立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

うれ往来・鎌倉街道の再度草刈り隊

2021年04月27日 | Weblog

うれ往来・鎌倉街道で、草刈りの残されていた部分を早く刈りたいと雪解けから待っていたが、日曜日が雨で延び延びになっていたが、漸くその日を迎えました。地元の有志や飛騨、信州、東京等から馳せ参じて戴き決行する。

馳せ参じた皆さんの車、車、今回は強力なメンバーで実行する。

 これより峠までの林道を進む。飛騨・神岡と信州から山城の応援隊も参加する。

林道から、峠へ進むと隧道が現れる。この隧道は奥にある木材の運搬とその近くに住む人達の生活の道でもあった。

今回、一番活躍したのはチェンソーであり倒木を切るのに欠かせない。

歩くのにつまずかない様に綺麗に整備する。しかし、道の細い所もあり注意が必要。

一昨年に来た所で合流し、食事とする。

今回も草刈り隊10名と報道1名で激藪をクリアしました。

長かった約10Kの道のりを走破した皆さんの顔は満面の笑みがこぼれています。あの激藪の中で虫に刺されたり、笹の葉で顔に擦り傷を負ったり、サングラスを落としたり、のこぎりを折ったり、それでもこの人達を引き付けるのは先人が造った「うれ往来・鎌倉街道」での「深い薬研堀」との声が聞けました。

2年前に取材に来てくれたKさんが今回も細かく撮影に挑んでくれました。

「うれ往来・鎌倉街道」が造られて約500年経過の中で2度目の撮影となりました。

 長かった苦労を思い出し、皆さんの顔には何か去来するものが見えた。

綺麗になった道跡は歩き易く、帰りは5年間の苦労も吹き飛ぶという。うれしい声が聞こえた。

道跡を振り返る皆さん

漸く、道跡の帰りに寄る隧道の前で苦労を共にした面々・・・

多くのアドバイスを戴いた皆さんも、職業に関係なくこの道跡に心を引き付ける魅力はどこにあるのか・・・不思議だ。

この道跡には魔物が宿っていて私達を見守っている気がする。

有峰まである道跡が解明されれば歴史の一駒が解けるので若い皆さんに期待したい。

まだまだ、続く道跡探しは楽しい。

 

 

 

 


数百年間から目覚めるうれ往来・鎌倉街道を行く

2021年04月17日 | Weblog

今回、山好きの山仲間達とうれ往来・鎌倉街道を案内する。山好きの先生にはビデオ撮影を兼ねて参加をお願いする。

また、うれ往来・鎌倉街道は此れより奥に祐延・有峰等があるのでベテランのEさんにも参加をお願いして行く。

皆さんには地図を渡して途中までの一番薬研堀の奇麗な所を案内する。

此れより林道へ入る皆さんは足取りも軽い。

道跡発見場所から細い薬研堀を進むのだが皆さんここからは足が速い・・・・

 両サイドから迫る薬研堀は熊野古道とは違った空間で皆さんに語り掛けている。

敵が槍で迫ったら逃げる事は難しい。また、敵から姿を見られないで進むにはこの道跡しかない。

若い皆さんは足取りも軽いね。

この付近迄、薬研堀は一番判りやい。この道を造った先人達の苦労と通過した人々の思いが交差するのは私だけだろうか・・・・。

道跡を進むと林道にでる。この上にも道跡はあるが林道に消されて一緒になる。

足元には、イノシシのヌタバがあり5年前から場所は変わっていない。

林道から前方に尖山を望む。一番人気の山だ。

林道から富山平野と常願寺川を望む。

林道の法面には、立山の火山灰が堆積した赤い土が露質している。ここでしか見れない。

ブラジルへ行った時にこんな土の上を歩いた経験がある。

今回参加された面々です。

うれ往来・鎌倉街道(水須-中滝)への登山者は、数百年間は誰も知らなくて未知の世界から漸く目が覚め、初めて登山者を迎えてくれました。地元の人達も道跡があるとは聞いていたが道を全部走破はされていなかった。

ここ迄、皆さんを案内しましたが、水須ー中滝間は地元の関係者含め、飛騨や東京の方々も含めて20名の方々の協力で激藪を切り開きながらあの深い薬研堀を辿りここに至ったことをお伝えします。

一部の道跡案内でしたが、うれ往来・鎌倉街道への歴史を刻まれた皆さんに感謝いたします。まだまだ、道跡への知らない所が多くあり皆さんの力添えをお願いします。

ご苦労様でした。

 


うれ往来・鎌倉街道を行く 2

2021年04月13日 | Weblog

富山に在った「うれ往来・鎌倉街道」を求めて雪の解けた山の中を歩く。林道の雪も少なくなり、漸く長い眠りから目覚めた尾根筋の道跡は、快く、私達を受け入れてくれる。

林道横のマーキングは風雪に耐えて道跡へ誘導してくれる。

深い掘り込みは左右に揺れながら迎えてくれる。

この掘り込みは深く、横にも浅い掘り込みがある。

雪が残っていて歩くには良いのだが良く穴に落ちることもあるので危ないね。

何故か道跡は二つに分かれているが上に20m進むと一緒になる。不思議な作り方だ。

何度来ても理解しがたい道跡なり。

 


うれ往来・鎌倉街道の春を行く。

2021年04月02日 | Weblog

連日の快晴と視察への協力を兼ねて熊野川・中滝より川沿いに中滝山迄歩く。

 熊野川・文華橋左側から上流を望む。

 共に参加された皆さんは鎌、のこぎり等で草を刈りながら進む。

地元のМさんも説明しながら進む。

地元に居ながら、大きい掘り込みは子供ながらに遊びに来ても関心はなかったという。

横の石仏も知っていたという。横の小石塚については関心がなく初めて知るという

 山の竹藪にある段々の傾斜は知らなかった。

山の東側斜面も案内すると同じ段々があるのにビックリされている。

さらに土塁についても知られなかった。

幅4m、高さ1.5mある。長さ50m位あり。周囲はイノシシによる穴が掘り返されている。

身近な高台であり、整備されれば素晴らしい散歩道になるのだが・・・・

私としては山城の跡と確認する。この上には湯端城があり、奥には中地山城があり、飛騨・江馬城主が作ったことは否定できない。

それらを確認出来るのは、一本の道 「うれ往来・鎌倉街道」が姿を保ちながら数百年間の間、現存している事実です。