治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

「社会の理解が広まれば生きやすくなる」は集団誤学習

2015-05-13 10:20:10 | 日記
昨日は台風が来る予定でしたけど、ギョーカイトラウマ中の私は運動を欠かさない方がいいと思い、午前中にジムに行きました。

たっぷり汗をかいてストレッチスペースへ。妙にぽっかり空いたスペースがあったのでそこでストレッチと金魚。隣でトレーナーつけてトレーニングしている女性があまりにスタイルが良く身体能力が高くすごいなと思って見ていました。

そうしたらその女性が振り向き

びっくり

超超超有名アスリートでした。

それにしてもやっぱりただもんじゃないです。作りと鍛練が。

お相撲さんも近くで見ると本当に美しい生き物なのですが、やはり美しい。
これがプロだなあと思いました。

私も今やっている本、ギョーカイトラウマが出たりして大変ですが
自分は自分の分野で力を尽くさなきゃなあ、と思いました。

今回のギョーカイトラウマは「桜島状態」になった2009年のときよりはずっとマシで
たぶんふだんの大涌谷くらいの規模だと思いますが

いろいろ実りもあります。

昨日書いたように「ギョーカイが見捨てている人」を1 治る人 2 悪いことする人 の二種類に言語化できたのも収穫。

あとね「社会の理解ガー」への違和感をより具体的に言語化する機会にもなりましたね。

花風社の読者は知っているだろうけど(そして読まず嫌いの猿烏賊は知らないだろうけど)私は「社会の理解がいらない」とは決して思っていないです。
たとえば感覚過敏の子にゴーグルとか、教育現場でのタブレットとか、自閉っ子の不思議な言動深読みするのやめようとか、そういうことは主張して来たんです。
そういう意味では私も「社会の理解」を広めてきた一人。「啓発講演」もいっぱいやってきた。

でもね

「社会の理解が広がれば生きづらさが消える」

は集団誤学習を呼んでいるでしょ。
「社会は理解すべきだ」
とギョーカイが叫ぶのを真に受けて
「そうか自分は理解されるべき存在だ」と誤学習して努力を放棄している当事者いっぱいいるでしょ。

社会は「障害特性」の理解をするかもしれない。
でもその人個人が周囲にどれだけ理解してもらえるかは
その人自身が努力して得ていくものですよ。
そこには当然、修行の成果が出ます。

そしてね、社会に理解が広がった結果、どうなると思います?

生きやすくなる人はいると思いますよ。

でもならない人もいると思いますよ。
確実にいますよ。
それわかってますかね?

障害特性ゆえに、弱いところがあるとき、障害特性を理解され、たとえばタブレットの利用を許可される。
そのあとタブレットを使って何をやるかは、その人自身ですよ。
その結果素晴らしい成果を生みだす人もいるでしょう。
でもそれは「自閉症だから」じゃないですよ。「その人だから」ですよ。

まあいいや。
今日はこのくらいで。

続きは新刊で。

☆☆☆