夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

三玄門  誰か助けて

2006年10月11日 22時13分19秒 | 芸術・文化
句中玄のことを聞いていた人がいた。

臨在の三玄門、「體中玄 句中玄 玄中玄」ですよね。
この解釈は私にはあまりにも難しすぎる。

行動の中に真理があり、言葉の中に真理があり、真理の中に真理があると解釈すると、臨在の真理は言葉では表せないっていうのに反してしまう。

私もこの言葉の意味を知りたい。
どなたか教えてくださる方をお待ちします。

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3 コメント

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言語道断、言詮不及 (赤い風車)
2006-10-13 09:16:10
質問の方からレスを別なところへ頂いてそれへの返事の一部ですけど。





ところで「三玄門」ある部分で「言語道断、言詮不及」に似ているとは思います。言葉では表せないもの、心理がある。勉強して、精進してそのレベル、その環境に身をおけるようになってやっとそれが体得できる。

だから精進しなさいってことでしょうけど。



お茶の世界で、質問を受けない先生が多い、疑問に思うのはまだ貴方がそこまで行っていないから、精進しなさい、そうすればそこのレベルに達して自然にわかりますってことでしょうけど、いつまで経っても疑問しかない私としては、先生もわからないんじゃないって言いたいときもあります。

なんて。

日誌のほうではこんな風な態度ですごさせていただいています。

だから変な人ばかり集まってきます。

困った困った。
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Unknown ()
2006-10-14 01:08:02
三玄門で知っているのは、赤い風車兄が書かれていらっしゃる範囲内ですが……



ただ、ふと、以前、拈華微笑の解説に出ていた話を思い出しました。

見当をつけた本が見当たらなくて、正確な文章を引用できないのですが、趣旨は概ね以下のようなものです。



「以心伝心」「悟りの境地」とは、表し得ないものである。

従って、拈華した釈尊は、既にそこで誤謬がある。拈華をする事が、既に「表し得ない」事を表していて、見苦しい。当然、微笑した迦葉も、既にそこで破綻をきたしている。微笑もまた、見苦しい。

しかし、ここで重要なのは、その見苦しさを、釈迦と迦葉が熟知して、尚も、その見苦しさや破綻を犯しても、何とか「悟りの境地」を伝えよう、教えようという、必死の真心がある事なのである。



……内緒話(笑)ですが、お家元の茶花の講義、全然解らないんです。でもって、「その解らなさが、長く、お教室に通って頂く秘訣ですから」と断言なさった方は、次期家元の奥様です。

チャーミングで聡明な、三国一の花嫁さん、次期家元の人生最大の功績は、その奥様をゲットした事だと、流の中では言われております



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判る講義 (赤い風車)
2006-10-14 11:01:51
講義をするとき、あるいは講演などでもそうですけど、全部平易な言葉で、誰もがわかりやすくやっちゃ駄目というひとがいます。

簡単に判っちゃうと、判ったことに重みがない、なにやら難しそうなことを言われて、考え続けてやっとわかるものがより見につきやすいってことなんでしょうか。

でも私は、1を言うのに10説明しちゃって、歳よりはくどいって嫌われます。

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