最近鳥を撮っていることが多い。
それも燕だとかコアジサシのダイブの瞬間とか、、、
師匠からは目にキャッチライトが入っていないなんて更なる難題を突きつけられて目を白黒させている。フレームに入れるので精一杯の対象なんです。
鳥でも、その辺の鳥、コサギでも、鳩でも、雀でも、ムクドリでも、もう少しこちらに余裕がある。何しているのなんて相手からメッセージを受けて、写真を撮っているんだよなんて、キジバトでもそんなシーンがありましたね。
犬や、猫はもっとその辺が強く出てくる。嬉しい、楽しい、煩いな~、ダルだよ、、
なんて気持がストレートに伝わってくる。写真はまずくても、そんな気持が写真に少しでもでてくれば、他の人にはくずでもかまわない。私には大満足。写真が楽しくなる瞬間ですね。
花は動かない分もっと、相手を見据えられる。こちらの求めるイメージとは別に、「どんな風に撮って欲しい?」って聞きながら相手の見て欲しい形を探していくのはとても楽しい時間。
知人はバラは一番難しい題材の一つという。もちろんこの人のレベルではそうかもしれない。私は自分が満足していればそれでいいのだけど、この人は自分の気持をその中に込めてその写真を見る人にも同じ気持を共有して欲しいと思っているから。一桁も二桁も違う難しさがそこにあるのでしょうね。
バラは美しい。そして自分でもそのことに密やかな自信を持っているように思える。
ともすれば、撮る人はその美しさだけに心を奪われるのじゃないかな。とすれば奥行きのない、情緒のないフォルムだけが出来上がってしまう。
風景はもっと難しい。風景にはもっと自分のメッセージを入れ込む必要があるように思えるから。風景をきちんと撮れるようになるまで、それも人に見せるということではなく、自分を満足させるものが撮れるまで、はたしてどれくらいの修行が必要なのだろうって、、、風景も撮りたいのですけどね。