ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

日本考古学発祥の地「大森貝塚」

2019-11-11 07:58:47 | 日記


「指紋鑑定法は縄文土器と日本文化が引き金となった日本生まれの鑑定法です」。この知識を得
たのは東京築地・明石町の一角に置かれた「指紋研究発祥の地(ヘンリー・フォールズ住居跡)」
の石碑にある説明文でした。石碑には「英国人医師ヘンリー・フォールズが明治7年から明治19年
の滞日中に、指紋が個人識別に使えることを発見してネイチャーに投稿した。きっかけは大森貝
塚の土器にあった指紋と、日本人の拇印習慣であった」と記されていました。この時から、指紋
研究のきっかけとなった大森貝塚には行きたいと思っていましたが、その機会ができましたので
訪れました。

<大森貝塚遺跡庭園>
「大森貝塚遺跡庭園」は、日本の重要な史跡のひとつです。JR大森駅北口から徒歩5分ほどで行
くことができます。大森貝塚は繩文時代後期・晩期のものですが、現在貝塚自体は完全に消滅し
ています。遺跡庭園内には1929年(昭和4)に立てられた「大森貝塚碑」や、貝塚を発見したモ
ース博士の銅像そして地層の回廊という縄文土器と貝塚をイメージした不思議なモニュメントが
あり、その中に貝塚の地層の実物大の模型がありました。十分に縄文時代の大森貝塚の雰
囲気が楽しめます。でも残念ながら、発見当時の出土品の多くは国の重要文化財として東京大学
に保管されているために見ることはできません。モース博士が大森貝塚から発掘したのは1877
(明治10)年。出土品は260点を超えます。出土品のほとんどが土器で214点、その他の出土品
として、土版 6点、骨角器 23点、石器 9点、貝 9点が発掘されました。このうち 165点の出
土品が後に重要文化財に指定されています。その後、1984年と1993年に大森貝塚遺跡庭園整備
などの大規模発掘調査があり、住居址や土器・装身具・魚や動物の骨などが大量に見つかりまし
た。この時の発掘資料が、遺跡庭園から徒歩10分ほどのところにある「品川歴史館」に展示され
ていますので併せて行くと良いです。

<モース博士の功績 大森貝塚と縄文土器の発見>
 日本における考古学研究の第一歩及び遺物に基づいた日本史研究の先駆けはアメリカ人モース
博士の大森貝塚の発見です。彼は明治政府に東京大学の教授として招かれたお雇い外国人の一人
で1877(明治10)年6月に来日し、横浜から東京に向かう汽車の窓から貝塚を発見。同年10月、
東京大学の学生らと共に発掘。発掘報告書の中で、日本列島に石器時代が存在した事を立証する
とともに、同時に出土した土器に縄目文様がついている事にも注目し発表しました。後にこれが
縄文土器と名づけられました。モース博士の報告書の写しが品川歴史館にありますが、土器や釣
り針の詳細かつ繊細なスケッチに驚きます。モース博士は大森貝塚から出土した、縄目文様の付
いた土器を「Cord Marked Pottery」と名付けました。訳語として索紋、縄紋などを経て、縄
文という訳語に落ち着いた経緯があるそうです。ですから、縄文という用語はモース博士が名付
け親なのです。ここ大森貝塚遺跡庭園は日本考古学の発祥の地であり、縄文時代が歴史の時代区
分に使われるようになった地なのです。

<もう一つの大森貝塚の碑>
大森貝塚の碑が実はもう一つあります。遺跡庭園からほど近い大田区山王のNTTビルの裏側に
あります。モース博士は、東海道線大森駅の近くだったので、大森村だと勘違いして文部省にも
そう届けてしまった。だから未だに大森貝塚と呼ばれているし、記念碑も立派に建っている。
しかし、実際に発掘した場所は、遺跡庭園となっている荏原郡大井村(現在は品川区大井6丁目)
でした。こうして、今でも二つの記念碑が建っているのです。

<指紋鑑定と埋蔵文化財>
モース博士の友人であるヘンリー・フォールズ(宣教師・医師1843-1930)は、大森貝塚の発
掘調査を手伝っていました。彼は出土された縄文土器の表面に付いていた「指紋」から、「土器
の作者を特定出来るのでは?」と、指紋の研究を進めました。こうした発想を引き出した背景に
は日本特有である拇印の習慣がありました。こうして1880(明治13)年にイギリスの科学雑誌
「ネイチャー」に指紋についての論文を発表したのです。指紋について着目していた学者は他に
もいましたが、フォールズのものが科学的指紋法(指紋認証)の最初の論文となりました。論文
の内容は・・指紋は、身体の成長や歳月の経過よって自然変化を生じることなく「万人不同」
「終生不変」 であり、個人識別&個人特定の役に立つと発表されました。・・・つまり・・・
人の指紋は一生変化することはない。また、一卵性双生児であっても違う指紋である。だから指
紋をみれば、誰かが分かる。こうして、この指紋認証方式は警察に取り入れられ、日本でも1911
(明治44)年から指紋法は警察で採用されています。全世界的に利用されている指紋認証のアイ
デアが、東京の遺跡から発見された土器に関係しているなんてすごいですよね。

貝塚のある大田区から品川区にかけての地帯は、当時、海岸線となっていました。地図によると、
現在は近代的なビルが立ち並び、多くの人であふれている品川駅付近も海の中でした。縄文時代
当時の風景を想像しながら街を眺めると、歴史の流れを感じますね。

大森貝塚遺跡庭園と品川歴史館を訪れると、縄文時代の人々の生活に思いをはせながら、のんび
りとした1日を過ごせます。興味のある方は一度行ってみてはいかがでしょうか?


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