降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★局長でも年収200万=「北海タイムス物語」を読む(110)

2016年05月31日 | 新聞

(5月30日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第110回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼浦ユリ子(うら・ゆりこ)=野々村と同期。札幌南高→早大政経卒24歳。
道新を受けたが不合格。現在、道庁クラブ付き遊軍
▼河邑太郎(かわむら・たろう)=野々村と同期。東京出身23歳、早大二文露文科卒。
現在、道警担当

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 459ページから 】
部長や局長になってもそんな給料❶だって言うけど、じゃあ結婚してる人はどうしてるんだよ。
家族いる人たちはどうやって食べさせてるんだよ」
「食べさせてるんじゃない。食べさせてもらってるんだ、奥さんたちに。
こんな新聞社があるなんて俺も知らなかった。ほんと迂闊だった❷よ。ちきしょう」
河邑の頰は興奮で赤黒く発色していた。
「でも、マンション借りるとき、大家さんが『タイムスの記者なんですか。すごいですね』ってよくしてくれて『エリートですね。記者さんて給料すごくいいらしいですね』とか言われたぞ」
北海タイムスっていったら名門だからな。昔はよかったらしい❸から。
一般の道民はいまの状況知らないんだよ。知ってるのは新聞業界の人間だけだ。それも北海道の業界人しか知らない。知ってたら俺だってこんなとこ受けねえよ。
朝毎読が北海道に上陸する前は道新とタイムスの部数は今ほど大きく離れてなかったらしいんだ。
全国紙が上陸したときに道新は販売を徹底強化して迎撃態勢をとって逆に部数伸ばして、いま百二十万部だろ。
タイムスだけが朝毎読に部数を食われちまったらしい」
「いまタイムスは何万部?」
「二十万部くらいじゃないか」



❶部長や局長になってもそんな給料
ときは、イケイケドンドンの1990年。
そんなバブル期でも、北海タイムス42歳男性正社員の年収は 200万円いかず。
…………むむむむむむ。
そして、
「管理職になると超勤料つかないから、編集局長も編集局次長もおんなじくらいだってよ。みんな二百万前後だ」(河邑記者調べ)
…………むむむむむむむむむ。

❷迂闊だった
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集 第13版」(株式会社共同通信社発行)では、

うかつ 迂闊)→うかつ。うっかり(△は漢字表にない字)

平仮名にするか、「うっかり」に書き換えましょうと言っているけど、小説を書き換えるわけにもいかないので、著作物なのでこのまま行ってください。
*どっこい書き換える校正者は、いる
作家の椎名誠さんや坪内祐三さんは、嘆きと怒りでそんな校正者を指弾していた。
➡︎2013年8月12日付「文章を書きなおす校正者、いるいるいる」みてね。
新聞社でも「二人三脚」「十人十色」を横組みにしたら、わざわざ「2人3脚」「10人10色」に赤字なおしした校閲マンもいたし……とほほほ。


❸北海タイムス……昔はよかったらしい
1990年当時から見た「昔」は、具体的にはいつごろなんだろう。
▼毎日新聞北海道版・発行開始=1959(昭和34)年4月~
▼読売新聞・同=1959(同)年5月~
▼朝日新聞・同=1959(同)年6月~
……1960年代以降、札幌などで北タイ紙が全国紙の草刈り場になったようだ。

————というわけで、続く。

★最悪だょと新入社員は言った=「北海タイムス物語」を読む (109)

2016年05月30日 | 新聞

(5月28日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第109回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼浦ユリ子(うら・ゆりこ)=野々村と同期。札幌南高→早大政経卒24歳。道新受験も不合格。現在、道庁クラブ付き遊軍
▼河邑太郎(かわむら・たろう)=野々村と同期入社、東京出身23歳、早大二文露文科卒。現在、道警担当

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 459ページから 】
「それでさ、俺、編集局に上がってデスクの綾部さん❶に聞いたんだ。
驚くなよ。綾部さんも年収二百万ないんだって」
「あの人、たしか三十代後半じゃなかったか……」
いや、四十二歳だよ❷。そこまでいっても上がってないってことだ。
それで俺、それとなく木佐木部長❶にも聞いたんだよ。
そしたら笑って『俺も同じくらい❸だ』って言ってた。
管理職になると超勤料つかないから、編集局長も編集局次長もおんなじくらい❸だってよ。みんな二百万前後だ」
「冗談だろ……」
「冗談でそんなこと言うかよ。絶望だよ。最悪だよ」
河邑はイライラしながらコーヒーに口をつけ「熱!」と言って、カップを皿に戻した。
「とにかく引っ越せ。五万も六万も家賃に払ってたら首吊りもんだ」
「でも敷金と礼金払ってるからすぐには……」



❶編集局に上がってデスクの綾部さん/木佐木部長
不明なことを編集局ですぐ取材する(発言者の)社会部・河邑くんは機動力があるね。フットワーク大事だよ、うん。
同くんは新聞社9社、テレビ局4社を受けたが連敗。なんとか北タイに合格するも、早くも退職&ステップアップ転社を計画している……フットワーク、大事だよ。
木佐木(きさき)社会部長は萬田編集局次長兼整理部長と出世争いレースをしていたが敗れた、という設定になっている。

❷いや、四十二歳だよ
河邑くんのきめ細かな取材は、なかなかいいね!
年齢というのはかなり重要なデータで、同業賃金を見るときのスケールになる。

❸同じくらい/おんなじくらい
あっ、校閲部の人なら、
「困ったなぁ、2行ごとに漢字と平仮名表記があるなぁ。手を入れちゃおーかなぁ。入れちゃいたいなぁ」
と思ったはず。
校閲部の〝表記統一したい病〟。
でも著作物なので、このまま行ったほうがいいよね(→ゲラに付箋貼って作者・筆者に問い合わせましょう)。

————というわけで、続く。

★年収 200万とは!=「北海タイムス物語」を読む (108)

2016年05月29日 | 新聞

(5月26日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第108回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル
▼僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▼浦ユリ子(うら・ゆりこ)=野々村と同期。札幌南高→早大政経卒24歳。道新を受けたが不合格。現在、道庁クラブ付き遊軍
▼河邑太郎(かわむら・たろう)=野々村と同期入社、東京出身23歳、早大二文露文科卒。現在、道警担当

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 458~459ページから 】
マスターがコーヒーをふたつ運んでくると、河邑が口をつぐんだ。そしてマスターが戻っていく背中を見ながら声をひそめた。
手取りで十三万から十四万円くらい❶だってよ」
「ほんとかよ」
「ボーナスなんて、あってないようなもんらしい。いくらだと思う」
「新聞社なんだから、そこまで低くはないと思うけど、まさか三十万とかそれくらい……?」
「いやいや、そんなもんじゃないんだ。十万円弱といったところらしい。七万とか八万とか」
「……そんなのボーナスじゃないだろ……」
年収は二百万以下❶だ」
❷だろ」
浦さんはコーヒーを口に運びながら、僕が読んでいた週刊誌を黙って開いていた。
「ほんとうだ。さっき俺、三階の組合寄って確かめてきたんだよ。壁に全国の新聞社の夏ボーナスの攻防が表になって貼り出されてた。
全国紙やブロック紙❶みたいなでかいところだけじゃなくて、地方紙からスポーツ紙まで、みんな組合員平均百万円の攻防やってるけど、うちだけ十万円の攻防だ。うちだけ桁が違うんだ」
「……」


❶手取りで十三万から十四万円くらい/年収は二百万以下/ブロック紙
1990年の大卒初任給は、
▽男性= 16万9,900円
▽女性= 16万2,900円
(厚労省賃金構造基本統計調査から)
だったから、かなり低い……。

さらに、年収は、
▽1990年サラリーマン平均年収= 438万 4,000円(同調査から)
だったから半分以下 半分以下 半分以下……(←エコー状態)
8年後1998年、同紙は破綻するので、経営は超低空飛行&赤字は慢性化していたのだろう。
*掲出頻度高い「ブロック紙」
小説を読んでいると、全国紙と並び「ブロック紙」という語彙がちょくちょく出てくる。
愛知県出身の増田さんはブロック紙の雄・中日新聞を常に意識していたようだ。ブラック紙より、ブロック紙。
(余計なことだけど、名古屋中日の知人が「名古屋じゃ、中日勤務だがや!って言うと、東京で言う大蔵省勤務と同じなんですよ。ウフフ」と言っていた。ああ、そーですか)


❷嘘
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集 第13版」(株式会社共同通信社発行)では、
うそ 嘘)→うそ。うそ字、うそつき、うそ発見器(△は漢字表にない字)
——平仮名にしましょうと言っているけど、著作物なのでこのまま行ってください(って、校閲部の人はよく言うよね)。

————というわけで、続く。

★軍艦島に3Dで再上陸!

2016年05月28日 | 新聞
©️長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センター


以前、長崎県沖の軍艦島(端島)にツアーで上陸したけど、もう一度行きたいなぁと思っていたら……また〝上陸〟できた。

「軍艦島3Dプロジェクト」
https://youtu.be/DYIxWZ2cpNI
(長崎大学大学院工学研究科インフラ長寿命化センター製作)
——すごいっ、圧巻の3D映像!
上空から、周辺海域から、そして島内部からの廃墟建造物が丸ごと分かるビジュアルに息をのんだ。
吹き飛ばされたコンクリート破片、朽ちた集合住宅、雑草に覆われ崩壊つづく炭鉱設備、立ち入り禁止の鉱員社宅……リアルで微細な映像にビックリ!

写真上は同3D、
同下は僕が上陸したときの見学コースからの眺望(一番奥に見える建物は、町立端島小中学校)。
島上空からの3Dは、まるで鳥になった感じの、これぞ立体俯瞰図 (できればサウンドを入れれば良かったのにね)。
あらためて島全体を見ると、高さ5メートルほどのコンクリート護岸堤防に囲まれただけだから、台風来襲時の巨大波や強風で当時の住人たちはどれほど恐ろしかっただろう、と思う。

*軍艦島ツアー・クルーズ
指定委託された民営クルーズ船で、長崎港から約17.5㎞ほどの沖合にある軍艦島に行く。
所要時間約30~40分(船酔い注意ね!)。
軍艦島は元海底炭鉱。
三菱による6回の埋め立て工事で現在の南北 480m、東西 160mになった。
1974(昭和49)年、閉山。
2015年、国際記念物遺跡会議により同島を構成遺産に含む「明治日本の産業遺産・製鉄、製鋼、造船、石炭産業」が世界文化遺産に登録された。

軍艦島には切り立った堤防港1カ所からしか入れないため、クルーズ船は波の穏やかな日にしか接岸できない。
(➡︎僕たちが行ったときの添乗員さんは「いやぁー、私5回来ましたが上陸できたのは初めてです。皆さん、日ごろの行いがいいのですねぇ~」と言っていた)
海上が荒れ接岸不可と判断されたときは、島をぐるり周回するだけとか。
現在、上陸後歩けるのは整備された見学コースだけ。
傘、ハイヒール、喫煙不可で、乗船時には誓約書を書く。
3D映像では写っていないけど、すぐそばに端島住民の火葬場・墓地としてつかわれていた中ノ島が見えた。

ちなみに、大沢在昌さんの『海と月の迷路』(毎日新聞出版、講談社ノベルス)、内田康夫さんの『棄霊島』(角川文庫、文春文庫)でも軍艦島に〝上陸〟できる。

★手取り13万円とは!=「北海タイムス物語」を読む (107)

2016年05月26日 | 新聞/小説

(5月25日付の続きです)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第107回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▽僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▽松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期の北大中退24歳。柔道部出身。
小説作者・増田さんの投影キャラと思われる
▽河邑太郎(かわむら・たろう)=野々村と同期入社、東京出身23歳、早大二文露文科卒。道警担当


【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 456ページから 】
「じゃあ四時半くらいまでには戻って❶おいでよ」
片手を上げ、松田さんも出ていった。
ここにいるのは、もう限界だ。うつむきながら編集局を出、エレベーターで一階まで降りた。
とにかく会社から離れたい。
乾燥した街を、逃げるように北へ歩いた。この街に行く当てはない。今朝会社に来たときより冷たい風が吹き、道ゆく人たちは襟元を抑えている❷。

(中略)
マスターがコーヒーをふたつ運んでくると、河邑が口をつぐんだ。そしてマスターが戻っていく背中を見ながら声をひそめた。
「手取り十三万から十四万くらいだってよ」
「ほんとかよ」
「ああ。悲惨な額だ」
「でもボーナスがあるだろ」
「ボーナスなんて、あってないようなもんらしい。いくらだと思う」
河邑が言った。



❶四時半くらいまでには戻って
1990年当時の北海タイムス整理部の夕刊勤務は——(小説の記述から推定)
10:00~15:00=夕刊編集
15:00~16:30=食事
16:30~23:00=朝刊編集(遠隔地向け早版地方版か、追い込みもの・フィーチャー面編集?)
こ、これ、激務ではないか。
午前10時出社➡︎夕刊(改版なし1版止め)をサッサと片づけ➡︎食事➡︎それっ、もう一丁と朝刊編集➡︎地下鉄など公共機関で帰宅?
……今なら、ブラック(と言われるかも)。
でも新入社員の時からこのローテに慣れてしまえば、ソレほどでもないのかもしれない。

❷襟元を抑えている
赤鉛筆で線を引きながら読みすすんできた校閲部の要確認センサーが鳴るところ(かな)。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集 第13版」(株式会社共同通信社発行)では、

おさえる
=押さえる(主に物理的におさえる、手などで覆う)暴れる人を押さえ込む、傷口を押さえる、首根っこを押さえ付ける、目頭を押さえる、現場を押さえる、勘所を押さえる……
=抑える(抑圧、弾圧)反政府デモを抑え込む、不平不満を抑え付ける……

——むむ~、どっちかしらん? と迷ったら
「とにかく平仮名っすね!」
と校閲部の知人が言っていた。

————というわけで、続く。

★ブラック新聞社?=「北海タイムス物語」を読む (106)

2016年05月25日 | 新聞/小説

(5月23日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第106回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
バブルど真ん中! 1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▽僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(ののむら・じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▽秋馬(あきば)=同紙整理部員で、野々村の3年先輩。空手部出身
▽松田駿太(まつだ・しゅんた)=野々村と同期の北大中退24歳。柔道部出身。小説作者・増田さんの投影キャラと思われる
▽権藤(ごんどう)=整理部員

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 455~456ページから 】
たしかにそれではもたない。二日酔い❶で朝飯も抜いてきた。
それにしても朝十時前に出社して夜十一時って、十三時間も労働時間があるのか。
整理部は夕刊のとき、朝刊作業が始まるまでにみんなで昼飯食いに行く❷んだ。今日は東区役所の職員食堂に行く」
権藤さんと向かい合ってご飯を食べるなんて無理だ。誰もそれをわかってくれない❸のか。
「あの、実は用事が……」
「用事?」
「マンションの書類とか出さないといけないんで」
嘘をついた。
「じゃあ四時半前くらいまでには戻っておいでよ」
片手を上げ、松田さんも出ていった。
もうもうと上がる煙草の煙❹の向こうから地方部の人たちが怪訝そうに❶僕を見ている。泣いた新人だと噂しているのだろうか。ここにいるのは、もう限界だ。


❶二日酔い/怪訝そうに
新聞社校閲部の赤字要確認センサーが鳴るところ(たぶん)。
▽ふつかよい宿酔)→二日酔い
▽けげん怪訝)→けげん
( ● =漢字表にない音訓、△=漢字表にない字)
——だけど、著作物なのでこのままで行ってください。

❷整理部は夕刊のとき……昼飯食いに行く
1990年当時、北タイ紙に社員食堂はなかったようだ。
札幌・東区役所は北11条東7丁目で、北タイは(小説の設定では)地下鉄西11丁目駅近くにあった。
てか、朝刊編集が始まる前に整理部がゾロゾロ食事に出るのは、どこの社も同じなのだなぁ。

❸誰もそれをわかってくれない
なんとなく小説主人公の野々村くんに共感・共鳴しにくいのは、このあたりか。
関係ないけど、映画「大人は判ってくれない」(フランソワ・トリュフォー監督)は1959年、同「誰も知らない」(是枝裕和監督)は2004年。

❹もうもうと上がる煙草の煙
1990年当時の新聞社編集局は、全面喫煙可(新聞社によって異なるけど)。
会議では編集局長や局次長はスパスパ吸うし、部員の机の上にはアルミ製灰皿が常備してあったし。
(読売新聞出身の堂場瞬一さんは「新聞社で喫煙がうるさくなったのはここ15年ほど」と書いている。ちなみに、堂場さんも喫煙者)
編集局が全面禁煙になったのは、CTS端末やパソコンが本格導入された1993年以降かな。

————というわけで、続く。

★伊織さん最後の長編を再再読。

2016年05月24日 | 新聞/小説


9年前の2007年5月17日、作家・藤原伊織さんが亡くなった。享年59。
だから『名残り火/てのひらの闇2』(文春文庫=写真)を再再再読した。
男として矜持を持つサラリーマンたちのハードボイルド、藤原エンターテインメントの最後の長編。
巻末の、逢坂剛さん(72)解説「いおりんの名残り火」がいい。


「いおりんの、直木賞受賞の二次会パーティでは、二人で業界漫才を演じた。
事前に打ち合わせをしたわけではなく、祝辞の順番が回ってきたわたしがいおりんを呼び上げ、即席でやったのだ。
二人とも酔っていたから、何を話したかもう覚えていないが、大受けに受けたことだけは確かだ。」

(同文庫 447~448ページから)


伊織さんは、それほどアルコールには強くなかった。
電通築地本社時代、近くの店で酔いつぶれてしまった伊織さんを、
「何回も広報室まで連れて帰ったんだよぉ~、細いのに重いんだよぉ~」
と聞いたから、飲むことがお好きだったのだろう。
直木賞受賞2次会後のバーで、選考委員だった阿刀田高さんに向かって、ぐでんぐでんになった伊織さんが、
「……なぁ、おっさん」
と言い、周囲の編集者や作家たちが引きつったともいう。
伊織さんが一番お元気だったころか。

電通広報室(当時)勤務時代の1995年、『テロリストのパラソル』で江戸川乱歩賞と直木賞(1996年)を受賞。
そのころ「電通報」の記事を書いていらっしゃったから、伊織さん作品リストには〝未収録〟があるのかもしれない。
(電通報だからフロント1面のマス倫懇やマーケティング記事。同紙コラムものも担当されていた、と聞いた)
ご存命なら、今ごろは乱歩賞や直木賞の選考委員をされていた、と思う。
*藤原伊織さん未完小説がある
野性時代2006年3月号から5月号まで連載された「異邦の声」。
超能力を持つ今村麻耶と、30歳保育士・高瀬八郎のSFサスペンス的な設定で、なんとなく『蚊トンボ白髭の冒険』(2002年講談社刊)に似ている。


そして、9年前の青山葬儀所――。
伊織さんを乗せた車に深々とお辞儀をされて、最後まで見送っていらっしゃったのは小池真理子、藤田宜永さん夫妻だった。
疲れきったような藤田さんのサングラスの下に光るものが流れていたことが忘れられない。

★13時間勤務 ?!=「北海タイムス物語」を読む (105)

2016年05月23日 | 新聞/小説

(5月22日付の続きです。写真は、本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第105回。

【小説の時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▽僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▽秋馬(あきば)=同紙整理部員で、野々村の3年先輩。空手の大ファン。この日は2面の面担(めんたん=紙面編集担当者)だった
▽松田(まつだ)=野々村と同期の北大中退24歳。柔道部出身。小説作者・増田さんの投影キャラと思われる
▽権藤(ごんどう)=整理部員。この日は社会面担当

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 455~456ページから 】
「奥の階段のとこに座ってたんです、こいつ」
秋馬さんが僕の尻を叩いた❶。泣いていたことをバラされると思ってビクビクしていたのでほっとした。
ちらりと権藤さんがこちらを見た。僕は慌てて目を伏せた。
誰かが「ああ、あそこか。魔のトライアングル階段。俺も新人ときいつもあの辺に隠れたよ。あそこは滅多に❶人来ないからな」と言った。
デスク❷がミットの捕球部位を右拳でぱんぱんと叩いた。
「明日は六社リーグの開幕戦だからな。いなくなっちまったらどうしようかと思ってたんだ」

(中略)
みんなが「めしめし」「行こう、行こう」「今日の定食はなんだろうな」と口々に言いながら連れだって編集局を出ていく。
「野々村君も行くよ」
松田さんが促した。
「僕はいいです……」
「だめだめ。夜もたないから」
「何時まで仕事なんですか」
「夕刊からの人間は十時か十一時くらい」
たしかにそれではもたない。
それにしても朝十時前に出社して夜十一時って、十三時間も労働時間がある❸のか。



❶叩いた/滅多に
新聞社のルールブック「記者ハンドブック/新聞用字用語集 第13版」(株式会社共同通信社発行)では、
▽たたく叩く)→たたく。たたき上げ、たたき売り、たたき台、たたきのめす(△は漢字表にない字)
▽滅多(滅多)→めった。めった打ち・撃ち、(副)めったに
——それぞれ平仮名表記にしましょう、といっているけど、著作物なのでこのまま行ってください。

❷デスク
ありゃ、やっぱり整理デスクがいたのかぁ!(僕注・この日のデスク名は金巻=かねまき)
夕刊編集のドタバタ事故にもかかわらず、4階制作局に姿が見えなかったから不在かな、と思っていた。
おそらく5階の編集局で朝刊の追い込みもの作業をしていたのかもしれない。

❸朝十時前に……労働時間がある
たしかに、野々村くんが驚くのも無理はない13時間!
食事時間などを引いても11時間以上……う~む、う~む。
10:00~15:00=夕刊編集
15:00~16:30=食事
16:30~23:00=朝刊編集(遠隔地向け早版地方版か、追い込みもの・フィーチャー面編集なのかしらん?)
かなり過酷な勤務ダイヤなのだが……。

————というわけで、続く。

★不穏…砂バケツ事件=「北海タイムス物語」を読む (104)

2016年05月22日 | 新聞/小説

(5月19日付の続きです。写真は、イメージです)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目——の第104回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。



【小説の時代設定と、主な登場人物】
1990(平成2)年4月中旬@北海タイムス札幌本社ビル。
▽僕=北海タイムス新入社員・野々村巡洋(じゅんよう)。東京出身23歳、早大卒
▽秋馬(あきば)=同紙整理部員で、野々村の3年先輩。この日は2面の面担(めんたん=紙面編集担当者)だった
▽松田=野々村と同期の北大中退24歳。柔道部出身。小説作者・増田さんの投影キャラと思われる。

【 以下、小説新潮2016年1月号=連載④ 455ページから 】
松田さんと秋馬さんに連れられて編集局へ戻ると、整理部の人たちが四、五人、立ったまま談笑していた。
夕刊作業はすべて終わったようだった。
漏れ聞こえる会話の端々に「砂」という言葉が入っているのはバケツの砂事件❶のことだろう。
時計を見ると二時半を回ったところ❷だった。
もじゃもじゃ頭のデスクがこちらに気づいた。
「おお、野々村。どこにいたんだ、みんな心配してたぞ❸」
なぜか左手にキャッチャーミットをはめている❸。
「奥の階段のとこに座ってたんです、こいつ」
秋馬さんが僕の尻を叩いた。



❶バケツの砂事件
印刷工場を抱えていたころの新聞社にとっては、輪転機テロを想起させる不穏な「バケツの砂」——。
北海タイムス(以下、北タイ)新入社員入社式前日に、札幌本社ビル1階女子トイレ個室に砂が目いっぱい詰まったブリキ製バケツが置いてあった事件のこと。
同バケツには
〈闘争用。この砂を撒け〉
と赤いサインペンで記された紙が貼られていたので、整理部・校閲部犯人説が流れていた。
*赤いサインペン
新聞社によって異なるが、部ごとにつかうインク色が設定されている。
▽赤色なおし=整理部、校閲部
▽青or黒色なおし=出稿部
どこの部がゲラ修正をしたのか分かるようにしたのだけど、厳密ではない。
手近にあるペンで、分かりやすい字で手を入れてくださいね。


❷時計を見ると二時半を回ったところ
1990年当時の北タイ紙の夕刊は、改版なしの1版止め。
他紙と比べると夕刊降版時間が少し遅いようだけど、「刷り出し」を待っているのだろうか。
*刷り出し(すりだし)
地下の印刷局で、インク調整用に刷った新聞。
原則、社外持ち出し禁止(持ち禁=もちきん)、ガラ刷りと呼ぶ人もいる。
オフセット印刷なので、編集局に持ち込まれたときは多少湿っている。


❸心配してたぞ/はめている
小説作者の増田さんは、会話文と地の文の書き方をきちんと分けているようだ。
▽「してたぞ」➡︎地の文なら「していたぞ」
▽「はめている」➡︎会話文なら「はめてる」
会話の場合「母音が連続すると、後ろの母音は消滅しやすい」
shiteitazo ➡︎ shite( i )tazo
と大野晋さんの本で読んだ記憶があるので、ソレなのかしらん。

————というわけで、続く。

★はい!整理部長賞!

2016年05月20日 | 新聞


他紙の紙面を見て、整理部の人なら
「こうきたか!」
「しまった!」
「敵ながらあっぱれ!」
と思うことが多々ある(と思う)。
5月19日付産經新聞@東京本社版の社会面=写真

謝罪会見を共通項にして、
▽顔サイズを揃えた写真トリミング
▽「謝意」「強気」3倍明朝のエトキかぶせ見出し
▽「三菱自」「スズキ」同サイズのタテ見出し
▽写真左に、それぞれ行数を揃えたメモ
整理デスクの発案なのか、面担(めんたん=紙面編集担当者)の手腕なのか——巧みな紙面構成。
紙の新聞ならではの、なんとなく気持ちがいいレイアウト。
——整理部長賞もらった?

*整理部長賞
新聞社によって異なるけど、整理部でも社内賞は出る。
①社長(代表)賞=大ニュース処理に関しての、整理デスク、複数面担らのチームプレーが対象。50,000円
②編集局長賞=「けさの◯面よかったじゃないか。誰だい?面担は?」との一声で、面担が対象。割と出やすい。30,000~20,000円
③整理部長賞=「けさの◯面なかなか考えてあり、読者目線の読みやすい構成」と紙面審査委員会or上層部からの声で、面担が対象。かなり出やすい。10,000円
一封は(振込ではなく)個人名入り紅白封筒で手渡し。
——で、お金は。
舛添都知事のよーな個人的不適切流用はなく、たいてい飲酒代や宅配ピザとして整理部全体に還元される(笑)。