蓮、、、(はちす)を詠んだ詩としては万葉集には四つ。
御佩を剣の池の蓮葉に で始まる詩
詠み人知らず
13-3289
御佩=みはかし
蓮葉=はちすば
長い詩ですが、全文をお読みになりたければ、上の文言か13-3289と万葉集で検索をかけてみてください。
以下も同じようになさってくださいね。(全文を書くのが面倒なんですよ)
「蓮葉に」の直後に 「渟れる水の」と続きます
渟れる=たまれる
で、蓮の葉っぱに溜まった水ってこと。
蓮葉はかくそこあるもの
長意吉麻呂
16-3826
これは、確か以前にも紹介しました。蓮の葉はかくあるべきだな~ 家のは、ありゃ芋の葉っぱだって、、、、
これも綺麗な蓮の葉をみて、我が家の葉っぱは芋だ(つまりよその女性と、自分の嫁さんを比べて、家のはありゃ芋だって) 言っているもの。
これは蓮の葉を詠っていますね。
勝間田の池はわれ知る蓮無し
16-3835
要するに、この詩では花というより蓮そのものを意味しています。
そして最後、
ひさかたの雨も降らぬか蓮葉に
16-3837
これまた「蓮葉に」の後、 「渟れる水に」と続き、やはり蓮の葉の上の滴を言っています。
古今集には一句のみ
あんなにきれいな蓮の花なのに、葉っぱの上の滴を、宝石だってだましている、、、、なんて、こちらはお坊さんの詩。
何が言いたいのかですか、
これほど綺麗な花なのに、上代の歌集には蓮の花を真正面に捉えて詠った詩がないってことを言いたかったんですよ。
変ですね、、、、
なぜでしょうね~
私は道徳学者じゃありません、むしろ、彼らからすれば反面教師みたいなものでしょう。
ですから、泥から生まれてもこれだけの気品を保てるのだ、だから人間も、、、なんてことは申しませんが。
でも、私も不思議に思います。
この豪華さ、気品はどこから来るのでしょう。
人はあまりにも美しすぎるものを見ると言葉をなくしてしまうのでしょうか。
万葉集にはいくつか出てくる蓮の花も(といっても半分は葉っぱの上の露を詠ったものですけど) 古今集には一つだけ(? たぶん)、 新古今集では見た覚えがありません。
私も、この花は苦手。
なんだか心が平穏でなくって。。。。
まぶしすぎる花
この暑さ、ベランダに置いたゴーヤもさすがにぐったりしています。
でも、こちらのハイビスカス。海からの涼しい風と木漏れ日でとても満足している様子。
さて、これからピークを迎える今年の夏はどうなるのでしょうね。
今でも、影を探し、風をさがして、うろうろしておりますが、、
涼しやと風のたよりをたづぬれば
繁みになびく野辺のさゆり葉
式子内親王
何度も書いておりますけど、暑いですね~
でも岬の谷を渡って来る風はさらりとしていて、頬に心地よい。
東京のあのじっとりとした暑さを思い出すと、岬の夏は心を潤してくれる。
緑色の風には素晴らしい芳香。
風の来る方向を見ると、繁みには百合の純白の花びらが目にも鮮やかに輝いている。
うっとりとするような景色がそこにあります。
今日は暑かったですね。
昼間はあまりの暑さにぐったりとなっておりましたが、日が暮れるころになって、おいちゃんはチビ太をいつもの三軒屋の海岸に連れて行ってくれました。
まだ、日はあったのですが、海岸はとても涼しく、周りは金色に染まっておりました。
チビ太もお日様が沈むのを心静かに眺めておりました。
なんだか、いろんなことが心に浮かんで、、、、、
たまには、このような時間も必要なんですね。
友人たちは私のところにお客様があると安心しているみたい。
いつ発作を起こして、死んでいるか分からないって心配してくれているようです。
ということで、今日のお客様。
そして、こちらも
まあ、人里離れた山里でございますからして、二組もお客様があるなんて珍しいことでございますよ。