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安倍元首相から、共産党について、立花隆氏について

2022年10月08日 20時24分00秒 | 政治政党・左右政党・国際情勢・時代論・護憲憲法論・日蓮正宗から見た政治論
安倍元首相に、選挙協力上、元首相自身が、軽くカルトの統一教会に、選挙運動を頼んでしまった負い目。それは実に、祖父の岸信介首相にまで遡り、その関係は、祖父、父、息子、と、この政治家一家に巣食い、派閥清和会、の各議員も、その悪徳邪教教団の息が掛かり、今の自民党の現状、課題がある。
 安倍首相自身は、それら邪教団から、選挙応援される御返し、人の礼儀礼節を重んじる仁義から、それら邪教団に向け、応援スピーチを行う。
 これは、今では非常に危険な賭けであり、今では安倍首相の人としての振る舞いとして地に落ちた、と巷の人々に誤解を与え続けている。


 しかし、安倍首相とて、人の子である。人から、特に、自身の、当時は野党の、巨大になりつつあった恐怖の民主党に対し、立ち向かい、自民党政権の存続を掛けて、闘い続けるには、それこそ、公明党つまり、邪教創価のその当時は巨大に見えた票の誘惑は当然あったろうし、選挙を真面目に政治には特にはそれ程口出しせず手伝ってくれる、それも無償のおうえんをしてくれる、邪教元統一教会の援助は、邪教同士だが、それらが誠に、自民党にとっては、正に「麻薬」「薬物依存」の状態に導き、今に至る結果となっている。
 特に戦後は、日本国家にとっては、国内には戦後体制では与野党二分化が図られそれが深刻な対立をもたらし、野党勢力の日本社会党、日本共産党、が代表的左翼、極左、民社党が右寄り野党、どっちもつかずのコウモリ党の公明党がその中道勢力と称して、与党に付いたり、野党に付いたりはっきり立場が判らず、与党勢力の一人の自由民主党と常に激しい対立を繰り広げておった。
 国外、世界に目を移すと、日本の周りには、ソ連(ソビエト社会主義共和国連邦)や中国(中華人民共和国)、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の共産主義国家、反自由主義、反民主主義、反資本主義の国家ばかりが日本の周りを取り囲まれている。
 ほとんど日本はこれら、異常な共産国家群との対立、アメリカ合衆国による、日本国がこれら共産圏との、対立の最前線、冷戦の橋頭堡、当時中曽根首相に依れば、日本がこれら共産国に負けぬ「不沈空母」の役目を果たす、との決意で、当時から、アメリカ指導の元、日本の政治家たちは皆、共産主義に怖れを抱き、これを憎み、これに勝利を誓い、米ソ核戦争の怖れのあったキューバ危機、その後、何十年何年かして、「デタント(緊張緩和)」等を経て、九十年代の、ソ連を中心とした共産主義国家群の、主に東欧の、共産主義国家の崩壊、壊滅、瓦解が起こった。
 この時に、統一教会は「国際勝共連合」という反共団体を、戦後作り、日本の政治家にもラブコールアピール、協調、強調、懇意になった政治家とは昵懇の仲となり、蜜月関係に会った事は、余りその当時の日本の民衆の大勢の人は、あまり知る人もいなかった。
 私は、父が取っていた共産党機関紙「赤旗」により、昭和の頃から、その当時私は中学・高校時代だったが、それら「勝共連合」の文言は、日本共産党に敵対する組織団体として、私はその時から、知識の一つとして当然あり、それらは、高校時代、朝日新聞社記者の、「本多勝一」氏の著作でも、それら団体の危険性が説かれ、貪るようにそれらを読んだ。
 私は新さくら通りとさくら通りと東西に一つになり結び、そこをおよそ南北に交差する、国道49線上の通りにあった、今はなき本屋、「岩瀬書店」に高校時代大変「立ち読み」では大変お世話になり、何度かに一度は実際、本を実費にて、購入していた。が、ほとんど、恥ずかしながら、「立ち読み」が主だった。
 そこにて、「本多」氏の主張、それまでは、日本共産党びいきの面が目立ち、その主張に飾られていたが、その昭和のある頃に、或る本が発行、発売された。
 それに本多氏も、その論説の明快、論理の運びの無理のなさ、その道理を尽くした説得力に、本多氏は自分の共産党びいきを、一時的にもずっとにしても何にしろ、止めた。そして、後に、あの、立花隆氏と共同で論じ、本を発表している文章を、私はその頃、本屋の立ち読みにて、読んでいる。
 それが「立花隆」先生の名著、名作、「日本共産党の研究」という著作、本だった。
 私はそのタイトルを、そこの岩瀬書店で目にして、きっと、共産党の、良い、むしろ応援してくれている、立花隆氏の主張、論説を覗いてみようと、その本を立ち読みしようと本を書棚から取り出し、本の表紙をめくった。


 何とそこには、日本共産党の、論説的な、論文的な、極めて論理的で、道理も通った、おそらくこの本、確か三冊分の厚い分量の書籍だったが、この著作が出来上がるまでには、もっと多くの資料、参考図書、参考文献等々を、この著者「立花」氏は読み込んで、論理を進めて書いているんだな、と、その論理構成から言って、私の、長い私の幼少の頃、父から受けた共産党教育、赤旗閲覧人生の全てを打ち抜き、砕き切る、全く粉砕する、その本は、ただの共産党批判本じゃない、ただならぬものを感じた。
 私は、ものの数ページ、最初から、ページを繰ってゆくたびに、日本共産党の、誤り、間違い、私自身の、今まで父に叩き込まれて来た、共産党の御教えの全てが嘘と分かった自身感じた共産党の「敗北感」を、やはりその場でその本を立ち読みしたのが、私の高2の時の、夏か秋か冬か、詳しくは覚えていないが、そこから西の地方の、大分距離がある自宅まで帰る道すがら、共産党は、機関紙赤旗には全く書いてない事が、あの本には、恐らく真実として書かれていた。
 私のその当時の幼い、父は昭和の高等小学校卒で学歴低く、自身の、交通事故の裁判となり、被害者として、私達が当時住んでいた神奈川県川崎市の川崎法律事務所を自身の裁判の弁護人として選んだ。
 横浜法律事務所もオウム関係で、その事務所の弁護士と家族がオウムに殺害されたが、その、横浜・川崎両事務所は姉妹事務所であり、困った人を助けてくれる駆け込み寺としての需要が地元でもあり、やはり、それらは、共産党系列の弁護士事務所だった。
 それまでの父は、福島時代から、自民党が割と多く一票を入れていたが、この時の、共産党弁護士に自分の交通事故の裁判を手伝って頂き、勝訴まで勝ち取れた時、父の思想信条は一変し、第一に、日本共産党を支持しだした。
 党員も務めた。赤旗は日曜版のみならず、日刊紙まで取った。朝日新聞などの、日刊紙並みの一か月の新聞代料金だったと思う。
 うちでは、当時関東、東京に近い、大規模な「赤旗まつり」の会場まで、川崎から東京西部につながる「南武線」で初めて私達親子は参加もし、いい思い出も出来た。
 それら、共産党の、我が家での長年の歴史、みおしえ、風雪を忍ぶ、それら全てが綺麗事絵空事、虚妄まみれの、全てが立花隆先生のあの本には、圧倒的な事実、道理、論理で自明の如く、その論説がむしろ読んでいる私の目を開かせ、むしろその論理の運びは極めて明快軽快、さすが二回も東京大学に学び、二回とも違う学部で、氏は卒業を為された方だと、「立花隆」氏をその頃から共産党の存在など忘れ果て、その理知的な思考に威儀を正し、敬服尊敬しだした。 
 立花氏は、その強力な論陣を張り、その強固な論理性に裏打ちされた論文調の文章に私はまずは圧倒され、一縷の望みの如く個人的に信じ始めた。この本は、未だ個人的に購入した事が一度も無く、私はこの時の49線通りに昔あった、岩瀬書店での立ち読みでしかその本を何回かを読んだ事がないんだが、本当に本屋さんには全く購入せず、全く失礼な話なんだが、大体の本の要旨、論旨、最後の方まで私は何日かに分けて立ち読みし(本屋さん、立ち読み御免)、固く軽く私を粉砕した。
 この本の影響力たるや、将来選挙の年齢が来たら、共産党に入れろ、と父にしつこく言われていたが、これを裏切り、自身の思想信条を後に代える結果を私にもたらした。
 この本を最初に立ち読みした日、とっても印象に残ったので、そのタイトル題名共々、本屋から夜遅く帰り、通りは真っ暗で、うちに帰ると、身体障碍者の父はとっくに眠っていた。
 そこで、食器の後片付けをしていた、母に、私が、今日読んだ本、立花隆著「日本共産党の研究」という本を、悪いんだけども、買わずに、その本は文庫本だが、結構一冊が当時高校生の私にも結構高く、高校生の小遣いじゃ買えずに、立ち読みして帰った。その本屋、岩瀬書店だと言う事も包み隠さず、母に言った。
 すると、母は、あんな、49線の方の本屋まで、学校帰りに寄って、行ってたら、そしてまして長時間、立ち読みじゃ、当然、こんなに遅くなるわね、と意義深く言い、


(母が言う)
 「実はね、私は、おばあちゃん(母の母、つまり私・孫の祖母)がまだ東京の江古田で看護婦事務所を経営していた頃、そこからどこの病院だったか、鉄道病院だったか警察病院だったか、どこの病院にも限らず、良く色んな人の付き人看護婦、付き添い看護をしていた事があったのよ。
 その時に、今言った、その当時から新聞雑誌で有名だった「立花」さんがどこか具わい悪くなって、立花さんの担当看護婦となって、あの当時、貴方のおばあちゃんは「立花さん、立花さん」って、それは大事に看病していたわ。
 それで、これは余計だったと思うんだけど、おばあちゃんたら、私の経歴、学歴、職歴、趣味歴、たしなんだ趣味なんかもまとめて私に内緒で書いちゃって、私のいない内に、勝手に私を写真付きだったか忘れたけれども、当時の立花さんが独身だと聞いたおばあちゃんが話を聞き付けて、一人で私のその経歴書を立花さんに出しちゃったのよ。私は後でそれ聞いて、恥ずかしいやら、情けないやら。そういうのって、おばあちゃんがやりそうな事なのよ。恥ずかしいわ。」


(息子の私、wainai.)
 「それでその後、どうなったの、その縁談話?」
と訊くと母は、


(母曰く)
 「知らないわよ。話が無いって事は、なんにも縁がなかったんでしょ。おばあちゃんも、いつも勝手なことして、困ったものだわ。私が三十過ぎても、まだ嫁にもいかなかったのが、悪いんだけれども、ねえ。


 それより、その、立花隆の、本って、共産党が何とかって言ってたけど、どんなことが書いてあるの?」


(私、語る)
 「それが、内容が、極めて論理的論文的に構成されているのが、第一ページ目を読んだだけでも、凄く伝わってくるんだ。
 そして、驚いたのが、赤旗等では、偉人、共産党初期の頃の創設者の、宮本顕治議長委員長が、実は、立花さんの論説、資料の読み込みから当時の、官憲、特高に宮本が捕まるんだけども、その嫌疑が、共産党は、ソ連共産党の一支部として、日本に当初作られたみたいなんだけど、その時、実に宮本は、東大卒で皆東大生が仲間なんだけど、その仲間の内の、気に入らない人間を、内ゲバで、凶器は何かはその本が手元にないから忘れちゃったけど、とにかく、内ゲバで殺したんだ。
 最近、何か、自民党の浜田幸一さんが『宮沢賢治君は、人殺しだ(わざと洒落で、浜田氏はウィットで、共産党委員長宮本顕治を名指しで呼ぶのを止め、文学者詩人の宮沢賢治と、名前の言葉を代え、選び慎重に名誉棄損にならないようそう言っている)』と言っていて、共産党が猛批判で反対決議してたけど、あの意味が立花隆著「日本共産党の研究」で僕はその浜田さんの言ってる意味が、今更ながら、判った気がしたよ。
 私はうちで、赤旗とは別に、「朝日新聞」や時々安い地方紙「福島民報」などのお父さんとは違う新聞も、別に私は一人っ子だからか家では大事にされてて、取ってもらってるんだけども、あの「赤旗」は、非常に偏り、危険と言うか、私は今日、あの立花さんの本を読む限りは、気を付けて読む、若しくは、お母さんも僕も、全く読まない、共産党のおとうさんだけが一人読む、それぐらいでいいと思うんだ。
 その宮本のリンチで結局、仲間の東大生の当時、戦前戦中の軍国主義の日本では、宮本は牢屋に入れられて特高警察に逮捕投獄されて、当時の思想犯、不敬罪だか何かの罪により、思想的に共産主義は間違ってて、当時の日本は、大日本帝国、明治憲法下で、その後の軍部の台頭によって、思想の自由は余りなかったんだけれども、それでも共産党は、ソ連の支部の一団体の組織として、官憲に目を非常に付けられていたんだ。
 やはり、やばいよねえ。当時の日本の仮想敵国の、日本の北方を陣取る、ユーラシア大陸をまたにかけた、西洋ヨーロッパから、東洋の太平洋にある、この日本の北、当時千島列島や樺太半島は日本の領土だったけど、ソ連も日本のそれら領土は狙ってたからねえ。実際、軍部、日本の特高、警察機構が、幾らその当時軍国主義だったとしても、日本を狙う、ソ連の支部が、今のあの、赤旗とかを発行してる、日本共産党だという、その立花さんの本は、いろんな、共産党の矛盾が一杯書かれていて、今晩は、とってもべんきょうになったよ。
 そしてねえ、その宮本なんだけど、今の宮本は、日共ではそれはそれは大事に持ち上げられていて、現役の不破哲三委員長も脇に追いやられる程だけど、その宮本は、何かは判らないんだけれども、嫌疑不十分で、確か不起訴になって、出獄、獄中を出るんだ。何かは知らないけど、私もその本急いで読んで出て来たんで、理由は分からないんだけども、私の推理だと、今の共産党はそういう事は嫌でも正義感を貫いて批判追及するけど、その本の論にしたがうと、おそらく、宮本は、何か、賄賂、か何かは判らないが、金品を官憲に情けなくも差し出して、牢を出たのかもねえ。
 まだあの本、読み終わってないから、時間があったら、又、あの本「立花隆」著作「日本共産党の研究」全三巻全部読むのは無理だし、あの本屋さんに大変申し訳ないから、でも又読みたいなあ。」


(母が言う)
 「今日は、それだけ読んできたんだから、大したものよ。そんなに大事に、そんなに読みたい本ならば、買いなさい。買ってもいいわよ」


(私が言う)
 「それは有難いんだけども、うちには、あの判らず屋の、共産党の権化のような、お父さん、本当にあの人は、共産党が好きだから、パパに見つかったら、何言われ、どこに追い出されるか判ったもんじゃないから、遠慮しとくよ。本屋さんには悪いけど、あの本があの書棚にある限り、出来るだけ、立ち読みをして読みたい。
 他にも買いたい本があって、最近出た、「大辞林」っていう辞書が気にはなってるんだ。うちには「広辞苑」がそもそも最初からないけど「広辞林」というまがい物の辞書がうちにはある。
 しかし、その、「大辞林」はその「林」シリーズの出版社、三省堂らしいんだけど、朝日にも広告が載ってて、全く、今までの辞書の概念を一新し、岩波の「広辞苑」にも勝負を掛けて来てるんだって。その価格が確か六千幾ら円の額のお金……。」


(母は言う)
 「あー、そんなお金、今の内には、大金で、今はとにかく無理。○○君(私の名前)、もう遅いから、早く寝なさい。明日も早いわよ。」


 この日は、父が早く寝てしまった為、こんな、共産党の父の家でも、私ら母子は、共産党批判、立花隆先生の著作の私の長話、母の立花氏の、おばあちゃんとの笑い話思い出話、等々、私はこの夜、七時頃前位に家に帰り着いたが、かなりヒートアップして、共産党の間違い、批判する人に、評論家、作家の先生、東大出身者の、頭の大変切れて、回転が速い、「立花隆」先生をこの日、立ち読み(笑い)だったが、その他、そこの書棚には「田中角栄研究」もあり、その場で少し、その本を立ち読みすると、何とその本は、田中角栄首相が、その時は汚職だと誰も気づかなったのが、立花氏の論及追及で、それが元で文芸春秋か文春か何かで、一国の首相の汚点、汚職が露見し、「ロッキード事件・疑獄」として、その後、マスコミを賑わし、立花隆氏は、立派にその時立ち居振る舞い、評論家・作家としてもその後マスコミ・文学界・評論家界でも、一、二を争う論者として大いに論陣を張り、その正確な論説論調、論文は、読者を一言の内に唸らせ、納得させた。
 後に、平成か令和年間、時代に、惜しまれながら亡くなった。
 彼の、立花隆先生のご冥福をお祈り申し上げます。誠に有難う御座いました。私は全生涯で、貴方の著作を、たしか「僕はこんな本を読んできた」という古本中古の本著作以外は、まるっきり購入してはいませんが、先生の御本は、とても胸に染み入り、私の、(ほとんどが立ち読みでしたが)お気に入りです。今度、財布に余裕がある時には、先生の著作を、私も大事に思い出したように、ひたぶるに読み込んでゆきたいと思っています。読書が楽しみで、本が大好きですが、何故か先生には、私は尊敬していて、大変敬服して居りますが、機会、縁がないのがなんなのか、自分でも判り兼ねます。
 大変失礼して居ります。いつかこそは、先生の本著作、必ず手に入れます。よろしくお願いいたします。読んだ暁には、このブログは私の書評感想文ブログとも化していますので、いつとは言い切れませんが、いつかは、としか…。
 立花隆先生の本、著作、ネットでの過去の発信等々、見つけ次第、私の胸に刻み付け、私の試作のよすが、思考のタネ、思索の限界に立って、先生みたいに、カッコいい考え方、一流の人間、孔子の「君子」、仏陀釈尊・宗祖日蓮大聖人様の「慈悲・仏」を身に付けたく、個人的な私の思索、哲学的な師匠として、私はあなたを尊敬し、身に余る程、その思考方法を身に着け、体現できるよう、努力精進致します。
 立花隆先生へ。


以上。よしなに。wanai.より。恐々謹言。長文失礼。


このシリーズ、この文章の上の方で、その完成完結が謳われ、二重になるので、しつこいので、これにて、いよいよお開き、終わる。
つまりこの文は、二重構造かそこいらになっている。
読者の方々、最後まで御閲覧有難う御座いました。
(完)


 以上。よしなに。wainai.


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