治しやすいところから治す--発達障害への提言

花風社・浅見淳子のブログ
発達障害の人たちが
少しでもラクになる方法を考える場です。

私から見えている光景

2011-10-21 10:17:02 | 日記
さあて、「治るっていう言葉と桐の箱に入った茶碗」が盛り上がりましたね~。
いただいたコメントを見て行きましょう。

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桐の箱の中の茶碗 (AS_CAT)

2011-10-20 11:30:59

ブログを読んでみて「なるほどー」と思いました。確かに,良くなる状態を「適応する,」とか「寛解する」とか言いますけど,「治る」はアレルギーがありますよね。その意味の「治る」は浅見さんの仰る通りだと思います。「治る」は私の中では「健常になる」ことで,何の支援も受けずに他の健常者とまったく同じになることを差すので,いろんな捕らえ方の「治る」があると思います。でも,浅見さんの「治る」の認識が世間に広がればイイと思います。
将来,そういう意味で「治る」が使われればいいなーと思います。

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AS_CATさん、米ありがとうございます。

別に障害を持って生まれてこなくても、長い人生、福祉や医療のお世話になることはあるわけです。
私は風邪気味になるとまず喉に来ますが、人前でしゃべる日程が近づいているときには
さっさと耳鼻咽喉科に行きます。それで三割負担で診察を受けお薬もらってきます。
これも社会保険のお世話になっているわけですね。

だから「治る」人がいるということ=福祉や医療に見放される ということではないでしょ?
そのへん誤解している人がいるような気がするんですけど。
なんか治った人が出てくると、自分たちの権益が奪われる恐怖感みたいなのを勝手に感じている人。

「治る」というのは普通に日本語なんで、普通に使おうよ。
それが私の提案です。
それが普通に使われてこなかったとしたら、なんかそこに政治的な意図があったから。
それはわかるけど
もうそれってジコチューすぎる時代がきたんじゃないの?
一方でこの言葉を普通に使わないことによって傷ついている人たちがいるんですよ、っていうこと。

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治るって言っちゃダメなんですか? (ベティー)

2011-10-20 12:13:49

私は右の足が膝の上からありません。
11歳の時に骨肉腫になり切断しました。
切断した足は元には戻りません。私は義足のお世話になっています。
一応は自力で歩行していますが、皆さんと同じようには歩けませんし走れません。私は普通ではありません。
18歳で乳癌が見つかりました。早期だったので手術と治療をしました。私は左のおっぱいがありません。左手は右手のようには動きません。無いおっぱいの代わりに偽物のおっぱいをブラジャーの中に隠しています。おかげさまで貧乳でも洋服の上から見れば巨乳です。

あれから10年たちました。私は今も病院に通い続けています。再発の恐れがあるからです。

私は人に聞かれれば「骨肉腫も乳癌も治っちゃった。」と話しています。それって駄目ですか?

話せないが絵カードで会話できるようになる。それだって会話については治ったことじゃ駄目?でも人間だから常に上を目指す物でしょう。次は口で言葉を言ってほしいとか。そういう事じゃ駄目なの?

なに、やっぱり挨拶してしまったり、トイレで排泄が出来ちゃったり、パニックを起こさなくなると、他の親たちに「名誉健常者」って言われちゃうものだから、口が裂けても「治る」とか「ここは治ってきている」って言えないの。
医者が「治りません。」っていうのに「治ってきています。」なんて言ったら次からは診察を拒否されるとかあるの?

自閉症の人達の周りいる人たちって気難しい~と思ってしまいました。

乳癌や骨肉腫は悪化すれば死ぬ病気ですが、自閉症はそうじゃない。発達するんでしょ。改善できるのでしょ。
良くなったら「治った」って喜べることって大事だと思います。「今日はできた。治ってきているかも!」って喜んでくれる人がそばにいるって「いい感じ!」でしょ。

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ベティーさん、米ありがとうございます。

十代のうちにそれほど大きな病気を二つ経験されたということは、そういう体質を持ってお生まれになったのでしょう。そしてその体質と付き合いながら生きるために、そうじゃない人よりは医療的ケアを多く利用して、今は普通に暮らしている。その状態を「治った」とご本人が受け止めるのなら、それを「違う」というのは無礼なことなわけです。
私は海老踊り軍団の主張の仕方を見ていると、自分たちのよわっちいこころが傷つかないように、治った治ったと喜んでいる他人の喜びに水をさしているようにしか見えません。

ベティーさんのおっしゃるとおり、自閉症の周辺って、気難しい人が多いんです。
治したくないのなら開き直っていればいい。
治したいのなら白くま母さんや賢ママさんのように、子どもを観察してできる手を打てばいい。
なのに治っている人に対し「あれは嘘だ」と突っ込んだり、自分たちにも通用するやり方であるということを証明せよって迫る。証明は自分が実行して自分でするものじゃないですか、これだけ個別性の強い症状をそれぞれが見せているんだから。
その上「名誉健常者」。
猿烏賊山のうっきっき(でいいのかな鳴き声は。画伯と打ち合わせしてないや)は放っておいて、ベティーさんのおっしゃるとおり

乳癌や骨肉腫は悪化すれば死ぬ病気ですが、自閉症はそうじゃない。発達するんでしょ。改善できるのでしょ。
良くなったら「治った」って喜べることって大事だと思います。「今日はできた。治ってきているかも!」って喜んでくれる人がそばにいるって「いい感じ!」でしょ。

っていう喜びを読者の皆様と分かち合う日々をエンジョイしながらだったら、私ももうちょっと発達障害の仕事できるかなあと思っています。
さて次はリボンさん。

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治るって言葉 (リボン)

2011-10-20 14:15:24

久しぶりにコメントします。
私自身は自閉圏ではありませんが、発達障害当事者及び家族として、「治る」という言葉を、花風社さんほどフェアな意味に使ってる本というのは少ないと感じています。だから愛読しているし、娘の病院の待合室の本棚に、花風社さんの本が並んでるのを見て安心もします。
かつて、自閉や多動自体を恥ずかしいとする時代がありました。その時代に、自閉を治す、多動を治すとは、その属性全てを全否定する意味があったのかもしれません。
今も、恥ずかしいと思う人はゼロではないでしょうが、時代は変わってきていると思います。
私は、花風社さんの本が使う「治る」という言葉からは、当事者が「良くなった」と喜ぶ姿が容易に浮かびます。
当事者が治したいのは、自閉でも多動でもなく、それに付随する「障害」の部分です。
そこをどうにかすることを、「治す」と表現するのは、すごくフェアだと思います。むしろ、イチ当事者としては、それをこそ、「治る」と表現してほしい。
「治る」って言葉を使うと、今後も議論の的になるでしょうが、議論がおこることで、この、花風社さんの使う「治る」というニュアンスが、社会に広がっていく事を願っています。
そんなわけで、今後も、花風社さんの発達障害関連の本に、期待しています。
卒業したいなんて、言わないで下さいね☆ 

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リボンさん、米ありがとうございます。

そう、喜んでいるんですよ、治った人たちは。
修行によって治っていったことを自覚しているんですよ。
修行が二次障害を呼ぶ、なんて思っている支援者・医療者は、成人当事者に聞き取りとかしたことあるのかな、って不思議に思います。
修行は二次障害を呼ばない。
二次障害にならないために修行をするんです。