鼠喰いのひとりごと

DL系フリーゲームや本や映画などの感想を徒然に

震災後の不思議な話

2016-05-12 17:21:11 | 本(その他)
「震災後の不思議な話(三陸の怪談)」 
飛鳥新社 宇田川敬介


買ってみちゃった。

東日本大震災。
あの日はごく普通の平日で、私はふつーにネットしてました。
そこに、いつもよりゆっくりとした、ひどく揺れ幅の広い、変な地震が…しかも、長い。
これは自分が眩暈を起こしているのか?と一瞬錯覚し…
近くのハンガーにかけた衣類が揺れているのを見て、あ、やっぱり地震だ、と。

うちはモノが多い家なので、地震が起きたら、まず廊下に出ることにしています。
部屋だと家具が倒れたり物が落ちてきたりするけど、廊下は何もないのでねー
で、廊下に出て…いつまでたっても、揺れが、おさまらない。

その後、なんとか揺れが収まったあと、テレビをつけて。
ああやっぱり大きいな、と思って…
夜中とか朝方でなくて、まだよかったな、と思ったのを覚えています。
神戸の時は早朝だったので、逃げられなかった人が多かったですから。

しかし、それから数時間後の、同じ画面の中には、
現実とは思われない光景が映し出されておりました。

あの、数分の揺れから、たったの数時間で、二万人近い人の命が失われてしまいました。
正直、規模が大きすぎて…非現実感しか沸かなかったですね…


さて、話を本に戻しましょうか。

内容は、震災時にあった不思議な出来事や幽霊譚を、
当時の状況や、民俗学的な考察なども含めて書かれています。
怪談としては、些細で…ソフトな感じのものが多いかな。
オドロオドロしい扱いもしてなくて、どちらかというと鎮魂の意を込めた語り口。
最終的には被災地の復興を願う形でまとめてありますので、
決して、不謹慎な感じの本ではないですよ。

多少感情移入しすぎて、ウェットな感じを受ける文章ではありますが…
お話を聞かせてくれた方々の気持ちや、身内をなくされた方々の思いに留意すれば、
こうなってしまう気持ちはわかります。
作者さん、きっと良い方なんでしょう。

タクシーに乗る幽霊や、自分の遺体を見つけてほしくて車を事故らせた幽霊、
子供の死体を運んできた(!)母親の霊、
災害の起こった時刻に必ず聞こえる「その日の音」。
中には夜だけでなく、まだ日のあるうちから出てくるケースもあったり、
生きた人間が、影響されてちょっとおかしくなっちゃったり。

まあ…あれだけ大勢の方が、何が何だかわからない状態で亡くなったのですから、
一人も化けて出るなというのが無理な話。
それに加えて、あれだけの異常事態では、生きてる人もみな、
普通の精神状態ではないでしょうから~
いろいろ敏感な、普通より感じやすい状態だったのかもです。

それにしても、タクシーの話と、バスの中の遺体の話はどこかで見たけれど、
それ以外は初見のものばかりでしたね~
たぶん、細かな体験であれば、もっとたくさんあるのだろうけど…
不思議とたいした噂にならなかったのは、身内を亡くした方々にとって、
幽霊話は「他人事でない」ことだったせいかもしれないし、
震災後は「生き残った人間が生きていくのに必死」で、
幽霊や死者に怖がってる余裕もなかったせいかもしれない。

ぶっちゃけ、警察がきちんと機能できないうちは、
幽霊より、生きてる人間…火事場泥棒や強盗のほうが怖いわな。

こういう本が、いまになって出版された、ということは、
それだけ時間がたって、心の余裕が生まれてきた…ってことかもしれません。

「精神科に行こう!」

2007-06-14 13:59:30 | 本(その他)
「精神科に行こう!」
大原広軌=著  藤臣柊子=マンガ
文春文庫PLUS 

*******

この本を買ったとき、大型店舗のテナントである行きつけの本屋のオバチャンは、
「カバー、おかけしますか?」と改めて聞いて来た。
私がカバー要らずなことはもう知っているので、普段は、普通の(?)本だと
まず訊かない。
ただ、ホラー文庫などで、表紙が周囲にチョイと憚りそうなモノだと
訊いてくれるのですね。

『なるほど…このテの本はやはり、憚り扱いか』
と妙に納得しつつ、カバーは遠慮。

そうね…大抵こういう本を買う人は、その辺何かイロイロあって、
手に取るのでしょうからね。
私もやはりいろいろ最近考えることもあって、参考に買ったわけですが。
内容は…、本を普段読まないひと向け? って感じの密度でした。
精神科は全然怖くない!我々はこうだった!悩んでる人は早く行って楽になろう!
と、それだけで一冊使ってる感じかなぁ。

あー、うん、でも、この本を書いた動機は多分、まさしくそこを伝えるため
なんだろうから、主目的は達している。間違いない。

んで、私のほうの主目的には、この本は思ったほどの効果はなかったのだけど、
代わりに、長年の謎がひとつ解けました。

うちの母親、私が幼いときからずっと「心臓発作」で悩んでいました。
突然の激しい動悸…胸が苦しくなって、手足が冷たくなって、
もう死ぬかって感じの発作が、時々起こっていたわけです。
母が心臓発作を起こすたびに、幼心に、このまま母ちゃん死んだらどうしよう?
と不安にもなり、いつか突然ポックリいくかもしれないから、自分も常に
心の準備をしておかなくちゃ! という焦りを感じてみたりしたもんですが。

この本読んでわかった。
うちの母親、パニック・ディスオーダーと呼ばれるものだったんだ、と。

そんなん、心臓の検査でわかんないの? って思った人。疑問はごもっとも。
心臓が悪いという割に、古い人間である母は、大きな病院で検査を受けるのを嫌がって、
古くからの爺ちゃん先生のいる個人病院にかかっていました。
普段から血圧も相当高かったしね。
で、発作どめと、普段飲む心臓の薬も貰って、それをずーっと飲んでいたんだよね。
そのうち、母がトシをとるにつれ、何故かその心臓発作も影をひそめ、
いつのまにやら全く発作止めは必要なくなり。

でも、昨年その医者が、ついに老齢のため診療をやめ、
血圧の薬を貰うのに困った母が、別な病院にかかって発覚したのです。
心臓には特に異常なし。
貰った薬は、なんと全て、精神安定剤。

新しい病院では、高血圧のほかに、甲状腺のほうの異常も指摘され、
多分、こっちのせいもあったのかなぁ? と新しい医者は言っているようですが。
(なにしろ、もうずっと発作は起きないので、調べようがない)

当時の母は、確かにストレスの塊だったし、もともとが心配性でもあって、
家族の誰かが旅行にでも行こうものなら、毎日神棚に拝まずにはいられない性格だったし。
爺さん先生は、これが心臓ではなく精神的なものだと知っていたかもしれないなー。
昔は「精神科」と言ったらその…いまほど捌けた時代じゃないからね、
周囲の理解も無かったし、本人に「これは精神化」と言うことさえアレだったかも。

でも結局、私が大人になるまで、その症状は続いていたわけで…
軽く20年を、その「発作」に悩まされて生きたというのは、やはり、
母は人生的に大きな損をしたような気がしてならない。

今回は、いろんなことが腑に落ちました。なるほどなーって。
…もう「発作」の起こらない今、それを知ったところで、
あまり意味が無いかもしれないけど…


「小泉八雲集」小泉八雲

2006-09-03 02:26:24 | 本(その他)

「小泉八雲集」小泉八雲
訳:上田和夫 新潮文庫

***

小泉八雲…ラフカディオ・ハーンの物語といえば、
怪談でお馴染み、雪女やむじなが有名どころ。
私も今まで「怪談(くゎいだん)」しか読んだことがなく、
今回この本で初めて『こんな色々書いてたんだ…」と知りました。

所謂ガイジンから見る日本人観を書いたヤツは特に興味深いっす。
中でも、日本人の微笑みに関して書いた部分は、
外国人から見ると、こんなことが不思議なのか、って気分になるな。

日本人が悲しいときにも笑ってみせることは、
当時の外国人にとって理解できないことだったらしいですよ。
『夫が死んでるのに、笑ってそれを話すなんて信じられない!』とか。
『こちらが叱責しているのに、ヘラヘラ笑うとは何事だ!』とか。
身内の死について、悲しみを極力抑えて笑ってみせるのはともかく、
叱責されて笑ってるのは、今も昔も日本も英語圏も礼儀知らずに変わり無いと
思いますが…(汗)
小泉八雲は、悲しみや怒りを見せないことが日本人のひとつの礼儀である、
と解釈したようです。

もともとそういう文化に育ってない人が、きちんと他の国のことを
理解できるってのは凄いよね。
今のように、海外の生活や文化を簡単に知ることができない
100年も前の時代にあっては尚更。

そういえばずっと以前、近所にホームステイに来ていた外国人に
『どうして日本人は自分を必要以上に卑下するのか』
というような意味のことを聞かれたことあったな~。
『それは、自分を相手よりも格下に見せることで、
相手を尊敬しているという気持ちを表しているのです』
というようなことを一生懸命伝えましたが。伝わったかどうかはイマイチ。

せんだっても、ボトルメールを紹介したばかりですが、
ちょっと前にも、外国の方とメールをやりとりする機会に恵まれてました。
どういうわけか、最近の私は英語ヅイている(汗)
もともと英語の成績悪くて苦手なのに。

私は今まで、殆ど海外の方と関わる経験が無かったので、
『同じ人間、喜怒哀楽まで変わるもんでもないだろう』と
軽く考えていたのですが、これがまー、思うようには何ひとつ伝わらないんだ。
ハッキリ伝わるのは「はい、いいえ、好き、嫌い」くらいだね(笑)
やっぱり、人としっかりコミュニケーションしようと思ったら、
相手の人となり以外に、育った国や地方の考え方や風習も知らないとダメだと思った。

どうしても、自分の育った環境の考え方感じ方が常識としてあるから、
相手も同じだろうと思い込み、それが誤解を産むんだわ。
そもそも言葉もろくに通じないから、お互いチグハグなまま、
それなりに会話は続くんだけれどさ…(笑)
ま、同じ日本人だって、一体この人どこに神経通ってんだろう?てくらい
考え方の違う人もいることですし。外人ならなおさらかね。

やっぱりね、みんな、自分が今置かれた場所の常識に準じてるわけですよ。
私は日本に生まれたから、日本の常識からモノを見て
善悪と好悪を判断してるわけですが、
たとえば、もし中東に生まれていたら、当然のように
「アラーは全能。アメリカは悪魔の国だ」と考えているでしょうし、
アメリカに生まれてたら「私の国は世界の中心、誇りである」
と自尊心丸出しだったかもしれない。
その場所にはその場所の常識やら判断基準があって、
正しいかどうかを決めるのは、結局多数決によらざるを得ない。
日本人100人の中にアメリカ人が一人なら、
そこでは日本の常識が罷り通るのでしょうし、
イラン人100人の中で日本人が無抵抗平和主義を唱えたって
相手にされないでしょう。
自分がどこに産まれたかが考え方の基本を作っているというのは、
単純でなかなか根深い問題です。

結局、ひとは自分自身の檻から抜け出せず、そこから周囲を眺めるだけでしか
ないんだなー、と。
どう角度を変えてみようと、檻の置かれた場所からの景色しか、
私たちには見ることができない。

どの見方も正しく、また、どの見方もそれが全てではない。
そこで「お前の見ているものはニセモノだ!」と否定してしまうのは簡単ですが…
それでは何も知ることはできない。
小泉八雲の目から見た日本の話を読みながら、そんなことを考えていました。

やっぱり、人間、一度は海外旅行とか留学とかしといたほうがいいよね。
できれば若くてアタマが柔らかいうちにさ(笑)

っていうか、海外行きてい。


「きものが欲しい!」 群ようこ

2006-08-30 04:12:25 | 本(その他)


「きものが欲しい!」 群ようこ
2006年 角川文庫

***

なんでこんな本読んでたかっていうと…4月の入学式できものを着たわけです。
私の持っているヤツはみんな、若いころに作ったものだから、
色華やかで柄行も派手。
姑の「今回着ないと、もう着られないわ」という言葉のもとに、
たまにはいいか~と思ったのですが。

感想:苦しい、動けない、歩けない

着慣れてる人には当然なんでしょうが、和装と洋装では身体の駆動部分
(この言い方/汗)が違うので、動きも全然違うんですよねー。
なので、いつも普通にやってる、歩く、座る、立つ、車に乗る、という動作が、
一瞬わからなくなる。
きものばかりに神経がいって、せっかくの息子の晴れ姿も、小学校の下駄箱の
位置や教室の様子のような、確かめておかねばならないことが全て頭に
入りません。
しかも帯は苦しいわ下駄は痛いわ。
きものといえばハレの日の正装ですが、着慣れていないとかえって
みっともないことになる、とよぉーくわかりましたですよ。

友人に、ヤケにきものの好きな女がいるのですが、彼女に言わせれば、
『普通そんなに締めないんだよ』とのこと。
でも、なにしろ、着付けなど知らない身。
一度着崩れたら、もう二度と直せないと思えばこそ、きつくても我慢しよう、
と思うのさー(汗)

こんなん書くと誤解されそうですが、きもの自体は、
もともと嫌いではないんですよ。
ただ、私の場合、興味の方向が「綺麗なきものを着たい」ではなく、
「綺麗なきものを見たい」…なのかもしれない。
天絹の滑らかさと独特の光沢、固く織り出した文様、
金糸・銀糸で縫い取られた、手の込んだ刺繍。
季節によって選ばれる柄や生地、鮮やかな小物の色あわせ。
そんなものを綺麗だなぁ、素敵だなぁと「見たい」のであって、
自分で身につけたいとは思わないって感じ。

きものに興味がある、というと、普通は着るほうでしょうから、
興味の方向としては、変わっているほうかも…
実際、それを言うと大抵のひとが『ハァ』という感じになって話続かない(笑)

あ、でも、紐と帯でぎゅうぎゅうの普通のきものと違って、浴衣は割と好き。
自宅で洗えるし、着付けもラクだし。値段も安くて惜しげが無いし。
訪問着では公園のベンチにすら座る気がしないけれど、
浴衣なら、その気になればハンカチ一枚で地べたにも座れそうな気安さがいい。
なんだ、要するにズボラだってことかな?

でも、きもの…「着物」という、全身全霊で
『我は衣服である!それ以外の何者でもない!』と主張してやまないシロモノが、
なんだって、こんなに勿体ぶっているのでしょうね。
手のかかった着物はもはや日用品ではなく、美術工芸品の扱いになっていて、
高ければ数千万の値段がついたりする。
で、なんか妙だなーと感じていたそれが、この本の中で形になっていました。

群ようこさん。
歯に衣着せぬ語り口の、このひとのエッセイは、以前から読んでいまして、
その内容から、彼女&彼女の母親ともに『やたらときものが好き』というのも
知ってはいました。
だから、この飾り気無い文章を書くひとが、一体どんなきものの着方をするの
だろうか、ということに興味惹かれたのですが…まずまず思ったとおり(笑)

『普段着としてのきもの』に焦点をあてて書かれた文章は、
それこそピンクブルーグリーンの華やか花模様~というよそ行きの訪問着より、
がっちりした生地の紬や大島、といった、堅実コース中心に書かれていて、
なんか納得。
呉服屋さんに特有のやわらか~な物腰で、暗にプレッシャーをかけてくる、
湿った藁半紙のようなネットリ感にも触れており、
そのへんは私も、過去に数度出合った呉服関係の店で感じていたので、
余計にうんうん、そうそう!という感じ。

そういえば、以前友人に
『きものは着物なのに、なんで普段着じゃ無いんだろう』
というようなことを言ったら、
『普段着ればいいじゃん』と、ハァ?何言ってんの?調で言われたことも
ありましたっけね(笑)
普段から、何もなくてもきものを着てたりする彼女にしてみれば
『普段着れない』という思い込みそのものが妙に感じるんだろうなぁ。
でもやっぱし、私のようにエンの無いひとから見たら、
きものはハレの日のもの、なんだよな~。

つか、いるのか? きもので普段着。

「怪談徒然草」 加門七海

2006-08-02 01:54:23 | 本(その他)

「怪談徒然草」 加門七海
角川ホラー文庫 2006年

****

2002年にメディアファクトリーから刊行され、
一時期話題を巻き起こしたこの本が文庫化されましたよん。
夏ですからねぇ! やはり怪談でしょ。

作者の加門さんは、たぶん本業はモノカキであろうと思うんだけど…
神社・仏閣、民俗学に詳しく、それに関する本も出しており、
私ははじめ、このひとはそっち系の研究者なのだなと思ってました。
著書では、今まで光文社から出ている「203号室」しか読んでないっす。
幽霊が怖いというより、周囲の人間というか、状況が怖い系の話で、
悪くはないけどたいして良くもなかったな。

さて、話を「怪談徒然草」に戻して。
内容は、三夜に渡って著者の心霊体験を対談形式で載せているのですが、
今回、文庫化にあたって内容の一部を一人語り形式に書き換えた模様。
…書いてる内容は大筋で変わってない、と思う。

いつも思うけど、こういう霊感のある人が見る世界って、
一体どんな風なんだろうな。
例えば、石に躓いただけのことでも、見るひとが見れば、
なにやら霊的なものが働いたとかわかるわけで…
でも、多くのフツーの人には、それを知るすべも無いし
…妄想だ気のせいだと言ってしまえばそれまでで。

あそこに誰かいるよ、と言っても、「えー?! ほんと?!」から始まって、
「怖い」とか「気のせい」とか。
他には「写真撮ってみようか」なんてふざけ半分な反応か、
もしくは「そんな嘘言って目立ちたいんでしょ」なんて、
最初から信じない反応が返ってくるのが普通かも。
周囲に同じものを見ることができる人がいない限り、そういう人って、
一度は自分の正気を疑うのではないだろかー。
そう考え出すと、むしろそっちのほうが怖いな、とも思う。

考えてみれば、「203号室」でもメインの恐怖はむしろ心霊体験ではなく、
自分の恐怖や体験を、誰ひとり本当にはわかってくれない…という、
周囲に見捨てられることへの恐怖のほうが強かった。
それに、煽り文句か何かに、これは著者の実体験を踏まえた小説だ…
というようなことが書かれてたような。
どの部分とは書いてませんでしたが、案外、
この「ひとにわかってもらえない感」も実体験なのかなーと。
霊感あるひとにはこういう体験は多いかもしれない。
自分が見ているもの、感じているものを、他人は感じられないわけだしー。

ともかく、霊感ある人が見る世界ってこんな感じ、ということで、
それなりに面白いし楽しめましたよ。
実話に近い心霊体験談の多くがジミであるように、
この本に出てくるエピソードも恐怖度は低め…
最後の一話だけがいろんな意味でコワイかもしれませんが…
ま、初出は4年も前の話だしね。
こうして再び文庫化したということは、多分大丈夫なんでしょう(ニヤリ)

ああ、でも、この本を読んだその日の夜、いきなり私右目が真っ赤になりまして。
結膜炎かと思って病院行ったら、虹彩の部分が炎症を起こしてるって
言われちゃったい。

呪い? 呪い? (笑)


絶望の世界

2005-11-05 00:22:51 | 本(その他)

先日話題にした、毒殺未遂の彼女のHNのモトネタであり、
また、リンクも張ってあった小説サイト。

どうやらけっこう有名なアングラ小説であったらしいのですが、
本家サイトはとっくの昔に閉鎖していて、今はアーカイブでのみ見られるみたい?

本編はけっこう長くて、日記形式。
前半は些細なことから、執拗ないじめにあう主人公の日々を淡々と語り、
後半は…ネットでの人間関係に関するドロドロ話…かなぁ。

同じようなパターンの話が続くため、最後まで読んだのは「絶望の世界」
だけなのですが、内容、けっこうキています。
おそらく、私のサイトを覗きに来るタイプの方々なら、
平気な範囲だろうと思いますが…
欝思考に引きずられやすいひとは読まないほうが無難かも。

「絶望の世界」ミラー

***

引き込まれるように読んでしまうといえば、そうなんだけど…
しかし、これをお気に入りに入れて、何回も読み返す心理ってどうなんだろう。

グルムグンシュでは、他にリンクとして「終わる世界」(自殺前の告白日記?)
「合法ドラッグ」のほか、イラストサイト(秀逸な絵ですがグロ系)、
グロ系写真サイト(見る度胸が無くて確認してません)などがあったりして…。

16歳げんえきじょしこうせぇがこんなん、見るなよぅ…(涙)


実は、もう最近いろいろ面倒になってきたので、
もう一つの昼サイトとこちらの夜サイトを、カムアウトして一緒にしてしまおうか…
なんて思っていたのですが、今回のことでやはり、それはできないと思いました。
下手したら、小中学生が検索してくるかもしれないコンテンツと、
ホラーで内臓がとか人肉がなんて嬉しそうに書いてるところを一緒にはできん!

見たい人間は、検索しててでも見つけるんだから無駄といえば無駄だけど…
うん。いや、一応。けじめというか良心というか(笑)
エロとグロとどっちがより青少年に有害かと言ったら、やっぱりグロだと思うしね(笑)