大地君にいただいたメッセージの数々を見て思ったこと。
これまで、ASD支援に関しては
二つの正しいけれど強調されすぎてきた言説があった。
一つは
「生まれつきの脳機能障害であり、治らない」ということ。
私は「治る」という言葉をあえて使ってきたが
それはこの言葉にアレルギーを起こす人々の気持ちが、どうしてもわからなかったからだ。
「発達する」という言葉にアレルギーを起こす人はいない。
なのに「治る」になると口角泡を飛ばして否定する。
どうしてだろう。
私は発達障害者が「発達する」ということと
発達障害者が「スペクトラムである」ということと
発達障害が「治らない」ということは同時に成り立たないと考えているのだが。
私たちはみんな、脳の凸凹を持って生まれる。
その凸凹を困らないレベルに近づくべくならしたり、いいところで勝負するため伸ばしたりするのが修行で
定型発達の子どもも修行する。家で、あるいは学校で。
同じようなことを、違う手法で発達障害の子がやるのが発達障害の子の修行。
その結果「健常域」になる子だっているだろうし
治った状態でもまだ自閉の子もいるだろう。
スペクトラムなんだから。
それをどうして一律に否定するんだろうなあ。
不思議でならない。
もう一つ、正しいけれど強調されすぎた言説は
「自閉症は親のせいではない」ということ。
これはそのとおり。冷蔵庫マザーの時代が長く続いたあと
強調されてきたのは正しかったと思う。
でもね
あれだけのパニックを起こしていた大地君が今のようになったのは親の力が大きいだろうし
宮本家のように、父親のネットのお遊びで子どもの選択肢を縮めてしまいかねない親もいる。
不登校してたって
なんとか学校に行く手立てを教師と連携してとる親もいれば
「いやなことやらせる学校には行かせない」とファクスを送りつける親
「どうせ何やっても行かない」と開き直る親
あるいは
「この世の中に適応するなんて、それ自体ばからしいこと」と引きこもり生活を絶賛する親もいる
(自閉症協会の会報誌で読んだ。堂々と、載っていた)。
自閉症に生まれたのは親のせいではなくても
こういうそれぞれ違った親たちに育てられた子の未来が
同じであるはずはない、と私は思うのだ。
私はダメ親たちに媚びない。
ダメ親たちに媚びた本を出したら売れる? だとしても媚びない。
なぜかというと
私はこの国をよくしたいからです。
丈夫に生まれたので、ある年齢までは「国を支えて、国を頼らず」生きていけそうですけど
そしてその生き方を、自分と同じ条件に恵まれなかった人に、押し付けるつもりはさらさらありませんけど
大地君がお誕生日のメッセージに書いてくれたように
「僕はやっぱり立派な子どもじゃないし、大人になっても立派な人になれそうもありません。
でも幸せな大人になります。普通の大人になります。
誰かのために頑張る大人になります。誰かのことを大切に思う大人になります。」
こういう目標を持てる子どもを増やしたいからです。
とくに立派でもない普通の大人でもできる
自分の活動を通じてね。
大地君が今度の本に書いています。
一番うれしいこと。それは、全国で修行している仲間がいるとわかることだって。
これまで、ASD支援に関しては
二つの正しいけれど強調されすぎてきた言説があった。
一つは
「生まれつきの脳機能障害であり、治らない」ということ。
私は「治る」という言葉をあえて使ってきたが
それはこの言葉にアレルギーを起こす人々の気持ちが、どうしてもわからなかったからだ。
「発達する」という言葉にアレルギーを起こす人はいない。
なのに「治る」になると口角泡を飛ばして否定する。
どうしてだろう。
私は発達障害者が「発達する」ということと
発達障害者が「スペクトラムである」ということと
発達障害が「治らない」ということは同時に成り立たないと考えているのだが。
私たちはみんな、脳の凸凹を持って生まれる。
その凸凹を困らないレベルに近づくべくならしたり、いいところで勝負するため伸ばしたりするのが修行で
定型発達の子どもも修行する。家で、あるいは学校で。
同じようなことを、違う手法で発達障害の子がやるのが発達障害の子の修行。
その結果「健常域」になる子だっているだろうし
治った状態でもまだ自閉の子もいるだろう。
スペクトラムなんだから。
それをどうして一律に否定するんだろうなあ。
不思議でならない。
もう一つ、正しいけれど強調されすぎた言説は
「自閉症は親のせいではない」ということ。
これはそのとおり。冷蔵庫マザーの時代が長く続いたあと
強調されてきたのは正しかったと思う。
でもね
あれだけのパニックを起こしていた大地君が今のようになったのは親の力が大きいだろうし
宮本家のように、父親のネットのお遊びで子どもの選択肢を縮めてしまいかねない親もいる。
不登校してたって
なんとか学校に行く手立てを教師と連携してとる親もいれば
「いやなことやらせる学校には行かせない」とファクスを送りつける親
「どうせ何やっても行かない」と開き直る親
あるいは
「この世の中に適応するなんて、それ自体ばからしいこと」と引きこもり生活を絶賛する親もいる
(自閉症協会の会報誌で読んだ。堂々と、載っていた)。
自閉症に生まれたのは親のせいではなくても
こういうそれぞれ違った親たちに育てられた子の未来が
同じであるはずはない、と私は思うのだ。
私はダメ親たちに媚びない。
ダメ親たちに媚びた本を出したら売れる? だとしても媚びない。
なぜかというと
私はこの国をよくしたいからです。
丈夫に生まれたので、ある年齢までは「国を支えて、国を頼らず」生きていけそうですけど
そしてその生き方を、自分と同じ条件に恵まれなかった人に、押し付けるつもりはさらさらありませんけど
大地君がお誕生日のメッセージに書いてくれたように
「僕はやっぱり立派な子どもじゃないし、大人になっても立派な人になれそうもありません。
でも幸せな大人になります。普通の大人になります。
誰かのために頑張る大人になります。誰かのことを大切に思う大人になります。」
こういう目標を持てる子どもを増やしたいからです。
とくに立派でもない普通の大人でもできる
自分の活動を通じてね。
大地君が今度の本に書いています。
一番うれしいこと。それは、全国で修行している仲間がいるとわかることだって。