鼠喰いのひとりごと

DL系フリーゲームや本や映画などの感想を徒然に

キノの旅Ⅸ

2005-12-31 03:00:42 | 本(小説)

「キノの旅Ⅸ」 時雨沢恵一
電撃文庫 2005年


無限に広がる世界を、モトラドに乗って走ってゆくキノ。
様々な都市、様々な国のありかたを、同意するでも嫌悪するでもなく、
傍観者の目をして、ただ「通り過ぎるだけ」の彼女の旅も、もう9巻目です。
この巻は、キノファンにとっては画期的な一冊でしょう。

なにしろ!
あとがきが!
マトモに書かれている!!(笑)

キノを通して読まれた方なら知っていると思いますが、
作者の時雨沢さん、たいへん「お茶目」な後書きを書かれる方です。
それが一つの楽しみで、という読者もきっと多いことでしょう。
次はどう来るか…と思っていた矢先に、これだもんなぁ。

さて、この本、中身は短編集に近いつくりですので、粗筋は書けません。
書いたらネタバラシになっちゃうしね。
主線は、キノと呼ばれる旅人が、一台の喋るモトラド(バイク)に乗って、
旅をしている、ということだけ。
一つの国や都市に留まるのは、決まって三日間。
その三日のうちにキノが見る、その国々の様々な事情や歪みを。それぞれの短編で書いているわけなのですが。

普通、こういう社会問題を風刺したようなテーマの場合、妙に説教臭くなるとか、
偽悪っぽくなってしまうとか、ともかく「主観」が入ると思うのですよ。
少なくとも、作者の好き嫌いが出てしまう。考えて欲しい方向に、物語を引っ張ってしまう。
しかし、キノは常に淡々と、それらの国を「通りすぎてゆくだけ」なのです。
それをいいとも、悪いとも結論付けません。

問題は定義する。でも、答えは出さない。
なので、答えはキノではなく、読んでいる私たちがそれぞれに出すことになります。
「さあ、これを見てごらん」と差し出される世界に、
「ま、世の中こんなもんでしょ」と肩をすくめる人もいるかもしれない。
「許せん!」と義憤に駆られるひともいるかもしれない。
百人いれば、百通りの読み方のできる本と言えるかもしれません。
そんな「自由度の高さ」がこのシリーズの一番の魅力ではないかと思います。

また、個人的に好きなのが、各巻ごとのコピーキャッチ(?)
一巻は「世界は美しくなんかない。そして、それ故に美しい
    The world is not beautihul. Therefore, it is.」
四巻は「誓えないと誓います 誓わないと誓えます  誓えないと誓えます
I don't trust me.」
など、ちょっと洒落た言葉を毎回持ってきています。これも後書きと共に楽しみのひとつ。

さてさて、そして9巻ですが。
ものすごく短い「一発モノ」の話が多くなっていますねぇ。
もしかしたら、そろそろネタが…?と心配になってきました。
こういうテーマでたくさん話を書くのって難しそうですもんね。
内容も、一つの価値観に偏ってヒステリックに思い込む類のテーマが多いように思います。

個人的に好きなのは「師匠」ネタの「説得力Ⅱ」
日本人の感覚では、ここまで徹底した「戦場モード」な考え方は一般的ではありませんが、
もしも本当に命の掛かった状況下では、こうでなければ生き延びられないんだろうなぁ。
(…最近全然ニュースにならないけど、イラクに派兵された人たち大丈夫なんかな)

他に気になったのは「作家の旅」。
作品自体も、読んでてとっても異色なのですが、
これって…その…もしかして…最近の盗作フィーバーに関してのことなのかな。
最後の一文が、非常に鋭くて怖い。


キノの旅。ライトノベルと言われる分野の本ではありますが、
子供から大人まで、是非読んでみて欲しい本です。
妙に残酷だったり、後味の悪い物語の数々に、何をどう感じとるかはその人次第。
多分、同じ人間が読んだとしても、学生のころ読むのと、社会人になって読むのと、
中年になってから読むのとでは、感じ方が変わってくるんじゃないかな。

***
ちなみに映画・OVAになってます。
「キノの旅」

また、ゲームにもなってます。
「キノの旅 ゲーム」

小耳に挟んだ話だと…同人も出ているらしい…うぅむ(汗)

正月嫌い

2005-12-30 22:21:33 | 雑事

正月なんかこの世に無くていい。と思う季節がまたやってまいりました!

私の実家は、まぁ土地柄もあるのですが、あまり伝統にのっとった正月はやらない家。
しかし、婚家は黒豆たきーの、数の子漬けーのの家で、文化の差が激しいのなんの。
結婚した最初の元旦に、ネコ足のお膳でお節を食べた日にはもう…
(実家はコタツで銘々勝手に雑煮を食べたりする)
いや、それでも、もう何年も経ちますから、だいぶ慣れたといえば慣れたんですが。

もともと、正月の縁起物料理って不味いじゃん。
昔はね。そうそうナマものも手に入らないし、保存料もたいして無いし、
日保ちオンリーの目的で作られれば、こうならざるを得なかったんだろうけど。
今で言う「御馳走」の定義には入らないよね…。

で、自分で好きでもないものを、ひたすら時間と手間かけて作るのって、
エラい消耗するんだわぁ。
そして、手間隙かけて作ったにもかかわらず、家族の食べっぷりも今ひとつ…
作る側が美味しいと思えないんだから、多分、食べるほうも美味しくないんだよね。
こうなると、わざわざ大金かけて大きな無駄をやってるようにしか思えないのだけど…

というわけで。結婚してからこっち、ワタシは正月がキライ(笑)
12月31日と、1月1日と日付以外に何が違うってわけでもないんだから、
もっとふつーに過ごしたらいいやんか。ぶつぶつ。


…と、家事の合間に鬱憤を晴らしてみた。
お付き合いどうもありがとう。

死体への恐怖

2005-12-27 03:40:14 | 雑事


※注意
今回は、読むひとによっては、非常に不快な表現を含みます。
ホラーが好きなら大丈夫でしょうが、苦手な人…特に、足の無い虫が苦手な人は読まないように。

***

子鬼の好きな「○シ○ング」アニメを見ながらふと思いました。
もしも、死体が残らなければ、ひとはそれほど死を恐れないんじゃないだろか。

何故○シキ○グかというと、その中では子供向けアニメらしく「死」という言葉が出ないから。
森の精霊のような主人公達は、死ぬとほどけて光の粒になってしまうのですね。
だからかわりに「光になる」と言う。
「お前も死ね」ではなく「お前も光になれ」とか、「殺してやる」ではなく「光にしてやる」。

いつも、側にいたひと、愛着のあるひとが、ある日死ぬとしましょう。
まず唇の色が悪くなり、顔が浅黒くなり、目が水分を失って落ち窪み、口はぽっかりと開き。
やがてあちこちに不気味な斑点ができ、本体は膨らみ爛れ、末端部は乾いて皺が寄り。
いやな匂いがあたりにたちこめ、蠅や蛆がその骸に巣食い。

考えるだけで、うわー、て感じですね。
身内もイヤですが、自分がそうなるのも相当イヤです。
湿気が多いとか、墓所が狭いとか理由はいろいろあるでしょうが、火葬が一般的なのは、
「死体のその後」…「死のかたち」をどうやっても見ないですむ、というのもあるんじゃないのかな。

死体といえば、九相詩絵巻と呼ばれる、鎌倉時代の絵巻物があります。
つまりは死体が腐り、朽ちていく様子を9段階に分けて描いたものですが、
描かれたモデルさん(死体)は、美女の誉れ高い小野小町なのだとか。

小野小町だというのが本当かどうかはともかく、
「生きてる時にどんなにブイブイいわせても、死んでしまえばこうなのさベイベー」
という仏教観念のために描かれたものらしいです。
しかし、コレを見て本当に、悟りを得られるものでしょうかね…
確かに無常観はそそりますが…むしろ死ぬのがコワくなるのでは(汗)

***

そういえば、死体に関して、実際に体験することでその意味がわかる恐怖もありました。

私もともと、死体の描写を読んでも、蛆虫にそれほどの嫌悪感はなかったのです。
ただの虫。蠅の幼虫。目も足も無い、ミミズの短いやつ、くらいの認識。
ラヴクラフトに「蛆虫の恐怖」なんて書物名を見ても、ふーん、て感じでしたし。
昔の高橋留美子の漫画に「笑う標的」というホラーがかった話があったのですが、
その中に出てくる、屍肉を貪る「餓鬼」というモノの外見が、モロに蛆だったんですよね。
それも怖くなかった。このころんと丸っこいものが、それほど怖いもんだろかと。

しかし、昨夏、家の前にべったり潰れたスズメが落ちていたことがあったんです。
そして、怖いもの知らずのうちの子鬼は、それをいきなり摘み上げた!!

潰れて平らになった小鳥の身体は、下側がすでに腐敗して、腹に大きな穴が開いており、
そこにビッシリと詰まった、米粒のように丸々ぴちぴちの蛆、蛆、蛆!!!
まるで、奇妙なカタチのお稲荷さんのようでした。
(これでお稲荷さんを食えなくなった人いたらスマンです)
詰まったそれがぼろぼろと零れ落ち、うようよとアスファルトの上を放射状に這っていく姿!

…さすがにね、悲鳴モノですよ(汗)
ぎゃー!早く捨てて捨てて捨てて!!と叫んでしまいましたね。

この一件で、心からよくわかりました。
それらの作品が、蛆を題材にすることで、どんな忌まわしさを表現したかったのか(汗)

アタマで考えると、そんなこといちいち言ってたら、
水死体食ってる海の魚はどうなんだよ、って気もするんですが(汗)
虫は虫として生きてるだけで、何の忌まわしいことも無い、とも思うんですが(涙)

理屈と言うより、死を恐れる本能的な忌避感のような気もします。
とりあえず、蛆は嫌いになりました。

クリスマス・カロル

2005-12-19 11:05:28 | 本(小説)

「クリスマス・カロル」
ディケンズ 作  村岡花子 訳
新潮文庫 1952年初版発行

***

たまには純文で行こうかと思って(笑)
というか、やっぱり私の紹介する話ですからね(笑)
純文とはいえ、もちろん「GHOST」が出てくる話なのですが。

しかし、さすが名作。私が持っている文庫はなんと版数、92刷めですよ…
初版が1952年。そのわりには、訳がそれほど古く感じないのは…
途中で、いろいろ改定されているのかな?
この話は有名ですし、「三人のゴースト」という映画にもなっていますから、
きっと大抵の人は、「あれ?この話どこかで…?」と思うんじゃないかなぁ。

とりあえず、毎年、この時期になると読みたくなる本なのです。

====

けちで業突く張りで、他人のためには何一つ…それこそ、舌すら出さないほど冷酷な老人、スクルージ。
ある年のクリスマス前夜、彼は、かつて長年一緒に商売をしていたマーレイの幽霊と出会い、
その有様に仰天する。
長い鎖を身体に巻きつけ、永遠に彷徨うその姿。
しかし、マーレイは、この鎖は、自分が生前犯した罪そのものだと言い、
スクルージ自身もそれ以上の長く重い鎖を巻いており、いつか死んだあとには自分と同じように、
永遠に彷徨い続けなければならないのだと諭す。
それを防ぐ方法はただひとつ。明日から三晩に渡って現れる三人の幽霊に会うことだと。

恐れながらも、マーレイの言うがままに承諾するスクルージ。
しかし、翌晩現れたのは、スクルージが思っていたのとは全く違う姿の存在だった。
「私は過去のクリスマスの幽霊だ」そう言った、輝かしい姿の幽霊は、
スクルージに様々な光景を見せ始める。

====

子供のころから、私はやたら「幽霊」だの「お化け」だの「妖怪」だのの出てくる本が好きでした(笑)
だから、最初にこの本を読んだのも「三人の幽霊」とか「クリスマスの幽霊」とかいう感じの、
子供向けの本だったんじゃないかな。
その後、かなり大きくなってから「クリスマス・カロル」を読んで、ああこれはあの話だって…。
かなり判りやすい、道徳的なストーリーではあるのですが、なんか爽やかで好きな話です。

多分、スクルージ以外の登場人物が、みんなやたらいい人なせいもあるかもしれない。
普通、こんな爺さんが近くにいたら、みんな避けて近寄らないとか、
「何だよあのジジィ!」くらい影で言ってそうですが、この物語の中ではそんなことないんだよね。

作中でスクルージが、子供のころの自分を見て、そのころの気持ちを思い出すシーンがあります。
そこを読むと、ついでに自分の子供のころのことも、一緒に考えてしまいます。
本当に、どうして子供の頃の気持ちって忘れてしまうのでしょうね~。
ある日、大人になって振り返ってみても、そのころの子供の自分から今の自分へと続く、
軌跡のようなものが見えなくて、すごく不思議に思うことがあります。
あの自分が、どうして今、こんなんなってるのかなっていう(笑)

そういえば、似たような話で、ブルースウィリスの「キッド」という映画があるのですが、
そちらは子供の頃の自分と直接出会うことで、過去に持っていた夢や希望を取り戻す話でした。
子供の自分が、大人の自分に聞くんですよね。
「大人になったら、犬を飼うって決めてたんだ。今、おじさんは犬を飼ってる?」

思えば、子供の頃に持っていたはずの夢や希望は、どこに行ってしまうんだろうなぁ。
昔、こうしたいと思っていたはずのことが、今は全然魅力的に思えなかったりね。
とりあえず、私は自宅を動物王国にするのが夢だったはずなのですが(笑)
いや、半分は叶ってるかな。子鬼のせいで、夏は昆虫王国でしたからね!(笑)

恋人と一緒に聖夜を過ごすのも素敵ですが、たまにはちょっと、
静かに読書なクリスマスというのも良いのでは♪
薄くてすぐに読み終われます。おすすめ。

***

ていうか、最近、子鬼用の本を図書館に借りに行く都合で、児童図書に目がいってるんですよね。
昔自分が読んだ本とか見つけると、嬉しくなります。

チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁

2005-12-19 01:47:41 | 映画(洋画)

「チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁」 1999年
監督:ロニー・ユー
出演:ジェニファー・ティリー、ニック・スタビル、キャサリン・ハイグル、ジョン・リッター

***

深夜にテレビでやってたので、録画で見ました~

殺人鬼の魂が宿った悪魔人形チャッキーのシリーズ第4弾。
とはいうものの、この作品はコメディ色が恐ろしく強く、
殺人部分の映像が平気なら、まず、ホラーって気はしません。

行く先々に死体の山を築く人形姿の殺人鬼二人の恋模様は、
物騒で人騒がせながらどこか微笑ましく、バカっぽくて憎めない…

…ような気がする(笑)

====

警察にある、未解決事件証拠品のロッカーの中から、盗み出された一体の人形。
粉々に砕かれたそれは、かつて多くの殺人を犯した悪魔人形、チャッキーだった。
盗み出した女は、かつて、人間だったころのチャッキーの恋人ティファニー。
チャッキーへの愛ゆえに、彼を蘇らせたティファニーは、彼自身の手で殺され、
自らも魂を花嫁人形へと移されてしまう。

人間の身体に戻るため、チャッキーの死体の持つ魔法のペンダントを求めて墓場を目指す二人。
そのために利用されたのは、駆け落ちをたくらむ若いカップルだった。

行く先々で起こる殺人に、若い恋人達は内心で互いを疑いつつ、先を急ぐ。

====

ティファニーの揺れる女心が可愛い話(?)でした。
彼女の人間臭さの影響なのか、チャッキーもやることなすこと人間臭く、
やたらと間抜けな部分が目立って、怖さ半減。
ことに二人の痴話喧嘩は、なんていうのか単純で…
「殺しが三度の飯より大好き」というどーしよーもない癖さえなければ、
なかなか微笑ましいお似合いのカップルなのですよね~

とにかく、人形達の微妙な表情が絶品。
決して可愛い人形ではない(というかブキミ)なのに、魅力的で目が離せない映画です。

前三作よりは、ずっと軽いノリで、見やすいですし。
殺人シーンが平気なかたには、普通に楽しめる映画だと思います。
顔に無数のクギぶすぶす、とかが見られれば、大体大丈夫…かな。


そして、ラストはお約束…というか、きっとこうなるんだろうな、と思うとおり。
でも、個人的にはこのまま、続編は出て欲しくないな…。

***
後日追加

続編出ないで!なんて間抜けなことを書いていたら、
実はもう続編公開されてるそうです。

チャイルド・プレイ「チャッキーの種」

なんだか…ちょっと見、ホームドラマになっちゃったみたいだヨ…

コックリさん

2005-12-19 01:06:59 | 映画(洋画)

「コックリさん」 2005年
監督:アン・ビョンギ
出演:キム・ギュリ、イ・セウン、イ・ユリ、チェ・ソンミン

日本版公式サイト:(超ギャグ風味)

国際版公式サイト:(こっちのほうが怖いかも)

***

韓国版「学校の怪談」かと思いきや、実は韓国版「八つ墓村」?(汗)
「目」が重要なキーになっているだけあって、主人公のユジンは本当に目がデカいです。
主人公がクラスメートに囲まれるシーンの「あの目見た? 後頭部叩いたら飛び出そう」
という言葉には、苛めのシーンなのに大笑いっ。
ちょっと小沢真珠に似てると思ったのは私だけかな(汗)
(ちなみに、ウンジュ先生役のキム・ギュリは松たか子に見える…)

===
母親の故郷である、とある山村へ、ソウルから引っ越してきた少女ユジン。
学校で苛めにあい、悩んでいた彼女はある日、同じように苛められている二人の少女と、
禁断の呪い「コックリさん」を試みる。
そして次の日…教室で、苛めをしていた少女の一人が、変死体で発見された。
死因は、自ら頭にビニールを被りそれに火をつけたため、発生した毒ガスによるもの。

同じ手口で次々に起こる同級生の死に、クラスから孤立し、疑いの目を向けられるユジン。
それを庇おうとする新任教師ウンジュの苦労もむなしく、それは徐々にエスカレートしてゆく。

この村で過去に起こった悲劇。存在しない出席番号29番。
村に住むものみなが、心の奥に秘めた罪とはなんなのか。

すべてが明かされるとき、復讐劇の幕はあける。

===

しかし、結局ユジンは
「遠くから転校してきて苛めにあい、ほんの仕返しのつもりでコックリさんをやったら身体を操られ、殺人鬼の汚名を着せられたあげく、用済みとばかりに焼き殺された」
ってことになりますね(汗)
彼女に罪はなく、母親だって、ちょっと仏心を出したばかりに余計に恨まれたと(汗)
しかも、当の母親は目が変になって病院に入ったとのことだったので、映画の時点では殺されてない。
でも、その代わり、娘の無残な死を告げられる、という、まさしくインスクの母親と同じ境遇にされたわけで~。
おおっ、なんかこうして改めて書くと救いが無い話だな~

しかし、個人的には、霊能者の彼女はもう少し活躍してくれるかなと思ったんですが~
単なる説明係に終始し、それが済んだらこっちも用済みという…(汗)
とてもとても思い切りの良い(?)話…

いろいろ考え合わせると、まさしくホラー映画って感じですね!

惜しむらくは、インスクと母親の区別がつかん!ということでしょうか。
遠めに見ると、どっちがどっちやぁ!という気分になるかな。


ちなみに、日本版公式サイトの一番の見所は「コックリマスター」です。
さあ、みんなでトライ!

アボカド一気食い

2005-12-15 18:45:15 | 雑事

どういうわけか、ある日、特定の食品が無性に食べたくなるって時がある。
普段、私は食べることにそれほど関心がなくて、それこそコーヒーさえあれば、
あとはビタミン剤やカロリーメイトでもかまわないって感じなのですが。
(主婦&母親としてはどーしよーもなく不適格な性格だと自分で思う…)

普段は特に食べたいとも思わないホウレンソウを、山ほど買ってきて、
茹でてしょーゆだのドレッシングだのポン酢だので貪ってみたり、
無闇に辛いものが食べたくなって、朝はキムチとご飯、昼はキムチうどん、
夜は豚キムチ、なんて献立を平気で食べてみたり、
とにかく「これが死ぬほど食べたい!」という時があるのです。

今日のそれは「アボカド」
さすがに飽きる味なので、2個も3個も食べることはできませんが、
時折、どうしても…どうしても! どーうしても! 食べたくなる食材なのです。

柔らかく熟した実に包丁を入れたときの、チーズを思わせる感触や、
くりっと回して半分に割ったときの、丸い種の綺麗なかたち。
うすい黄緑色をした果肉の、妙にこってりとした味わい。
美味いよ! アボカド!

昔、最初に食したときは、今まで知っている「果物」のカテゴリから
激しく外れる味と食感に驚いたものですが、
醤油系と相性がいいということは、和食に案外合うということです。
(というか、醤油以外には合わないっすね)

一度、いっぺんに三つスライスしてしまったときは、さすがに気持ち悪くなりましたが、
少量を、お刺身気分で食べるととても美味しい♪

というわけで、今日のお昼はアボカドでした。
満足満足。

処刑列車・死者の体温

2005-12-15 03:44:20 | 本(小説)


「処刑列車」 大石圭
角川ホラー文庫 2005年

「死者の体温」 大石圭
角川ホラー文庫 2004年

***

常に殺人鬼側の目線から、その特異な心理描写を描くことを得意とする大石氏。
過去に「殺人勤務医」「湘南人肉医」を読み、そして今回、
「死者の体温」と「処刑列車」を新たに読んでみました。

===
「処刑列車」
東海道本線・東京ゆき「快速アクティ」が鉄橋の上で突然停止した。
運転手と車掌を射殺し電車を乗っ取ったものたちは、何一つ要求を出さず、
ただ、乗客を閉じ込め、逆らうものを無差別に殺し始めた。
巧みに乗客に立ち混じり、自分達を「彼ら」と呼ぶ犯人は何者なのか。

「死者の体温」
ハンサムで温厚なエリートサラリーマン、安田は、その表の顔とは裏腹な嗜好を持っていた。
誰かにとっての特別な個人。かけがえの無い「人間」そのものを絞め殺し、その未来の全てを奪うことで精神的満足感を得るのだ。
そうして殺された人間は下田にある別荘に埋められ、彼は普通の生活に戻る。
しかし、保身など考える気もない、杜撰な行動は、やがて彼自身を追い詰めていく。

===

「死者の体温」に関しては、どんなに具を変えても、カレーはカレーというか。
お気に入りの殺人者像があるようですね。

彼の作品に繰り返し出てくる、「獲物」への無機質な目線と、弱いものへの優しさ。
赤ん坊や胎児へのこだわり、生殖に繋がらないSEXの嗜好。親子関係の葛藤?
この主人公は、設定こそ変えていますが「勤務医」「人肉医」と同一人物のように見えます。

いや、これだけ深く殺人者目線を掘り下げるかたが、違うパターンの殺人鬼の擬似人格を
大勢持ってらっしゃったら、それも怖いものがあるのですが。
さすがにこれは食傷気味だなぁ。
今日はチキンカレー、明日はシーフードと工夫を凝らしても、やっぱり飽きる。
たまには違うものが食べたくなる(笑)

ただ、どれも「読ませる」ことに関しては、間違いないものではあります。

とはいえこの作品の殺人動機、「かけがえの無い人間、誰かに愛されている人間」
だからこそ殺したい、という一種独特の思考は、怖いものがありました。
誰かに向けられた愛情のかたちを確かめるために殺す。それは、自分自身が愛されていたことを確かめたい、という気持ちの裏返しなのでしょうか。


「処刑列車」に関しては、ちょっと斬新だと思ったのが、「無差別で、純粋な悪意」がテーマであるということ。
後書きには、それを考えるきっかけになった、作者の祖母の家の鉢植えのことについて書かれていました。
祖母が丹精して、綺麗に咲かせていたプランターの花が、一夜にして全て枯れていたのだそうです。
どうやら、何者かが深夜のうちに、熱湯を注いでまわったのでは、ということらしいのですが。

プランターはかなりの数があったにも関わらず、そのひとつひとつにまんべんなく。
もちろん、花を枯らしたところで、それをやった人間に得があるはずもなく、あるのは、ただ、
誰かの悲しむ顔が見たい、という純粋な悪意。

本編よりも、このエピソードにぞっとしました。
いつのまにやら、自分も知らない恨みを受けている、という可能性も無いことはないでしょうが、たとえば、道端に置かれた車につけられたひっかきキズのように無差別で、理由の無い悪意は、
ある意味一番怖いように思えます。

たまたま目についたから殺した。誰でもいいから殺したかった。
そんな理由で殺されたら大人しく成仏できませんよ(汗)


しかし、本編ではさすがにそれでは話にならなかったのか、それなりの理由づけが出てきました。そこが読んでてちょっと残念だったのですよね。これは余分なんじゃないかなって。

「生まれることができなかった胎児」これは、殺人勤務医にも出てきた大石氏の拘りのテーマの一つで、読みながら「やっぱりかー」と思わずにはいられなかったのだけど…
あんまり、ね、実感が沸かなかったんですね。

それは私が、女性であるせいかもしれないし、ホラーが好きなせいかもしれないし、
死を否定的なものとばかりは捉えていないせいかもしれない。
でも、生まれることのできなかったものが、今、生あるもの全てに対して復讐を試みる、
というのは、ぴんと来なかったよ…
せっかく「無差別な悪意」という超怖いテーマがあるんだから、そのまま行って欲しかったな。


総じて大石氏は、残酷な殺人鬼を描きながらも、常に虐げられるもの、か弱く抵抗できないものに強く感情移入し、虐げるものに強い怒りを覚えているように思います。
自分自身を嫌悪しながら、それでも自分でもわからない何かに突き動かされて殺人を重ねる主人公たちさえ、大人になれなかった子供…見捨てられた子供のように見えますし。
そういう意味では、前作の殺人鬼シリーズ三品も同様に、弱者による、強者への復讐…というか…叫び、とか悲鳴の物語、という感じがします。