「処刑列車」 大石圭
角川ホラー文庫 2005年
「死者の体温」 大石圭
角川ホラー文庫 2004年
***
常に殺人鬼側の目線から、その特異な心理描写を描くことを得意とする大石氏。
過去に「殺人勤務医」「湘南人肉医」を読み、そして今回、
「死者の体温」と「処刑列車」を新たに読んでみました。
===
「処刑列車」
東海道本線・東京ゆき「快速アクティ」が鉄橋の上で突然停止した。
運転手と車掌を射殺し電車を乗っ取ったものたちは、何一つ要求を出さず、
ただ、乗客を閉じ込め、逆らうものを無差別に殺し始めた。
巧みに乗客に立ち混じり、自分達を「彼ら」と呼ぶ犯人は何者なのか。
「死者の体温」
ハンサムで温厚なエリートサラリーマン、安田は、その表の顔とは裏腹な嗜好を持っていた。
誰かにとっての特別な個人。かけがえの無い「人間」そのものを絞め殺し、その未来の全てを奪うことで精神的満足感を得るのだ。
そうして殺された人間は下田にある別荘に埋められ、彼は普通の生活に戻る。
しかし、保身など考える気もない、杜撰な行動は、やがて彼自身を追い詰めていく。
===
「死者の体温」に関しては、どんなに具を変えても、カレーはカレーというか。
お気に入りの殺人者像があるようですね。
彼の作品に繰り返し出てくる、「獲物」への無機質な目線と、弱いものへの優しさ。
赤ん坊や胎児へのこだわり、生殖に繋がらないSEXの嗜好。親子関係の葛藤?
この主人公は、設定こそ変えていますが「勤務医」「人肉医」と同一人物のように見えます。
いや、これだけ深く殺人者目線を掘り下げるかたが、違うパターンの殺人鬼の擬似人格を
大勢持ってらっしゃったら、それも怖いものがあるのですが。
さすがにこれは食傷気味だなぁ。
今日はチキンカレー、明日はシーフードと工夫を凝らしても、やっぱり飽きる。
たまには違うものが食べたくなる(笑)
ただ、どれも「読ませる」ことに関しては、間違いないものではあります。
とはいえこの作品の殺人動機、「かけがえの無い人間、誰かに愛されている人間」
だからこそ殺したい、という一種独特の思考は、怖いものがありました。
誰かに向けられた愛情のかたちを確かめるために殺す。それは、自分自身が愛されていたことを確かめたい、という気持ちの裏返しなのでしょうか。
「処刑列車」に関しては、ちょっと斬新だと思ったのが、「無差別で、純粋な悪意」がテーマであるということ。
後書きには、それを考えるきっかけになった、作者の祖母の家の鉢植えのことについて書かれていました。
祖母が丹精して、綺麗に咲かせていたプランターの花が、一夜にして全て枯れていたのだそうです。
どうやら、何者かが深夜のうちに、熱湯を注いでまわったのでは、ということらしいのですが。
プランターはかなりの数があったにも関わらず、そのひとつひとつにまんべんなく。
もちろん、花を枯らしたところで、それをやった人間に得があるはずもなく、あるのは、ただ、
誰かの悲しむ顔が見たい、という純粋な悪意。
本編よりも、このエピソードにぞっとしました。
いつのまにやら、自分も知らない恨みを受けている、という可能性も無いことはないでしょうが、たとえば、道端に置かれた車につけられたひっかきキズのように無差別で、理由の無い悪意は、
ある意味一番怖いように思えます。
たまたま目についたから殺した。誰でもいいから殺したかった。
そんな理由で殺されたら大人しく成仏できませんよ(汗)
しかし、本編ではさすがにそれでは話にならなかったのか、それなりの理由づけが出てきました。そこが読んでてちょっと残念だったのですよね。これは余分なんじゃないかなって。
「生まれることができなかった胎児」これは、殺人勤務医にも出てきた大石氏の拘りのテーマの一つで、読みながら「やっぱりかー」と思わずにはいられなかったのだけど…
あんまり、ね、実感が沸かなかったんですね。
それは私が、女性であるせいかもしれないし、ホラーが好きなせいかもしれないし、
死を否定的なものとばかりは捉えていないせいかもしれない。
でも、生まれることのできなかったものが、今、生あるもの全てに対して復讐を試みる、
というのは、ぴんと来なかったよ…
せっかく「無差別な悪意」という超怖いテーマがあるんだから、そのまま行って欲しかったな。
総じて大石氏は、残酷な殺人鬼を描きながらも、常に虐げられるもの、か弱く抵抗できないものに強く感情移入し、虐げるものに強い怒りを覚えているように思います。
自分自身を嫌悪しながら、それでも自分でもわからない何かに突き動かされて殺人を重ねる主人公たちさえ、大人になれなかった子供…見捨てられた子供のように見えますし。
そういう意味では、前作の殺人鬼シリーズ三品も同様に、弱者による、強者への復讐…というか…叫び、とか悲鳴の物語、という感じがします。