立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

昭和45年頃の電話機が出て来る。

2024年07月03日 | Weblog
 近頃は、時間の許す限り品物の整理をしている。
 昔懐かしい物が。物置の中から出て来る。捨て難く、懐かしいものが多い。
決して高価なものでもない中に、店先に置いていた電話機が出て来る。
     
上からお金を入れて、ダイヤルを回すものからプッシュ式に変わって世に出て来る。電話局からは、進められて置いた機器である・前面には、バトーカーの絵、 110。・消防車の絵、 119。と要件を間違えない様に絵で記してある。
     
      横には、鍵が掛かっている。
 回転式の番号機の跡に出て来た、プッシュ式の型であり、現在の初期の型である。当時、一秒でも早く応対できることに皆さんが満足されていた事を思い出す。しかし、忙しい時にお金の両替に呼び出されるのが面倒だった記憶がある。都会では、重たくて、大きい携帯電話が出始めている頃だった。



里にも会った「奉納剣」。

2024年06月11日 | Weblog
先日、私の所属する会の知人から「奉納剣」が、近くの駅前の通リにある個人の自宅前に地蔵さんが有り、地蔵さんの祠の上に「奉納剣」が2個あるというので、午後からの用事を済ませてから見に行く。そのǸさん自宅へ着き、声を掛けるが留守だった。自宅前にある商店の女将さんが「今は留守だわ。」と、知らせて繰れる。
 地蔵さんを見に来た。と伝えると、女将さんは過去の事をいろいろと聞かせてくれる。「地蔵さんの横には道が有り、小さい池があった事、よく水を汲みに行った話」等を話される。するとǸさん自宅前に車が泊まり、買い物をされ、荷物を降ろされているので詳細を話して写真を写させて戴く。
     
      長く大切に保存されている祠だった。

日頃から手入れ去りていて花も添えてある。 祠の前にはどこかで見掛けた種類の石が置いてある。 山の神社で見掛けた同質の石だ。何故ここに・・・・       
       祠の上には、「奉納剣」が2個あり、釘で打ち付けてある。

 奉納剣の造りは、薄い鉄板で造られていて、右側と左側とは長さが違い、形も違う。
 右側の剣は山間部の神社、薬師岳山頂に納められてた奉納剣と同じであった。
だが、左側の奉納剣は独特の雰囲気であり見た事があるが思い出せない。    
 もしやと思い、違っていたらまずいので言えず、詳細を聞き、写真を写し、お礼の挨拶をして帰る。
     祠を建てた人の名前が石に掘り込まれていた。
    「昭和八年四月設」、「杉木三四郎」と、刻まれている。

家に帰り、近くの神社で昨年見た奉納剣の写真を引っ張り出して確認する。

   

 あった。形は、小さいく、短いが、造りや模様が似ている。真ん中の両脇にある小さい穴もある。鉄板の薄さもにている。ただ、近くの神社のは祭壇の脇に立掛けてあり、木に打ち付けてはなかった。

 有峰の人々の願いは薬師岳信仰であり、有峰から里の人達へ伝えられ、現在も里の近くの祠に「奉納剣」があるとは想像もしなかった。

 里から32キロ奥山の有峰から、山の尾根筋にある深い薬研堀を人々は信仰の願いを心に秘めて「ウレ往来・鎌倉街道」を通じ、里の賑やかな街中の祠に
伝承されている信仰の深さが読み取れた。
    
    薬師岳山頂に奉納されていた奉納剣(大山民俗資料館にて)

 それは薬師岳山頂まで願事を届けられなかった人達が、里の祠に願を込めて「奉納剣」を納めたと言うのが正解かも知れない。

 早速、最初に知らせて繰れた知人に知らせる。本人もビックリしている。
 少し、関係者に会い詳細を知りたい。




 



水須山に向けて再度進む。

2024年05月28日 | Weblog
前回は、水須山新林道から林道終点へ登ったが、肝心の物を忘れ記録することが出来なかったので、再度、挑戦する。入口に車を停めて歩くのには心地よい。二人で独占する空間は気持ち良い。
      林道の両側は間伐されて見透視は良い。

 山の主たちの心配より、自分達の体力が気になり友と無理のない進み方で進む。若い杉林が日を浴びて生き生きとしている。
 贅沢を言えば山道と違い歩き難い。まだ、修行が足らないね。

ここでは造りたての林道なので斜面が少し崩れている。車はここ迄と思う。
 林道終点から溝沿いに登ると炭焼きの窯跡が目に入る。
この付近迄の標高890mであり、右側の尾根筋迄約70m~80mと確認出来た。草刈りの用意もして来たが、午前中で帰る予定なので引き返す。つづれ折れの道を横切り近道で車止めに戻る。この尾根筋から水須山へ向けるこのコースが「ウレ往来・鎌倉街道」に安心して行ける目的に合致している様に思えるがそれまでの新規開拓の道のりは長いね。




今年も姿を見せる立山の雪形「カモシカ」さん。

2024年05月16日 | Weblog
立山・室堂平へ行かないと見れないカモシカさんが姿を現す。
 立山黒部貫光KKライブカメラより。(令和6年5月13日現在)

  昭和56年5月に雪形を見付ける。
 当時、幾度か通いながら一人で楽しんだカモシカの雪形。後日、友達に雪形での山の楽しみ方を知らせたものだ。
多くの人々が訪れているのだが雪形については余り知られていない。
立山アルペンルートの宣伝に「雄山山頂中腹のカモシカ」さんも加えれば楽しみも増えると思う。


懐かしい昭和43年~45年・第3回立山スラローム大会(ルフトハンザ主催)

2024年04月25日 | Weblog
雨の日は、老いたる時間に誘われて写真のネガを整理している。そんな中に見付けたネガに、昭和43年から45年に立山で全日本選抜スラローム大会が開催された時のものがあった。
立山・ライチョウ沢での開催については、国立公園内であり、富山営林署の管理ないであり厳しい中での開催であった。日本で、標高2500mの高地での開催は初めてであり、ルフトハンザ航空さんの肝いりで開催に扱ぎ付けた。

 後ろには、第3回立山ルフトハンザ全日本選抜スラローム大会とある。
 旗の前で記念写真を写す。これが世界のトップ選手の服装と長いスキー。
 
 当時、自衛隊さんも役員として応援に駆けつけているのか判る。
 サインを戴く知人。彼は、このヤッケを持っているだろうか?
カール・シュランツさんやドイツ選手がこの雷鳥沢で滑ってくれた。
あれから54年、写真の整理をしなかったら私の記憶の片隅で「そんなことがあったな・・」で終わっていたと思える。当時、29才頃でありスキーの楽しい時期だった。
 金具は、マーカーで靴は金具付きであるが長い皮ひもで靴を縛っている。
どれを見ても懐かしいものばかりである。計測も時計の大きいものと無線だった気がするが記憶は定かでない。
今回、ネガも、色がさめているが我慢しながら載せて見ました。当時を知る方が御出ででしたら立山の雪山を想い出して戴ければ幸いです。










雪解けの、うれ往来・水須へ

2024年04月16日 | Weblog
 晴天が続き、山行きで気持ちが落ち着く。ルンルン気分で車を走らせて行くが道の縁には小石がところどころ見掛けるが危ない所はないのでスムーズに進める。途中出会った人に聞くと奇麗に道は行けると聞く。両側の山々やは新緑が芽生え始めている。水須に新しく出来た林道入口に車を停めて林道に入る。

まだ、誰も来ていないので出来たばかりの林道を進む。道には、杉の枯れ枝が落ちているので拾いながら進む。20回位の曲りを進むが林道の両側が伐採されているので見透視も良く、安心して進める。
杉林を間伐されている所に深い穴があった。良く見ると炭焼きをした窯の跡と判る。横には広場があり寝泊まりした小屋の跡と判る。昔の人達はここ迄来て墨を焼き、担いで里迄降ろした苦労が偲ばれる。

東側には、水須山へ続く谷が杉林の中から姿を見せてくれる。

       

 炭焼きの跡から右側へ約10m進むと、林道の終点に着く。手前には、深い薬研堀の様な溝か゛現れる。「もしや・・・」と、思うが半信半疑なり。今まで「ウレ往来・鎌倉街道」とされている「水須から水須山」への道に新しい道跡があるのか・・・。と、一瞬疑う。この付近は標高850m位と思われる。
この付近の尾根筋は、900m位なので約50m登れば尾根筋に着くと思われた。 今回は、時間もない中をごご3.00より、天気に誘われて出たので肝心のGPSを持参しなかったのが悔やまれる。次回の楽しみにしたい。
       


雪解けの、うれ往来・鎌倉街道偵察へ

2024年04月02日 | Weblog
3月中旬の大雪もヤット溶け出し、我が家の周囲も春の訪れが始まる。
  土が多く目に映る粟巣野スキー場。

里での仕事を済ませ「ウレ往来・鎌倉街道」の小口川にある水須へ向かう。
道は、雪解けも進み順調に車を走らせる。
水須近くの道路には雪も残り車の輪達が付いている。
ここ迄来ると橋の上からは40cmの雪が残っていて行けない。水須迄は約500m位あるので諦めて引き返す。来週は先へ行けるか知れない。。

途中から見る水須山の山並みが続く。雪が多くあるのが見える。
左側より二番目の山の下にある谷が深く行先を阻み、昨年は雨が続き敗退した。
今年は、是非、谷を通過して尾根筋に辿りたいと願うのだが、私には残された体力を上手く配分出来るか気になる。昨年、林道工事が標高850m迄出来たので其処より尾根筋を辿った方が雪もあるので歩き易いのかも知れない。





立山・弥陀ヶ原ー大日平間にあった「吊り橋」の復元協力の話。

2024年03月22日 | Weblog
 元々あった「吊り橋」(昭和44年迄現存した)を復元する話は、前に聞いていたが、今回、知人から再度詳しい内容計画を聞く機会を戴きました。国立公園の特別地域内であり、環境庁の管轄内の厳しい調査が想定されるという。
 登山者の一人としては、称名峡谷を上から眺められる絶好の吊り橋と言えるので是非、復元できる事を願いたい。今回その資料を戴いたので啓蒙したい。

 GoogleEarthより、大日平ー弥陀ヶ原を流れる称名川峡谷。

昭和44年頃にあった「吊り橋」には多くの登山者が行き来していた様子が記載されている。
 


時は流れる呉羽山。

2024年02月27日 | Weblog
近くに居ながら、十数年振りに呉羽山の展望台に行く。
曇天だが、立山を仰ぐには最高の展望が効く。ヤッパリ来て良かった。
新幹線が目の前を走っている。よく見る光景に誘われて一枚写す。
AМ10.30ころだった。富山駅や神通川を越えて来る新幹線は初めて見る。

新幹線の全体像を、上から見るのはこの場所と判る。新幹線マニアには最高の場所であり、富山駅出発時刻を表示する看板も観光戦略の一つと思えた。
もう少し、自然を保った景観でこのところを広くすれば良いのではと気に掛かる。

多くの旅人を乗せて走る新幹線を眺める。3月からは福井迄というが、早く大阪迄開通することを願う市民なり。
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早い梅の花満開

2024年02月21日 | Weblog
里の梅は満開となる。6月頃には大きい梅の実がなることを願い花びらを眺める。


雪溶けも終わり、春の装いになれば庭の手入れが始まる。
隠居の身も体を動かす日々となる。