「フレディvsジェイソン」2003年
監督:ロニー・ユー
出演:ロバート・イングランド、ケン・カージンガー、モニカ・キーナ、
ジェイソン・リッター、ケリー・ローランド
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やはり、アメリカンホラーの王道作品には、ポップコーンとコーラがよく似合う…って感じ。
怖くないです。ええ。確かに惨殺も起こるのだけど、本筋はそこじゃないというか。
一言で言って、これはホラーじゃありません。エンターテイメントだと思う。
第一印象は、『なんだ? この妙にコミカルなつくり?』(笑)
後で、監督が「チャイルド・プレイ チャッキーの花嫁」の方だとわかってなんとなく納得しました。
オモシロコワイ感じが、それっぽい。
それにしても、どうしてアメリカンホラーって、回を重ねるごとにお笑いに流れてしまうのだろう?
恐怖と笑いって、そんなに紙一重なモノ?
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悪夢の中から人を殺める殺人鬼、フレディが街の住民の夢から追い出されてから、
はや10年の月日が経っていた。
街の人々は、すっかりフレディの存在を忘れ、悪夢を見るものも無い。
このままでは、悪夢の消滅とともに、自分の存在すら危ういと知ったフレディは、
一つの計略を思いつく。
湖のほとりのキャンプ場に巣食う殺人鬼、ジェイソン。彼を騙しておびきよせ、
街に殺戮の恐怖を与えることで、自分の存在を再びしらしめようとしたのだ。
再び街に悪夢がはびこれば、必ず誰かがフレディのことを思い出す。
それに乗じて、復活を果たそうというのだ。
しかし、ジェイソンはフレディの思惑に完全には従わず、自分の意志で殺戮を繰り返し始める。
自分の獲物を次々と横取りされ、怒り狂うフレディ。
果たして、二人の殺人鬼の繰り広げる死闘の行方は…?
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結果からいえば、ジェイソンのほうがずっと大勢殺しまくったにも関わらず、
(ええ、そりゃもう容赦なく)悪役は何故かフレディという、なんとも間抜けた結果に(笑)
どちらかというとジェイソンは、今に至る経緯の悲惨さ、また少しばかり頭が足りない設定ゆえに、
作中でわりと同情的なスタンスで見られていました。
うーん、結局最初はフレディに、そして最後はフレディを倒すために利用されてしまったわけだから、
なんとも哀れな役だとは思いますが…。そのせいか、ヒロインも妙にジェイソンには好意的なんだよね。
そして、もともとはそういう要素がなかったにも関わらず、やむにやまれぬ事情(?)
で殺人鬼になってしまったジェイソンに比べ、フレディは狡猾な快楽殺人鬼。
殺し方一つとっても、力技で芸のないジェイソンと、悪夢に技巧を凝らして楽しむフレディは対照的ですねー。
海外映画はやっぱり役割分担がはっきりしてる(笑)
それにしても、私、昔はエルム街も13金もダメだったんですよね…
でも、今回これを見て「あ、こんなもん?」とか思ってしまう自分がいたりして。
案外、今見たら平気なのかもしれない。
うーん、それなりに、殺戮シーンもちゃんと(ちゃんと?)あるのですけど…。
なんていうか…恐怖の質が、日本のホラーとはやっぱり違うな、と。
雰囲気がアメリカンコミックみたい。
あー、でも海外のホラー映画といえば、前にもどこかで書いたけど、海外モノってどれも…
幽霊でさえ、自分の言いたいことやりたいことをストレートに表現してきますよね。
微妙とか曖昧って言葉は無いのか!と思うくらい。
なんだろう? これは宗教とか死生感の違いなのかな?
それとも、多民族国家だからだろうか。
日本はほぼ単一民族国家で、物事の感じ方考え方に、一応の統一性がありますから、
細やかな表現や、行動や状況からの伏線が張りやすいですもんね。
見る側の思考を予測しやすい、というか。言葉にしなくても意図するところが伝わりやすい。
アメリカではっきり自分の意見を言うことが美徳なのは、民族も習慣も違う人間が一緒に暮らす中では、そうでなきゃ伝わるものも伝わらないっていうのもあるよね。
そういう意味で、みんなに一番伝わりやすい恐怖を書こうと思うとああなるのかな?
何はともあれ、怖い…部分も少しはありますし、惨殺シーンも多少ありますが、
私が見られたんだから、それほどのレベルではないと思う。
どちらかというとコミカルで面白い作品です。
フレディvsジェイソン 公式サイト