先日、私の所属する会の知人から「奉納剣」が、近くの駅前の通リにある個人の自宅前に地蔵さんが有り、地蔵さんの祠の上に「奉納剣」が2個あるというので、午後からの用事を済ませてから見に行く。そのǸさん自宅へ着き、声を掛けるが留守だった。自宅前にある商店の女将さんが「今は留守だわ。」と、知らせて繰れる。
地蔵さんを見に来た。と伝えると、女将さんは過去の事をいろいろと聞かせてくれる。「地蔵さんの横には道が有り、小さい池があった事、よく水を汲みに行った話」等を話される。するとǸさん自宅前に車が泊まり、買い物をされ、荷物を降ろされているので詳細を話して写真を写させて戴く。
長く大切に保存されている祠だった。
日頃から手入れ去りていて花も添えてある。 祠の前にはどこかで見掛けた種類の石が置いてある。 山の神社で見掛けた同質の石だ。何故ここに・・・・
祠の上には、「奉納剣」が2個あり、釘で打ち付けてある。
奉納剣の造りは、薄い鉄板で造られていて、右側と左側とは長さが違い、形も違う。
右側の剣は山間部の神社、薬師岳山頂に納められてた奉納剣と同じであった。
だが、左側の奉納剣は独特の雰囲気であり見た事があるが思い出せない。
もしやと思い、違っていたらまずいので言えず、詳細を聞き、写真を写し、お礼の挨拶をして帰る。
祠を建てた人の名前が石に掘り込まれていた。
「昭和八年四月設」、「杉木三四郎」と、刻まれている。
家に帰り、近くの神社で昨年見た奉納剣の写真を引っ張り出して確認する。
あった。形は、小さいく、短いが、造りや模様が似ている。真ん中の両脇にある小さい穴もある。鉄板の薄さもにている。ただ、近くの神社のは祭壇の脇に立掛けてあり、木に打ち付けてはなかった。
有峰の人々の願いは薬師岳信仰であり、有峰から里の人達へ伝えられ、現在も里の近くの祠に「奉納剣」があるとは想像もしなかった。
里から32キロ奥山の有峰から、山の尾根筋にある深い薬研堀を人々は信仰の願いを心に秘めて「ウレ往来・鎌倉街道」を通じ、里の賑やかな街中の祠に
伝承されている信仰の深さが読み取れた。
薬師岳山頂に奉納されていた奉納剣(大山民俗資料館にて)
それは薬師岳山頂まで願事を届けられなかった人達が、里の祠に願を込めて「奉納剣」を納めたと言うのが正解かも知れない。
早速、最初に知らせて繰れた知人に知らせる。本人もビックリしている。
少し、関係者に会い詳細を知りたい。