Kaettekita 私が思う あのこと このことReturn(Get Back Part2)

進取究明。日々の雑感を気ままに綴る私なりに思い考え行い実践する不定期の記録。写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ。

御法主日如上人猊下様 2023年令和五年1月新年御挨拶

2023-02-08 09:12:33 | 日蓮正宗総本山富士大石寺・御宗門・その御教え・教学・信行学
 一月度 広布唱題会の砌(みぎり)
(令和五年一月一日 於 総本山客殿)

 宗旨建立七百七十一年の新春、明けましておめでとうございます。
 皆様には、すがすがしく新年を迎えられ、「折伏躍動の年」の初の広布唱題会に参加され、決意も新たに、いよいよの御精進をお誓いのことと存じます。
 本年、「折伏躍動の年」は、私ども一同、仏祖三宝尊への御報恩謝徳のもと、僧俗一致・異体同心の盤石なる体勢を構築して大折伏戦を展開し、もって一天四海本因妙広宣流布へ向けて大きく前進すべき、まことに大事な年であります。
 特に今、新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延によって、日本のみならず世界中が騒然とした様相を呈し、各所で様々な混乱と支障をきたし、大きな障害となっていますが、私どもは改めて『立正安国論』の御聖意(ごしょうい)を拝し、一人ひとりが妙法の広大無辺なる功徳を拝信して自行化他の信心に住し、真の世界平和と仏国土実現を目指して、今こそ勇躍として、破邪顕正の折伏を行じていかなければなりません。
 大聖人様は『開目抄』に、
 「夫(それ)、摂受(しょうじゅ)・折伏(しゃくぶく)と申す法門は、水火のごとし。火は水をいとう、水は火をにくむ。摂受の者は折伏をわらう、折伏の者は摂受をかなしむ。無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前(さき)とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし。譬(たと)へば、熱き時に寒水を用(もち)ひ、寒き時に火をこのむがごとし。草木は日輪の眷属、寒月に苦をう、諸水は月輪の所従、熱時に本性を失ふ。末法に摂受・折伏あるべし。所謂(いわゆる)、悪国・破法の両国あるべきゆへなり。日本国の当世は悪国か、破法の国かとしるべし」(御書 五七五頁)
と仰せであります。
 まさしく今、末法は「邪智・謗法の者の多き時」にして、この時は摂受ではなく、折伏をもってすることが肝要であるとの御教示であります。この御指南を改めて拝し、講中一同、決意も新たに異体同心して一意専心、折伏を行じていくことが肝要であります。
 各位にはこのことを銘記され、「折伏躍動の年」にふさわしく、一天広布へ向けて折伏を行じ、いよいよ精進されますよう心から願い、本日の挨拶といたします。
(文責在大日蓮編集室)


 用語解説

「摂受」
相手の主義主張の違いを直ちに破折してしまうことなく、いちおう認めつつ、徐々に誘引して正法に入らしめる化導法をいう。摂引容受の略で、折伏の対義語。

「折伏」
相手の邪義・邪見を破折し、正法に帰伏させる化導法のこと。摂受の対義語。『勝鬘経』に「折伏・摂受を以っての故に、法をして久住せしむ」とある他、折伏と摂受は諸経に説かれる。天台の『摩訶止観』巻十には「仏法に両説あり」として、『法華経安楽行品』の「(他人の)長短を称せざる(※批判をしないの意)」を摂受、『涅槃経』の「刀杖を執持し」などを折伏としている。日蓮大聖人は、「摂受・折伏時によるべし」(御書五七八頁)と仰せられて、「無智・悪人の国土に充満の時は摂受を前とす、安楽行品のごとし。邪智・謗法の者の多き時は折伏を前とす、常不軽品のごとし」(御書五七五頁)と示され、さらに「今の時は権教即実教の敵(かたき)となる。一乗流布の代の時は権教有って敵と成る。まぎら(紛)はしくば実教より之を責むべし。是を摂受の修業の中には法華折伏と申すなり。天台云はく『法華折伏破権門理』と、良(まこと)に故(ゆえ)あるかな」(御書六七二頁)と、邪宗・謗法の充満する末法時代においては折伏を用いるべきことを明かされている。
なお、この末法時代において、一閻浮提(世界)に仏法を流布する上では、折伏の上の摂受という在り方がある。すなわち、大聖人が「末法に摂受・折伏あるべし。所謂、悪国・破法の両国あるべきゆへなり」(御書五七六頁)と仰せられ、また大石寺第二十六世日寛上人が「末法は折伏の時なりと雖(いえど)も、若(も)し横に余国を尋ぬれば、豈(あに)悪国無からんや。其の悪国に於(おい)ては摂受を前とすべし。然(しか)るに日本国の当世は破法の国なる事分明なり。故(ゆえ)に折伏を前と為すべきなり」(御書文段一八四頁)と示されているように、正法を知らない国については、摂受の要素を入れて弘通するのである。

「広宣流布」
広く宣べ流布させること。同義語に「広令流布」がある。『法華経薬王菩薩本事品第二十三』には、「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、竜、夜叉(やしゃ)、鳩槃荼(くはんだ)等に、其の便(たより)を得せしむること無かれ」とあり、また、『普賢菩薩勧発品第二十八』には、普賢菩薩の誓願として「世尊、我今、神通力を以っての故に、是(こ)の経を守護して、如来の滅後に於いて、閻浮提の内に広く流布せしめて、断絶せざらしめん」と説かれている。すなわち滅後末法における妙法蓮華経の広宣流布は、仏の遺命(ゆいめい)であり、また必ず成就せしめるとの菩薩の誓願でもある。天台大師は『法華文句』巻一で「但(ただ)、当時大利益を獲(う)るのみに非(あら)ず、後五百歳遠く妙道に沾(うるお)はん」と。後五百歳(末法)における広宣流布を予言し、妙楽は『法華文句記』にこの文を釈して「末法の初め冥利無きにあらず。且(しばら)く大教の流行すべき時に拠る。故に五百(後五百歳)と云う)と述べている。また伝教大師も『守護国界章』に「正像稍(やや)過ぎ已(お)わって末法太(はなは)だ近きに有り。法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」と、妙法が流布する末法の初めを慕う文を残している。さらに、その妙法がどこの国を中心に流布するかについて、天台宗の学僧・安然は『普通授菩薩戒広釈』に「弥勒菩薩説いて言わく、東方に小国有り、其の中に唯(ただ)大乗の種姓のみ有りと。我が日本国みな成仏を知る。豈(あに)其の事に非ずや」と。『瑜伽論』に記された弥勒菩薩の言葉「東方の小国」を日本国であるとしている。その他、『法華翻経後記』(鳩摩羅什の高弟・僧肇そうじょう、の記)『天竺別集』(北宋の天台宗の学僧・遵式じゅんしきの著)などには、いずれも、妙法が東国より起こることが予知されている。末法の初めに日本国に日蓮大聖人が出現されたことは、まさに釈尊をはじめ、諸聖賢(しょしょうけん)の予言の成就であった。大聖人は広宣流布について、『諸法実相抄』に次のように仰せられている。「日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人三人百人と次第に唱へつた(伝)ふるなり。未来も又しかるべし。是あに地涌(じゆ)の義に非ずや。剰(あまつさ)へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的(まと)とするなるべし。」(御書六六六頁)すなわち広宣流布は、宗祖日蓮大聖人の遺命なのである。

出典:「法華講員の教学基礎辞典」(暁鐘編集室)(平成26年11月15日 初版発行)(監修 小川只道御尊師)(製作・総指揮 大草一男、理境坊所属妙観講・講頭)(編者 原島昭ほか)(発行所 暁鐘編集室)定価3,000円(税込)

 以上。よしなに。wainai、長文失礼。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿