治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

恩讐を越えて(で、ABAって何?)

2011-10-08 16:45:20 | 日記
さて、最後にあきらさんにいただいた米へのレスです。

コメントは以下の通り。お題は「発信先を選んでほしい」

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私はかつて教師でした。アメリカでABAを学び、その知識と技術を生かすために公教育から離れた環境で今も自閉証の子供たちと毎日を送っております。
私が勤務するセンターは売りがABAです。親御さんがABAを知って訪ねてくる動機づけに、あのブログの存在が大きく影響しています。しかし根本的に基本から解釈が大きく違っているので、参考にはならないことをお話しさせていただいています。
あの方を「先生」と呼ぶ方までいます。そういう方たちには、彼のもとで学べばいい。彼の所に子供を託せばいいとはっきり言います。彼がしている事は親の領域を逸脱し、素人の解釈で言葉を羅列しているにすぎないのですが、認定心理士という資格に多くの親御さんが惑わされているようです。臨床心理士と認定心理士は大きく違うものです。それを知らずに彼を療育者で自閉症児を育てる親だと思い込んでいるのです。
浅見社長さん、白くま母さん。ABAのことも知ってください。

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はい。白くま母さんはたぶんそれなりに、ABAについて勉強していると思います。実際、ABA的手法をどっちがよりよく活用しているかというと、そらパパこと藤居学より白くま母さんではないでしょうか。

私も業務の一環として、井上先生や奥田先生といったメジャーどころの先生がお出しになった本は一応積んであります。井上先生などは、身体問題にもちゃんと言及されていますし。
アスリートウォッチャーの私はどっちかというと感覚統合系、体性感覚系のもののほうが読んでいて楽しいのですが、話題になったらさくっと目を通せるようにABAの本も持っています。

というわけなので、そらまめ式で展開されているABAもどきに一番迷惑しているのは、実はABA関係の方々ではないかと考えることもあります。あきらさんは、そのお一人なのでしょう。

認定心理士(笑)という資格も、名乗るほどのものではありませんよね。先日も親しくしているASの若い女性から「私ももうすぐ認定心理士になります! そうしたらそらパパと同じ~」と言われました。この女性は放送大学で認定心理士の資格をもうすぐとるそうです。
そもそも大人になったら、肩書きというのは上書きされていくものです。以前は私にも「翻訳家」という肩書きがありましたが、今私が翻訳書を出しても「翻訳家」と紹介されることはないでしょう。

でも藤居学は、何しろ公務員試験の一次に受かった(笑)みたいなエピソードまで書いている変わった人ですので、まあきっとそういうことがすごいことだと思ってしまう「それなり」の層にアピールすればそれで気が済むのだろう、だとしたら専門家の方々のように研鑽を積まなくても、あるいは親として子どもの発達にはかばかしい効果を見せていなくても、なんだかすごいと思ってしまう層(あるいは治らない言い訳がほしい層)が彼のあのブログを信じ続け、おしゃべりに時を費やし続けるのだろうな、と思っておりました。

大地君は私より人格者ですので、子どもの自分が書いた渾身の手紙にさえ返事をしようとしないそらパパが浅見さんに返事をするとは思えないからもうそらパパさんのことを書くのやめなよ、と忠告してくれたことがあります。私がそらパパさんについて書くと、私を悪く思う人がいるかも、と。そのとおりでしょうね。

でも私はやめません。もう恩讐を越えてしまったので。

大地君にもこう言いました。
別にそらパパから反応がこなくてもいいんだ。
決めるのは見る人なんだって。


考えてみれば、自閉の神様は私に超度級の出会いを次々と与えてくださいました。
ニキ・リンコさんから始まって、藤家寛子さん。岩永先生。神田橋先生。長沼先生。
そして全国のあちこちにできた多数のお知り合い。
偶然にしては出来過ぎた良縁の数々です。

けれども、光があれば必ず闇があるものなので
超度級のいいご縁に恵まれた私には一方で、山岸徹や藤居学のような迷惑人物が副産物として現れるのでしょう。

こうした人物の問題点を明るみに出し、きっちり叩くこと。
それを私は今自分の使命だと思っています。
だってそこにはみんなで考えるべき課題があるでしょう?
触法問題とか。
就労問題とか。
治療やEBMや「一生口がきけません」と愚かな断言をするような医療側との付き合い方の問題とか。
体性感覚を無視した療育ってたまごっちになるとか。
療育理論の知識と療育の効果は正比例しないとか。
どんだけ本を読んでも子どものサインが読み取れないと効果は上がんないとか。
あるいは前のエントリにいただいた米に見られるような「重い子の保護者による軽い子の保護者に対する横暴」とかね。

ある人が「そらまめ式」を評し
「膨大な字数を費やして、自閉症には打つ手はないと納得させようとしているブログ」と言っていました。
私はこれはなるほどと思いました。

診断を受けて、絶望的になっている若い保護者が「そらまめ式」にたどりつき
そこで間違った絶望と誤った知識を植えつけられるという状況があるならば

花風社の浅見淳子っていう人は、藤居学という人物を評価していない。

専門家も彼を評価していない人が多い。
同じ本を読んでも読書力のない人だと思う。

ていう現象があることを誰か言い続けた人がいたほうがいいだろし

そして何より、支援者の皆様にはとうてい言えないらしい一言

「彼は実のところ、親としての実績を上げていないじゃん。」

ということは、指摘し続けようと思います。


名大の吉川センセイは気に食わないだろうけど
センセイがお怒りになったのを見てうちにメール来ましたよいっぱい。

「だって本当に発達してないですもんね」

最近よくあるのは

「子どもはあんなにサイン出してるのに、親がスルーしててかわいそう」

「パニックって予防できるでしょ? どうしてセカンドハウス買わないといけないの?」

だって、ねえ
ああいう膨大なブログなんかやっていないお父さんお母さんで
療育がもっと上手な人はいますよね?

セカンドハウス買わなくても
こうちゃんちなんかキャンプ行ってるんだそうですよ?
キャンプ場じゃないところでのキャンプ。
他のきょうだいと同じように、こうちゃんもサバイバル生活をするそうです。

まあそんな例もあるっていうことは
否定できない事実だから、伝え続けます。

まあ何度も繰り返しているように、私の元々のモットーは「専守防衛」ですが
喧嘩も売られているし、ちょうどよかったです。

どっちを信じるかは、見る人が決めればいいと思います。

というわけで、私は藤居やその周辺のバカ親(ABAを信じている人が多い)には批判的ですが

今現在、ABAという手法には中立的です。
大して知らないだけ。

ただ率直に言って、ABAの周辺にはうさんくさい話が多いように感じます。

ABAを声高に叫んでいる人たち(専門家ではなく保護者ね)に
療育の効果が上がっていない人が多いし

感覚統合はエビデンスなくて、ABAはエビデンスあるって巷間言われますが
一方で「ABAのエビデンスって何?」ってきいてもすっきりした答えが返って来なくてですね



感覚統合や身体作りやってこんなによくなった!っていう声はよく聞くんですが

ABAは聞かないです。
子どもに殴られているお母さんがプロを名乗っている世界。

ABAでよくなっている人がいるのなら、聞かせてほしい、逆に。

そもそもコンビニみたいな事業体が見られるのは、他の療法にはないABAの特徴ですね。
コンビニって、言いすぎ?
わりと敷居が低いのかな?

学生セラピスト募集に母親セラピスト募集。
はあ? そんなんでいいの? って感じるんです。いかにもコンビニ。

事業体のサイトのトップページで「営業」と「あなたもセラピストに」の両方を乗っけている事業体は
経営者の端くれとして、脇が甘いような気がするんですが
こういう脇の甘さを、ABA以外の療育事業を展開しているところには見出すことはないんですよね。

そういう意味でABAは
藤居のような素人がプロっぽく振舞える土壌が出来てしまっているのでは? という疑問があるのです。

間違っていたら教えてね。
私も勉強したいので。

私はbeing professionalということを大変まじめにとらえています。

保護者がお金を払ってABAを習い
それをご自分の家庭で療育で活かすことには意義があると思います。

けれどもその人たちがいきなりよそさまの子にアドバイスすることができるかというと
それはまったく別の問題のように思えるんですが、ABAの世界は違うの?

自分自身教養レベルが低く、お金もなく
学ぼうという意欲もなく、リアルで友だちも作れるだけの社会性がなく
そういう人が藤居HPでことを済ませてしまおうと思うのは
わからなくもありません。

ただそこで間違った絶望と誤った知識をを身に着けた人たちが
うちの著者、うちの読者を攻撃したら私は防衛に出ます。それだけ。

さて、運動会日和の中
昨日いただいた米に答えて、今日は四回もブログを更新しました。

おかげで今日は告知を出すひまなくなっちゃいましたけど

11月13日、博多で藤家さんとジョイント講演です。

それは次回にお知らせします。
もう主催者さまのほうでかなり集客が進んでいるということなので(出足速いそうです)
皆さんにも早めにお知らせしなくてはいけませんね。

楽しい連休を!

障害児の人格

2011-10-08 11:52:38 | 日記
さて、次もうれしいコメントのご紹介。
ゆずさんからです。重い自閉症と診断されているゆめちゃんのお母さん。
お題は「解った気がします」

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私の娘は自閉症です。病院では重い自閉症だと説明されました。療育センターでは、他の人に迷惑をかけないことばかり考えて過ごしました。そして4月に教育委員の相談員さんに勧められた地域の特別支援学校に入学しました。
入学して間もなくの面談で担任と主任先生から「働く大人に育てましょう。」と言われ、大地君のぼくアスペルガーかもしれないを読むように言われました。私も主人も先生たちの意図が解りませんでした。先生は連絡帳に「大地君もゆめちゃん(娘)も変わらない。」と一言だけ赤ペンで記し、このブログを教えてくださいました。
ブログ記事から他のお子さんの様子を知ることが出来て、大地君の次の本になる原稿を読んで涙が出ました。あとがきのメッセージが娘からの訴えのように思えました。そうしたら娘が私の顔を覗き込んで涙を拭いてくれました。そうだ。娘も入学して半年の間にずいぶんと出来る事が増えた。娘が一番成長したくて頑張っている。そのことに気がつきました。この子も友達と一緒がいいと思っているのかもしれないと思いました。言葉が出始めた。予定表を見ながら生活するようになった。フォークに食べ物を刺して食べるようになった。失敗もあるけれどオムツにサヨナラできた。それから毎日、よい事を1つ見つけて日記に書くようにしました。そして昨日のお父さんのコメを読んでやっと先生が入学の時にしてくれた話の意味が解りました。親が諦めちゃいけないし、親が障害があるからと思ったらその先はないのですよね。
15年後、娘も働く大人になることを私も目標にしたいと思えました。今日の連絡帳にその旨を書きました。担任の先生からはその言葉を待っていましたという返事をいただきました。

大切なことを教えてくださった皆さんにお礼を言わせてください。ありがとうございます。
私も皆さんのようにたくましい母になりたいと思います。

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昨日は対ベトナムの代表戦を見ていたんですけど、
ちんたらとした試合でつまんないのでジムに行き
帰ってきてから届いていたこの米を公開しました。

白くま母さんがすぐに見て
麦茶を飲みながら(今日朝から勤務だからお酒は飲まなかったらしい)
涙と鼻水をたらして泣いたそうです。

「ぼく、アスペルガーかもしれない。」を出して、皆さんご存知の通り
大地君も、大地君のご両親も、いやな目にもあいました。

それでもこういう風に役立ててくれた方がいる。
本当に出してよかった、と。

私としても、版元冥利に尽きます。

そして、もちろん
「通りすがりの父親」さんにも感謝です。

ひとしきり泣いた後でしょうか
白くま母さんも米をくれましたね。
お題は「子供は子供」

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私の育った環境は母の仕事柄、毎日多くの子供達が集まってくる家でした。その子供達は成人になってからも酒を持って母を訪ねてくるそんな家でした。
それから、仕事柄。たくさんに子供達に出会いました。障害を持った子。大きな病気と闘っている子。病気と共に一生、生きていかなくてはいけない子。死を覚悟している子。死を目前にしている子。
でも、どの子も子供は子供。どの子も未来に希望と夢を描いていました。それは子供の特権で、逞しく強く生きるための原動力である事を私は教えてもらいました。
私は大地の気持ちを大事にして育てていきたいと思っています。
今日はゆずさんのコメを読んで涙が出ました。ゆめちゃんもきっとお友達と一緒がいいと思っていると私も思います。私もたくましい母でいられる様に日々、努力したいと思います。

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「ぼく、アスペルガーかもしれない。」やこのブログをゆずさんに紹介してくださった先生の素晴らしさは
ABAとかTEACCHとかPECSの達人とは違う種類の、もっと大事な素晴らしさです。

いくら手法に長けていても
周囲に、障害児の人格を尊重する気持ちがなければ
障害児が幸せな成人期を迎えることは難しいのではないでしょうか。

去年のそらぱぱへの手紙

そして今度の本のあとがき

こういう意思表明をした大地君を
「大人に踊らされている」としか解釈できないのは藤居だけではありません。
バカ親1 バカ親2 などは、そういう解釈でブログまで書きました。
花風社や、私の実名を書いて、未確認の誹謗中傷。山岸レベルです。

こういう人に子どもに遵法教育なんてできないでしょう。
それに、失礼な人たちです。
誰に失礼かって?
私に?
もちろんそれもそうですが

何よりも、大地君に失礼です。

まだ小学生だけど、障害がある子だけど
でも大地君は一人の人格なんです。
主体性があるんです。
私たちが操れる存在ではありません。

藤居やこのバカ親たちは、その人格を見抜けない。尊重できない。
見くびっている。

そしてその最大の被害者は、大地君でも私でもない。

人格を尊重しない親に育てられている
この人たちの子どもです。

うちにはよく「そらまめちゃんがかわいそうです」というメールが来ます。

彼らが「うちの子には○○ができない」と決め付けているのは
障害児であるがゆえの人格否定に見えるんでしょうね。
彼ら自身が
最大の差別者なのです。

私はヒマ人ですが(在庫が稼いでくれるため)
同じようにヒマな人がいれば
藤居や上のバカ1バカ2を観察し続けてみてください。

五年でも十年でも。
そして発達の様子を経過観察してください。

「ゆめちゃんと大地君は同じ」と正しいことを見抜いている先生と

「重度と軽度は違う」とか「本を出すような子とうちの子は違う」と最初から決めて、
そのコンプレックスから大騒ぎする藤居や
障害児の人格というものの実在を信じられないがゆえに
大地君は大人に踊らされているという失礼な見かたを恥ずかしげもなく展開するこの人間音痴の親たちと

どっちが子どもの人格を尊重しているか
それは明らかでしょう。

ゆずさんが言うように

「娘が一番成長したくて頑張っている。」

のに気づかない先生と気づく先生がいる。

障害児が持っている人格に
気づかない保護者と気づく保護者がいる。

花風社は、気づく先生と保護者のために本を出していきます。

それで叩く人はこれからも出てくるだろうけど

喧嘩上等の性格を活用できてよかったです。
神田橋先生のおっしゃるとおり
強みは弱みの裏にある!



エビデンス先取り

2011-10-08 08:44:48 | 日記
通りすがりの父親さん。
またのお越し、ありがとうございます!
一同で待っておりました。


とまずはご本人に御礼。

そして皆さんにご説明。

さて、10月6日のブログに、「通りすがりの父親」さんから次のようなコメントをいただきました。
お題は「パニックはサイン」。

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はじめて書き込みをします。社長様の講演会は何度か聴講させていただいています。サインをいただき、子供の話をした時に社長様に「お父さん。頑張りましたね。」と言われた時には涙が溢れてしまいました。また、岩永先生のお話も勉強に行かせていただいたことがあります。
自閉症児の父となり27年。授かった3人の子供はみんな自閉症です。長男と末娘は重度の知的障害を伴っています。
私の経験で言えば、パニックを起こしているのはよい状態ではないという事です。それも学童期以降のパニックは親がきちんと育てていないという証です。パニックはサインであり悲鳴です。別のサインや伝え方が解り、コントロールできれば起こすこともない物です。パニックを起こすような子は社会は受け入れてくれません。自閉症という障害を抱えていても、いずれは大人になります。障害者にも人としてのモラルが求められます。どんな方法で療育してきたか。そんなことは誰も聞いたりはしません。問題にもなりません。

言葉を操れないと医師に言われた長男は清掃会社に就職し恋愛もして彼女が出来ました。今では言葉と文字で会話します。
末娘は構音障害があり発語は今だに不明瞭ですがヘルパーの資格を取り、寮から通勤しています。次男は好きなことを職業にし、車の電気経路の設計をしています。


そらパパという人がしているABAを薦める話が、私には彼の趣味のカメラやレンズの話題やゲームの話題とさほどレベルは違いないように思います。マニアの話に若いお母さんが迷う事のないように祈っています。

重度の子も大人になります。好きなことをして働いて親の手を離れていきます。友達もできるし、恋愛もします。風俗にだって興味を持ちます。欲しい物のためや旅行のための計画も立てます。社会でみんなと生きていけます。

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このコメントに私たちは盛り上がり
「ぜひあのお父様の声がまた聞きたい」と切望していました。
白くま母さんはこうつぶやいていましたよ。

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ああいうお父さんがいるのね。私のようなまだ親としてのひよっこが「白くま母さん式」なんて恥ずかしくて言えない。

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まあまっとうな感覚ですよね。白くま母さんのこういうところ、好きですね。
こういう人だから、大地君に
「本を出してもえらくない」って教育できるなと思ったし
だからこそ、出す気になりました。率直なところ。

で、私は「マニア」という言葉に聞き覚えがあるなあ、と思って昨日のエントリを書き

で、みんなの願いは聞き届けられ
また昨日、お越しいただけましたね。
今度のコメントのお題は「驚きました」。

=====

私の書き込みを取り上げていただきありがとうございました。私はそらパパこと藤居さんの講演会にも伺ったことがあります。途中退場してしまったので立ち読みとあまり変わらないかもしれません。
親がする話ではなかった。でもプロの話でもなかった。そう思ったので聞く価値を感じませんでした。
私は大地くんのお母さんのような療育は出来ませんでしたが、毎日のランニングと躾だけは子供が恥ずかしい思いをしないように教え込みました。
周囲から侮蔑的な事を色々言われた時期もありましたが、間違った子育てはしてこなかったと思っています。どこに出しても恥ずかしくない青年たちに育ってくれました。

=====


これを読んでこういう声が上がりました。

「ぶれずに結果を出された方の話は説得力があります。幸せな子供たちだと思います。親として子供たちの成長した姿を見てどんなに誇らしいことか。これこそ子育ての醍醐味なのかもしれませんね。私も頑張らねば」

そう。誰よりも幸せなのは
充実した成人期を送っていらっしゃるお子さんたちだと思いました。

周囲から色々言われた時期もある、とさらりと書かれた言葉に
「そんなのやっても無駄よ」とか「名誉健常者」とか心ないツッコミを受けている保護者の方たちも思うところがあったのかもしれません。
大事なのはお子さんの将来ですものね。

そして
毎日のランニングと躾。
それは実は、最高の療育だったかもしれません。

「自閉症を育てるんじゃない。子どもを育てるんだ」
大地君が支援級に移るとき、栗林先生は白くま母さんにまず、こう言ったそうです。
だから躾は当然。やり方に工夫するだけ。

そして

このお父様のお子さん達が育つ途上ではまだエビデンスが出ていなかったかもしれませんが
ランニング等の有酸素運動が認知や情緒面に与えるエビデンスについては
今ではもう明らかになっています。




神田橋先生はこの本の中で「EBMと代替療法の境目」について一言で定義されています。



本当に、唸るほど的を射た定義ですね。

この本をいまだにトンデモ扱いしている人は
先生のこの定義を理解できないか、読んでないんでしょうね。

エビデンスの先取りっていうのもありなんですね。
お子さんの様子を観察し「気持ちいい」を大事にできるうめさんたちなどは
そういうことを実践して、パニックを予防しているのでしょう。

でも逆に、親にセンスがないと(とくに体感に関するセンス)
変なもの、合わないものを与えてしまうのかもしれないから
なんちゃってEBMは、センスの悪い人たちの予防策っていう面もあるのかも。
センスのいい人にまで、押し付けないでほしいですね。

それと、通りすがりの父親さんは、藤居学の講演会にもお出かけになったことがあったのですね。
私もぜひ一度聞いてみたいものです。

だから去年、講演会が企画されたときには行こうと思ったんですけど
その意思表明をしただけで(まだ申し込んでなかったのに)
おそらく多方面に迷惑をかけながら、藤居はキャンセルしてしまった。

しかも被害者面。

なんで? やればいいのに。

今後もし藤居の講演会を企画されている方は
ぜひお声をおかけくださいませ。
私は保護者ではなく、報道する立場として出かけるので
多少インチキな話でも、最後まで(質疑応答までたっぷりと)退場しないと思います。

たくさんの情報をくださった「通りすがりの父親」さん、ありがとうございました。

お母さん達が待っているみたいなので
またお越しいただけるととてもうれしいです。

もしかしたらいい先生なのではないか?

2011-10-08 07:52:30 | 日記
昨日のエントリ「マニア。」に有意義なコメントを続々いただいたので
本日は一つ一つエントリを別立てしてそれにお答えしていこうと思います。
三連休だし。

まずはおからさんから次のようなコメントをいただきましたよ。

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初コメですが、いつも拝見して勉強させて頂いてます(もちろん本も読ませて頂いてますョ)。
 ここ数日のコメは、コメにしておくのが勿体ない(失礼!)ほど、意味深いものでした。
今日のブログ、思わずコメしたくなった、最後の3行でした。この言葉が 浅見社長の この姿勢が 「花風社さんは重要な情報源」と思わせるのでしょう。札幌の講演会での仕切りもお見事でしたが、今後もブログを注意深く見守らせて頂きます。大地君の新刊、楽しみにお待ちしてますね。

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おお、ありがとうございます。
でっかい北海道。たしか、遠路はるばるご参加いただいたんですよね。
ありがたいことでございます。

昨日のブログの最後の三行ってこれですね。

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私はマニアじゃありません。
プロです。
だから有益な情報を選んでお伝えします。

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そう。これが私の仕事です。
情報を選ぶっていうのは、人を選ぶっていうことにつながり
私は支援者じゃないという自分の仕事上、この世界で「誰とでも仲良く」することを選んでいません。
ていうか、避けてます。

「官」は広く皆さんの希望を聞き入れるべきものだと思うんですが
「民」の本質は、選び選ばれるところにあるので。

つきあう保護者も選ぶし
耳を傾ける専門家も選びます。
どんな大御所だって、自分が聞くべき人じゃないと思ったら意見はあまり採用しません。

佐々木正美先生とか。

苦手だったんですよね。

いえ、佐々木先生が、じゃありません。
ほんのちょっと直接接触させていただいた時間から判断しても
本当に素晴らしい人格者だと感じました。佐々木先生。
ここにこれだけ率直に書いちゃうのもですねえ
万が一先生ご自身の目に触れることがあっても、私ごときのこのような意見に腹を立てるような器の小さい方ではないという判断をしているからです。まあ怒られても別にいいんですけど。

というわけで
「よこはま発達クリニック」の顧問ていうところが一部ひっかかるだけで(これは先生ご自身にも山岸の事件のご報告とともにお伝えしてあることです)
佐々木先生ご自身には、なんの恨みもありません。

でも佐々木先生を狂信的に慕う一部のバカ親がいやなんです。
「障害児の保護者である以上何をしても許される」っていうカンチガイしている人がたまにいるでしょ。
そういう人が、えてして佐々木先生の言説を偏愛している印象があります。

でも、佐々木先生の本当に近くでお勉強している人たちから聞くと
それって誤解みたいだし
TEACCHは実のところ修行らしいし

って話なので、まあ
どっちが本当なのかな、っていう疑問は持っていたんですよね。

そして、昨今の米欄。
おからさんのご指摘どおり、充実していますが

いやあ
賢ママさんの家庭療育ってすごいですね。

で、佐々木先生は、ありのまま系バカ親ではなく
この賢ママさんを、登壇の相方としてご指名されるので

やっぱり佐々木先生は素晴らしい先生なのではと
そっちからの推論でそう思いました。

賢ママさんは、ありのまま系バカ親ではありません。
「人に迷惑をかけない子に育てる」ために
小柄なご自分の身体よりお子さんたちが小さいうちからきちんとしつけてきた方です。
しかも、家庭の中で様々な工夫をして。

お子さんたちは立派に成長されています。

そういう人が、選ばれているんですね。
見る目があるなあ。

生意気?

そういうキャラです。すみません。
不愉快だったらここ見ないでください。

さて、では今日中にまたエントリ書きますよ。
何が出てくるか、ハラハラする人は見ないほうがいいかもね。
何しろ昨日の米欄は粒ぞろいでしたし。