治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

修行のコツ

2011-10-03 09:38:48 | 日記
昨日の大地君のブログから許可を得て転載します。
お題は「ビジョントレーニング やっていた やっていた」
そう。機能訓練の一つ、ビジョントレーニングの一つ。
つまりおうちでの修行の一つです。

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夏休みに、母は僕に視機能検査というのをいろいろとしました。
それは、時間を計ったりしました。動くものを見たり、数字やひらがなを読みました。
それから、線を目でずっと見ていってどこにつながっているのかとか、見本と同じ図を書いたり、同じものを探したりとかです。

そして、先週くらいに母は「ビジョントレーニングをするよ。」と言いました。

「そんなことやったことがないよ。また、俺って駄目なところが発見されたのかよ。」って文句を言ってやりました。

「違うよ。ずっと前から家でも学校でもやっているよ。栗林先生は、とっても大事に取り組んでいるよ。作業とかリズムの時間にね。大地は交流ばっかりで最近はあんまり頑張っていないでしょ。ビジョントレーニングを頑張るともっと交流でも楽に勉強できるようになる。運動もよくなる。少しやってみようよ。」と母は言いました。

見せてもらうと、今までずっとやっていたことばかりでした。
でも、家ではプリントが多かったけど、ママはゲームにしてくれました。

晩御飯の前のテーブルで、ピンポン玉やビー玉を転がしてスプーンでキャッチするゲームが熱いです。
得点制でします。昨日はパパも一緒にやりました。超盛り上がります。

それから、段ボールのお盆の上にビー玉を乗せて、落ちないように見張るゲームです。これはリンゴが超うまいです。

それから床から跳ね返ったスーパーボールを紙コップでキャッチします。これは、僕は得意です。これだけは妹に負けません。

あとは、オアシスっていうやつに箸が刺さっていて、箸に1.5㎝くらいのリングを箸一本で運んで刺さっている箸に刺すやつです。これは、イチゴが超うまいです。

バカらしい面白さです。「もうそろそろおしまいにしてね。」と言われても、決着がつかないとやめられません。


こういうのをやっていたので、僕は斜めの線が書けるようになったのでダイヤや三角が書けるようになったそうです。漢字が正しい字で書けるようになったそうです。

ひっ算が出来るようになって、図形やグラフが出来るようになったのもビジョントレーニング。

運動会でよさこいを踊ったり、発表会の劇でみんなと同じ動きが出来たのもビジョントレーニングのおかげ。

やってたじゃん。やっていてよかったじゃん。と、思いました。

冬に向けて、ママは色々と試してみるそうです。冬が終わる半年後は僕はパワーアップしているそうです。

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これを見て「ああ、楽しくできるようにすればいいんだな」と思う人は多いのではないでしょうか。
私もそう単純に思ってました。
先日札幌でニキさんの話を聞くまでは。

ニキさんの話を聞いて思ったのは
「楽しい」ことも重要かもしれないけど(とくに報酬系がじゅうぶん育ってない場合)
それよりも重要なのは
「ネタバレ」部分なのだなと思ったのです。

だから、ろくすっぽ告知も済ませていないお子さんに
療育が入らないのは当然かもしれません。

そういう人が「修行は虐待」とか文句をつけても、ねえ。
工夫もしてないんだろうし。

修行を虐待にしないのも、腕の見せ所ですけど
腕のない人にとっては虐待に思えるのかもしれませんね。

まあ、レベルの違う話ですよね。

支援者ならきっと、親には療育のうまい下手があるなんて言えないと思うんですけど
私は支援者じゃなくて、報道する人ですから
はっきり言いますよ。

だって下手な親の下手な療育の結果出てきた「よくならない」論を真に受けて
絶望している人がかわいそうだもの。
よくなっている人がこれだけいるのに。
よくなっている人がやっていることをよく見る。これも立派なリテラシーですよ。海老踊りだけじゃなくてね。

まあその裏側として
いくらご立派な理論を並べていても効果が上がってない人は信用しないというのもありかもしれないけどね。

「一生治らない障害です」という言葉に安らぎを覚える人もいれば
腹を立てる人もいるんですよ。

どっちの気持ちも傷つけないなんていう器用なことはできません。
少なくとも私にはできません。
私はあくまで、「よくなりたい人」の味方です。

自分は「よくなりたい」と思っているのに
私が味方じゃないように感じたら、胸に手を当てて

「他人がよくなろうとしている姿を理屈をつけては批判していないかな?」と
考えてみてください。

ビジョントレーニングとか、そういう機能訓練方面に関心がない人はもちろんいるでしょう。
ならば、それを抜いたところでやるべきだと思ったことをやればいい。

ただ、機能訓練方面に走っている人を
過度に批判するのは、なんなんでしょうね。
なまじっか効果を上げていることに対する嫉妬なのか? それとも他の感情なのか。

うじうじした人の気持ちは、私にはわかりません。

自分の信じる道を行けばいいですよね。
結果は子どもが出します。