今年初めての称名滝を見に行く。秋は雪解け水で水量が多く豪快に落ちているが横の悪城の壁には雪が多く残っている。
駐車場横には、カタクリの花が冬眠から覚めて花を咲かせていた。
生き生きと、花びらを一気に伸ばしている姿は見事だった。
カタクリの姿に圧倒されて写した姿は春の妖精に見えた。
何時もお世話になっている飛騨・神岡の皆さんに同行し、長棟へ行く。
富山に居ながら、飛騨の東茂住から入るので朝8.30集合の東茂住へ着く。
飛騨の皆さんと打ち合わせする。私の車には飛騨のYさんが乗る。
この道の下に集落があったとのとの説明を受ける。
長棟に着き、開けた広い所に長棟神社があった。その周辺には、石垣があり多くの人達が暮らしていたと思われる。
今回、参加出来なかったEさんの故郷である。
しかし、この辺の木には熊だなが多くあり、見事な熊だなも、今年の大雪には勝てず枝が折れているのが解る。
夏から秋に架けて作られるのだが、山の上まで熊だなが多く見掛けるのと、水芭蕉も多くあるので熊には絶好の住かと思える。
集落を過ぎる所に石仏があった。
道は荒れて車が進めないのでここから歩いて池の山へ進む。私の車は、四駆が作動しなくて途中でスリップして登れないので皆さんの車に分乗して進む。
鉱山の試掘跡が周辺の山々で見れる。前方には薬師岳が見える。
尾根筋には、試掘した掘り込みが10m間隔で上に付いている。
池ノ山頂上に三角点があり360度の展望が出来て白山、剣、薬師岳、槍ヶ岳等を望めた。
山を下って長棟へ降りて、対岸にある石碑や石仏が多くあると皆さんから聞き川を渡ることにする。
渡るのに倒れた杉の木の上を恐る恐る渡る。対岸に付きホッとする。
この前には、1.50cm幅の道跡がある。右側から3番目の倒れた石仏を起こして置く。杉の裏側にも墓石がある。
大山佐平次さんの石碑だというが川側に倒れているので字は確認出来ない。石碑の前には道もあったというが見当たらなかった。
石仏調査をする一行と共に、少し、上流に向けて道跡を進むと杉林の中は屋敷跡の雰囲気がある。それを過ぎると白い紐が30m位
続いている。誰か来た時に置いて行ったものと思えた。(家に着いてから、昨年この場所へ来たМさんに電話すると7月に来た時は、激藪で道跡が解らなくなるので置いて来たという)
調査を終えた皆さんも一日の疲れが出ていた。しかし、帰りも、細くて、危険な、長い道のりを注意して茂住へ降りる。
来てみて判ったのは、富山県でありながら生活は飛騨との交流が主に行われていたと想像できるし、この鉱山を飛騨の戦国武将が知っていたと思える節が飛騨の皆さんから聞こえてくる調査であり、この川沿いに歩いて行けば富山の福沢に出れる道なので歩いて見たい気持ちになる。
前から気になっていた箇所へ行く。
天気も良いので、うれ往来・鎌倉街道の随一展望の利く場所を訪れてまずは一枚写す。
林道の山側に露質している赤い土を調べるのにサンプルを取り調べることにする。
うれ往来・鎌倉街道の中で気にしていた掘り込みを探すと間違いなく掘り込みは浅いがあった。
雑木の枝を切り払い、掘り込みを辿ると平坦な所に出る。
大きい松の木があり、その付近には植林された杉の木が林立している。
本道があるのに迂回する道を作りこの平坦な所へ導いている。何をする場所だったのか思いつかない。
狼煙を揚げる所か・・・・ 見張り台があったのか・・・・
松の木の横には、丸く、暖かそうな寝床が日を浴びて作られている。有峰でイノシシが笹薮の中で作っていたのを思い出した。
平坦な先には本道への浅い掘り込みが続いていた。此の平坦な場所は再度調べたいので次回に託す。
帰りにはあの深い薬研堀を歩いて来る。