治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

だから、治んないんだよね?

2015-05-21 09:56:03 | 日記



名古屋っていうところは
7月以外全然興味がないのでよく追ってなかったんだけど
名古屋駅前で歩道にいた14人をはねて裁判受けてる人がアスペルガーなんだってさ。

「10年以上前に発達障害の診断を受けたものの、障害を受け入れることができておらず」

だって。
ずっとギョーカイがついてきたウソ、すなわち
「未診断だからケアされてなくて犯罪に至る」
を裏切る加害者がまた出てきちゃったね。

考えてみれば、診断ついたって「社会の理解ガー」と薬しか与えないんだからおんなじなんだけど
ギョーカイは何かを恐れてたくさんウソをつく。そのウソの一つが「未診断ガー」だった。
でもたくさんの加害者が反証した。YTもその一人。何しろ方々にギョーカイメジャーにもらった診断書を誇らしげに送り付けるのが彼がやったことの一つなんだからね。



弁護側も検察側も事件とアスペルガー症候群との関連を認め、検察側は求刑懲役十五年。弁護側は五年が相当と主張。心神耗弱は争わず懲役刑か治療的介入かを争っている。

さてっと、またギョーカイがとんちんかんな声明出しているかな、とワクワクしながら
JDDのサイトを見に行った。

この件は沈黙してた。
ここで沈黙するようになったのはこのかわいい柴犬アイコンの人の功績じゃないのかね。
あ、ちなみに私は犬派の柴犬原理主義者です。

でも面白いもの見つけちゃったよいろいろ。
それはまた、このブログで取り上げていきますが
とりあえずJDDが自分たちのことを「センターオブセンター」と呼んでいるのはわかった。

びっくり。
さすが握手会やる人たちの自己肯定感は山より高いね。

「センターオブセンター」を名乗るギョーカイ人たちによると、発達障害は治らないんだよね? じゃあ治療的介入って無駄なんじゃないの?

治らないのにどうやって治療するの?

ていうか、治療をどうしてもっと早めにやらなかったの?
早めにやってたら被害者出ずに済んだのに。

「センターオブセンター」を名乗るのなら教えてほしいもんだわ。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆

吉川徹医師が一次障害と二次障害の区別をはっきりつけていないらしい件

2015-05-20 13:03:53 | 日記



本日のスクショ。
「家事のできる引きこもり」推奨の吉川徹医師より。

これを見て「うわー」「医者なら治せよ」という声が上がりましたが、一方で「今さら定義を問う」吉川のこの言動がなぜひんしゅくを買うかわからずまたもや牧歌的なことを言っている人もいたりして



なんで「定義を今さら問う」ということが「治さない臨床家であることを意味している」と映るのかわからない人が支援に回っている現状

だから治らないんだろうなあ、と思いました。

昨日ギョーカイメジャーの一人であらせられる田中康雄先生のご著書のどれかの何ページめかに定義が書いてあったという情報を寄せてくださった方もいましたが

専門家も皆さんそれぞれ意見がおありでしょう。
田中大先生が言ってる、って言ったってそれに違和感を持つ別の支援者はいてもおかしくないし
そしてそれぞれの先生方が、日々の実践の中で障害観を塗り替えられるような経験もなさるでしょう。

さて、今年は『発達障害は治りますか?』が発刊されて五年です。





私のプロジェクトも折り返し地点。
どういうプロジェクトかというと、あの本を全否定した人たちとあの本の知見を取り入れようとした人たちのその後をまったりと十年見守るというカンタンなお仕事です。

そしてデマを駆使してまであの本の誕生を阻もうとしたのが当時名大病院現愛知コロニーの吉川徹医師なわけですが

読んでないのかなあ。

私はあの本の中でかなりしつこく神田橋先生に「一次障害と二次障害の違い」をきいています。
そして神田橋先生はていねいに答えてくださっている。

でもね

実は神田橋先生にとってはあんまり関係ないのかもしれないと思います。
一次障害と二次障害の違い。
だってどっちも治すんだもん。

その後長沼先生と『活かそう! 発達障害脳』を作って、先生がその中で一次特性という言葉を使っていらっしゃったときには
神田橋先生がおっしゃってたのもこれだなあ、と思いました。



そこから『10年目の自閉っ子、こういう風にできてます!』の着想が生まれたんですけどね。



なんだっけ。

あ、吉川だ。
この記事の主人公は吉川。

まあ吉川が受け入れるかどうかはともかく私なんかでも一次障害と二次障害について考える機会がありそのあげくのはてに神田橋先生にしつこくきいたっていうことは

専門家の皆さん暫定的にでもなんらかの定義をしてものの本などに書いているはずで
だからこそ私も神田橋先生に質問したのだと思いますよ。

そこで、私も私なりに一次障害と二次障害を定義してみようと思いました。

一次障害
1 生まれ持ったもの
2 吉川徹には治せない何か

二次障害
1 生まれ持った困難性から派生する疾患。
2 吉川徹には治せない何か

こうやって箇条書きにしてみるとわかりました。吉川医師が定義せずに臨床を続けていけるのはどっちみち治せないからなんだ。ていうか治すのが差別なんだっけ。治りたくない人ご用達医師なんですよね。

先日も京都の大きな講演会に出かけたインフォーマントが
並み居る先生方がみな、青いお札をはぎ取ったり(つまり親のかかわりの影響が大きいと言ったり)、どうやって問題解決していこうかという提言をなさっていた中で一人吉川医師が「医師の仕事は診断書を書くこと。医師の仕事の限界」みたいなことをとうとうと語っていてかなりKYだったと聞き

「いや、それって啓発講演としては大成功じゃないの?」って私は言いました。
よりよいQOLを望んでいる当事者保護者が期待してはいけない医療もある、って知らしめるっていう意味で。
治す気のある先生だけじゃ、誤った期待を持っちゃうかもしれないからね。
それなりの要職にあるらしき医師が「家事のできるひきこもり」を推奨するという現実も知っておいた方がいいもんね。

このシリーズの目的の一つは
支援者リテラシーを養うこと。
治せる人と治せない人を見分けること。
まあそんなこと皆さんわかっているでしょうけど、念のため書いておきますね。

☆☆☆☆☆☆☆☆

昨日は私のお誕生日。
きせ関の勝ち越しはひときわうれしいですね。
(いや、中日に勝ち越してくれても全然よかったんだけどね)

皆様に御礼を。
2011年5月に立てた誓いを今年も果たせました。

お誕生日の習慣にしたこと。それは
自分のお誕生日のたびに
東日本大震災による遺児の奨学金を贈ること。

現役でいる間はずっと続けようと誓いました。
つまり、花風社が存続する限り毎年。
今年も実行できたのは、本を買ってくださる皆様のおかげです。
今年は東北に加え、ネパールにもささやかな志を贈ることができました。

ありがとうございます。

そしてね、新しい読者の方はご存じないかもしれませんが
五年前、神田橋先生の本が出るとき、デマ言う人がいっぱいいて、それを「匿名医師」として拡散し

「なんでそんな邪魔するの? 治ってほしくないの?」ときいた私に

「花風社に儲かってほしくないから」と言ったのがあいちコロニーの吉川徹です。


他人に儲かってほしくないとか
ほんとにおぞましいよね。

親の顔が見てみたいよ。
少なくとも神奈川県では、他人の財布についてあれこれいうことはマナー違反で、親はきちんとそうしつけをする。箱根より西ではそうじゃないんですか?

金は天下の回りもの。
皆さんが買ってくださった本代は、きっちり天下を回る。
東北にもネパールにも行くんだ。

あれだけ無礼なことしといて
実名ばらされたとたん黙り込んで


一度も謝罪も受けていないから


だから時々こういう記事書きますよ。

専守防衛。

なぜ支援者は二次障害をなまはげにするか

2015-05-19 10:40:06 | 日記



さて、昨日のエントリにおからさんがくださったコメントでハッとしました。

=====

えーと、ASDなんとか未加入でございます(笑)。
一点、何故なまはげとして脅さなければならなかったのかは、今だから分かります。浅見社長もお分かりだと思います。支援者(専門家)にとっても恐ろしいものだったのでしょう、なまはげ、いえ二次障害が。だって治せない。治せない一次障害は誰の責任でもないけれど、もし自分が関わっていながら二次障害がついたら・・・と思うとたまらなく怖かったんだと思うのです。 治せないものが積み重なる恐怖が今も続いている、本当に可愛そうだわ~先生方(棒)。

=====

そうか。
ギョーカイ総力をあげて「親のせいではありません!」を(外にはあんまり聞いてもらえないので主として内輪で)叫びあうことをギョーカイの風習では「支援」と呼んでいますが

じゃあ先天的ではない後天的な二次障害になってしまったらそれはそれで治せないわけですよね。たいていの人は。


だから青いお札には二枚目があったんですね。




支援者としてはこういう信仰告白もしているし。



治った人見たことないから、こういう牧歌的なこと平気で言うんでしょうね。
「自分にはスキルがない」という告白でしかないんですが。
そして心理士の皆さんは、今自分の資格が民間資格にとどまるか国家資格になるかどうかに血道をあげていてお忙しいようだから
ますます「治るケースから学ぶ」お時間はなさそうですね。

そして私がおからさんにしたレスがこれ。

=====

おからさん、ようこそ。
そうですか。ASD48未加入だったのですね。でも入っても涙の卒業しただけでしたでしょうね(笑)。

そうかあ、なるほど。二次障害になっても自分には治せないからかあ。じゃあ治っている人から学べばいいのに、最初から治らないとか思い込んでいるとそっちの勉強しないでしょうね。

またお越しくださいませ。

=====

たいていの支援者が治るケースから学ぶ気がないっていうことを最初に教えてくれたのは実は神田橋先生かもねえ。
「30歳からの社会人デビュー」が出たとき、ちゅん平のあまりの回復っぷりに、本当は自閉じゃなかったんだと言い訳する専門家の一群がいると先生に教えられて仰天しましたわ。脆弱で誤学習の塊で二次障害の女王様だったちゅん平を見てきた身としては。
ずーっと病んでいたのをはらはら見てきた身としては。


でもまあ、それくらい自分の影響下にいる患者で立ち直ったケースを見てこなかったんだろうとかわいそうになりましたが。
ちゅん平くらい病んでいた人が立ち直ると、自分たちの腕のなさを見せつけられて、具合が悪いんでしょうね。

そもそも前出の身分保障活動に熱心な心理士がぶつくさ言い始めたきっかけはこのついーとみたいなんだけどねえ。



この方に関しては本もいっぱい出てるから、読めばいいんですよ。
どれだけご自身で二次障害に苦しみ、そこから回復してきたか
そして肝心なことですが
そこに強力な支援者がいたことは、本を読めばわかるんだから。

ちゅん平のケースだってそうですよ。
もちろん本人の力が大きかったけど、支援者の力なしには回復できなかった。

でもとにかく炭鉱のカナリアみたいな当事者の本ばかり読みたがる支援者が多いね。
そういう人は治さないんでしょうね。

でもね、治す支援者はいるんですよ。
治すために学び続ける支援者はいるんですよ。
ちゅん平の本とか南雲氏の本を読むといいですよ。
利権確保に忙しい心理士は読まないだろうけど
せめて保護者は支援者リテラシーをつけた方がいいですよ。

☆☆☆☆☆☆☆

昨日は木下麻奈さんをお連れして国技館へ。
愛甲さんとか麻奈さんとか、今まで生でお相撲を見たことがない人が「見たい」というくらいですから、やはり相撲人気は回復したんだなあ、と思います。
そして相撲協会努力していますよ。とんちんかんな方向も中にはあるけど。

麻奈さんはたぶん、入り待ちがお好きだと思ったので、長い時間入り待ちしました。
高安関。


今月の私はリア充なので、週末きっとまたお会いできる。うふふ。

二人で稀勢の里弁当を食べ、ビールを飲み、お相撲を楽しみました。
私の「きせのさと~」という掛け声がよく出ているとおほめいただきました。
私は歌は歌えないからカラオケ行っても聞いているだけなんですけど、一曲くらいきちんと歌えると楽しいかなあ、と思い、「昭和枯れすすきだけでも歌えるようになりたいんですよね。そういう習い方邪道ですかね?」とおききしたら、麻奈さんの手にかかるとそういう習い方もできるみたいです。本当にお願いしようかな(真顔)。
音痴でも基本の声(つまり身体)ができていると強いんだそうです。

取組も楽しみましたが、私が麻奈さんに振った話題は呼び出し。
力士の番付は実力ですが、呼び出しの番付は年功序列。その結果、十両あたりの若いイケメン呼び出しさんに美声の持ち主がいると思えば、三役あたりが怪しげな音程の呼び出しに呼び出されたり、っていうのが今一部の相撲ファンで取沙汰されています。
音痴呼び出しさんを見て麻奈さんは、姿勢を指摘されていました。声が出る姿勢じゃない、と。
なるほど。
そしてそういう人が打つきのねも勢いがないでしょう、と。
本当にご指摘の通りでした。
楽器で音を出すために、同じ音を身体で出せるようにするのが木下式音感教育法のすごいところですが
さまざまな専門性を持った人とお相撲に行くのは面白いなあ、と思いました。

まあ単純にお相撲は面白いんですけどね。

なまはげとしての二次障害

2015-05-18 09:55:45 | 日記




リア充な五月。今月二度目の温泉。
チェックアウトしたあと、宿のお庭でゆっくりお茶をしました。
ちょうどいい気候。とても気持ちよかったです。

といってもここでは、ただぼんやりしてたわけではなく
iPadで原稿やっていました。
今やっている本、ゆっくりゆっくり作っていたのですが
ちょっと巻いた方がいいかな、という感じになってきましたのでね。

「発達障害は治りますか?」を出して五年目の今年。
それにふさわしい企画になると思います。
ま、その分ギョーカイトラウマが出てしまって、それで休み休みやっているので進行がゆっくりなんですけど。

それから旧街道をてくてく歩き



なんだか文化財らしき料亭みたいなところに行って蕎麦懐石。
お庭に小川が流れていていい雰囲気でした。私たち貸し切り。





お庭を見学してから帰路。
小田原駅のスタバでなんと栗本さんに会いました。やっぱり(因)縁があるんですね。栗本さんはいつも腰の状態を見れば気持ちがわかると言っていますが、私といきなり遭遇した栗本さん、腰が引けてましたね~。

帰宅してお相撲見ながらiPadで原稿流し読み。
ツイッターもチェック。
おからさんがいたので、思い出しました。そういえばおからさんに聞きたいことがあったんだった!

おからさんはASD48には加入されていらしたのでしょうか?

いや、ギョーカイ人が握手会(笑)を開くのをここでは「GYK48」と呼んでますが、もちろんそれは茶化してのこと。
でも全国で指導的立場(?)の自閉っ子母たちが「ASD48」っていうアイドルユニットみたいなのを作っているんだってさ。

深いわ、ギョーカイ。
おからさんもつい先日までローカルギョーカイメジャーの要職にあられたので、誘われたかな、と思ったのです。

なんでそれを思い出したかっていうと、おからさんのツイートを読んで
おからさんと私では同じギョーカイトラウマでもトラウマの内容が違うんだな、と思ったから。立場が違うから当たり前ですけどね。
スクショじゃなく引用させていただきます。

=====

情報や選択・模索、そして本人の力を信じて、ここまで二次障害にならずに来た長男。私には二次障害って専門家の脅し文句でした。まさにギョーカイトラウマ。長男が楽しく毎日を生きる、周りは勿論、親にすら迷惑かけずに。
どうぞ私たち親子を軽いからと片付けて下さい、ギョーカイの方々。

真夏ですら冷たい手指、蒼く透けた顔。立ち歩く事もしんどそうにしていた十代半ばの長男。休みの日は休むためにあった。
今は週休二日の二日を無駄なく楽しんでいる。もし二次障害に怯えて暮らしたら、今の長男はなかった。

=====

このケース、見たことない人は見たことないのかもしれないけど
割と私の周りでは頻出。
吉川徹が花風社の愛読者の中で嫌われているのも基本これでしょ。

おからさんのご長男は、知的障害があるタイプの自閉症で
おからさんはローカルギョーカイ活動を通じ、死んだふり支援の現場もたくさん見てきて
中には「ありのままでいいんだよ」を真に受けてお子さんが生卵を投げ続けても見守るありのまま系の人とかとも出会ってきて

その中でおからさんのご一家はご長男にならぬものはならぬと教え、高卒認定の取れるコースを選択し、専門学校に進学し、就活し、40社落ちた果てに官公庁の障害者枠で採用されてご活躍、身体アプローチで身体も見違えるほど健康に、がイマココなわけで。

=====

ニキさんも藤家さんも、だから教本。先人たちの歩みから力をもらえました。

で、栗本先生との出会い。本当に長男って運が良い。その運を運んでくださったのは花風社さんだけど(笑)。きっと日頃の行いが良いから(爆)。

=====

という風にうちの本を通じて努力の方向性もつかんでくださった今にいたるまでは
さんざん脅かされてきたんですよね。

誰に?
支援者に。

なんて?
「そんなに頑張らせると二次障害になりますよ」って。

保護者でも当事者でも、この手のギョーカイトラウマを抱えている人はとても多いのです。
いや、猿烏賊山にはいないかもしれない。むしろ「頑張らなくていいんです。努力は社会がすればいい」を真に受けて、いわばギョーカイと共依存関係になるからね。

でも不思議なことに支援者の中には
「障害者は頑張らせるべきではない」という信念を持った人も多い。
それが利権のゆえなのか、吉川徹のように「家事のできる引きこもり」的な信仰のゆえなのか、まあいろいろ混ざっているんでしょうけど。

いいかい、ギョーカイ人。
これに腹を立てている当事者保護者は多いんだよ。

「二次障害を恐れない」方針をわりと支持する人は
「二次障害を恐れない」方針で二次障害から立ち直ったり、かからなかったりした人たちなわけで

それを現場で見たことのない残念な支援者も中にはいるっていうことですね。

ところがそういう支援者に限って、治った人から学ばないよね。
「治ったら偽者認定」という奇習があるからね、ギョーカイには。

GYK48にASD48。
治ったら偽者認定。

どっか遠洋の果てにある独特な文化を持つ島の住民を観測するような気持ちでギョーカイを見てるといいかもね。

さてリア充は続きます。

今日も国技館!

えへへ。

☆☆☆☆☆☆

二次障害が治るようになったのは

2015-05-17 09:06:55 | 日記




新緑の箱根の朝です。

昨日は和室でビール飲みながらお相撲見て、稀勢の里関も勝ち、非常に気分が良かったわけですが

今日になって相手の大砂嵐関休場とか。
以前から怪我しやすいよねあれじゃあ、というのが衆目の一致するところでしたが
アスリートにおいては怪我をしない身体づくりもお仕事なので
お気の毒だと思いますが中日に横綱の不戦勝見せられる国技館のお客様たちも気の毒です。

私はまた明日行くけどね。えへへ。

アスリートにおいては怪我しない身体づくりが自分の責任であるように

二次障害にならない土台づくりっていうは心がけられるものなんですよ。

そしてその心がけを周囲だけの仕事だと思ってるから治んないんじゃないの、治らない界隈では。

本人にだってね、力はあるんだよ。

うちの周辺で
二次障害が治るようになったのは
2008、2009年頃からかなと今になると思います。
それまでは治った人は見たことなかった。
この頃から治る人が出てきた。
そして2010年以降は、治る人の方が多くなりました。

そして治った人はリバウンドしない。
不思議なほどしない。
自閉っ子、一度治ると固定するから強いよね。
私のギョーカイトラウマの方がぶり返しますよ。

でもこれは私の周辺であって
治った人が相当レアな界隈もあるようですが
だったら観察するといいよね。

治りたくない人は治らない方面を信仰すればいいんだし。

写真は小田原駅で買った冷凍みかん。
新幹線の改札出たとこのコンビニで見つけました。

お相撲みてお酒のんで起きて温泉入ったあとの冷凍みかんはいいもんですよ。

小田原行く人はよろしければどうぞ。

☆☆☆☆☆

ストレススキャン

2015-05-16 13:14:01 | 日記





箱根なう(マジで)。

いい季節ですからね。

昨日以前FBで見たアプリ、ストレススキャンてのをダウンロードしました。

きせ関取組前にチェック。ストレス高い。

白星後にチェック。ストレス低い。

今朝起きた時、ストレス低い。

スクショをFBに貼って怒りのエントリ。ストレス低い。

午前中原稿仕事。ストレス低い。

お昼ご飯の用意。ストレス低い。

今んとこ一番ストレスが高いのは取組前だとわかりました。

相撲は身体にいいのか悪いのか。

さて、スクショに関しFBに書いたのをバージョンアップして来週ブログにあげますね。

お楽しみに。

☆☆☆☆

ノースカロライナよりニューヨーク

2015-05-15 09:17:35 | 日記
読者の方から親バカメールをいただくのはうれしいものですが
まーちさんからのメールはビジュアルつきでした。
ご子息のイケメン自慢「だけ」じゃありません。
一目でわかる発達の度合いを見せてくださったのです。

14歳の時のご子息と19歳のときのご子息。
目の光が違います。
IQにして、動作性で30、言語性で15、総合で25上がったそうです。

自発性がこれだけの発達をもたらすのだとしみじみしました。
「二次障害回避原理主義」を回避すると
自発性のある発達援助に取り組めます。

16歳のご子息をつれて、まーちさんご一家が赴任されたのはニューヨークのマンハッタン。
自閉症の聖地(?)と日本のギョーカイでは神聖視されているノースカロライナではありません。
でもニューヨークだからよかった、とまーちさんはおっしゃるのです。

許可をいただいたので引用させていただきますね。

=====

少なくともニューヨーク市は自閉症の人にとっての理想郷というよりも、もっともっと現実的な、厳しさも伴っているところでした。
何しろ世界中から自分の夢を叶えよう!と多くの人たちが集まってくる、『チャレンジする人たちの街』です。
彼の地では自分自身が努力しないことには同じ土俵にもあげてもらえません。
実際のところ、こんなにさまざまな言い訳の通用しないところを、私自身今まで経験したことがありませんでした。
そもそもチャレンジする人って、最初から言い訳したり、逃げの姿勢ではいませんもんね。
そういう人たちは自然淘汰されてしまうような厳しさもあり、正々堂々と戦って生き抜いていくところでした。
ですので、私たちが真に影響を受けていたのは、粛々と努力し、かつ結果を残している人たちの姿。
もちろん学校や支援者から有効な支援をいただけていたのですが、それだけではなく、街の持っている『気』、そこで頑張ってチャレンジし続けている人々から深く学ばせていただいたことを実感しています。
社会からの学びなくして、社会には繋がれない!
それはまさに社会の現実であり、ニューヨーク市で過ごせば過ごすほど、息子が受けている教育は「自閉症者の理想郷であるアメリカでのみ通用するもの」ではなく(←第一、そんなものは存在しているのだろうか?)、アメリカであれ日本であれ一社会人として通用する人物像に差異はなく、そういった一人前の社会人になるための教育であることを気づかされる日々でした。
アメリカだからどうだ、とか、日本はダメだとか、そんな話しじゃないんですよね。ぜんっぜん!!
(そういう経緯があったので、花風社さんの本や浅見さんのブログを読んで、「うん、うん、うん!!!!」と深く共感する私がいたのです!)

=====

そうだろうなあ、と思いました。
保護された環境より、それぞれがそれぞれなりに切磋琢磨できる場。
花風社はノースカロライナではなくニューヨークを目指そうと思いました。

大阪も勝負のときを迎えますね。
利権とぬるま湯の図体の大きい地方都市にとどまるのか、切磋琢磨する場、努力が肯定される真の大都会になるのか、大阪市民が今問われています。
東京だけではなく、上海や北京やロンドンやベルリン、そしてニューヨークに伍していける都市に生まれ変わろう、というのが都構想の根幹にあるのではないでしょうか。

発達障害的にいうと

大阪都構想が可決されるかどうかは
「今東京にしか存在しない種類の仕事が他の地方にも行き渡るか」を決定的に分けます。
地方に変人枠で幸せに生きていける仕事がないのが、地方にいるちょっと特性が強い人たちの閉塞感につながっていると思います。
ぶっちゃけ、いくつかの条件はありますが、首都圏は有利です。
四年制の大学を出た女性の就職先のバラエティを見れば、わかりやすいかもしれません。

私は「東京にしか存在しない仕事」につくために神戸から出てきた青年と会ったときに、大阪都構想は絶対に必要だと思うようになりました。

投票権のある大阪市民の皆さんは、とにかく棄権なさらず、未来を自分で決めに行ってくださいね。

青いお祭りが嫌いなワケ

2015-05-14 09:27:47 | 日記
一か所のライトアップをするのに要する費用が数十万。
「うちの地域は役所が出してくれないんです」というお声。えっと、たいていのところはそうじゃないの? 役所が出すお金じゃないと思うよ。そんなことに血税使ってたら地域の納税者が怒ると思うよ。親の会負担ですよね、あれ。「もしかしたら子どもたちのために使えたかもしれないお金」で「たった一晩の夢」を買っているんでしょ。誰得か知らないけど。内部で文句言っている人もいるけど。原資は親の会に入った人たちの会費やなんかですよ。あ、そうか。だから親の会は人数減ると困るんだ! だからいやがられてもいやがられても、必死にオルグしてるのね。

ま、人の金だからどうでもいいけどね。

でもね、考えてみたら私はブルーライトアップより多額のお金を使ったんだな。たった一人の自閉症者の誤学習をただすためにね。そうか、だから裁判が終わったとき保護者や支援者の人たちに「ありがとうございます」って言われたんだ(←鈍い

ギョーカイは相変わらず誤学習には及び腰。ていうか、むしろ助長している。「社会が理解すれば棚から牡丹餅が落ちてくる」と当事者に信じ込ませることによって。

それ、ウソだから。目を覚まして、当事者の皆さん。

私がなぜギョーカイをギョーカイと呼ぶか。

それはね、彼らもまた他の産業と同じように利益目的で動いているけど、それをひた隠しにしているからですよ。

彼らが当事者のことを考えて動いている、なんでいう幻想は早く捨てて、当事者保護者の皆さん。

彼らが誤学習を解けなかったのはYTだけじゃない。今でも、場違いな振る舞いをする当事者にどこがいけないかを教えてあげることすらしない。
花風社の饗宴では教えるよ。だって社会人だもの。

ギョーカイ人がなんで教えないか? なんでなあなあで済ませようとするか?
勇気がないから。嫌われるのがいやだから。自分が責められるのが、たたかれるのが怖いから。甘いことばかり言って、それを実現しない社会を誤学習している当事者と一緒に責めるだけのカンタンなお仕事しているだけ。



なのに啓発とか、ふざけるんじゃないよ。
社会と当事者を本当につなぎたかったら、きちんと自分が身体を張って教育しろよ。
今のギョーカイは誤学習を解く努力すらせず、ただ社会に責任を押し付けているだけ。

その象徴が青いお祭りです。

だから私は、アンチ青いお祭りなのです。

さ、お母さん方、せっせとパートに出かけて、親の会に会費を貢いでください。そこでは「社会が理解すれば棚から牡丹餅が落ちてきます」というおとぎ話を語る講演会が開かれます。そんなおとぎ話、信じると痛い目にあいますけどね

そして一年にいっぺん、あなたがパートで稼いだお金が数秒どっかを青くします。

あの青い光はね、お母さんたちのパート代からねん出されてるんだね。

「社会の理解が広まれば生きやすくなる」は集団誤学習

2015-05-13 10:20:10 | 日記
昨日は台風が来る予定でしたけど、ギョーカイトラウマ中の私は運動を欠かさない方がいいと思い、午前中にジムに行きました。

たっぷり汗をかいてストレッチスペースへ。妙にぽっかり空いたスペースがあったのでそこでストレッチと金魚。隣でトレーナーつけてトレーニングしている女性があまりにスタイルが良く身体能力が高くすごいなと思って見ていました。

そうしたらその女性が振り向き

びっくり

超超超有名アスリートでした。

それにしてもやっぱりただもんじゃないです。作りと鍛練が。

お相撲さんも近くで見ると本当に美しい生き物なのですが、やはり美しい。
これがプロだなあと思いました。

私も今やっている本、ギョーカイトラウマが出たりして大変ですが
自分は自分の分野で力を尽くさなきゃなあ、と思いました。

今回のギョーカイトラウマは「桜島状態」になった2009年のときよりはずっとマシで
たぶんふだんの大涌谷くらいの規模だと思いますが

いろいろ実りもあります。

昨日書いたように「ギョーカイが見捨てている人」を1 治る人 2 悪いことする人 の二種類に言語化できたのも収穫。

あとね「社会の理解ガー」への違和感をより具体的に言語化する機会にもなりましたね。

花風社の読者は知っているだろうけど(そして読まず嫌いの猿烏賊は知らないだろうけど)私は「社会の理解がいらない」とは決して思っていないです。
たとえば感覚過敏の子にゴーグルとか、教育現場でのタブレットとか、自閉っ子の不思議な言動深読みするのやめようとか、そういうことは主張して来たんです。
そういう意味では私も「社会の理解」を広めてきた一人。「啓発講演」もいっぱいやってきた。

でもね

「社会の理解が広がれば生きづらさが消える」

は集団誤学習を呼んでいるでしょ。
「社会は理解すべきだ」
とギョーカイが叫ぶのを真に受けて
「そうか自分は理解されるべき存在だ」と誤学習して努力を放棄している当事者いっぱいいるでしょ。

社会は「障害特性」の理解をするかもしれない。
でもその人個人が周囲にどれだけ理解してもらえるかは
その人自身が努力して得ていくものですよ。
そこには当然、修行の成果が出ます。

そしてね、社会に理解が広がった結果、どうなると思います?

生きやすくなる人はいると思いますよ。

でもならない人もいると思いますよ。
確実にいますよ。
それわかってますかね?

障害特性ゆえに、弱いところがあるとき、障害特性を理解され、たとえばタブレットの利用を許可される。
そのあとタブレットを使って何をやるかは、その人自身ですよ。
その結果素晴らしい成果を生みだす人もいるでしょう。
でもそれは「自閉症だから」じゃないですよ。「その人だから」ですよ。

まあいいや。
今日はこのくらいで。

続きは新刊で。

☆☆☆

統制群から逃げろ!

2015-05-12 08:50:04 | 日記




朝起きたらギョーカイトラウマがどっか行ってました。

いや、完全に去ったわけじゃないですね。でもなんか、大分どっか行った感じ。
昨日いろいろやったからなあ。
いろいろやった自己治療のどれが当たりだったかは知りませんが、そんなのどうでもいいこと。どれかが、あるいは複合的な自己治療が当たって大分消えたようです。

昨日書いたブログもよかったな。
整理されました。
私がなぜギョーカイが嫌いか。
それは支援者を名乗りながら支援の対象を実は絞っていてしかもそれをごまかしているところなんですよね。
私が支援者を名乗らないのは、そのあたり謙虚だからなんですけどね。

そして昨日書いてみてわかったことは
ギョーカイが実はこっそり支援(実験)対象から外している二つの群。
それは

1 治る人
2 悪いことする人

この二つは「発達障害は一生治らなくて天使の様なひとたち」というギョーカイの主張に都合が悪いので、偽者扱いして排除します。
治る人は偽者にしてしまえば一生治らない!
ギョーカイの自分勝手理論、最強です。

このあたりがうさんくさいから
だから治る人は花風社の本の方が使えることに気づくんだな。

まあ要するにJDDとかあのへんにとっては、当事者は研究材料なのだから
統制されていた方がいいわけですよ。
エビデンスを出すために効果があるかもしれない療育方法からわざと遠ざけられている人の存在をどっか西の方の大学で行われた講演を聞いて知った保護者が
「実験材料にされている親子がかわいそうだ」と言っていますが
そういうことをしちゃうのが研究者の宿命なら
治りたい人はそういう先生方とは距離を置けばいいだけ。

私のギョーカイトラウマがどっか行ったのに効果があったのは何か、なんてつきとめようと思ったら、たとえば

・身体アプローチの効果を測定するためその日はお相撲見ない

とか

・身体アプローチの効果を測定するためその日はギョーカイの悪口書かない

とか

いろいろ統制しなきゃいけないでしょ。あほらし。そんなことやっている間にあれこれやってみて治ったらそれでいいんです。私は研究者じゃないから。

そして皆さんも研究者じゃないでしょ。

じゃあこのスクショのようなこと言っているひとたちからは逃げた方が近道ですね。
治りたいのならね。
治るのを犠牲にしても研究に協力したい人は別だけどね。

まあそんなことわざわざ私が報告しなくても

JDDが握手会やって集金するほど落ちぶれたり

名古屋のど真ん中で無料で企画した会に一人も参加者がいなかったりするということは

皆さん気づいているんだと思います。

ああいう集まりは当事者を支援するためにあるんじゃないってことにね。

賢いわ、皆さん。

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