降版時間だ!原稿を早goo!

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「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「グリ森事件」動き出す……かも。

2016年11月01日 | 新聞/小説


元神戸新聞記者・塩田武士さん(37)の最新作『罪の声』(講談社、税別1,650円=写真)が版を重ねている。
発売2カ月で、5.5万部突破。
いろいろな意味で面白かった。

【『罪の声』邪魔にならない程度のストーリー】
京都市北部でテーラーを営む曽根は、ある日父の遺品にカセットテープと黒革の手帳を見つけた。
テープを再生すると、曽根の幼い頃の声が流れた。
「きょうとへむかって、いちごうせんを……にきろ、ばーすーてーい、じょーなんぐーの……」
31年前に発生し未解決のままだった「ギンガ・萬堂事件」で恐喝に使われた録音テープと同一のものだった。
一方、大日新聞大阪本社の文化部記者・阿久津は、社会部事件担当・鳥居デスクの指令で年末企画取材班に組み込まれ、「ギン萬(ギンマン)事件」を扱うことになった。
「ギン萬事件」前に、世界的ビールメーカー「ハイネケン」会長誘拐事件があったことを知った阿久津はヨーロッパに飛んだが——。
*塩田武士(しおだ・たけし)さん
1979年、兵庫県生まれ。
19歳のとき、藤原伊織さんの『テロリストのパラソル』を読み、作家を志す。
関西学院大学社会学部卒後、神戸新聞社入社(2012年退社)。
2010(平成22)年『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞しデビュー。ほかに『女神のタクト』『崩壊』『盤上に散る』など多数。
2016(同28)年、この『罪の声』で第7回山田風太郎賞を受賞。


〈ギン萬事件〉は、昭和最大の未解決事件「グリコ・森永事件」のこと。
事件発生から32年、時効を迎えているとはいえ、この小説が出たことで再び動きだすのではないだろうか——。
*グリコ・森永事件
1984(昭和59)年3月18日、兵庫県西宮市の自宅から江崎グリコ社長が誘拐されたことから始まる。
「かい人21面相」を名乗る犯人グループが、翌85(同60)年8月12日に突然
「くいもんの 会社 いびるの もお やめや」
と犯行終結宣言を出すまでの約1年半の間、関西の菓子・食品メーカーを脅迫、金銭を要求した。
警察との攻防の末、現金受け渡しには失敗したが、犯人とおぼしき男が目撃された。
のちに大阪府警が発表した似顔絵は
〈キツネ目の男〉
と呼ばれた。
やがて犯人グループはコンビニなどに青酸入り菓子を置き、無差別殺人未遂事件に発展。
警察庁は広域重要 114号事件に指定。
2000(平成12)年すべての事件の時効が成立、広域重要指定事件では史上初の犯人が検挙できなかった未解決事件になった。


面白かった❶=でも、なぜ社会部記者が主人公ではないのか
もう1人の主人公・阿久津英士は、大日新聞社の文化部記者。
入社13年経ったのに取り組みたいテーマもなく、日々穏便に発表ものを出稿して過ごしているだけの記者。
——文化部ではなく、はじめから社会部遊軍記者を設定しておけば、取材も出張も制約を受けずに動かせるのにね、遠回りしてないかなぁと思った。
でも、おそらく作者・塩田さんの目線で追うための設定なのだ。
*神戸新聞に欠員1だよ
実は、僕は塩田さんの大学後輩くんを知っているのでなんとなく気にかかって、デビュー作『盤上のアルファ』から読み続けてきた。
塩田さん、デビュー当時は記者と作家の二足のわらじで「神戸新聞、辞めないほうがいいよぉ」と思っていた。
塩田さん後輩くんも神戸出身で、在京紙記者。
「塩田さんが神戸新聞を退社したようだね」と連絡したら、
塩田後輩くん「えっ、じゃあ、神戸新聞に『欠員1』が出たんですね!」
塩田後輩くん「ではでは履歴書を用意……ウシシシ」
と言っていた。
そーいえば、彼は生まれも育ちも三宮なので神戸新聞本命ラブだった。


面白かった❷=さりげなく関西ギャグ
当時のデータなどは忠実に再現してあるリアル・フィクション。
塩田さんは1984〜85年の新聞は全紙読み込み、当時の記者や捜査関係者らにも取材したという(さらに、勉強して英検準一級も取得していた!)。
息が詰まるような〈資料〉の積み重ねかと思いきや、関西ならではのギャグが散りばめられていていい味つけになっていた。

「あっ、そうや。女優の篠原美月、インタビューOKやって」
「えっ、ほんまですか!」
「三日後やから、早めに写真部に連絡した方がええで」
「篠原美月って事務所どこでしたっけ?」
「知らん。米朝
(べいちょう)事務所ではないやろ」
「忙しいから切りますわ」


——最終的に、阿久津記者は〈真犯人〉にたどりつく。
塩田さんは「現代ビジネス」インタビューで、
「本作で描いた犯行グループ各人の役回りについては、それほど外していないだろうと思っています」
「犯人は子どもの人生を狂わせてしまった。〈声〉をつかわれた子は、もしかすると今もそのことを隠しながら生きているのかもしれない」
「脅迫状を読むと〈塩酸の風呂につけて殺したるぞ〉など、恐ろしい文言が書かれている。彼らが極めて冷酷で卑劣な人間たちであるということを書き残しておきたかった」

と言っている。
——山田風太郎賞の次、何賞を取るだろう。

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