鼠喰いのひとりごと

DL系フリーゲームや本や映画などの感想を徒然に

フレディvsジェイソン

2005-07-30 03:41:23 | 映画(ホラー)

「フレディvsジェイソン」2003年
監督:ロニー・ユー
出演:ロバート・イングランド、ケン・カージンガー、モニカ・キーナ、
   ジェイソン・リッター、ケリー・ローランド

****

やはり、アメリカンホラーの王道作品には、ポップコーンとコーラがよく似合う…って感じ。
怖くないです。ええ。確かに惨殺も起こるのだけど、本筋はそこじゃないというか。
一言で言って、これはホラーじゃありません。エンターテイメントだと思う。

第一印象は、『なんだ? この妙にコミカルなつくり?』(笑)
後で、監督が「チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁」の方だとわかってなんとなく納得しました。
オモシロコワイ感じが、それっぽい。
それにしても、どうしてアメリカンホラーって、回を重ねるごとにお笑いに流れてしまうのだろう?
恐怖と笑いって、そんなに紙一重なモノ?

===

悪夢の中から人を殺める殺人鬼、フレディが街の住民の夢から追い出されてから、
はや10年の月日が経っていた。
街の人々は、すっかりフレディの存在を忘れ、悪夢を見るものも無い。
このままでは、悪夢の消滅とともに、自分の存在すら危ういと知ったフレディは、
一つの計略を思いつく。
湖のほとりのキャンプ場に巣食う殺人鬼、ジェイソン。彼を騙しておびきよせ、
街に殺戮の恐怖を与えることで、自分の存在を再びしらしめようとしたのだ。
再び街に悪夢がはびこれば、必ず誰かがフレディのことを思い出す。
それに乗じて、復活を果たそうというのだ。
しかし、ジェイソンはフレディの思惑に完全には従わず、自分の意志で殺戮を繰り返し始める。
自分の獲物を次々と横取りされ、怒り狂うフレディ。
果たして、二人の殺人鬼の繰り広げる死闘の行方は…?

===

結果からいえば、ジェイソンのほうがずっと大勢殺しまくったにも関わらず、
(ええ、そりゃもう容赦なく)悪役は何故かフレディという、なんとも間抜けた結果に(笑)

どちらかというとジェイソンは、今に至る経緯の悲惨さ、また少しばかり頭が足りない設定ゆえに、
作中でわりと同情的なスタンスで見られていました。
うーん、結局最初はフレディに、そして最後はフレディを倒すために利用されてしまったわけだから、
なんとも哀れな役だとは思いますが…。そのせいか、ヒロインも妙にジェイソンには好意的なんだよね。

そして、もともとはそういう要素がなかったにも関わらず、やむにやまれぬ事情(?)
で殺人鬼になってしまったジェイソンに比べ、フレディは狡猾な快楽殺人鬼。
殺し方一つとっても、力技で芸のないジェイソンと、悪夢に技巧を凝らして楽しむフレディは対照的ですねー。
海外映画はやっぱり役割分担がはっきりしてる(笑)

それにしても、私、昔はエルム街も13金もダメだったんですよね…
でも、今回これを見て「あ、こんなもん?」とか思ってしまう自分がいたりして。
案外、今見たら平気なのかもしれない。
うーん、それなりに、殺戮シーンもちゃんと(ちゃんと?)あるのですけど…。
なんていうか…恐怖の質が、日本のホラーとはやっぱり違うな、と。
雰囲気がアメリカンコミックみたい。

あー、でも海外のホラー映画といえば、前にもどこかで書いたけど、海外モノってどれも…
幽霊でさえ、自分の言いたいことやりたいことをストレートに表現してきますよね。
微妙とか曖昧って言葉は無いのか!と思うくらい。
なんだろう? これは宗教とか死生感の違いなのかな?
それとも、多民族国家だからだろうか。

日本はほぼ単一民族国家で、物事の感じ方考え方に、一応の統一性がありますから、
細やかな表現や、行動や状況からの伏線が張りやすいですもんね。
見る側の思考を予測しやすい、というか。言葉にしなくても意図するところが伝わりやすい。

アメリカではっきり自分の意見を言うことが美徳なのは、民族も習慣も違う人間が一緒に暮らす中では、そうでなきゃ伝わるものも伝わらないっていうのもあるよね。
そういう意味で、みんなに一番伝わりやすい恐怖を書こうと思うとああなるのかな?


何はともあれ、怖い…部分も少しはありますし、惨殺シーンも多少ありますが、
私が見られたんだから、それほどのレベルではないと思う。
どちらかというとコミカルで面白い作品です。

フレディvsジェイソン 公式サイト

歯医者のうた。

2005-07-29 17:00:44 | 雑事

(男と女のラブゲームの節で)

今日も歯医者~月曜も歯医者~
一度通うとキリがない~♪
今日も歯医者~ 月曜も歯医者~
さっさと手を切りたいけれど~♪

今日もまた~今日もまた~
終わってくれ~ない~。

可愛い事務の姉ちゃんが~
にっこり渡す予約表~♪

今日も歯医者~月曜も歯医者~
消毒だけで通わせて~
今日も歯医者~ 月曜も歯医者~
次回は歯石を取るなんて~

今日もまた~ 今日もまた~
治療は10分~

一気にやれよ~そのくらい~♪
哀愁漂う帰り道~♪

……親知らず3本のうち、2本は抜き終わりました。
あと1本は逆側なので、抜いた歯が落ち着いてから。
……治療に間が空くのかと思ったら、
「じゃあ、次は歯石を取りますね」って……

子供が夏休みなのに、歯医者にしか行ってないよぅ。

なんとなく小説のような

2005-07-29 14:52:11 | 商業ゲーム(コンシューマ)

ネットゲームの紹介です。
こ~こはど~この箱庭じゃ?

多分、開いたとたんに「あれ?ここ、初心者のサイトじゃんかよ」
と思われるでしょうが、それは仕様です。

この初心者「行太」さんのサイトにおいて、これから起こる出来事を、
プレイヤーは訪問者であり、観客の立場で見てゆくことになるのです。
そう、まずは、10000人アクセスに名前を入力するところから…
その後は、ゆっくりサイトを見て、掲示板でも覗いてみましょう。

あ、注意がひとつだけ。
ブラウザバックは使っちゃダメです。
必ず、画面の「HOMEに戻る」を使いましょう。
話が進まなくなってしまうので。

最初のクリックのあと、画面の下に
「何をやっているのか、どうしてもわからない方はこちらにどうぞ」
というリンクがありますので、わからなかったら、そちらを読んでみてくだされ。

ゲーム…というより、参加型の小説に近いかな。
ごく短い時間で終わります。ぜひどうぞ。

What do you feel?

2005-07-26 11:20:32 | 雑事

人が何を見て何を感じ、何を思うのかに興味があります。
書評・感想について、ぶらぶらとあちこちのアンケートややり方を見ると、
作品に関係の無い話は余分だ、と思う方も中にはいるようなのですが、
私はむしろ、そこが知りたかったり(笑)

絵画も音楽も、写真も小説も映像も、それは必ず「人間の意識」のフィルターを通り、
その奥にある心に何かを焼き付ける。
全く同じ作品を読んでも、読むひとの意識が違えば、感じることも、物語の捉えかたも、
全く違うものになっているかもしれません。
実際に、同じ映画を見ていても、ダンナと私は全然解釈が違うし(笑)

同じ景色を見ていても、隣のひとと自分とは、全く違うものを見ているかもしれない。
自分が青い、と思っている空の色は、本当に他人にとっても同じ色彩でしょうかね?

こころは共有できないし、どうぞ、と見せられるものでもないけれど、
でも、自分がどう思うか、何を感じたかを伝えることはできる。
言葉は、そのためにあるものだと思います。

そんなわけで、個人的に、粗筋だけのレビューよりも、
その内容からその人が何を思ったか、何を感じたかがあるほうが、読んでいて楽しいっす。
だって、粗筋だけなら誰が書いても、たいした違い無いでしょ。

登場人物の誰が好き!とか、こいつは嫌い、とか(笑)
そういえば、こんなことが昔あってね、なんて自分の過去の体験へ話が飛んだり、
また、こんな話もあるよね、と別な作品へのツナギがついたりして、
その人独自の世界に話が広がるのが好きですね。
自分と感想が全く違うのもまたヨシ。
同じもの見ても、こんなに考え方が違うんだ~ ほほぅ~ っと嬉しくなってしまいます。

いま、会いにゆきます

2005-07-26 11:15:47 | 映画(邦画)

「いま、会いにゆきます」2004年
原作:市川拓司
監督:土井裕泰
出演:竹内結子、中村獅童、武井証

***

「また会いにきます」とか「いま会いにいってきます」とか「会いにきました」とか
いろいろ巷で間違われているらしい、紛らわしいタイトルのこの作品、
レンタル無料サービスで新作レンタルしてきました!(なんてセコい…)

印象に残ったのは、物語を全編に渡って優しく包み込む、森の緑。
湿った涼しい風と、濡れた草の匂いがするような画面はまさに癒し系(?)
そのくせストーリーは、ファンタジー系ラブストーリーなのかと思いきやSFで、
とても意外性がありました。
どちらかというと…仕掛けが、一昔前に使い古された感じのものだっただけに、
え?あー、そうなの? そう来るの?というのに近かったけど(笑)

うん、でも、優しい感じの素敵なお話でしたよ。
「愛」がテーマであるわりに、押し付けがましくなくってね。

===

一年前妻である澪を亡くしてから、6歳の息子、佑司と二人暮しをしていた秋穂巧。
梅雨が始まったばかりの森の中で、彼らは再び死んだ筈の澪と出会う。
ただ、澪にはそれまでの記憶を全て失っていた。

一緒に暮らしていく中で、また再び新たな愛を深めていく家族。
しかし、澪が生前残した絵本の中には、澪の帰還と…
そして再度の別れとを予感させるかのような物語が描かれていた。
梅雨が終われば、澪は再びいなくなってしまう。
そんな悲しい予感を心に秘めながらも、一日一日を大切に暮らしてゆく巧と佑司。

そして、梅雨明け間近なある日、自分が生前埋めたというタイムカプセルを開けた澪は、
そこに意外な事実を発見し、ひとつの決心を固める。



雨の森での出会い。それこそが、全ての始まり。


===

うー、粗筋書きにくい(笑)
最後まで書くとネタバレになるし。

それにしても、最近の竹内結子、出演映画がワンパターン化してませんかね?
「黄泉がえり」「星に願いを」「恋火」みんな死にネタだ~。
いや、どれも凄く雰囲気あるし上手だし、特に恋火はとても好きな作品ではあるのですが。
私としては、ドラマのほうの「ランチの女王」や「不機嫌なジーン」のような
ちょっとコミカルで明るい役柄も捨てがたいと思うんだけど。

相手役が中村獅童っていうのも良かったな。
こう言ってはなんだけど、あまり格好いいって印象は無かったのですよね。
むしろ癖があって、個性的な感じ。

もし、ここで彼ではなく、癖の無いイケメン俳優を使っていたら、
なにもかもが綺麗すぎてわざとらしく感じたかも。
そういえば、ドラマのほうでは、やけに若い二人が同じ役を演じていますね。
一回目を見逃したため(笑)全然見ていないのですが、どうなんでしょう?
映画とドラマではつくり方見せ方が違うから、そっちのキャスティングのほうがいいのかな?

今やってる電車男のドラマ版もそうなんですが、あまりにも作られすぎたお話は、
まるでプラスティックで作られたドールハウスの世界のようで好みません。
あ、でも電車男は、私が原作…というか、書籍化のほうを先に読んだので、
余計に気になるのかもしれないけど。
どうも「整理されすぎてる」感じがして、モトネタの混沌とした感じが無いのが気にかかる。
そもそもアレは、「ごく普通レベル」のオタク男が、
「ごく普通レベル」のオシャレな女性と恋に落ちる「ごく普通」の恋愛であることにこそ
感動があると思うのですが。テレビ版はちょっと飾りすぎじゃない?

さて、話を「いまあい」に戻して。
現役子持ちの私としては、子供を残して死ななきゃならない、というそのへんでもう
感情移入してしまいます。
まだ子供は小学生。いろいろ覚悟はあったにしても、どれほど心残りだったかと。
しかもその上、ダンナは特別な病気を患っている。
到底素直に死んでいられる状態じゃありません。

それでも、澪はそれを全部受け入れた。
私が最後におおっと思ったのは、ストーリーの意外性よりも澪の決断でした。

あと、澪と巧の高校時代からの恋愛模様、まず巧視点から語られる話と、
後で明らかになる澪の視点の話の細かな違いが楽しかった。
こういうのって実際あるよね(笑)
同じ出来事なのに、話してみたら、見かたや感じたことが全然違うの。
それに、高校時代の二人が非常に冴えない感じである点もなんか現実っぽくてイイ。

個人的に気になったのは、彼らがよく行く森の中の工場跡のような廃屋(?)
画面的には最高に綺麗で好きですが、よく雨振って鬱蒼としている中、
こんなところに好んで行くな、と(笑)
雨の森って、実際に行ったらちょっと怖いよ。しかも廃屋。

いや、私は好きですけど(笑)なんか落ち着くよね。廃屋。秘密基地みたいで。
よく子供のころは忍び込んで遊んだものです。
でも、ちょっと一般的ではないかもしれない(笑)

黄泉がえり、恋火が好きだったひと…しかも子持ち既婚者なら、
きっとこの話も好きだと思います。
もう梅雨も明けてしまいましたが、見て涼しい画面はココロの潤いにいいかも?

いま、会いにゆきます 公式サイト
↑サイトデザインがやはりとても綺麗な癒し系で可愛い♪


夏にホラーなアドベンチャー

2005-07-14 11:43:21 | 商業ゲーム(コンシューマ)

私事に忙しいうちに、また一週間も穴が開いてるし(汗)
先週ビデオに録っておいた「フレディvsジェイソン」もやっと昨日見ることができました。

ちょっとまだ忙しいです。
ので、ホラースキーな皆様には、無料のアドベンチャーゲームをご紹介。
とはいえ、有名ドコロなので、もう知ってるかたも多いとは思うのですが。

ANATHEMAstation
シリーズで現在6作。
仕掛けは難しい部分もありますが、お助けBBSが充実しているので大丈夫。
…登場人物がみんな白目なのが、個人的にとても怖い(笑)

Twelve Doors
13歳未満禁止…なのは、内容をちょっと見てもらえば大体理由はわかるかと…。
マルチエンディングです。こちらは別に攻略サイトもありますので検索してみては。

双方ともバイオハザードっぽいつくりですが、血腥さは12扉のほうが強いかも。
お好きなかたはプレイしてみてください。

海猿

2005-07-07 11:27:08 | 映画(邦画)

「海猿」 2004年
監督:羽住英一郎
原作:佐藤秀峰(原案・取材 小森陽一)
出演:伊藤英明、加藤あい、海東健、香里奈、伊藤淳史

フジテレビ系で現在ドラマ版も放映中。

***

第一印象。ものすごく「健全」。
もちろん映画ですから、オチコミや盛り上げ部分もあるのですが、
クセもアクも無い登場人物達の人格も手伝って、それすらも健全範囲内。
最後まで安心して見られる映画でした。

====

海上保安庁の潜水技術過程研修。
「潜水士」を目指す14人の若者たちが、50日間に渡る厳しい訓練を受けるその場に、
主人公、仙崎大輔はいた。
潜水士を目指した「本当の理由」を問われ、それぞれが「女にもてるから」「優遇されるから」
といった理由を述べていく中、仙崎は言う。
「船上勤務は退屈でした」
東京で営業マンをしていた彼は、海が好きだからという理由で海上保安庁に転職。
しかし、海難救助の最先端の現場に立ちたい、という憧れから潜水士になることを希望したのだ。
華やかな潜水士という仕事への、些細な憧れ。
しかし、それは同時に重い責任と危険とを伴うものだった。

仙崎が組まされたバディ(2人1組で潜水する際の相棒。ダイビングの必須条件とされる)は工藤。
彼はもともとダイビングマスターライセンスを持つ仙崎と違い、訓練でことごとく仙崎の足を
引っ張る存在だった。
しかし、純粋に人命救助を目的として潜水士を志す彼に仙崎は好感を覚え、
二人で必ず潜水士になろう、と誓う。

潜水士のタマゴ…通称「海猿」たちの、50日間のお祭り騒ぎな日々と育まれる友情。
出会いと恋愛。突然襲った思いがけない哀しみ。
そして、やっと海洋実習最終訓練にまで漕ぎ着けたその日、仙崎とバディを組んだのは、
かねてから仙崎をライバル視しつづけていた三島だった。

====

男同士が集まった時の馬鹿騒ぎな感じが、ウォーターボーイズに似た感じがあるなーと思いました。
飲み屋の水槽で素潜り勝負とか、とにかくあちこちで脱いじゃうところとか、
(しかし、男の人ってなんで調子に乗ると脱ぎたがるの? 本能?)
バッカじゃないの?と思いつつ爆笑してしまう。

ちなみに、私泳げません。
水が怖くってね。昔は顔洗うのもイノチ懸けでしたとも。ええ。
だから、たとえ呼吸ができるとわかっていても、周囲が全部水、頼るのは口についてる
細いホースと背中のタンクだけ、という状況は絶対耐えられません。

私と対照的に泳ぐのスキーな姉には、信じられないとよく言われますが(汗)もー怖くて怖くて。
呼吸のしかたひとつ、海底からの浮上ひとつ自由にできず、冷静に対処しなくてはならないなんて、
それだけでパニックになりそうだ(汗)

「バディ」についての記述を見ると、その多くは神聖なもの、絶対のもの、侵されざるもの、
といったロマンチシズムを感じます。
それを見て、やっぱりどんなに水に慣れた人でも、深い海の底…人間の生きるべき世界ではない
場所に行くには、一人では無理なのだ、と感じました。
広い広い海の中で、たった一人ではない、信頼に足る存在が側にいる、という感覚。
不測の事態に備える意味ももちろんあるでしょうが、「バディ」で本当に必要なのはむしろ
「精神的な支え」なのではないかな。

水深40メートル、バディと2人で取り残された。
使えるボンベはひとつ、残圧30。片道一人分。
…さあ、どうする?

作中、幾度も問われる、この問い。
これは教官の苦い経験から出ているだけに、重い言葉です。
バディと二人で生還する見込みはない。二人で死ぬか、どちらか一人生き残るか。
時に、無情な決断も必要になるかもしれない。その覚悟をしろと。

そういえば、刑法には「緊急避難」というのがありましたね。
自分に生命の危険が迫っているとき,自分の命を守るためにやむをえず近くにいた人を
傷つけてしまう行為には違法性がない…ということらしい。

自分の命と他人の命、秤にかけて自分の命を取らない存在は、およそ生物とは言えません。
だから、この法律は全く理に叶っている。
でも、法的に裁かれなくとも、きっと、そういう行動を取ってしまったら、その人は生涯
罪の意識を背負って苦しまなければならないのでしょう。
しかし、ぎりぎりで下すだろう、自分の決断を背負っていく覚悟か。重いなぁ。

加藤あい演じる伊沢環菜も、今時っぽい女性でしたね。
純情だったり可愛すぎることもなく、主人公へ感情移入しすぎることもなく。
自然な位置だなぁーと思いました。
映画の続きになるドラマ版ではさらに、仙崎への気持ちが醒めてしまった状態からスタート
しましたから、どうなるのか楽しみです。

しかし、映画の次はドラマ化かぁ、と思っていたら、実は映画も2作目を製作中らしい(汗)
すごいなフジ。なんかこの商魂にSONYと通じるものを感じる…

海猿 公式サイト


PS.関係ないけど、私は海上保安庁に間違い電話をかけたことがある。
コドモにダイヤルを回させてて(古いタイプの黒電話は、コドモにはちょっと難しい)
相手が出たと思ったらビシっとした男性の声で「ハイ、海上保安庁です!」

海上保安庁? 何故に海上保安庁? とパニクったわたし、
「あ、あ、あ、スイマセン! 間違えっ…!あの、コドモが!」とヘロヘロ。
「ああ、はい、わかりました」
と気を悪くした様子もなく相手方は切ってくれたのですが、
対応してくれた方、そのせつは御迷惑かけました。

…とこの場を借りて謝っておこう…

トマト

2005-07-05 10:57:10 | 雑事

ママ友から電話がきた。
郷里から野菜をいろいろ送ってきたのでいらないか、と。
どんな野菜? と貰う立場でありながら、図々しくも聞いてみる私。
出てきた名前は、トマト、きゅうり、ピーマンと、足の早い(腐りやすい)ものばかり。
そりゃあ、大量に貰えば人にあげたくもなるだろう、と、さっそく彼女の家に取りに行った。

私はトマトが大好きで、特に、加熱して味の濃くなったヤツが好き。
しかし「トマトを焼く」という行為は、平均的日本人には馴染まないらしく、
大抵の人間は「トマトを焼いて食べる」と言った時点でうげぇ、という顔をする。
ダンナなど、私がトマトとベーコンと卵を一緒に炒って食べているのを見て、
いつも気味悪そうにしているし。

トマトソースのスパゲティ、みんな食べるじゃん! ケチャップだってかけるじゃん!
と言ってみても、それは話が別、とか言われたりして。そうかな?

とはいえ、普通に売ってる、味の薄いトマトは加熱してもいまひとつ。
友人宅はもともと農家なせいもあって、収穫ギリギリまでもがれずに、
栄養をパンパンになるまで詰めました!って感じの野菜はどれも巨大で、そして味がいい。
だから、友人の実家から来る、完熟も完熟、全身満遍なくリコピン色の、
この上なく健康的なトマトは、私にとっては目がハートになるくらい好きな食べ物なのだ。

貰ったトマトは、一個はそのまま、他はオリーブオイルで焼いてにんにくやオレガノを振って、
トマトソースにして食べてしまった。
巨大トマト6個を二日で完食。
本当に美味しかった。大満足っ♪

ところで、トマトを湯むきするとき、いつも思うことがあるんだけど。
湯剥きっていうのは、トマトに切れ目を入れて熱湯につけて剥く方法で、
薄い皮でもこの方法だとするすると剥ける。

で、いつもそれをやるたびに、火傷した人間の皮膚がずるっとむける感じって、
こんなんかなー、と思ってみたり。
一度、友人にそれを言ったら「アンタ、よくそんなこと料理中に考えるね」なんて
呆れ顔をされたっけな。

昔から、吸血鬼が血の代わりに飲むのはトマトジュースと決まっているし、
物語の世界では「つぶれたトマトのような」と称される死体も数多い。
きっと、トマトのそういうホラーな部分も、私が好む一因であるに違いない。


…うふふふふ。 まさか、最後はこうなるとは思わなかったでしょうー
しかし、いつも「ですます調」で書いているから、「だ・である調」はなんか書きにくいな…

ちびロボ!

2005-07-04 10:13:04 | 商業ゲーム(コンシューマ)

「ちびロボ!」
ゲームキューブ 2005年

***

買っちゃいました! CMがあまりにも可愛かったので~♪
宣伝コピーの「それは、人をハッピーにさせる冒険です」というのもイイ。
うちはまだ子鬼に、戦い系のゲームはさせていないのですが、
このテのほのぼのゲームは安心して画面見せられるしねー♪

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ある日、とある家庭。
8歳の少女ジェニーの誕生日に、パパからのプレゼントとしてやってきた「ちびロボ」。
プレイヤーはこのちびロボになって、家の中のゴミを拾い掃除をし、
時にはうまくいかない家族の仲裁をしたりしながら「ハッピー」値を貯めてゆきます。
人のいないところでは自由に動くおもちゃ達や、何故かちびロボを襲ってくるクモ型ロボット、
スパイダー。そして、地下室に転がる、壊れた巨大ロボット。
様々な存在との出会いが、また新しい冒険を生み出していきます。

小さなちびロボが生み出す、大きな幸せの物語。
そこには、どんな結末が待っているのでしょうか?
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やってみた感じ、「ピクミン」にちょっと似ている、と思いました。
小さな存在が主人公で、部屋の中のものを駆使してルートを探し、高いところに上ったり、
隠されているアイテムを探したり。
オブザーバー的な存在(ピクミンでは喋るロケット、ちびロボでは自称「マネージャー」の
トンピー)がいて、いろいろ説明的な役割を担う点、また、言葉がどこの言葉でもない
「宇宙語(笑)」で、それに字幕がついてるところも共通項。
半日の時間が最大15分に制限されているところもそうですね。

ただ、ピクミンと違うのは、いくつか平行して起きるイベントがそれぞれ干渉しあっていて、
タイミングによっては物事の順序が大きく変わってしまう、ということ。
大筋としては、ジェニーの家族問題とデカロボの復活シナリオが中心なのですが、
そちらをヤミクモに進めると、あまりちびロボが成長していない段階で、ボスキャラ(?)
との戦いがきてしまう。

ひとつひとつの出会いを、ゆっくり楽しんで。
それが、ちびロボを楽しむコツかもしれません。

とりあえず、ハードがゲームキューブということで、誰にでもはお勧めできません。
小学生くらいの子供がいれば無駄にはならないでしょうが、
大人がそれだけのために買うには、ちょっと他のソフトの品揃えが寂しいし(汗)
ただ、ピクミン…とりわけ、ピクミン2が好きだった人なら、きっとハマれるんじゃないかな。

ちびロボ! 公式サイト

めぐりあう時間たち

2005-07-03 04:18:06 | 映画(洋画)

「めぐりあう時間たち」 2002年
監督:スティーブン・ダルドリー
原作:マイケル・カニンガム
出演:ニコール・キッドマン、ジュリアン・ムーア、メリル・ストリープ

***

私の好みと傾向からすれば、多分進んで見ることはなかったろう映画。
好きで読ませていただいている小説サイトの管理人、馨子さんのブログから、
ちょっと興味を惹かれて借りてみました。
ちなみにここです。
もっとも、そこで紹介されているのは原作本のほうなので、私の見た映画版とは
内容が違うかもしれないのですが。

そもそも、学の無い私は「ヴァージニア・ウルフって誰よ?」って世界だったり(汗)
近代作家として、有名な方なんですね(さらに汗)

さて、粗筋ですが…書くのが凄く難しい。
別な時代を生きる三人の女性が、それぞれパーティを開く一日の様子を、
交互に見せていく…という形なので。
よくアドベンチャーゲームで「ザッピング」というシステムがありますが、
それにちょっと近いつくりかも。
三人の主人公に視点変更しながら、似ているけれど、微妙に違う人生を覗いていくのです。
ですから、今回は粗筋ではなく、その主人公達について感想を述べていきますね。

さて、主人公は、三つの時代を生きる、三人の女性。
1923年の作家、ヴァージニア・ウルフ。
1951年の主婦、ローラ・ブラウン。
2001年の編集者、クラリッサ・ヴォーン。
ヴァージニアの書いた小説「ダロウェイ夫人」を一つの鍵として、
三つの人生は微妙に重なり、リンクし、それぞれの苦悩と哀しみとを描きます。

似ているようで、微妙に違う三つの人生。
時代はたとえ違っても、人間というものは基本的に変わらない、と捉えるか、
どれほど似た状況でも、悩みは苦悩は人それぞれに違うものだ、と捉えるか、
そのへんは見る人次第ってところでしょうか。

それにしても、主人公達が揃いも揃ってエキセントリックでした。
2001年のクラリッサだけは強さを感じさせますが、他の二人は、
さぞ人生生き難かったことでしょう。
それは本人にしてみればどうしようも無いことなのでしょうし、
ましてや周囲のせいでもないのですが、なんというか…見ていて気の毒です。

ただ、ヴァージニアに関しては、職業が「作家」ということもあって、
なんとなく行動に納得がいくところもあるかな。
私の好きな江國香織さんのエッセイ「いくつもの週末」という本のなかにこんな一節が。
江國さんが結婚後、一人で旅行することを決めたことで、旦那さんに言うのですね。

「九月の旅行、私の我儘なのは知ってるわ。
でも私はその我儘をなおすわけにはいかないの。
そのこと、本当はわかっているんでしょう?」

これを見たとき、ああ、作家ってこうなのかなぁ、と妙に納得しました。
彼女が彼女であるために。自分が自分であるために。
そして、それをもし変えてしまったら、作品はもう書けないのかもしれない。と。
今回の映画のヴァージニアを見て、江國さんのこの台詞を連想していました。
そのまま、ヴァージニアが吐いてもおかしくないような気がします。

また、主婦のローラ。
彼女の心境は…正直、私にはよくわからない。
彼女を苦しめているのは、周囲の穏やかな「日常」そのもので…。
一般に幸せの象徴とされるような、子供の存在や、穏やかな夫、平凡な家庭生活こそが、
彼女を内側からキリキリと締め上げているような気がしました。
周囲から見て、あなたは幸せね、と思われるそのことが、またさらに彼女を追い詰める。

彼女の夫の善良な鈍感さは、作中で、ローラの孤独を深めるような扱いで描かれていますが、
実際に結婚するなら、多少鈍感な人のほうが幸せな気がします。
妻がローラだったからこそ、不幸に感じるのでしょうね。
それは、彼女の心に秘めた、報われない恋のせいかもしれないけれど…
うーん、やっぱりよくわからない。
でも、このわからなさ加減が、一人の人間の人生を見てるんだな、という
妙なリアルさを感じさせます。

前出のヴァージニアも良き旦那様がいて、経済的にも随分裕福そうに見えましたし、
ハタから見れば、二人とも「何不自由ない暮らし」に感じるでしょう。
本当に、何を幸福と感じるか不幸と感じるかは、個人的なことなんだなぁ。

そして、2001年のクラリッサ・ヴォーン。
三人の中で、彼女だけが異質です。
それは、彼女が他の二人と違い、他人のために生きているからかもしれません。
結局、彼女が愛した人間は自ら死を選ぶのですが、彼女の悲しみには、どこか希望があります。

そういえば、作中でヴァージニアが、夫に問われるシーンがありました。
「何故、登場人物を殺さなければならないのか?」と。
それに対して、ヴァージニアは
「死と対比して、生を際立たせるため」と答えます。
2001年のクラリッサ・ヴォーンの人生は、まさにこれだ、と思いました。
彼女の生を鮮やかに際立たせるために、彼は死ななければならなかったのかと。

そう思うと、三人の物語のうち、ローラとクラリッサの物語は、
まるでヴァージニアの筆によって描かれた物語の世界のようにも思えます。
あるいは、ヴァージニアは、時代を超えて不変である「人間」を描く作家であった、とも。
そういう意味では、この物語は作家「ヴァージニア・ウルフ」へ捧げる敬愛の物語、
とも捉えられるかな。

いつも、私が紹介する作品とは、やはりちょっとカラーが違いますね…
生きている人間の日常と同じで、さらっと流し見ることもできるけど、考え出すと恐ろしく深い。
万人に勧められるって感じはしませんが、作家ヴァージニア・ウルフについて知っている方が見ると、
さらに深く楽しめるかもしれません。

めぐりあう時間たち 公式サイト