昨日、山陽街道(中国街道・西国街道)を三宮から明石まで歩きました。
ポートライナー三宮駅に近い、西国街道の石碑がある地点からスタート。
「三宮北」交差点にて、JR三ノ宮駅と阪急神戸三宮駅。
三宮神社。
元町通商店街のアーケードを進む。
アーケードを抜けたところにある兵庫県里程元標。
JR神戸駅前。
兵庫津に近い、V字の曲がり角にある札場の辻跡。
JR兵庫駅付近のガードをくぐる。
山陽西代駅。
月見山にて、阪神高速3号神戸線の下をくぐる。直下に、阪神大震災を機に整備された天井川公園。
山陽須磨寺駅付近を通る都市計画道路「中央幹線」と、その完成記念碑。
阪神大震災直後に神戸市が発表した道路整備案に地元自治会が協力して完成したとのことです。
菅の井広場とその中にある菅公手植えの松。
菅原道真が大宰府への左遷の途上、須磨へ立ち寄った際にここで井戸の水を飲んだとのこと。
須磨浦公園にある、源平史跡・戦の浜の石碑。源平の戦いにおける一ノ谷の戦いの戦場でした。
須磨浦公園にて、1954年(昭和29年)の国土緑化記念植樹祭への天皇皇后両陛下来訪記念に建てられたみどりの塔。
左側の台座にも右側と同様に地球儀(ボール状のもの)がありましたが、阪神大震災で落下し、
震災の記憶を忘れないためにそのままにしてあるとのこと。
須磨浦公園にて、海岸沿いを走るJR。
須磨浦公園駐車場先にある敦盛塚。一ノ谷の戦いで源氏方の熊谷直実に討たれた平敦盛の供養塔との伝承があります。
須磨~塩屋間は、JRと山陽の間の道を進みます。
塩屋駅の直前、海岸沿いを走っていたJRが道路の下をくぐって内陸側に移ります。
三井アウトレットパークなどがあるマリンピア神戸への道。JR・山陽垂水駅から無料のシャトルバスが出ています。
舞子にて明石海峡大橋をくぐる。
国史跡・舞子砲台跡の石碑。1863年、勝海舟の指導により明石藩が築造した台場がありました。
JR舞子駅。
海岸より、明石海峡大橋を臨む。
山陽西舞子駅。
JR朝霧駅の少し手前にて。神戸市から明石市に入ります。
朝霧駅。
朝霧駅を過ぎた直後の陸橋を渡ってすぐ、国道を外れて左に曲がります。
山陽人丸前駅近くにある稲爪神社。
「左 ひやうご 大阪 道中」とある道標。右に曲がります。
道標のすぐ近くにある日本標準時子午線通過の標柱。
明石駅近くの商店街にて、今日の旅を終了。JR明石駅から帰宅しました。
ポートライナー三宮駅に近い、西国街道の石碑がある地点からスタート。
「三宮北」交差点にて、JR三ノ宮駅と阪急神戸三宮駅。
三宮神社。
元町通商店街のアーケードを進む。
アーケードを抜けたところにある兵庫県里程元標。
JR神戸駅前。
兵庫津に近い、V字の曲がり角にある札場の辻跡。
JR兵庫駅付近のガードをくぐる。
山陽西代駅。
月見山にて、阪神高速3号神戸線の下をくぐる。直下に、阪神大震災を機に整備された天井川公園。
山陽須磨寺駅付近を通る都市計画道路「中央幹線」と、その完成記念碑。
阪神大震災直後に神戸市が発表した道路整備案に地元自治会が協力して完成したとのことです。
菅の井広場とその中にある菅公手植えの松。
菅原道真が大宰府への左遷の途上、須磨へ立ち寄った際にここで井戸の水を飲んだとのこと。
須磨浦公園にある、源平史跡・戦の浜の石碑。源平の戦いにおける一ノ谷の戦いの戦場でした。
須磨浦公園にて、1954年(昭和29年)の国土緑化記念植樹祭への天皇皇后両陛下来訪記念に建てられたみどりの塔。
左側の台座にも右側と同様に地球儀(ボール状のもの)がありましたが、阪神大震災で落下し、
震災の記憶を忘れないためにそのままにしてあるとのこと。
須磨浦公園にて、海岸沿いを走るJR。
須磨浦公園駐車場先にある敦盛塚。一ノ谷の戦いで源氏方の熊谷直実に討たれた平敦盛の供養塔との伝承があります。
須磨~塩屋間は、JRと山陽の間の道を進みます。
塩屋駅の直前、海岸沿いを走っていたJRが道路の下をくぐって内陸側に移ります。
三井アウトレットパークなどがあるマリンピア神戸への道。JR・山陽垂水駅から無料のシャトルバスが出ています。
舞子にて明石海峡大橋をくぐる。
国史跡・舞子砲台跡の石碑。1863年、勝海舟の指導により明石藩が築造した台場がありました。
JR舞子駅。
海岸より、明石海峡大橋を臨む。
山陽西舞子駅。
JR朝霧駅の少し手前にて。神戸市から明石市に入ります。
朝霧駅。
朝霧駅を過ぎた直後の陸橋を渡ってすぐ、国道を外れて左に曲がります。
山陽人丸前駅近くにある稲爪神社。
「左 ひやうご 大阪 道中」とある道標。右に曲がります。
道標のすぐ近くにある日本標準時子午線通過の標柱。
明石駅近くの商店街にて、今日の旅を終了。JR明石駅から帰宅しました。
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