立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

長棟山へ同行する

2021年10月12日 | Weblog

若い知人の皆さんが開拓されている登山道へ最後の切り開きと聞き参加する。

大多和峠の地蔵さん横より取り付くが若い人達の足手まといになっては・・・と、先に作業をされる様に促して進む。

久し振りに登る道であり懐かしい。途中には、薬研堀の跡が有峰と岐阜を結ぶ往来とし地中に深く残っていて、旅人が歩いて来る錯覚を覚える。

ブナの木が辺り一面に広がる付近から尾根筋に入ると大きい巨木が目に入る。巨木の根元には大きい穴が目に付く。

「熊のねぐら」であり。中は、大きく、掘られ、数匹の熊が越冬するには最高のねぐらとなっている。

進む毎に、大木の根元にはこんな穴が必ず開いている。こんな光景は見たことが無い。ここに赤外線センサーを取付けて観察すれば越冬する熊の生態

が判るのにと思ったりする。

服部裕雄さんが記していた「マタギ達」が信州や岐阜から有峰、高杉山へ狩猟に来ていた話を思い出した。この穴の大きさ、古さ、穴の数からしても

申し分のないものである。有峰の折立や東谷利用金所手前の鉄塔の下にある木の根元にも熊が数匹入れる穴があるのを思い出す。

先に、皆さんがいるので足を速めて進むと、少し開けた所にでると、切り開いた道が左右に別れる。左側には目印のテープがあるのでGPSで確認すると長棟山とテープの道と方向が一致するので進む。

松を目印に上手く使い、道が開かれている。植物もこれ以上は風が強くあたり成長はしていない。

途中から皆さんと出会い、笹薮の中から、後、30mとの声を聴き手伝いながら進むと、開けた場所に出る。GPSで計測して、この付近にあると皆さんが笹を刈り込むと、標高1692mの三角点の標識か゛地面から10cm顔を出していた。

皆さんが4回目に成し遂げた苦労が結ばれた瞬間だった。

改めて見ると、三角点の周囲は這松に囲まれた真中に設置されている。その周りには石が数個配列されていた。

周囲の刈払いを終えて、安堵した面々がテープに思いの言葉を記して吊るす。漸く、昼食となる皆さんの顔は達成感で一杯に見え、そこに同行させて戴いた事に感謝する。遠くの山々を案内されるが高い山と違い理解し難いが、この頂の下には小口川があり、その源流の頂である事だけは判る。その

川沿いの尾根筋には、、越中から続く、鎌倉街道が尾根筋に刻まれ、有峰から安房峠、信州、鎌倉への道として世に出した服部裕雄さんの30年間の

想いが、近くに見える東笠山を見ながら頭を過る。戦国時代には、この山奥の中を旅人や武士、商人、マタギ、地元人々が通っていても健脚でなければ歩けない過酷なものだったと想像する。あの深い薬研堀は、道に迷うことなく無事に歩ける立派な街道であったことだけは間違いない。

帰りは、仮払いした道を、其れなりに整理しながら降りると、登る時に気が付かなかった岐阜県、富山県の「境界見出標」が笹の影から姿を見せる。(地図では左側へ県境が降りている所) 右側に白く変色した大木がありベンチで座れるように笹を切り開く。

県境見出標はハッキリと読める。名古屋営林支局と明示。此の場所へ来たのは私の知り合いかも知れないと思った。

途中では紅葉したウラジロナナカマドが目に留まり心和む。

目印の松の木に到着し小休止する。(ここをベースキャンプとして長棟山へ向かったという)

山の日暮れは速いので帰り道を急ぐ・・・・

湿地を過ぎて、少し登るGPSは標高1590mを示している所で小休止する。奥にある木の先が雪で折れて横から新しい枝が3本上に伸びているので判りやすい。後は、尾根筋を降るのだが大木の根元を注意しながら歩き、ブナ林に着くとホットとする。

大多和峠駐車場に到着し、薬師岳が夕日を浴びて薄っすらと輝く光景を見ながら帰途に着く。

今回は、腰痛の手術をしてから1年間静養し、杖も使用しなくなって自分試しの登山でもあった。皆さんの仲間に加わり、怪我もなく無事生還出来た

喜びは大きい。

 

 


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