっています。

 

最初に八倉比売神社という名称を聞いたとき、

まず気になったのは「ヤクラ」の発音でした。

現在は「八」の字が使われておりますが、

もともとは「矢」倉だったのかもしれません。

八倉比売神社の一帯に国府町「矢」野という

地名が付けられていることを考えても、

この神社と「矢」との関連は、

決して浅くはないのでしょう。


弓矢の神

2018-04-05 10:28:59 | 阿波・忌部氏1

<山崎八幡神社 やまさきはちまんじんじゃ>

 

忌部の四至石からそう遠くないところに、

山崎八幡神社という忌部氏ゆかりの神社がありました。

境内の隅には、忌部の矢磨石(やとぎいし)

と呼ばれる石の建造物が置かれ、

「忌部の神様が矢を研いだ」との伝承が残っています。

 

天日鷲翔矢命(あめのひわしかけるやのみこと)

との別称を持つ、阿波忌部氏の祖神・天日鷲命は、

「弓矢」の製造にも深く関わり、弓矢を射ることで、

穀物の種を播く時期などを占っていたようです。

 

ちなみに、各地の神社で行われる

「弓矢神事」という儀式は、

狩猟民族の習俗に源流があると聞きます。

恐らく、忌部氏という部族には、

農耕民族としての側面だけでなく、

狩猟民族や海洋民族としての側面などが、

複雑に入り混じっていたのでしょう。

 

もともと弓矢の弦には、

「麻」を使っていたそうですから、

麻の栽培技術に長けた阿波忌部氏が、

「弓矢の神」となったのも、

決して不自然ではないのかもしれません。


忌部の四至石

2018-04-04 10:26:19 | 阿波・忌部氏1

<忌部の四至石 いんべのししせき>

 

阿波忌部氏に関わる石の遺跡の中に、

「忌部の四至石(ししせき)」と呼ばれる

細長い石造りの建造物があります。

神社や磐座などの周囲四隅に建てられた

この四至石は、「人界」と「神域」との

結界の役目を果たしているのだとか。

一説によれば、どんな荒天に見舞われても、

四至石で囲われたエリアだけは、

雷が落ちなかったと聞きます。

 

岩戸神社から徒歩で20分ほど。

登校途中の小学生とすれ違いながら、

田園地帯の細い道を西に向かって進むと、

誰かに教えてもらわなければ、

確実に見逃してしまうほど、

ごくありふれた生活道路の脇に、

忌部の四至石のひとつが残っていました。

忌部氏はこれら四つの石に囲まれた区域で、

神や天皇に献上するための

聖なる麻を栽培したのだそうです。


特殊な磁場

2018-04-03 10:22:55 | 阿波・忌部氏1

<つるぎ町・伊良原>

 

剣山の山上集落に入りますと、

たくさんの石を積み重ねた石垣が、

切り立った斜面に張り付くようにして、

整然と壁を作っている様子を見かけます。

これらの高度な石積みの技は、

忌部氏が持ち込んだものとされており、

のちに古墳の石室構築などにも応用され、

現在の城郭建築の技術の基礎となりました。

 

古代、イスラエルの礼拝場は、

石を利用していたと聞きますが、

この地の人々が、石の建造物に囲まれながら

日々の生活を送ってきた理由は、果たして

気候や風土の問題だけだったのでしょうか……。

恐らく忌部氏という一族は、

特殊な磁場を発生させる石の性質を、

知り尽くしていた人たちなのかもしれません。


巨木と石祠

2018-04-02 10:20:06 | 阿波・忌部氏1

<鴨島町・牛島>

 

石積みの祭壇や石垣に囲まれた棚田は、

紀伊半島の熊野周辺でもよく見かけましたが、

阿波の石文化はその数も種類も桁外れです。

この一帯では、山間部だけに限らず、

平野の田んぼの中に立つ巨樹の根元にも、

石造りの小さな祠が置かれ、

「山の神」への祈りが捧げられていました。

 

阿波の人々の「石」への強いこだわりは、

忌部氏の遺伝子が成せる業なのでしょうか……。

それとも単なる伝統文化では片づけられない、

何か合理的な理由があったのでしょうか……。

もしかすると、神や精霊を地上に招く上で、

巨木と石祠という二つの自然物の組み合わせが、

最も顕著な相乗効果を生んだのかもしれません。


巨大な斎場

2018-04-01 09:17:59 | 阿波・忌部氏1

<つるぎ町・伊良原>

 

磐境神明神社で見られるような

石板を四角に組んだ人工的な石殿は、

剣山の北斜面から東斜面にかけての山間部一円に、

およそ1000基以上存在すると言われています。

これらの石殿は、「山の神」「オカマゴさん」

「オフナトさん」「秋葉さん」などと呼ばれ、

一見どこにでもありそうなのどかな山の集落に、

ある種独特な色を添えていました。

 

ちなみに、熊野の無社殿神社の記事の中で、

巨石と太陽信仰の関連について書きましたが、

立石をまっすぐに立てて置いたり、

複数の立石を直線に並べたりする文化は、

太陽祭祀の顕著なパターンでもあります。

立石をはじめこの地に散らばる様々な石が、

「太陽」を招くための目印だと考えると、

剣山一帯が巨大な太陽祭祀の斎場

だった可能性も見えてきそうです。


男性原理

2018-03-31 10:16:03 | 阿波・忌部氏1

<伊弉諾神宮 いざなぎじんぐう>

 

忌部の地である阿波という国は、

「石の文化」に彩られた場所であり、

聖域には必ずと言ってよいほど、

多種多様な「石」が置かれています。

特に、細長い石を起立させる形状や、

女性よりも男性のシンボルを象った

自然石が目立つことなどを踏まえると、

「男性原理」が強い地域なのかもしれません。

 

男性原理と言えば思い出すのが、

国産みの神話で知られるイザナギ神です。

お隣の淡路島には、イザナギが余生を

過ごしたとされる伊弉諾神宮が鎮座し、

また、東の海を挟んだ先には、

イザナギの妻・イザナミの聖地

とも例えられる紀伊半島が迫っています。

恐らく、阿波(および淡路)と紀伊には、

古代からの深いつながりがあるのでしょう。