降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★復刻版・朝日新聞を讀んだのだ❶

2014年08月31日 | 新聞

【8月28日付の続きです】
創刊された、
「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(特別価格 190円。アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)
の毎号コレクションズに付いていた復刻新聞を、
当時の記事内容・紙面構成については考慮せず、
ただ単に
「昭和初期の、鉛活字・活版組み版新聞はどういう組み方・紙面構成だったんだろう?」
として眺めた。
28日付までは、縦題字の
「讀賣新聞」(昭和16年10月19日付東京本社版)
続いて、復刻版朝日新聞を見た。


❷ 73年前の朝日新聞編=その壱

昭和16(1941)年12月9日付朝刊(東京本社版第二萬八号)は、全体に細かなドットが見えるから、写真製版→画像処理した復刻版紙面かも。
トップ横見出し凸版は、ゴシック白抜きベタ黒地紋(右→左読み)=写真
「果戰大の々赫に島比・イワハ」
「米海軍に致命的大鐵槌」
「戰艦六隻を轟沈大破す」
「航母一、大巡四をも撃破」
赫赫(かくかく)! 大鐵槌(だいてっつい)! 轟沈! 撃破!
……時代とはいえ、熱血・鼓舞見出し連発だったのだなぁ朝日新聞。
ということも、さておき。

紙面は15段編成で1倍活字15字組み
ハワイ爆撃を
「我海軍が決行せる、大奇襲作戦」
と前文は高らかにうたっている。
文語体だから、なおさら迫力ありまくり。
さらに、
「轟沈とは一分間以内に沈沒することをいふ」
と用語解説まで。

このフロント1面の組み方(紙面構成)は、凄い!
かういふ組み方があつたのかぁと、当時の仮名遣ひで感じてしまつた(驚嘆と衝撃的組み方の詳細は、後日)。

ちなみに、フロント1面下段に「天声人語」は見当たらず、左寄せで
「社告=記事輻湊につき本日は小説、學術、科學、囲碁、将棋、家庭を休み各面に重要記事を掲載いたしました」
があった。
「お断り」ではなく、「社告」。
73年前は、そーだったのかぁ。

………長くなったので、続く。

★復刻活版新聞を讀んだのだ❹

2014年08月28日 | 新聞

【8月26日付の続きです】
整理部の大先輩には聞いていたが、初めて見た縦題字の「讀賣新聞」昭和16年10月19日付七版=26日付参照。
あくまで(真珠湾攻撃前夜という)記事内容・紙面構成には関係なく、
ただ
「鉛活字を使っていた活版組み版新聞」
として、見出し・組み方を中心に眺めた。

❶72年前の「讀賣新聞」その参・止

インテル(行間)は55なのかな?
以前、製作局活版部の古老的長老的OBの方は
「長い間、新聞の基本行間は55だったように覚えているがのぅ……」
と言っていたが、同紙面の当時(1941年)どうなのかしらん(長老的OBとはいえ、戦前の新聞つくっていたようには見えないし)。
実際の紙面を見ると、33、55、66行間が混在しているようなのだ。

だから、現在つかっている倍尺(*1)を当てて測ってみた。
……でも、下記の二つの理由から分からなかった。

行間が分からない理由❶
復刻紙面自体が現代の印刷紙面なので、当時の刷り寸なのかどうなのか。
新聞には組み寸と刷り寸があり、微妙にサイズが変わってしまうのだ(→刷り寸がやや縮む)。

行間が分からない理由❷
同復刻紙面は「行組み」ではなく、
「倍数組み」のようだ。
以前にも書いたけど、CTS化以前の日経新聞、サンケイ新聞などは倍数組みで、上の段と下の段の行が不揃いだった。
早い話、
〝記事が入りゃいいじゃん。行がメチャクチャ?かたいこと言わない言わない〟
という感じ。
2行あふれたら、行間をいじって
〝入りましたぁ~〟
だから、本記55行間だったのが、ケツになると狭い33あるいは44行間になっていた。

∴ ゆえに、以上から結論は……
あーだこーだ思慮しなくても、
当時44、66インテルをわざわざ使うとは考えられない。
だから、55行間なのでしょう(→なんて乱暴な結論、笑)。

(*1)倍尺(ばいじゃく)
新聞社ごとに特注している物差し、スケール。
整理部、グラフィック部など新聞製作で使う単位「倍」が刻まれている。
また行数を測る「行」目盛り、なぜかセンチも刻んでいた社もあった。
超・古くは竹製倍尺。僕は整理部先輩から頂いたけど、どっかいっちゃった(笑)。

(*2)55インテル
新聞編集では、現在も人事欄などで使われている旧15字活字の天地88ミルスを
「1倍」
としている。
33(さんさん)55(ごうごう)とは33ミルス、55ミルスのこと。
活版組み版時代は、55行間が基本行間で、33あるいは22行間がメモ記事・関連記事に使われた。
CTS(コンピューター組み版)では
11ミルスを1U(ユー・ユニットの略)
と換算、0.1単位で組めるようにした。
∴ 1倍=88ミルス=8U

★堂場瞬一さんは「凸版」と書いていた。

2014年08月27日 | 新聞/小説

堂場瞬一さん(51)の最新小説『壊れる心/警視庁犯罪被害者支援課』(講談社文庫書き下ろし、本体770円=写真)を読んだ。
知り合いの書店女性スタッフは、
「特別なキャンペーンしなくても売れる〝安定の堂場〟さんです。うふふふ」
と言いながら、文庫を積んでいた。
読売新聞退社(2012年12月)正解だったよーですねぇ。
................ということは、さておき、
「おやぁ?」
と感じた個所があった。

(前略)
「了解です。それと、マスコミの方なんですけど、どんな扱いですか? ニュースをチェックしている暇がなかったので」
「夕刊は、早版から各紙とも一面トップですよ」
黒い凸版(とっぱん)見出しが脳裏に浮かぶ。

(後略。第1部「暴走」から引用しました)

「黒い凸版見出し」。
つまり、金属あるいは樹脂でつくった、白抜きベタ黒地紋見出しのことだと思う。
読売出身の堂場さんは50代だから、活版時代の〝凸版〟をご存じなのかもしれない。

読売が鉛活字組み版(活版)から、CTS(コンピューター編集・組み版)パーフェクトに移行したのは、
1986年(中部読売は1988年移行)。
堂場さんが同東京本社に入ったのは、1986年だから、一時期(活版組み版製作と)ダブっていたのかも。。
まあ、新聞社内でも現在も(ある年代以上に、笑)使われている言葉だけど、
もうすぐ〝死語〟になるような気がした。


................ということも、さておき。
講談社文庫書き下ろし『壊れる心』は、面白かった。
警視庁総務部犯罪被害者支援課に勤務している村野秋生が主人公。
ある月曜の朝、通学児童の列に暴走車が突っ込み、5人が死亡した。
暴走車を運転していた男は現場から徒歩で逃走、被害者支援課は被害者の一人を担当することになったが................あとは言えません。

堂場さんは喫煙者なので、作中に喫煙シーンがかなり書き込まれていて、
「うんうん、そーだよねぇ、やはりハードワークのあと、喫茶店での一服はいいよねぇ」
と同じことを思ってしまうのだ。

★復刻活版新聞を讀んだのだ❸

2014年08月26日 | 新聞

【8月24日付の続きです】
整理部の大先輩には聞いていたが、初めて見た縦題字の讀賣新聞。
あくまで(真珠湾攻撃前夜という)記事内容・紙面構成には関係なく、
ただ
「鉛活字を使っていた活版組み版新聞」
として、見出し・組み方を中心に眺めた。

❶72年前の「讀賣新聞」その弐

昭和16年10月19日付七版、東京市京橋區銀座西三の一・讀賣新聞社發行。第二萬三千二百五十八號=写真
紙面の組み方は次のとおり。

1ページは全15段編成
フロント1面が記事13段で、広告が2段になっている。
同広告は製版凸版だが、出稿社によって
右→左読み(ーライボ巴)、
左→右読み(三菱モートル)
があった。
さらに、2段突き出し広告(成養員術技夜晝)もあった。

鉛活字1段15字組みだけど……
この文字サイズは「天地88✖️左右110ミルス」の現行偏平活字なのだろうか。
なんとなく正体(せいたい)に近いようだけど、どうなのかしらん。
すごいのは、下記のようにいたるところにルビを振っていること(僕も活版組み時代に、小組み工員が行間にルビを付けるのを見たが、ピンセット片手にかなり面倒そうだった)。
活版組み版技術&手拾い、恐るべし。

【ベルリン本社特電】(十八日發)ドイツ軍司(ぐんし)令部(ぶ)十八日發表(へう)=ドイツ潜(せん)水艦(かん)はこゝ數(すう)日間に大西洋(やう)において油(ゆ)槽船(せん)三隻(せき)を含む商船(しやうせん)十隻(せき)合計(けい)六萬トンおよび驅逐艦(くちくかん)二隻(せき)を擊沈(ちん)した。

うーむ。
ルビを振る基準がイマイチ分からないのだけど、
普通行間にはルビが入っているが、行間が狭いところには振っていない(というか、振れないのかも)。

…………「72年前の讀賣新聞」その3へ、長くなったので続く。

★復刻活版新聞を讀んだのだ❷

2014年08月24日 | 新聞

【きのう8月23日付の続きです。
重ねて書きますが、僕は戦後十数年経っての生まれで、またミリタリーおたくでも兵器おたくでもありません、笑】

特別コレクションとしての復刻新聞を目当てに買ってしまった
「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」創刊号(特別価格 190円、アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)。
どでかいバインダーと〝日本初の復刻新聞コレクション〟3紙が付いて、わずか190円(税込み=ちなみに、以降は690円)。
繰り返すけど、もはや目にすることができないであろう、鉛活字組み活版新聞が目当てですから!


「昔は読売も縦題字だったんだよ」
とは整理部先輩に聞いてはいたけど、
見たことなかった〝縦題字〟讀賣新聞、
手にしたこともなかった夕刊國民新聞、
真珠湾攻撃を高らかに報じていた朝日新聞、
3紙がビニールパックに入っていた。

たぶん、安倍首相、石破幹事長らも定期購読を申し込んだのではないかしらん、うん、きっとそうだ
………ということはさておき。
あくまで、記事内容には関係なく、ただ
「鉛活字を使っていた活版組み版新聞」
として、見出し・組み方を中心に復刻3紙を眺めた。

❶72年前の「讀賣新聞」その壱

昭和16年10月19日付、東京市京橋區銀座西三の一・讀賣新聞社發行=写真
時代が時代、真珠湾攻撃前夜とはいえ、見出しがあっぱれ。さすが瓦版主義。

4段見出し
「盟邦との交誼を厚く/鐡の意志・迅速實行」
「首相、全國民の協力を要請」
「東條内閣の施政方針聲明」
4段見出し
「抱負を語る新閣僚/生活切下に堪へよ」


「交誼を厚く」!
「鐡の意志」!
重ねて書くけど、時代とはいえ、熱血の鼓舞&ゲキ見出し。
(でも、上の見出し「東條」を〝安倍〟にして使えそーな気がしてならない……)

「鐡の意志」!
以前、ある政党紙のレイアウトを副業でやっていた(→もう時効ですから)ときも、同じような熱血ゲキ見出しが同紙1面で躍っていた。

「………こんな見出し、僕には恥ずかしくてつけられない。
いったい、どういう人(整理)がつけているんだろう。やっぱりズブズブの党広報なのだろうか」
と、そのあっぱれ1面面担(=整理グループ・デスク)を見たら、
僕の社を退職された元整理デスクだった。
…………ところ変われば、見出しの流儀も変わる。


72年前の讀賣新聞その弍…………長くなったので、続く。

★復刻活版新聞を讀んだのだ❶

2014年08月23日 | 新聞

僕は、太平洋戦争は体験していない。
ましてや、軍事おたくでも、武器おたくでもない。
だけど、買ってしまった。
「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」創刊号
戦前・戦中を代表する主要紙の完全復刻新聞とマガジンで太平洋戦争のすべてを解き明かす!(=原文ママ。アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)
なんと特別価格190円(税込み)!
「当時の復刻新聞」が目当てなんだけど、
特製バインダーが付いて、たった190円!
繰り返すけど、たったの190円!
このシリーズ、なんとなく現官邸が大量に定期購読を申し込みしそうな気がしてならない(笑)。


僕の目当ては、
今や、目にすることはできなくなった
「鉛活字活版組み版新聞」紙面
「それも、ほぼ実寸(多少刷り寸が変わっているだろーけど)」紙面
の毎号コレクション復刻新聞=写真
(繰り返します。強調します。戦争懐古の趣味はありませんし、そんな年でもございませぬ、笑)

朝日新聞=昭和16年12月9日付朝刊
讀賣新聞=昭和16年10月16日付朝刊
夕刊國民新聞=昭和5年4月23日付
の各復刻紙面が付いていた。
よく協力を得られましたよねぇ。

70年近く前の復刻版紙面だが、かなり鮮明。
組み方や当時の活字については、長くなったので後日書こうかな、と。

★活版組み版では手拾いだった。

2014年08月22日 | 新聞

【きのう8月21日付の、なんとなく続きです。
写真は本文と直接関係ありません】

読売新聞「就活ON!」(毎週火曜掲載)ページが全文ゴシック体(以下、G体)で組んであったのを見て、
「うーむ。活版組み版なら、この全Gページ、ちょっと大変だったろーなぁ。
(全G紙面は)下手すりゃ組合問題だったかも」
と思った。

CTS(コンピューター編集・組み版)なら、G体はファンクション操作一つで変換、人力は必要ないのだけど、
活版組み版だと、G体はぜーんぶ植字さんが手で活字を棚から一本一本一本一本一本一本一本一本一本一本拾わなくてはならない。

も、も、も、も、もしも、
活版で全文ゴシック紙面をつくったら................考えるだに恐ろしい(笑)。

「なんのための漢テレ(*1)機械化なのだ。
たいして必然性があるとは思えないのに(←ここまで言う、笑)、
植字工員が文選に数人かかりっきりになり、週1紙面とはいえ、新聞製作工程上たいへん問題である!
遺憾である!
同ページをわれわれは看過できない!」
と、製作局から「!」(アマダレ)連発で抗議されかねない。

だから、僕たち整理部も、ちょっと長めの数行エトキ(=写真説明、キャプション)や、前文すら
「うーむ。拾ってくれるだろーか。よもや組合問題になりやしないだろーか」
と少し遠慮してしまったこともあったし。

ところが、どっこい。
深夜帰宅タクシー(*2)で製作局組み版の方と一緒になったとき、手拾いのことを話していたら
「んなこと整理さん遠慮してたんだ。へぇ~。
数十行ぐらい数分で拾えるよぉ。
漢テレが入る前、手拾いだったんだからねぇ。人の力をなめちゃダメだよぉ」
と言われた。
うん、さすが職人だよねぇ、と思った。


(*1)漢テレ
昭和40年代に登場した全自動モノタイプ(第1期モノタイプは同30年代中ごろには開発されていた)。
それまでの、鉛活字を文選工員が一本一本拾って組んでいた活版新聞製作を一変させた(→先輩に聞いた話)画期的システム。
「編集局入力センター」で、タイプライターのような機器で書き原稿をパンチャーが打ち込むと、
細長い穴あき紙テープがさん孔機からピョーーンと出てきた。
同テープを製作局の変換機に読ませると、
あーら不思議、熱々の鉛活字ゲラとなって出てきた。
すべて明朝体だったので、ゴシック指定は文選で拾い、植字工員が一本一本さしていた。

(*2)深夜帰宅タクシー
「宅送り」とも。
新聞社によって異なるけど、同じ方面に帰る社員らを、契約したタクシーに(最大4人)相乗りさせて帰宅させた。
僕は東京・多摩地域にいたので、新宿→調布→府中経由の深夜ドライブだった。
でも、高速料金を含めると15,000円以上メーターが出るドル箱コースだったので、タクシー運転手さんにはかなりの人気便だった(笑)。

★デザイナーは読売書体が好きなよーだ。

2014年08月21日 | 新聞

初めは、なぜ全文ゴシック体(以下G体)なのだろう、と思っていた。
読売新聞の毎週火曜掲載「就活ON!」=写真は8月19日付。
「G」ファンクション(*1)操作ミスかな、
広告ページ(*2)なのかな、
と思っていた。


以前、著名な本の装丁デザイナーの方が
「新聞書体で一番きれいで、デザイン的に優れていると私が感じるのは、読売新聞書体ですね」
と言っていた。
中央公論新社の本の装丁を多く手がけていらっしゃる方なので、ムニャムニャサービスなのかな、と思ったけど(笑)。

(他に夕刊エンタメ紙面でも展開していたような気がするけど)
全文ゴシック紙面、読みやすいし、それほど違和感がない。
読売フォントは懐が広く、縦軸ドットが強く見やすい。
読売G体は写植のタイポスフォントに似ていて、記事が滑らかに読めた(若い読者向けページだから全Gなのですね)。

でも〝全文G〟紙面大刷りを、編集局内にゲラ配(*3)したとき、みんなきっと
「あれれっ? M体でなくていーの?」
と言ったと思うけど、通した編成マンえらいっ!


(*1)Gファンクション
初期CTSではヘッド、あるいはテキスト始まりの頭に「G」ファンクションを入れると、以下全部ゴシック体になった。
「G」でゴシック開始、
「M」でゴシック止め(以下、明朝体)
よく慌てて、
「=G写真。同日、安倍首相は......」
Mを入れ忘れて、記事が突然ゴシック体になったことも(→僕ですけど)。
ちなみに、活版組み版のときは、植字工員がぜーんぶ手拾いだった................。

(*2)広告ページ
企画広告や記事広告紙面には、必ず細ケイ囲み「広告」を、紙面左上・右上あたりに入れないとなりませぬ。

(*3)ゲラ配(げらはい)
「ゲラ拝」とも。
編集局では「ゲラ配」と書くけど、
広告局や営業局では、出稿元に持っていくので「ゲラ拝」と書いているよーだ。

★京都新聞はド迫力だった=送り火編③止

2014年08月19日 | 新聞


【きのう8月18日付の続きです。
「止」は分割出稿した原稿の〝コレデ終ワリ〟の意味です】

出張・旅行に出たら、地元紙を買いなさい!
という整理部先輩記者の教えを守っている。
だから、京都新聞を買った=写真左は8月18日付朝刊。
朝刊即売一部130円、夕刊同50円。月決め購読料4,037円(税込み)。
紙面は、地域面、スポーツ面、ラ・テ解説面以外は、1段12字組み・全12段編成。
梅原猛さん(89)、山折哲雄さん(83)ら、そうそうたる寄稿者を誇る。

京都新聞同18日付1面。
「府北部で記録的豪雨」
「福知山市街冠水/土砂崩れ家屋損壊/1人死亡」
市内版17版では、写真グラフを含め6ページのワイド編集で他紙を圧倒(←当たり前ですね。ちなみに、朝日新聞大阪本社発行14版は4ページ展開)。

▽2004年の台風23号で、由良川氾濫
▽去年2013年8月には、由良川河川敷花火大会で露店爆発事故。3人死亡
▽同年9月の台風18号で、由良川再び決壊
(2社面見出し「災禍再び」は、このことを踏まえている)

事件・災害が続く由良川。
そして1年に2度も水害禍に見舞われた福知山。
住民はたまらないと、じっくり京都新聞を読み込んで思った。

★喫煙マダムはイノダB1店なのだ=送り火編②

2014年08月18日 | 新聞

【きのう8月17日付の続きです】

京都に来るたび思うのだけど、
「京都、妙齢女性の喫煙者、多いのとちゃうやろかぁ?」
(←ニセ京ことばおすえ)
僕がよく行くイノダコーヒ四条支店(京都証券ビル。B1は喫煙可、B2は禁煙)=写真

四条通の大丸百貨店での買い物帰りなのか、袋をぎょうさん持ちはった高齢&妙齢マダムたちが〝おひとり様〟でコーヒを飲んでいらっしゃる姿がとても多いのだ。
ひとりの時間を大切にしてはるなぁ。

「卵サンドイッチと、冷たいコーヒ。
甘いシロップ無しで、ミルクは別に(→イノダは原則、ミルクと砂糖を初めから入れているので)持ってきてねぇ」
と注文しながら、ライターで煙草に火を点け、買ってきた袋を開けて商品を見てはる。
塩野七生さんのよーな、京の妙齢マダムたち、何となくかっこいい。