昨日の寿海寺で行われた御講のあとの学習会は、とても有意義な時間だった。
釈尊は、五時八教と言って、当時のインド民衆、聞く者の機根に合わせて、教えを変えた。質問者がいて、どうしてお釈迦様は、最初から最高の法の法華経を説かず、種々の経を説いたのか?それが現在の邪宗のはびこる元となったのではないか、と聞いた。
講師のBさんが、御書をひも解き、法華経の前の段階には足場が必要だった。しかし、法華経が説かれれば、足場は不要となるので撤去する、という意味の大聖人の御文を引いた。
御住職様は、いきなり幼い子供に大学の教えは説けない。小学校・中学校・高校・大学、と段階が必要で、法華経だけじゃなく、むしろ法華経があればこそ、他のお経も具足して必要となり、完全となる、と仰った。
歴史にIf、もしもは通用しない。当時の釈尊の振る舞いがそうであったのなら、それを曲解した人師論師が悪い。
本来なら、仏教は一つの教え、一宗に束ねられねばいけない。八万宝蔵の経々があるからといって、勝手に自分の宗派を立てたから、今日の仏教界の混乱がある。
中国では天台大師が仏教を法華経で統一し、日本でもその生まれ変わりと言われる伝教大師が国内の仏教各派と論争して勝利し、やはり法華経を基とする日本天台宗を確立した。しかし、その後の弟子、慈覚大師等の密教(真言宗)混合の結果、天台宗は法華経を貶め、日本の宗教界、乃至、国の政治も乱れに乱れ、法華経を軽く見て、本来の法華経の行者が現れたのは、末法に入り、日蓮大聖人の活躍する鎌倉時代を待つ事となる。
そんな事を思わせた、昨日の学習会であった。