goo blog サービス終了のお知らせ 

立山のおじさん

北アルプス 立山山麓物語

ウレ往来を通じた奉納剣探し

2023年03月18日 | Weblog
昨年の暮れから気にしていた、奉納剣が身近にあったが降雪で現地へ行けなく
漸く、地元の人達と現地へ行く。
  当日3日前の現地の橋と川。
 関係者待ち合わせてこの坂を登る。
3ケ月振りに祠の前に着く。お祓いは厳かに行う為、榊も用意されていた。
 祠を管轄している熊野神社宮司さんの祝詞を受けてお祓いを済ませる。
  祠にある奉納剣の全体像長さ42.8cm
 奉納剣の縁には、幅5ミリの縁とりがある。
錆びているが「作」と読め、上の名前の部分は錆びて不明。
奉納された奉納剣を計測する。
 奉納された鏡の裏に・・「明治38年」・日露戦役凱旋記念
  道野亀太郎  小鍛冶と刻んである。

念願の祠の調査も、宮司さんのお陰で無事調べる事が出来ました。此れも「ウレ往来を通じ、各村々へ、山の神への願い事が浸透して行ったものと推測できる随一の証と思えた」。「山の神である薬師岳まで行けない人々は、集落の祠に願事を託した」と、当時の様子を垣間見る機会を戴く。
元あった祠の鬼瓦の調査も兼ねて山を降り、関係者の皆さんにお礼を申し上げて解散する。


春は足元に・・・

2023年03月12日 | Weblog
連日の晴天が続き、里の庭には梅の花、椿の花が咲き出している。



祖父や親が植えた梅の木、椿が庭に咲き出す。


天気に誘われて、古道探しの某林道へ行く。
この橋から先には雪が有。

この先は雪もあるので諦める。
この沢の上には集落があり。暮れには皆さんと来る予定だったが降雪でこれなかったが雪も溶けているので登れると確認。
来週は来るのが楽しみなり。

祭日のスキー学校さん

2023年02月23日 | Weblog
午前は天気も曇りだが、スキー学校は生徒さんと父兄の応援でスキー教室は賑やかなこと。子供達の顔にも笑みが見える。

  8.00には満車となる。

   昨夜からのテント組さん。楽しそうだった。今年、3組目のテント。

  スキー学校の先生方も忙しそうに指導されている。

  若い係員さん。親切な言葉で誘導。


  先生方も、スキー組とブーツ組で徹底指導。伝統は続く。

 付き添いの父兄にも熱が入るスキー教室。


大山歴史民俗館で見掛けた奉納剣は・・・

2023年02月16日 | Weblog
富山市亀谷の大山歴史民俗資料館へ行き、係員の方にお願いし薬師岳山頂の祠に奉納されていた奉納剣を見せて戴く。
 立派な奉納剣で、大、中、小、の3本の剣が展示されていた。
少し、照明が暗いが、刻印されている奉納剣の横には「会長 和澤清吉」と記されていた。小の奉納剣には、「ヨネ」と刻印されていた。大きい奉納剣には刻印は無かった。
 係員の方に、江戸時代には会長の名前は付かないが、明治、大正、昭和時代に奉納されていたのではと聞く。係員の方も同調される。




この奉納剣が気になり、家に帰ってから調べ出すと面白い結果が見えてきた。
江戸時代以前からでは無く、昭和25年代に奉納されていると推測する。
確かに奉納剣は鋳物の様な厚さでで造られている。そうであれば薬師岳山頂の祠へ奉納された最後の奉納剣になると思われるので、造られた製造元が判れば素晴らしいのだが・・・・
 その頃に、近くでダム工事が始まり、「完成への無事故を願った」ものと推測すれば奉納剣の意味が該当する。
 少し時間を掛けて調べたい。


快晴のスキー

2023年02月10日 | Weblog
地元のスキー場で初すべり。

     立山山麓で一番好きな展望の効く風景。
    指導員の方々も晴天に誘われて・・・・

  知人が写した、今年初めてのスキー滑降は・・・
  




雪のない庭

2023年01月17日 | Weblog
この時期には雪が庭にも積もり庭木の枝が折れたりしているのに、雪が無い。お陰でこの時期に咲く花達が生き生きとしている。






 


 池のクレソンも山から降ろして大きく成長している。
パンパスグラスを植えてから6年経過するが大きくならず。 標高の高い所に植えていたが1.50cmにしか成長しなくて、里に降ろして植え替える。雪も降らないのでこの状態で過ごしている。春には少しは元気な姿を見せてくれるだろうと願っている。



東小俣から尾根筋を歩き。

2022年12月30日 | Weblog
前から気にしていた東小俣からの尾根筋行を行く。時間も遅く出たので半日コースで、午後からの予定もあるので9.00過ぎから行く。
       



熊野川と別れている安藏川の東側にある東小俣発電所へのゲートがある。
ゲート手前の橋を渡り、目の前に竹藪が続き進む。
上に進むと電力会社の鉄塔への看板があり、右側へ行くと掘り込みが姿を現す。

 
更に進むと鉄塔が姿を現す。道は鉄塔の巡視路をかねているので歩き易いし、この付近からは、田が耕作されていた跡がある。現在は竹が茂っている。

熊野川側には、杉が植林されているし、巡視路を兼ねているので楽に行ける。


耕作されていたので農機具が放置されていた。此れより上は杉林となり尾根に続く。

浅いが掘り込みは続く。見透視は良く、近年まで手入れがあった様に見える。
この道跡も広げた所は崩れて浅くなっている。


途中の尾根筋では、高台の様に土盛されていて2段になっている。
道を造った時の残土を積み上げたのか30坪くらいの平地になっている。雑木が無ければ周囲を見渡すには絶好の場所に位置する。
 両側には、東側には安藏川、西側には熊野川が眼下に見える。熊野川から富山市内も見えるが雑木が邪魔する。
時々、見える景色は良く、早く来れば紅葉が見れたものと思われる。
時間もないので高台のある所で引き返す。もともと、この道跡は、奥に進めば
赤倉集落ー小原へと繋がる道跡と思える。東小俣から下に向けては湯端城への道にもなる。また、対岸にあった文殊寺城を見るにも絶好の道跡でもある。
そんな道跡に一歩踏み入れたがウレ往来・鎌倉街道と良くにている気がするので春には熊野川ダムの見える所まで行きたい。




知人と安藏集落を見る。

2022年12月06日 | Weblog
久し振りに会う知人を誘い、安藏集落の確りした家の、石垣や水田跡地を見学させて戴く。 
 私の好きな場所である高台から立山、尖山、大日岳、を望む。高台の下には常願寺川がゆったりと流れている。上空には、月が姿を見せ冬の到来告げていた。

 林道から登るのだが小川の横道は雨で崩壊し、足元は滑り危険だった。

此の坂道を集落の人々は、田畑で収獲した物を背負い担ぎ上げていた生活の道だった。歩いていると、周囲の木々から、人々の声と生活の匂いが想い浮かぶ。子供達は何して遊んでいたのだろうか・・・

  知人も集落を見渡し人々の生活に想いを巡らす。
  家々の石垣は奇麗に積まれ整備されていた。

  人々の痕跡と祠の跡には鬼瓦があった。
安藏集落を後にして、帰り際に常願寺川を見下ろす所で夕暮れの立山を望む。
 鍬崎山の上には月が大きく見えていた。今年も無事に山へ行ける自分に
安堵し、新しく知り合った人々や、同行された知人と行動を共にさせて戴き
感謝する。

丸坪山・論田山城跡への散策

2022年11月27日 | Weblog
神岡の知人からの電話を受けて、若いEさんを誘い丸坪山の手入れと、論田山城跡を訪ねる。

     下の安蔵線林道と右側の旧安藏道。

 丸坪山の手入れはEさんが早々とする。当方の機械には苦労する。
 上野台地と大川寺、常願寺川、日本海が望める。
    冨山平野が先日と違いハッキリと見え、一番好きな風景。

      論田山城への途中にある発電所の貯水地。
称名川より水を引き、この高台から落差を利用して発電され、中地山発電所へ
送られ、その後も、幾つかの発電所を経由している。
 貯水池から少し進むと、土塁が現れる。それに沿うように杉が植えられている。

    土塁の東側は急斜面で登れない。

  城跡頂上から東側に尾根筋を深く切り外敵に備えてある。
当然、尾根筋の両側は急斜面で敵を防ぐ様に造られている。
 尾根筋の切り込みから先には、立山連峰を望む展望が素晴らしい。
   西側にも土塁が見られる。下には、来た時の林道が見える。
 今回、須坂市と神岡からの中世史の専門家さん達と同行する。
丸坪山での手入れも、若手のEさんの働きで直ぐに終わり、専門家の跡を追う様に論田山城跡へ向かいう。地元に居ながら初めてあり胸躍る。赤色立体図を想い浮かべながら進むと良く理解出来たし、現場も確認出来た収獲は大きい。
年内に現地を見たいという県外の皆さんの熱意に圧倒されました。細部についても話を聞く機会を戴き有難う御座いました。