ショートシナリオの館

ボケに抵抗するため、日常生活の中から思いつくままに書いています。月2回・月曜日の投稿を目指します。

黄葉の大イチョウの下で <2>

2017-12-04 08:02:12 | 日記


神社の境内の片隅に、黄葉した大イチョウの大木が数本並んでいます。その枝下
の地面はイチョウ葉が覆う黄色い絨毯、そこにいつ誰が置いたのか、一対の白い
椅子が並んでいます。変哲もないただの鋳物の古い椅子のようですが・・・・・

<老人の独り言>

老人は一昨日の大手術のあと、眠り続ける奥さんの様態が心配でなりません。今
日はこれから病院へ面会に行くのですが、その前に神社に手を合わせようとやっ
てきました。老人は季節の移ろいを楽しむ風流人ですが、この秋は奥さんの体調
不良そして突然の入院、続けて大手術という事態になり、とても秋の紅葉を楽し
む気分にはなれませんでした。
老人はうつむき加減にトボトボと境内に入って来ましたが、大イチョウの前で突
然目に飛び込んできた真っ黄色な色彩感覚に驚き、思わず頭を上下左右に振りま
した。老人がたたずんでいると、その体が黄葉の大イチョウの葉に彩られた絵画
の中に、飛び込んだような不思議な感覚が包み始めました。

老人:この大イチョウは今年も見事に黄葉したんだな。おやっ、白い椅子がある。
   ここに来た時にはなかったと思ったけどな・・・。黄色の空間の中に白い
   椅子か、かなりこの場所にハマってるね。誰が置いてくれたのかわからな
   いけれど、座らせてもらうことにしよう。
   「よいしょっと」、なんだか絵画や映画の中のシーンに迷い込んだ感覚だ
   な。こりゃ~いいや、なんだか胸がときめいてきたぞ。
   こんな場面で気の利いた会話が家内とできたらいいんだがなぁ・・・。

老人は白い椅子に座ると、改めて上下左右に目を移し、自分が黄葉に包まれた立
体空間の中にいることを確かめ、大きく深呼吸して、初めてこの秋の感覚をその
身に吸い込ませました。

老人:あれ、なんだか変だな。空いている椅子に家内の姿が、少しずつはっきり
   と見えてきたぞ。やっぱり、ヤス子だ。どうなっているんだ。

ヤス子:あら、あなた。私はどうしてここにいるのかしら。こうして外に出たの
    は久しぶりだからとても嬉しいわ。あら、ここはいつもの散歩道の神社ね。
    今年もこの大イチョウは素敵に黄葉しているんだ。ここで、あなたと並ん
    で座っているなんて素敵じゃない。

老人:おい、ヤス子。何でそこにいるのだ?まさか、お前、死出の挨拶のために
   ここへ現れたのではないだろうな。

ヤス子:私にもよくわからないけど、誰かに背中を押されて、ここへ来たような
    気がするわ。それにしても、この黄葉の大イチョウと白い椅子の組み合
   わせはとてもロマンティックだわね。こんな景色を見せられたら、とても
    じゃないけど死ぬわけにはいかないわよ。

老人:それを聞いて安心したよ。死出の挨拶じゃないんだな。お医者さんから、
   昨日の夜が峠だと聞かされていたから、心配でたまらなかったんだ。面会
   時間になったら必ず行くからな。頑張れよ。

ヤス子:大丈夫。死んだりしないわ。私、すっかりこの場所の風情が気に入った
    わ。退院したらここに連れてきてね。私、絶対に頑張るからね。

老人:隣の椅子に手術をしたばかりの君が現れて、「この景色が気に入ったから、
   私、頑張るわよ」なんて聞かされるとは思わなかったな。だけどうれしいね。

ヤス子:ゆっくりしたいけど、往診の時間が近いの。もう病院へ戻らなくちゃい
    けないようなの。面会時間が来たら、必ず来てよ。必ず笑顔で迎えてあ
    げるからね。

老人:分かった。あれ、家内が消えた。不思議だな~。この白い椅子には何かが
   あるのかな。何だかこれから面会に行くのが楽しみになってきた。笑顔で
   病院へ行けるなんて話は聞いたことがないな。今日はお賽銭を大奮発する
   ことにしよう。家内が退院できる頃にはこの黄葉は終わっているだろうか
   ら、来年のお楽しみになるな。
   大イチョウさん、そして不思議な白い椅子さん、ありがとう。



老人は座っていた椅子から立ち上がり、ハンカチで椅子を拭いて立ち去っていき
ました。
幸せを運んでくれる白い椅子、次に座るのは誰でしょう。
コメント
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