立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

丸坪山・論田山城跡への散策

2022年11月27日 | Weblog
神岡の知人からの電話を受けて、若いEさんを誘い丸坪山の手入れと、論田山城跡を訪ねる。

     下の安蔵線林道と右側の旧安藏道。

 丸坪山の手入れはEさんが早々とする。当方の機械には苦労する。
 上野台地と大川寺、常願寺川、日本海が望める。
    冨山平野が先日と違いハッキリと見え、一番好きな風景。

      論田山城への途中にある発電所の貯水地。
称名川より水を引き、この高台から落差を利用して発電され、中地山発電所へ
送られ、その後も、幾つかの発電所を経由している。
 貯水池から少し進むと、土塁が現れる。それに沿うように杉が植えられている。

    土塁の東側は急斜面で登れない。

  城跡頂上から東側に尾根筋を深く切り外敵に備えてある。
当然、尾根筋の両側は急斜面で敵を防ぐ様に造られている。
 尾根筋の切り込みから先には、立山連峰を望む展望が素晴らしい。
   西側にも土塁が見られる。下には、来た時の林道が見える。
 今回、須坂市と神岡からの中世史の専門家さん達と同行する。
丸坪山での手入れも、若手のEさんの働きで直ぐに終わり、専門家の跡を追う様に論田山城跡へ向かいう。地元に居ながら初めてあり胸躍る。赤色立体図を想い浮かべながら進むと良く理解出来たし、現場も確認出来た収獲は大きい。
年内に現地を見たいという県外の皆さんの熱意に圧倒されました。細部についても話を聞く機会を戴き有難う御座いました。



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丸坪山へ知人を案内する。

2022年11月20日 | Weblog
前日に、何時もお世話になっている県外の知人から電話を戴き、丸坪山を、再度歩いて細部を確認したいと言うので待ち合わせし同行する。
 湯端城付近からの立山連峰と鍬崎山、尖山、常願寺川を望む。

  昔から洪水を繰り返している広い川幅と歴史ある街道。



 林道から車で入り、古道の一番細い所に着く。

   両岸を結ぶ線を引き、目測で土砂の質量を計測する。

  薬研堀は、歩く人の姿を一目に付かない様に造られているし、敵を両側から攻撃するに最適な距離感があるという。槍の長さが届く範囲いないの幅があり、深さも準じて作られていると言う。

         尾根筋の堀込を歩く。

 久し振りに訪れて、深い堀込を写真に収める知人。

 尾根筋での地形を記録する。数か所にある広い所は、兵の休憩場所であり、
何処からも見えない所に設置されている。また、掘り込みを造る人々の野営場所ではという。
     林道周辺は、紅葉も終わり掛けている。
 林道を進み、最後の所に倒木が道を塞ぐ。車でけん引し何とか移動させて
駐車できる所に到着する。約20m登ると丸坪山の頂上にある看板が目に入り、知人も思わずニッコリ。草刈り時には本道を通過していたので初めての訪問となる。
 丸坪山の頂上に、不思議な道跡があり案内する。横堀ではと聞く。
私には見当も付かなかったが、知人は周囲を散策し、其れなりに山城の知見を大いに発揮される。
 快晴が続き、富山市内が一望され、新湊、氷見、能登まで見える。

 有峰から、尾根伝いの深い薬研堀を歩いて来た人々は、この風景に安堵したのではないだろうか・・と、想いを馳せる。戦いの戦国武士達も、この地形を見ながら作戦を考えたのではないかと悠久の時を振り返る。
東小俣の神社を案内し、ここから熊野川沿いにある古道を案内すると、川沿いの道に熊の糞を見かける。臭いの強い銀杏を食べているのには驚く。銀杏は体内で消化されないでそのまま出ている。慌てて写真を撮る。
  銀杏、柿の種があった。食べるものが山には無いものと思われる。里も寒くなっているので越冬に向けて熊も栄養を蓄えていると見える。





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鍬崎山・尾根筋の不思議

2022年11月14日 | Weblog
 前から気にしていた鍬崎山の南側に数本ある尾根筋に、「トラオトシ谷」がある。
 その尾根筋に段差が、真川に向けてあるのを発見する。数段の段差であり、航空写真でも大まかな段差を確認出来た。尾根筋は、真川から登ると鍬崎山へ続き、其れらしき道跡も垣間見る。国土地理院地図でも、登高線は、緩く描かれていた。段差の真中には道跡らしき切り込みが上に向けて続く。
 
 白い枠の尾根筋。
 有峰湖から立山カルデラへ向けて跡津川断層がある。その副断層による地すべりとも思えるが、階段状の真中に道跡では・・・と、想像を逞しく
 素人の凡人である隠居は厚かましく専門家を訪ねて行く。先生は跡津川断層の副断層ではとの返事を戴く。また、階段状の真中にある黒い線は道跡と思える。との返事を貰う。先生からも国土地理院の写真から(5月の航空写真)鮮明な地形を写して戴くと、階段状の切れ目が尾根筋に現れる)。

 有峰には鉱山があったとの記載は知らないが、大山佐平次が有峰で生活し、後に加賀藩が佐平次に長棟鉱山を開発させ、加賀藩に収めて居る記録がある。   有峰の砂金を取り出したところも未定であり、この鍬崎山の尾根筋に多く切り込みが点在する不思議は心を揺さぶる。「池の山鉱山」の試掘跡と合わせると良く似ている。(尾根筋の両脇に点在する試掘跡と同一であり、上下の距離は約30mある)
 鍬崎山は、埋蔵金伝説もある山であり、戦前、戦後には多くの一攫千金を目指した人々が多く訪れた事は間違いない。昭和20年代~40年代に向けて、里で泊まり山へ入った人達の話は良く聞く。当然、我が家でも泊まった人達が数日、山へ入って、帰りには次回に来るからと荷物を預かった記憶がある。
 また、単身で来た青年もあった。
 隠居の近くに住む、故人から鍬崎山の写真をと頼まれたこともあった。
 後日、この人は単身で鍬崎山を東西に分けて尾根筋を登山され地図に記載されていたのを家族から戴いたままになっている。
 鍬崎山の各尾根筋にある筋は有峰の山師、大山佐平次とその一族が刻んだものなのか記録はないが、「ひたのまた大谷」へ有峰部落の4名に、佐兵衛の
要請によって、一村の人々を指揮してほうれい鉱山を採鉱し請け負っている。
 鍬崎山・尾根筋地形に刻まれた跡は、今も山中に残っている。

 隠居も、一回り若ければ現場へ行きたいが悟りの境地なり。












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長棟・池の山へ

2022年11月04日 | Weblog
冨山・長棟へ3回目となる。東茂住から林道を一気に車で登り峠を越えて長棟に入る。林道は山林用で整備は余りされていないので軽四の四駆でないと厳しい。時速20キロでの走行となる。それでも車の腹からコツン、コツンと音がする度に気になる。漸く、現地に入る。

 今回は長棟川に倒木が倒れているのでそれを利用し橋にすることと、大山佐平次石碑の調査が目的であった。





  対岸の墓地にある六地蔵。その他にも多くの石仏を目にする。

 大山佐平次石碑を調べる。大きい。厚さ40cm、高さ190cm、幅120cm、ある。

今回、石碑の表の撮影を試みるが数回のシャッターはピンボケで写らない。
何故・・・と、心が騒ぐ。20cmの空間へスマホを差し入れて撮った所綺麗に撮れた。間違いなく大山佐平次石碑と確認する。石碑の裏側も苔で見えなかったが、天明六年十月と読めた。横の細かい字は読めなかった。

  帰り道には地蔵さんが暖かそうな服をまとい冬に備えていた。
 再度、訪れて鉱山師の安全を願った地を見てみたい。
   完成した倒木の橋。
   薬師岳は新雪いだき冬の到来を告げていた。
    池の山手前から槍ヶ岳、穂高の山々を眺める。


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