治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

未来が同じであるはずがない

2011-10-12 15:48:22 | 日記
大地君にいただいたメッセージの数々を見て思ったこと。

これまで、ASD支援に関しては
二つの正しいけれど強調されすぎてきた言説があった。

一つは
「生まれつきの脳機能障害であり、治らない」ということ。

私は「治る」という言葉をあえて使ってきたが
それはこの言葉にアレルギーを起こす人々の気持ちが、どうしてもわからなかったからだ。

「発達する」という言葉にアレルギーを起こす人はいない。
なのに「治る」になると口角泡を飛ばして否定する。

どうしてだろう。

私は発達障害者が「発達する」ということと
発達障害者が「スペクトラムである」ということと
発達障害が「治らない」ということは同時に成り立たないと考えているのだが。

私たちはみんな、脳の凸凹を持って生まれる。
その凸凹を困らないレベルに近づくべくならしたり、いいところで勝負するため伸ばしたりするのが修行で
定型発達の子どもも修行する。家で、あるいは学校で。

同じようなことを、違う手法で発達障害の子がやるのが発達障害の子の修行。

その結果「健常域」になる子だっているだろうし
治った状態でもまだ自閉の子もいるだろう。
スペクトラムなんだから。

それをどうして一律に否定するんだろうなあ。
不思議でならない。

もう一つ、正しいけれど強調されすぎた言説は

「自閉症は親のせいではない」ということ。

これはそのとおり。冷蔵庫マザーの時代が長く続いたあと
強調されてきたのは正しかったと思う。

でもね

あれだけのパニックを起こしていた大地君が今のようになったのは親の力が大きいだろうし

宮本家のように、父親のネットのお遊びで子どもの選択肢を縮めてしまいかねない親もいる。

不登校してたって

なんとか学校に行く手立てを教師と連携してとる親もいれば

「いやなことやらせる学校には行かせない」とファクスを送りつける親

「どうせ何やっても行かない」と開き直る親

あるいは

「この世の中に適応するなんて、それ自体ばからしいこと」と引きこもり生活を絶賛する親もいる
(自閉症協会の会報誌で読んだ。堂々と、載っていた)。

自閉症に生まれたのは親のせいではなくても

こういうそれぞれ違った親たちに育てられた子の未来が
同じであるはずはない、と私は思うのだ。

私はダメ親たちに媚びない。

ダメ親たちに媚びた本を出したら売れる? だとしても媚びない。

なぜかというと

私はこの国をよくしたいからです。

丈夫に生まれたので、ある年齢までは「国を支えて、国を頼らず」生きていけそうですけど

そしてその生き方を、自分と同じ条件に恵まれなかった人に、押し付けるつもりはさらさらありませんけど

大地君がお誕生日のメッセージに書いてくれたように

「僕はやっぱり立派な子どもじゃないし、大人になっても立派な人になれそうもありません。
でも幸せな大人になります。普通の大人になります。
誰かのために頑張る大人になります。誰かのことを大切に思う大人になります。」

こういう目標を持てる子どもを増やしたいからです。
とくに立派でもない普通の大人でもできる
自分の活動を通じてね。

大地君が今度の本に書いています。

一番うれしいこと。それは、全国で修行している仲間がいるとわかることだって。

親が出版等の活動をするということ(+猿山問題)

2011-10-12 10:35:56 | 日記
さて、そんなに頭がよくなくてもわかると思うが
藤居家のお嬢さんはたぶん藤居なんとかちゃんで
宮本家の坊やはたぶん宮本なんとか君だ。

こんな米いただいたが

「もう猿は去る?その方が子供のためになる。嫁さんは子供を連れて歩けなくなりますよ。」

いや、連れて歩けると思うよ。

ただ嫁さんが子どもを連れて歩いていたら「ああ、あそこんちの子ね」って思われることは増えるだろうけど。

「あそこんち」に付加するニュアンスは
それぞれの立場でしょうけどね。

療育にご利益を求めない親たちは
「おお、すばらしいそらまめ式で育てられたおじょうちゃん!」って崇めてくれるかもしれないし。

ベムんちだって

「180センチでマラソン大会出て排泄が自立していない奇跡の男!」って崇めてもらえるかもしれないし。
(私の地元の信頼できる支援者は、歩行能力があればどんな子でも就学前に排泄は自立すると言ってました)

まあ全部、親が自ら選択したことですけど。

彼らがさかんにうちを攻撃したとき、私は警告してましたよ。

君たちが思っているより私の味方は多いよ、って。

でも彼らは信用せずに
仲間内だけの世論を世論と思い込みずんずん突き進んだ。

そんでもって、私の取引先に迷惑メール送ったり。
要するに自分を相対化できないから
自分たちがこれほど嫌っている浅見と仕事するのが許せなかったんだって。バカみたい。

つまり今の事態は、自分が一人の大人として行った選択の結果ですので
きちんと引き受けてもらいたいですね。

だからね

親が本を出すとか、講演するとか、ブログ書くとか

まあ「本業で評価されていない」みたいな事態だと
ならば親としての名声を、ってなるのかもしれないけど

リスクが伴うことは自覚しておかないとね。

それでも本を書きたい人はどんどん現れる。

この人もそうらしい。

でもまあ、このツイ1 ツイ2見てたら
この人が本出しても、誰が買うのかな、と思うけど

でも世間には花風社の与り知らない「ダメ親マーケット」ってのもありそうなので
それなりにお客はいるのかもしれないけど

私はいらないや。
そういうお客も、企画も。

私がこれ見て考えるのはむしろ

一生懸命登校を促そうと努力している保護者の子と
このような態度の保護者の子と

どっちも支援するのが支援者なんだなあ。
支援者って大変だ、ということ。

これでもきっと学校出て、居場所がなかったら
「社会は理解がない!」って怒り出すんだろうね。

「他人の釜の飯を食う」っていう条件の第一歩は
決められた時間に決められた場所に行くこと。
それすら教育しない人でも
「支援がない!」って文句を言える日本、すごーい。

支援って、大変。本当に。
支援者の皆様
おつかれさまでございます。

=====

あ、そういえば
昨日小暮画伯に怒られました(汗)。

「猿山にたとえるとは失礼だ!」って。
乙武さんの言葉にきーきー言ってた卑屈軍団のことをね。

「猿は森で立派に生きてますし、ボス猿はそれなりの力と猿格がないといけません。猿をバカにするな~」

本当に本当に仰せの通り。

ここにお詫びいたします。

お猿さんたち、ごめんなさい。

お猿さんたちは少なくとも、子どもに餌のとり方とか教えるし。

森で生きていくためにね。

それにさ、子どもに餌のとり方教えているよその猿を見て
「名誉健常猿!」とか非難しないしね。