さて、前回のエントリにたくさんコメントをいただいたので
それにインスパイアされて思うところを述べます。
まず先生たち問題。
質問です。
栗林先生はいい先生か?
先生、ごめんなさい。
私はもちろん、いい先生だと思っていますよ。
でもそれは「専門性」のゆえじゃないんです。
「社会に送り出す」視点があるからなんです。
専門性っていう意味で言えば、例の札幌の偏向教師だって専門性をつける努力はしてるんじゃないのかしら。
わざわざお金と時間使ってメジボフ先生の無駄遣いしにいくくらいだし。
ただこの偏向教師に、栗林先生と同じことはできないでしょうね。
なぜなら「社会に送り出す」という視点が欠如しているから。発言見てるとわかりますよね。
逆に、栗林先生が「いやな先生」だと思う人もいるかもですよ?
(先生、ますますごめんなさい)
たとえば修行が嫌いな人。
障害児に修行させて社会に送り出すなんて、残酷だと思っている人。ごあいさつクラスタ。名誉健常者クラスタ。
いっぱいいるじゃないですか、藤居学周辺に。
大地君が藤居の発言に怒ったのだって
「僕の大切な両親や先生を侮辱した」ってところなんだから。
そういう人にとって栗林先生は「正しい先生」ではないかもしれません。
先日もこういうツイみかけてびっくりしたことは記憶に新しい。さすがベムのインチキ無邪気に信じる人は違います。
学校が子どものいやがることをさせると怒るような人にとって、修行をしてくれる先生はいい先生ではないでしょう。
だから大地君の立場を羨ましがっている人は
その意味では私たちにまだ近いのかもしれないです。
それにしても、白くま母さんのところには羨ましいというメールがいっぱい来るようで
本当にみんな、そういう不毛なメール送るのやめればいいと思いますよ。
白くま母さん、賢ママさん、うめさん。
こういう人たちが、誰かを羨ましがってるのは聞いたことがありません。
白くま母さんのコメントにあるとおり、大地君は療育機関のお世話になったことはないし
学校で個別指導を受けているわけではありません。
学校から「家ではこうこうしてください」なんて指導を受けているわけではありません。
おうちで、ひたすら子どもの特性を見つめ、アセスメントして、トレーニングを編み出している。
そして大地君自身に、トレーニングの必要性を伝え
「自分でご飯を食べられる大人になること」を親子ともに目標にしている。
それだけの話です。
要するに障害がない子どもにも普通親がやるようなやり方で接しているだけです。
「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」を読めば、その実態がわかります。
「家庭で何をやっているか」が今度の大きなテーマですから。
この本を作りにカリフォルニアに行ったとき
現地で反日日本人の皆様にいやな思いをしたことは前にも書きましたが
「日本は何もない」と言われたとき
私が反論として出したのは賢ママさんでした。
賢ママさんは白くま母さんと違って医療現場で働いてきたわけでもない。
でもお子さんたちへの家でもできる働きかけをして
医者の見込みをはるかに越えてお子さん達は発達しました。
LDで学校にも適応が難しかった上のお子さんは今勤労大学生。仕事もお勉強も、充実した日々を送っているそうです。昨日の米にも、その片鱗が見えますね。
一生字が書けないだろうと医者に宣告され、歩くのもおぼつかなかった下のお子さんは作文を書き、運動会ではリレーの選手に選ばれているそうです。
あのとき日本は何もないと言っていた反日日本人の皆様のお子さんはいったいどうなったでしょうかね。
恵まれた制度とやらの中で。
賢ママさんはお会いすると小柄な方なのですが
その方が、お子さんが自分より小さいうちにやっておくべきことはやっておいたとおっしゃるのを聞いて
親としての責任感が健全なのだなと思いましたよ。
「社会の中での子ども」という位置づけがぶれないのでしょう。
「大目に見るのが社会の責務」と最初から決め付けている人とは、取り組み方が違って当たり前です。
昨日「自閉症児の母」さんが書いていたように、親によって子どもは変わります。
支援者の皆様はなぜかはっきり言わないけど、その「なぜ」が私にはわからないのではっきり言いますが
自閉症がたとえ親のせいじゃなくても
親の取り組みによって子どもの予後は変わります。
そんなの当たり前です。
そしてそれがわかっているからこそ、子どもを見つめて修行を編み出しているお母さんたちは
誰かのところに「羨ましい」メールを送るような不毛なことはしません。
「うちの子は重度だから視機能検査ができない」という意味不明のメールがまた昨日白くま母さんのところに送られてきたようですが
「乳児の検診でだってしてるでしょ。勉強すればいいのに」と白くま母さんは言っていました。
要するに今ここからでもできる勉強すらせず、羨ましいメールを送る。
そんなことやっていて前に進めるわけがないじゃないですか。
配られた手札で勝負するしかないでしょ。それぞれ。
お母さん達だって、お母さんになるまえはなんか頑張ったことがあったんでしょ?
空音さんなら鍵盤楽器とか(米見てね)。
そこから始めればいいじゃないですか。
主婦なら家事を一緒にやってみるとか。
それだって立派な療育でしょう。
なんにも頑張ったことがない、だからどこからやっていいかわからないというのなら
それは今までなんにも頑張ったことがないツケが回ってきただけであって
他人を羨ましがっても羨ましがられる他人が迷惑です。
頑張れないのなら、
何から頑張っていいかわからないのなら
まず他人を羨ましがることをやめるところから始めてください。
それにインスパイアされて思うところを述べます。
まず先生たち問題。
質問です。
栗林先生はいい先生か?
先生、ごめんなさい。
私はもちろん、いい先生だと思っていますよ。
でもそれは「専門性」のゆえじゃないんです。
「社会に送り出す」視点があるからなんです。
専門性っていう意味で言えば、例の札幌の偏向教師だって専門性をつける努力はしてるんじゃないのかしら。
わざわざお金と時間使ってメジボフ先生の無駄遣いしにいくくらいだし。
ただこの偏向教師に、栗林先生と同じことはできないでしょうね。
なぜなら「社会に送り出す」という視点が欠如しているから。発言見てるとわかりますよね。
逆に、栗林先生が「いやな先生」だと思う人もいるかもですよ?
(先生、ますますごめんなさい)
たとえば修行が嫌いな人。
障害児に修行させて社会に送り出すなんて、残酷だと思っている人。ごあいさつクラスタ。名誉健常者クラスタ。
いっぱいいるじゃないですか、藤居学周辺に。
大地君が藤居の発言に怒ったのだって
「僕の大切な両親や先生を侮辱した」ってところなんだから。
そういう人にとって栗林先生は「正しい先生」ではないかもしれません。
先日もこういうツイみかけてびっくりしたことは記憶に新しい。さすがベムのインチキ無邪気に信じる人は違います。
学校が子どものいやがることをさせると怒るような人にとって、修行をしてくれる先生はいい先生ではないでしょう。
だから大地君の立場を羨ましがっている人は
その意味では私たちにまだ近いのかもしれないです。
それにしても、白くま母さんのところには羨ましいというメールがいっぱい来るようで
本当にみんな、そういう不毛なメール送るのやめればいいと思いますよ。
白くま母さん、賢ママさん、うめさん。
こういう人たちが、誰かを羨ましがってるのは聞いたことがありません。
白くま母さんのコメントにあるとおり、大地君は療育機関のお世話になったことはないし
学校で個別指導を受けているわけではありません。
学校から「家ではこうこうしてください」なんて指導を受けているわけではありません。
おうちで、ひたすら子どもの特性を見つめ、アセスメントして、トレーニングを編み出している。
そして大地君自身に、トレーニングの必要性を伝え
「自分でご飯を食べられる大人になること」を親子ともに目標にしている。
それだけの話です。
要するに障害がない子どもにも普通親がやるようなやり方で接しているだけです。
「僕は、社会(みんな)の中で生きる。」を読めば、その実態がわかります。
「家庭で何をやっているか」が今度の大きなテーマですから。
この本を作りにカリフォルニアに行ったとき
現地で反日日本人の皆様にいやな思いをしたことは前にも書きましたが
「日本は何もない」と言われたとき
私が反論として出したのは賢ママさんでした。
賢ママさんは白くま母さんと違って医療現場で働いてきたわけでもない。
でもお子さんたちへの家でもできる働きかけをして
医者の見込みをはるかに越えてお子さん達は発達しました。
LDで学校にも適応が難しかった上のお子さんは今勤労大学生。仕事もお勉強も、充実した日々を送っているそうです。昨日の米にも、その片鱗が見えますね。
一生字が書けないだろうと医者に宣告され、歩くのもおぼつかなかった下のお子さんは作文を書き、運動会ではリレーの選手に選ばれているそうです。
あのとき日本は何もないと言っていた反日日本人の皆様のお子さんはいったいどうなったでしょうかね。
恵まれた制度とやらの中で。
賢ママさんはお会いすると小柄な方なのですが
その方が、お子さんが自分より小さいうちにやっておくべきことはやっておいたとおっしゃるのを聞いて
親としての責任感が健全なのだなと思いましたよ。
「社会の中での子ども」という位置づけがぶれないのでしょう。
「大目に見るのが社会の責務」と最初から決め付けている人とは、取り組み方が違って当たり前です。
昨日「自閉症児の母」さんが書いていたように、親によって子どもは変わります。
支援者の皆様はなぜかはっきり言わないけど、その「なぜ」が私にはわからないのではっきり言いますが
自閉症がたとえ親のせいじゃなくても
親の取り組みによって子どもの予後は変わります。
そんなの当たり前です。
そしてそれがわかっているからこそ、子どもを見つめて修行を編み出しているお母さんたちは
誰かのところに「羨ましい」メールを送るような不毛なことはしません。
「うちの子は重度だから視機能検査ができない」という意味不明のメールがまた昨日白くま母さんのところに送られてきたようですが
「乳児の検診でだってしてるでしょ。勉強すればいいのに」と白くま母さんは言っていました。
要するに今ここからでもできる勉強すらせず、羨ましいメールを送る。
そんなことやっていて前に進めるわけがないじゃないですか。
配られた手札で勝負するしかないでしょ。それぞれ。
お母さん達だって、お母さんになるまえはなんか頑張ったことがあったんでしょ?
空音さんなら鍵盤楽器とか(米見てね)。
そこから始めればいいじゃないですか。
主婦なら家事を一緒にやってみるとか。
それだって立派な療育でしょう。
なんにも頑張ったことがない、だからどこからやっていいかわからないというのなら
それは今までなんにも頑張ったことがないツケが回ってきただけであって
他人を羨ましがっても羨ましがられる他人が迷惑です。
頑張れないのなら、
何から頑張っていいかわからないのなら
まず他人を羨ましがることをやめるところから始めてください。