さて、「Everyday 花風社」のエントリに先生方から米をいただきました。
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会ってみたい (モフモフ)
2011-10-23 11:53:53
花風社さんの本にいつもお世話になっています。
私は教員ですが、大地くんに会ってみたいと思っている一人です。
小学校のコーディネーターをしていると、四年生以降の児童の問題は複雑で苦労しています。低学年にうちは本人も周囲も気に留めていなかった些細な事が、中学年以降は学校に行けなくなるような事になってしまう事があります。
そういう子達に限って「自分を理解してくれない。認めてくれない。」という思いが強いのです。
高機能自閉症と思われる子にそういう思考回路の児童が多いです。
大地君にはそういう問題はなかったのか。栗林先生あたりは、中学年以降のその辺の自我の問題を見越して早いうちから指導しているのでしょうか。これを修正してやらないと、社会だけではなく周囲は敵だらけに思い込んでいきます。自分の思い通りにいかない時に、行き過ぎた攻撃を始める児童もいます。
本で想像できる大地君にはそういうところが見られません。だからか優等生の良い子のように思ってしまいますが、実際のところはどんな指導をされているのでしょうか。教えていただければ幸いです。
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私も同じです。 (ニャンコ先生)
2011-10-23 14:07:41
モフモフさんの書き込みを読んでコメントします。
特に問題行動があったわけじゃない。成績だって悪くない。それなのに学校に来れなくなる子がいます。
その子に言わせれば「だって皆が、だって先生が」といった理由があるのですが、周囲がみんな同じというのはあり得ないので、彼はどんどん傷ついていきます。
モフモフさんの気持ちがよくわかります。「みんなと一緒がいい」という気持ちをどのように育てているのかと、いつも知りたいと思っていました
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コメントありがとうございます。花風社の本をお読みいただきありがとうございます。
昨日この米を見て、白くま母さんとも話したんですけど
「やっぱり栗林先生対策取ってたよね」と。
おそらく遅くとも一年生のころから。
成人の当事者の人たちに聞き取りをしていると
もう三、四歳のころには、自分と他の子の違いに気がついているんですね。
そのときに「みんな違ってみんないい」と言ってあげなければいけないのはもちろんだけど
それだけでは足りないかもしれない、と思います。
この問題は「自閉っ子と未来への希望」のP235ではっきりと解決済みだと私は思っています。
この中で栗林先生と私のこういう会話があります。
「先生、大地君はどうしてあんなに前向きに頑張れるお子さんなんでしょう?」
「それは○○○」でしょう」
「○○○?」
私は、ASDの人は、現実を受け止める力はあると思っています。
なのに定型発達者側が妙な遠慮をしてしまう。
それが効果のない支援になっていると思う機会が多いです。
ASDの人たちを傷つけるのは「現実」ではなく
「現実のわからなさ」だと思っています。上記の本にも書きましたが。
だからこそ、いつもASDの人には本音で話してきました。
一番かわいそうなのは、こういう状態に置かれている子ども達だと思うのです。
周囲が伝えるべきことをきちんと伝えないで、ちゃんと学校に通い続けろというのはとても難しいですね。
それに、卑怯ですよ、よく考えてみたら。
「障害があってもなくても、先に生まれた人は先に天国に行きます。
そのとき、自分のことは自分で出来る人になっていようね」
栗林先生は早いうちから、そう伝えていらっしゃったと思います。
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会ってみたい (モフモフ)
2011-10-23 11:53:53
花風社さんの本にいつもお世話になっています。
私は教員ですが、大地くんに会ってみたいと思っている一人です。
小学校のコーディネーターをしていると、四年生以降の児童の問題は複雑で苦労しています。低学年にうちは本人も周囲も気に留めていなかった些細な事が、中学年以降は学校に行けなくなるような事になってしまう事があります。
そういう子達に限って「自分を理解してくれない。認めてくれない。」という思いが強いのです。
高機能自閉症と思われる子にそういう思考回路の児童が多いです。
大地君にはそういう問題はなかったのか。栗林先生あたりは、中学年以降のその辺の自我の問題を見越して早いうちから指導しているのでしょうか。これを修正してやらないと、社会だけではなく周囲は敵だらけに思い込んでいきます。自分の思い通りにいかない時に、行き過ぎた攻撃を始める児童もいます。
本で想像できる大地君にはそういうところが見られません。だからか優等生の良い子のように思ってしまいますが、実際のところはどんな指導をされているのでしょうか。教えていただければ幸いです。
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私も同じです。 (ニャンコ先生)
2011-10-23 14:07:41
モフモフさんの書き込みを読んでコメントします。
特に問題行動があったわけじゃない。成績だって悪くない。それなのに学校に来れなくなる子がいます。
その子に言わせれば「だって皆が、だって先生が」といった理由があるのですが、周囲がみんな同じというのはあり得ないので、彼はどんどん傷ついていきます。
モフモフさんの気持ちがよくわかります。「みんなと一緒がいい」という気持ちをどのように育てているのかと、いつも知りたいと思っていました
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コメントありがとうございます。花風社の本をお読みいただきありがとうございます。
昨日この米を見て、白くま母さんとも話したんですけど
「やっぱり栗林先生対策取ってたよね」と。
おそらく遅くとも一年生のころから。
成人の当事者の人たちに聞き取りをしていると
もう三、四歳のころには、自分と他の子の違いに気がついているんですね。
そのときに「みんな違ってみんないい」と言ってあげなければいけないのはもちろんだけど
それだけでは足りないかもしれない、と思います。
この問題は「自閉っ子と未来への希望」のP235ではっきりと解決済みだと私は思っています。
この中で栗林先生と私のこういう会話があります。
「先生、大地君はどうしてあんなに前向きに頑張れるお子さんなんでしょう?」
「それは○○○」でしょう」
「○○○?」
私は、ASDの人は、現実を受け止める力はあると思っています。
なのに定型発達者側が妙な遠慮をしてしまう。
それが効果のない支援になっていると思う機会が多いです。
ASDの人たちを傷つけるのは「現実」ではなく
「現実のわからなさ」だと思っています。上記の本にも書きましたが。
だからこそ、いつもASDの人には本音で話してきました。
一番かわいそうなのは、こういう状態に置かれている子ども達だと思うのです。
周囲が伝えるべきことをきちんと伝えないで、ちゃんと学校に通い続けろというのはとても難しいですね。
それに、卑怯ですよ、よく考えてみたら。
「障害があってもなくても、先に生まれた人は先に天国に行きます。
そのとき、自分のことは自分で出来る人になっていようね」
栗林先生は早いうちから、そう伝えていらっしゃったと思います。