降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★國民新聞はスゴかった❶

2015年01月31日 | 新聞


ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、昭和の復刻版新聞紙面を見た!読んだ!うなった!第58回。

◉昭和12(1937)年7月9日付(8日発行)復刻版「國民新聞」夕刊=写真

初めて目にした「國民新聞」。
日の丸の下にある題字下を見ると、
「定價一ケ月 金九十錢」
「東京市京橋區(以下、判読不能)株式会社・國民新聞社」
「編集印刷發行人・楓井金之助」
(「祖父が國民新聞にいたんだ」と知り合いのかたに聞いたことがあるけど、この発行人なのかしらん)

芦溝橋事件を報じる78年前の紙面。
1ページ全13段組み。
現在の12段組み新聞の1段より少し小さいのだけど、「13段組み」紙面があったことには驚いた。
1段(1行)15字詰めで、扁平文字ではないようだ。
現在の倍数(*1)活字とは違うスケールをつかっていたのだろうか。基本行間は不明。

見出しが乱立する、熱気あふれる紙面構成。
目に飛び込んできたのは、トップ横凸版地紋見出しのスゴさ。
「戰激大支日で外郊平北」
(→北平郊外で日支大激戰)天地17倍・左右94倍
バックに花柄スクリーン地紋らしきものが敷かれ、太M体(明朝体)黒字が躍っている。
さらに、筆で描いたような黒線が上下に引いてあるが…………強調の意味なんだろうか。
当時、当たり前の手法だったのかなぁ。

さらにのさらに、
左カタ写真に凸版を切り込んでいる。
当時は、写真も地紋見出しも金属製だったから、ギーコギーコ切る(*2)のが大変だったと思う(けど、無理して切り込まなくてもよかったよーな気がしないわけでもない、笑)。



(*1)倍数
「倍」は新聞編集・製作でつかう単位。
CTS(コンピューター組み版・編集)移行後の現在でもつかっているが、U(ユー・ユニットの略)という単位に変わりつつある。
1倍=88ミルス=全角=8U(11ミルスを1Uと換算)
Uは文字・見出しサイズ、写真サイズのほか、行間設定でもつかう。

(*2)ギーコギーコ切る
僕は活版組み版時代に(面倒くさいし、手を切るおそれがあったので)凸切り込みはやらなかった。
整理部ド新人のころ、降版直前に先輩整理が糸ノコを持ち出して、写真板や凸版に印をつけてギーコギーコ切っているのを見て、
「うわっ、こりゃ大変!(おまけに、労多くしてナンとやらだし……… ←こらっ)」
と手を出さなかった(笑)。
なぜ、時間が厳しい降版時間直前にギーコギーコするのか?
組み上がった段階で、ようやくP台や凸台の正確なサイズが決まるから。
その後、CTS移行の一時期、ただカッターで印画紙(写真・地紋見出し)を切るだけになった。
こりゃ、ラクじゃん……と、僕は初期の切り貼りCTSが好きだった(けっこうズボラな組み方でも何とかなったし)。

★出撃写真に絶句した=昭和20年朝日篇❹止

2015年01月30日 | 新聞

【1月24日付の続きです。「止」は分載の最後=コレデ終ワリの意味です】

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、昭和の復刻版新聞紙面を見た!読んだ!うなった!第57回。

昭和20(1945)年6月26日付・復刻版「朝日新聞」東京本社版2面=写真(文春新書に意味はありませんので…笑)
新聞用紙ひっ迫&統制下のため、1ページ16段組み。
凸版地紋見出しは、なし(お金がかかるし、鉛板不足か)。
顔写真(ガン首)はあるけど、恐らくトリオキ(取り置き=*1)だったはず。

整理部新人のころ、僕たちは一般記事につける顔写真の扱いで、
▽顔マル→被害者。悪くない人。
▽顔カク→容疑者。好しからざる人。
と先輩整理に聞いたけど、70年前はそれほど厳しくなかった、あるいはルールがなかったのではないかしらん。

3段見出し。
主見出し、3.5倍M体「なぜ遅い〝紙の兵器〟」=*2
袖見出し、2.5倍G体「新聞配給の不圓滑を訊く」

(Gはゴシック体、Mは明朝体)

記事は、一問一答形式。
朝日新聞「讀者から新聞が来ない、と不満の聲が凄まじい」
日本新聞公社「済まなく思ふが、配達員の人手不足だ。さらに、自轉車等の資材難でみなさんに迷惑をかけてゐる次第だ」

さらに読むと、当時は前金制だったのか
朝日新聞「罹災しても返金してくれないとの聲がある」
日本新聞公社「讀者も配給所も罹災したら返金は実際上むずかしい」

……………うーむ、うーむ、うーむ。

左カタ4段写真「擊出の隊敵索間夜(てに地基軍海某)」に言葉詰まった
粒子が粗く、不鮮明な写真ながら胸に迫る。わずか70年前だ。
懸命に海軍帽を振りながら夜間、索敵機を見送る若い海軍兵たちの後ろ姿に言葉が出ない…………終戦1カ月半前のこと。



(*1)顔写真は取り置き
当時、おそらく1度掲載した顔写真・描き地図などは保存していたはず。
活版大組み台に引き出しがあって、整理部はそこに集めていたけど、
表側はインクまみれ、裏は接着剤で汚れて、誰が誰やら分からなくなってしまい、結局再出稿した(笑)。
関係ないけど、がん首は「雁首」と書くと思っていたけど、
真山仁さんデビュー10周年記念書き下ろし『雨に泣いてる』(幻冬舎・本体1,600円)を読んでいたら
「顔首」(がんくび、とルビつき)
と出てきた。

(*2)3.5倍見出し
70年前の紙面、見出しは倍数活字だったのだろうか。
紙面を倍尺で測ったけど、微妙に合わない。当時は、ポイント活字をつかっていたのかもしれない。
*倍尺(ばいじゃく)は整理部・製作局などでつかう物差し・スケール。
倍数、横組みサイズ、行数目盛りのほか、新聞社によってはセンチ目盛りもついていた。
材質は、竹製からプラスチック製まであり、ほとんどが新聞社ごとの特注品(総務に「一本3,000円だよ、折るなよな」と聞いたけど、どうなのかしらん)

★地紋指定をしてみましょう (^O^)/ ❻

2015年01月29日 | 新聞

(1月25日付の続きのよーな感じ、みたいなぁ~)

インパクトのある紙面には、地紋見出しが必要なのだ=写真は日刊ゲンダイ1月29日付。
嬉しくなるほどの、多くの地紋見本が躍っている。
僕が忘れないうちに、そして後世のために(笑)
「整理部発→グラフィック部行き出稿伝票による地紋見出し指定書」こんな感じみたいなぁ~(←〝みたいなぁ~〟はバイトくんがLINEで書いてくるので真似してみた)
を書いてみた。
(地紋スクリーン番号や、文字フォント、指定の仕方は、新聞社の製作システムによってかなり異なります)

▽77歳老女殺害
天地6倍・左右21.5倍
太M白ヌキベタ黒(Mは明朝体、Gはゴシック体)

→「老女」表記はつかわないほうがいいけど、まぁゲンダイだからぁ。

▽殺人願望炸裂させていた
天地67倍・左右9.5倍
太G黒字のみ、カブセ白フチ3U

→たぶん、バックに敷いてある地紋スクリーンは別出し(天地70倍・左右21.5倍)で、重ね置きしたのかも。
*倍、Uは新聞製作でつかう単位。
1倍=88ミルス=8U(11ミルス=1U)
U(ユー)はユニットの略。

▽19歳(5倍アキ)女子学生
天地44倍・左右9.5倍
太G黒字のみ、カブセ白フチ3U

→細G白ヌキベタ黒「名古屋大」(天地4.5倍・左右10.5倍、カブセ白フチ1U)は一緒に出したのかもしれない。
一般紙のグラフィック部なら
「別に出せ」「ちまちま出すなよ」
とブチるかもしれないけど、
日刊印刷の製作グラフィック部は、とても技術力が高いので、これぐらいはつくっちゃう(と思う)。

▽裏の顔
天地29倍・左右14.5倍
太M黒字、二重字、カブセ白フチ1U

→一般紙では、まず見られない地紋。

▽プロフィルの最終学歴は「拘置所」
天地34倍、左右4倍
細G黒字のみ、細ケイ巻き

→一般紙では、まず出稿されない地紋。

▽無知 無自覚
天地41.5倍・左右11.0倍
無知=太M白ヌキベタ黒、白ヌキ字内右半分10%アミ
(区切り4U)
無自覚=太M白ヌキベタ黒、白ヌキ字内左半分10%アミ

→文字内に、いわゆる半かけ地紋スクリーンを指定したもの。
字面(じづら)地紋は、スポーツ紙以外では見られなくなった。

▽すぎる
天地4.0倍・左右10.5倍
中G黒字のみ、カブセ白フチ1U

▽ネット投稿
天地34倍・左右8倍
太G黒字のみ、カブセ白フチ2U
バックに右半分アミ地紋

→これ、たぶんバックのアミ地紋サイズを39.0倍にして「上5.0倍アキ」にしているのではないだろーか。
あるいは、アミ地紋スクリーンだけ単品出ししたのかも。
それぞれ単品出稿して、DTP大組み端末で合体させたのでは。


それにしても、地紋が多い。
紙面1ページに、地紋が14本ある(←スポーツ紙、夕刊紙はこれぐらい当たり前だよね)。
………出稿伝票に指定書を書くの、実に大変だったと思う。

★3日後に『悲嘆の門』!

2015年01月27日 | 新聞/小説

(写真は本文と直接関係ありません)

先日、大型中古書店チェーン店で我が目を疑うものを見た。
新刊書店でディスプレーされた平積み新刊を見たのは、わずか2日前。
宮部みゆきさんの最新刊小説『悲嘆の門』上下巻(毎日新聞社・本体各1,600円)が、早くも中古書店に〝入荷〟していた!

それも、スリップ(って言うのかしらん、短冊のような売り上げ伝票)が入ったまま、
さらに、スピン(糸しおり)が動いた形跡なしの、読んだあとがないキレイな本。

さらにの、さらに、
上巻には新潮文庫の
映画化決定!累計250万部突破!『悲嘆の門』に至る、はじまりの物語「ソロモンの偽証・全6冊」
ハサミコミも入ったまま………。
つまり、開いた形跡なしの、新刊書店で現在売られているまんまの上下2冊。

いくらなんでも、発売3日ぐらいで
上下巻812ページ読み終えちゃったから、中古書店チェーンに持ってきたのだよ~
あまり面白くないから、持ってきたのだよ~
とは思えない。

さらにの、さらにの、さらに、
浅田次郎さんの最新刊『日本の「運命」について語ろう』(幻冬舎1月20日第1刷・本体1,200円)
もキレイなまま〝入荷〟してあった。
これって…………………………?
(世の中には、超速読な人もいるのだろーけど。あるいは、大日本印刷グループだから新刊発売と同時入荷⁈ )

★横見出し下の中段ケイはアリ?ヌキ?

2015年01月26日 | 新聞


1段横見出しの下に、中段ケイを入れるか、抜くか=写真はイメージ。
かなり、深い問題である(笑)。
新聞製作の根幹を揺るがす問題ではないだろーか(→んなことない)。

早い話、新聞社ごとに流儀が違うから、中段ケイがアリでもヌキでも、どっちでもいいのだ。
その社のルールがあるので、どちらでもいいのだ(と思う)。

でも、
整理部デスクによって異なる場合があるのでトホホなんだけど。

A整理デスク=1段横見出しに中段ケイ・アリ派
B整理デスク=1段横見出しに中段ケイ・ヌキ派

さらに、さらに、なんと!
「1段横見出し(*)は行数稼ぎ以外のなにものでもない。オレは認めない!」
という、1段横見出し絶対つけんじゃねーぞ整理デスクもいたから……あぁややこしや、あぁややこしや。


(*)1段横見出しは行数稼ぎ
この〝横見出しつけんな〟整理デスクの指すのは、10段組み紙面の8段目、8段紙面の7段目にある1段横見出しのこと(だったと思う)。
確かに、上段がカッコよく組んであるのに、
下段で力尽きたよーにドーンと長い47倍以上の横見出しがある紙面もないわけではないので、これを指摘したのだ(と思う)。
*倍=新聞製作でつかう単位。
1倍=88ミルス=8U(Uはユニットの略。11ミルスを1Uとした)
1ページ15段編成紙面の場合(段間1倍で計算)
▽1段=15倍
▽2段=31倍(15+15+段間1倍)
▽3段=47倍(15+15+15+段間2倍)
▽4段=63倍(15+15+15+15+段間3倍)

★地紋指定をしてみましょう❺

2015年01月25日 | 新聞


(1月12日付の続き、みたいなぁ~ ←学生バイトくんから来るLINEによく出ているので真似してみた、みたいなぁ~)

地域版を除き、一般紙からはほとんど姿を消した地紋スクリーン見出し。
夕刊紙・スポーツ紙では、まだ健在だった=写真は日刊ゲンダイ1月24日号。
だから忘れないように(?)後世のために(??)
グラフィック部(*)に出稿するつもりで指定してみた。
(地紋見出し出稿での、フォント名や指定の仕方、スクリーン番号などは各新聞社の製作システムでかなり異なります)

プライマリーバランス
天地4.5倍・左右34.5倍。
太G黒字・バック20%アミスクリーン。
➡︎これ、たぶん整理がLDT(レイアウト・ディスプレー・ターミナル=組み版画面)上で傾けて、バックにベタ黒を敷いたのではないかしらん。
「あら、アミ地紋だけだと寂しいなぁ……ちょっとベタでも敷いてみようかいな」
という感じ。
*倍は新聞編集・製作でつかう単位。1倍=88ミルス=8U
*Gはゴシック体。Mは明朝体。

黒字化絶望
天地35.0倍・左右7.5倍。
M体シロヌキ・バック70%アミスクリーン上下斜めカット・右斜形八分の一
➡︎斜形 は珍しい。
傾け率を「八分の◯で指定してね」とグラフィック部に言われた。
活版組み版時代の凸版では、画像部が写植の歯送りなどを計算していたけど、今は超簡単にクィッ

モノ差し
天地39倍・左右12.5倍。
太G袋字(袋内地紋No.32アミ渦巻きスクリーン)立体黒カゲ
バックに中心15%→外側へ5%グラデーションアミスクリーン
➡︎たった4文字だけど、指定書には数行かかなくてはなりませぬ(笑)。
渦巻きスクリーンは、粗いのから細かいのまで各種あった。
(地紋No.は各新聞社ごとに違います)

変更の仰天
天地37倍・左右12.5倍。
太G黒字のみ(「の」は小さめ)
➡︎指定書で、小さくしたい文字に◯印(マル印)で囲めば調整してくれる。

究極の目くらまし
天地31.0倍・左右5倍。
M体袋字・立体黒カゲつき。
左半かけ15%アミスクリーン・カブセ用文字
➡︎地紋見出しを写真(P)にのせる場合、下(P)をツブスか、白フチ2Uをつけるか、指定してくださいね……
とグラフィック部から言われたけど、今はポンっ。


一般的にいって、一般紙よりスポーツ紙をつくっているグラフィック部のほうがうまい気がする。
字間をツメたり、文字と地紋スクリーンのアキをうまくとったり、カゲ処理などのノウハウがあるのだろう。

(*)グラフィック部
活版時代は「画像部」「製版部」といっていたが、
CTS(コンピューター組み版・編集)に移行したらカタカナ部になっちった。
整理部は、グラフィック部と仲良くしておくといいかも。
非常時など優先的に処理してくれる場合があるし(笑)。
指定書に
「急ぎ!お願い」「特急!お願い」
と書くと、当夜デスクが字を見て
「あっ、またあいつ(の字)だ。仕方ないなぁ。
おーい、これ、急ぎでホスト送りしてやってくれっ」
と優先処理してくれる(ので何回助かったか……)。

★活版は段ケイが切れている=昭和20年朝日篇❸

2015年01月24日 | 新聞


【1月22日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、昭和の復刻版新聞紙面を見た!読んだ!うなった!第56回。


昭和20(1945)年6月26日付・復刻版「朝日新聞」東京本社版1面=写真
日本経済新聞社東京本社が活版からCTSアネックスに全面移行したのが、1978年3月。
朝日新聞東京本社がCTSネルソンをスタートさせたのが、1980年9月。
両社のCTSには、日本IBM・米国IBMが技術協力している。
コンピューター編集・組み版の紙面と、鉛活字をつかった活版組み版の紙面、どこで見分けたのか?

CTSにより新聞製作を一新した2社の新聞を横目に(笑)、
活版でつくっていた僕たちの整理部先輩デスクは
「中段ケイだよ。俺たちホット(*1)でつくっている新聞は段ケイが切れている」
と言った。
(→ほかに、CTS先行2社はオフセットに切り替えたから、活版に比べて印刷が鮮明ということもあったけど……)

70年前の復刻版紙面。
段ケイが途中で切れている。
懐かしい(かも)。
活版で組んでいたころ、大組み台に引き出しがあり、そこにいろいろなサイズの段ケイ(*2)や飾りヤマケイが用意されていた。

僕たち整理面担(*3)は大組み時、棒ゲラ(*4)を渡しながら、製作局大組み者に
「ん~、この記事、段ケイありでブン流しねっ」
と指示した。
たとえば、段ケイの長さが95倍あったとき、
(よほど几帳面な大組み者以外は)60倍ケイと35倍ケイなど、2本の段ケイをつなぎ合わせることが多かった。
このつなぎ合わせ部で、ほんの少しのアキができてしまう。
これが「活版新聞の見分け方」とデスクは言ったのだろう(→CTS編集になってからでも、初期の印画紙出力切り貼り紙面では段ケイが切れていることがあったけどね)。
………現在の紙面では、段ケイはきれいに通っている。


(*1)ホット
活版からCTSに移行するとき、編集の仕方を、
活版=ホット、
CTS=コールド
と分けて呼んでいた。
活版は鉛を溶かして活字を鋳造するので熱い→ホット、
CTSはコンピューターだから一定の温度にしなきゃならぬ→クーラー必要→コールド、
と言う人もいたけど(笑)。

(*2)段ケイ=だんけい
活版組み版当時の中段アキは、基本的には1倍=88ミルス。
その後、基本文字サイズの拡大化により、段アキはU単位で広がっていった。
*U=ユー、ユニットの略。
11ミルスを1Uとし、全角=1倍=88ミルス=8U。

(*3)整理面担=せいりめんたん
整理部には、だいたい90分ごとに紙面を組み替えるニュース面担グループと、
地域版のように一発勝負の面担グループがいる。
紙面を3~4回つくるほうがいいか、1回で終わるほうがいいかは人それぞれだけど、僕は複数回つくるほうがいいな。

(*4)棒ゲラ=ぼうげら
崩れないようにストッパーのついた金属製ケースに、記事の鉛活字を入れていた。それが〝棒状〟だったから呼んだ(→新聞社製作局によって、呼び方が異なる場合あります)。

★16段編成はいつまでだったのだろう=昭和20年朝日篇❷

2015年01月22日 | 新聞


【きのう1月21日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、昭和の復刻版新聞紙面を見た!読んだ!うなった!第55回。


昭和20(1945)年6月26日付・復刻版「朝日新聞」東京本社版1面=写真左
今から70年前の昭和20年、新聞1ページが16段編成だったのは、朝日新聞だけではなく、
毎日新聞(写真中=昭和20年4月9日付)もだった(→新聞業界全体なのだから当たり前か)。
また、翌21年も新聞は16段だったようだけど、いつごろまでだったのだろう(一時期17段組み新聞もあったのだよ、と大大大先輩に聞いたので、さらに1段が細かくなったのか……)。

新聞の文字サイズや段組み・編成を変えるときは、社告(*)を出す。
例えば、文字サイズを大きくするとき、フロント1面に、こんな感じ。
「高齢時代に対応し、文字サイズを大きくします。フォントの縦を太くし、読みやすさアップ、従来比で12%面積拡大です!
目にやさしい◯◯新聞文字。だから購読してね!」


戦中は、数年ごとに社告を出していたのかしらん。
例えば、かくの如き感じであらうか。

「物資不足に従ひ用紙逼迫なり。ゆえに、新聞社一丸減紙に対応、当面16段組みとす。御勘弁願ひたし」
「諸般の事情に加へ、当局からの通達により、当面1頁16段組みとす。
本紙のみに非ず、帝都發行の新聞社総じてなり。読者諸君も耐へんとするなり」

12段→15段→16段→17段(未確認)→15段→12段(現在)
と変わった新聞の段組み変遷など調べてみたいけど、
調べてどーなるのだ・どーするのだ?という気もしないではない(笑)。
用紙配給問題に加え、数年ごとに活版組みでつかう鉛活字やインテル(行間をつくる金属板)などを替えていたことになるので、
製作局、整理部かなり大変だったと思う………。


(*)社告=しゃこく
文化事業告知なら事業部、講読料や即売一部売り料金改定なら総務・販売部、紙面改革なら編集局がそれぞれ提稿するのだけど、
結局は編集局が何回も赤字を入れて直す。
整理部はそのたびに小ゲラ出しをして、関係部局にゲラ配(げらはい)をしなくてはならないので、けっこうムニャムニャだった。
ゲラ配=プリントアウトしたゲラを配ること。
編集では「配」と記すけど、記事広ゲラをクライアントに回す広告局では「ゲラ拝」と書いていた。
なるほどねぇ~と漢字一文字に唸ってしまった。

★なんと16段組みなのだ=昭和20年朝日新聞篇❶

2015年01月21日 | 新聞


【昨年2014年12月31日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、昭和の復刻版新聞紙面を見た!読んだ!うなった!第54回。


昭和20(1945)年6月26日付・復刻版「朝日新聞」東京本社版1面①
写真は、70年前の朝日新聞1面紙面と、今年2015年1月発売の文春新書新刊『朝日新聞/日本型組織の崩壊』………ということは、さておき。

沖縄戦況を報じる、今から70年前、鉛活字をつかった活版で組まれた昭和二十年六月二十六日(火)付朝日新聞東京本社版の1面紙面。
何回数えても、1ページ16段なのだ。
(以前、僕のボス〈=元上司・編集局長〉が、戦時中には17段組みの新聞があったのだよ、とおっしゃっていたから、この紙面より細かく段を割った新聞があったのだろう)

新聞用紙逼迫のためか。
16段組みで、凸版地紋見出しなし(リード文に「大本營發表」G白ヌキ凸版があるけど、たぶん取り置き保存・台つきカット(*1)
1段(1行)は、15文字。やや扁平体のような感じのフォント。
1段を測ってみると、刷り寸(*2)で13.5倍しかない。

13.5倍 ÷ 15字 = 1文字の天地0.9倍 ⁈

1倍88ベタ活字より、小さい基本活字があったのかぁ!
同活字より小さい79.2ミルス、ということになるけど、
このサイズの鉛活字は初めて見た(→刷り寸だから何ともいえないのだけど)。

1倍鉛活字を文選工員が一本一本一本一本一本手拾いしていたのも大変な作業だった(*3)けど、
さらに小さい鉛活字を手で一本一本一本一本一本拾っていたのかぁ………。
70年前の、新聞社活版部に、日本のものづくりの凄さを見た(ような)。
長くなったので、続く。


(*1)取り置き保存カット
活版時代、連載タイトルなど何回もつかう地紋・製版凸版カットには、凸版下に台(アシ)をつけて保存していた。
降版して紙型をとったハンコ(組んだ紙面)は数日保存して解版(かいはん)していた。
活版部に昼間、アルバイトのおばさんがいて、解版OKになった1ページ大のハンコを、大組み台で壊していたのを見たことがある。
そのとき、凸台やP(写真)台のほか、再びつかう定型カットなどを取り除いて、活版部の保存用棚に戻していた。
僕たち整理部は最終版の降版後に、保存すべきカットや記事に
「要取り置き!」
と赤丸して、ようやく「仕事終わり~」なのだった。

(*2)刷り寸=すりすん
コンピューター編集CTSでもそうだけど、組む段階は「組み寸」で、降版して輪転機にかける段階にはやや縮んだ刷り寸になる。
活版時代には、製作局にあった大型プレス機で紙型どりをしていた。
卵を入れた個装パック紙のような、厚手のパルプ紙に、機械で圧力をかけて紙型をつくって地下の輪転機にかけるのだけど、
紙型どりで版全体がやや縮み、輪転機にかける鉛版でさらに縮むのだよ、と整理部デスクから新人研修のとき聞いた。
( ↑ しかし、よく覚えているなぁ…)

(*3)鉛活字を手拾い
自動鋳植機が登場するのは昭和30年代半ば(毎日新聞社が開発)。
それまでは、文選工員が活字棚から活字を一本一本拾っていた。
僕は、本業の傍らバイトで新聞編集していた(←時効成立ですから、笑)専門紙印刷工場で、この手拾いを見たことがある。
熟練者だと、1分ほどで1行15字3行ぐらいはスイスイ拾っていた。
それも、タバコをくわえながら、手は千手観音のごとく(笑)。

★『やぶへび』に東京新聞。

2015年01月20日 | 新聞/小説


講談社創業百周年記念シリーズの一冊、大沢在昌さんの『やぶへび』がようやく講談社文庫で出た=写真右
待ってました!
再読したけど、いろいろな意味でやはり面白かった。

「日本一不運なサラリーマン」坂田勇吉シリーズ系列に当たる、中国人女性と偽装結婚した元刑事が謎の集団に次々襲われる、いわゆる「巻き込まれ型」ミステリー。
坂田もそうだけど、「やぶへび」主人公・甲賀悟郎も、面倒なことになったら逃げればいいのに、逃げない。
卑怯なことはしないぜ、とばかりに。

ということは、さておき。
大沢さんの父は、社会部長、東京本社代表など歴任された中日新聞本社の常務(だったかしらん)。
以前、大沢さんにお会いしたとき、
「あぁ~、親父が生きていれば100歳かぁ……」
と話されていた。
で、この『やぶへび』にも、都内のとある新聞社が出てくる。
まぁ、これは東京新聞(中日新聞東京本社)のこととすぐ分かる。以下、本文から引用しました。

(前略)
思いつき、加馬にメールを打つことにした。加馬は大東新聞の記者だ。
大東新聞は東京に本社をおくが、三大紙のような大新聞ではない。
だが警視庁の記者クラブにはいちおう加盟していて、甲賀が機捜の品川分駐所にいた頃、知り合った。
大東新聞が品川にあったので、ちょくちょく飲みにいったり、麻雀をやったりしたのだ。

(中略)
大新聞だったらベタ記事扱いの、ひったくりやスリがらみの事件でも大東は特集面の材料によく使うからだ。

(後略)

千代田区内幸町に移転前の、東京新聞品川社屋時代のこと(「特集面の材料」は〝こちら特報部〟のことかしらん)。
大沢さん、以前エッセイなどで
「小説家だけにはなるな!」
と言っていた父親のことを書かれていた。
ぜひ、次次次作あたりで、刑事となった息子と、ブロック紙の社会部長(父)を絡めた警察小説を書いて欲しいなぁ、と思う(もちろん「新宿鮫」シリーズが最優先だけど)。


文庫巻末の解説は、編集者・薩田博之さん。
2010年講談社創業百周年記念企画である100冊書き下ろしは、なんと大沢さんの〝提案〟だったよーだ、にはビックリした。
だから『やぶへび』には二つの意味があるのだという。
ふうむ、なるほど。