富山に居ながら、近くにあって行くことのなかった砦跡へ友人と出かけました。
友人は、県内、県外等へ職場を退職してから多くの史跡を探訪していますが、私は、
全く、感心が無かったのですが天気に誘われて・・・車から少し歩くと急な登りとなり案内看板が置かれていました。整備されていない道には杉が植林されていて私には友人の説明で何とか分かるのですが、堀、掘りきり、張り出し、堅堀、本殿跡等案内されて先人の城造り
の凄さを感じました。
こんな地形の設置場所を選んだ事、中の作りの複雑さは迷路そのものである事、日頃の住居としての城造り、上下の設定された住居跡、其の中にも本殿との格差を知る掘切り等があり詰将棋の様相が実感出来ました。
でも、最後は陥落したと聞きましたが、刀、槍、弓等の時代であり豪族の権威を誇るものであったと想像し時代の片鱗を見て来ました。
東日本大震災の災害地も、こんな時世であるからこそ地震・津波に強い地形を選定し生活区間と住居区間を設定する都市計画が必要ではなかろうか・・・・此れこそ、政府の強い指導力が必要であり、先人の知恵を参考にしながら住みよい計画を実行してほしい。