(11月2日付の続きです。写真は本文と関係ありません)
青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として、あの「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社では……の第40回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。
*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。
【幻冬舎文庫『平成紀』154〜150ページから】
九月二十日午後零時三十分❶、通信社は「天皇陛下は重体」のニュース速報を打った。ほとんどの加盟紙が夕刊に間に合った。
このニュース速報が配信されたあと、官邸を預かる政府高官が記者団の前に顔を見せ「電話で宮内庁に確認したが、重体などということはない」と逆の話を強調❷した。
しかし、その公式否定から四日後❸、天皇陛下の体温がとめどなく上昇し、あえぐような下顎呼吸となり、下血が二度あり、新鮮血の輸血を正午ごろに二百ccで始め、午後三時までに四百ccに達し、夕刻にさらに二百ccを入れて計六百ccに達する事態となった。
これを見て関係者が、一部の記者に「ご病気の本体は膵臓癌であり、吐血と下血は、癌性腹膜炎を起こしているためである可能性が強い」と積極的に漏らした。
吐血の段階から重体であり、治療をしても改善する状態ではなかったと暗に強調するためだった。
❶九月二十日午後零時三十分
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」(株式会社共同通信社発行)では、
「午後0時30分」(洋数字表記の新聞の場合)
——と表記するところ(でも、小説・著作物なのでかまいません、このまま行ってください、と校閲部)。
同日(1988=昭和63=年9月20日)の動きは——(役職などはいずれも当時)
▽02:25=皇太子夫妻が吹上御所に見舞い
▽02:45=小渕官房長官が官邸入り
▽03:00=宮内庁と官邸で緊急会見
▽08:15=竹下首相が皇居へ向かい、見舞い記帳
▽08:30=宮内庁・宮尾盤次長が会見。
「輸血は今朝からやっておりまして800ccくらい。昨夜の緊急輸血は午前4時半ぐらいには終わりました」
▽09:00=常陸宮夫妻、高松宮妃、三笠宮夫妻、高円宮夫妻、秩父宮妃ら皇族方が見舞い
▽09:52=東宮御所に引き上げていた皇太子夫妻が再び吹上御所
(治療=高木侍医長、大橋、内田、加藤、伊東侍医団)
(竹下首相と安倍幹事長ら自民党三役が国会内で天皇ご容体で協議)
(石原信雄官房副長官が的場順三内閣内政審議室長と約1時間半にわたり会議➡︎新元号の制定作業が始まる)
【新聞社@整理部では】
午後から慌てて編集局次長、出稿部Xデー取材チーム、整理部Xデー班、写真部、制作局が集まり緊急紙面会議。
▽共同通信社からの連絡事項
▽ページ建て再確認
▽朝刊・夕刊・特集面の通常制作時間帯以外の、どこの時間帯で組むか
▽他本社への送信など連携
▽出稿済みデータ延命(日付延ばし)
▽面ID・出稿IDやグラフィックスIDの日付再確認
▽小・大ゲラの扱い(廃棄厳禁など)
——を最終確認した。
Xデー紙面、整理部ではデスクほか8人担当。
通常紙面編集に加えての時間外作業だが、
「いろいろな面で補填するから頼むな!」(整理部長)
整理部員も
「一生あるかないかの紙面、気合入る!」
だった。
❷逆の話を強調
この期に及んでも重体ではない、と言いつくろう政府高官。
だけど、この発言も一応記事にして配信しなけりゃならぬ。
整理部は2段1本かベタ(1段)見出し扱いで、
「政府高官、重体を否定」
ぐらいか。
❸しかし、その公式否定から四日後
1988(昭和63)年9月24日のこと。
(⬅︎分かりにくいので、日付は繰り返し記します)
この日は午前から、超緊迫した。
楠記者とは別の通信社から、午前11時過ぎ
「天皇の呼吸が乱れている」
「全身マッサージが施された」
と緊急速報が流れた。
午後0時20分には宮内庁報道官が、
「正午現在、体温38度9分」
「脈拍数 107、血圧は上が 162、下が 80。呼吸数は 22」
体温がこれまでで最高の高さを記録した。
一時、政府筋から「天皇危篤」も流れた。
山本悟侍従長は
「危篤なんてことはない! 意識も鮮明で皇太子殿下と話をされた!」
と「!」アマダレ付きで否定したが……。
【新聞社@整理部では】
同日、ソウル五輪でカール・ルイスとベン・ジョンソンとの世紀のレースがあり、紙面は獅子てんやわんや(⬅︎古いぞ)。
共同通信社の速報は午前から五輪ニュースとご容体報道が
「ピーポ〜、ピーポ〜、共同通信から……」
と入り乱れて鳴り響いた。
夜には1度「キンコンカンコーン」緊急チャイムも鳴った。
〝やべぇ、来たぁ〟出稿部、整理部は顔を見合わせ総立ちだった。
というわけで、続く。
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【1988=昭和63年】敬称略
*参考=「文藝春秋」2009年2〜5月号、
佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日』(文藝春秋刊)、
新潮文庫『昭和最後の日/テレビ報道は何を伝えたか』(日本テレビ報道局天皇取材班)、
横山秀夫『64/ロクヨン』(文春文庫刊)
▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月17日=ソウル五輪開幕
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月20日=天皇の国事行為を皇太子に全面委任。
新元号の制定作業開始
▽9月21日=高木侍医長が容体急変以降はじめての会見。
「貧血と黄疸という症状はあるものの吐血はなく、安定した状態」
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地が100m背泳ぎで金メダル
▽11月1日=ダイエーが南海ホークスの経営権取得。福岡ダイエーホークス発足
▽11月8日=米大統領選で共和党ブッシュ当選
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に
▽12月15日=西武セゾングループが世界的ホテルチェーンのインターコンチネンタルホテルを21億5000万㌦で買収
【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに
▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列
▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばり死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値