降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★4本見出しもあったのだね=東京朝日篇❹止

2014年12月31日 | 新聞


【きのう12月30日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第53回。


大正12(1923)年9月21日付・復刻版「東京朝日新聞」市内版篇❹止(「止」は分載原稿の最後=コレデ終ワリのマークです)

関東大震災(大正12・1923年9月1日=*1)直後なのに、ルビやベタ活(*2)、見出しサイズの鉛活字がそろっているのに驚く。
東京朝日、社屋損壊・焼失はまぬかれたのだろう。
地震で活字棚が倒れ、鉛活字も散乱したはずだけど、
紙面構成に違和感はなく、金属製凸版写真もできている。凄いなぁ。

当時は普通だったのだろーか。
日刊ゲンダイ的に文字数が多いトップ3段見出しは、驚きの4本見出し。

蹈止まつた創作家が
復興藝術家協會を創立
帝都の美觀を研究して建言
勞働もしようとする健氣な連中


合計45文字………うーむ。
記事本文中に「作家連中が續々と關西落ちを極めてゐる」とあるから、
見出し「健氣な連中」は、現在と多少語感が違うのかもしれない。
今なら、
「都市の美観を提言へ
作家ら復興協會を設立」
ぐらいだろうか。

(*1)大正12年=1923年
西暦より年号(元号)を先に書くのが、愛国新聞……じゃなくて産經新聞型。

(*2)ベタ活=べたかつ
ベタ活字のこと(ルビは、ふりがな)。
基本的には、記事本文に組まれる活字サイズを指すと思うけど、新聞社のある年齢層のかたは
「ベタ活字? そりゃあ、15字組みの『1倍活字』に決まっとるではないか!」
とアマダレ(!)付きで、特定活字を指すこともなきにしもあらずでございます。

★ルビは手作業だったのだよ=東京朝日篇❸

2014年12月30日 | 新聞


【きのう12月29日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第52回。


大正12(1923)年9月21日付・復刻版「東京朝日新聞」市内版篇❸
南太平洋海戦を報じる、91年前の新聞=写真
先日、ボス(元上司・編集局長)とお会いしたとき、復刻版新聞を見ながら昭和の活版編集についていろいろ聞いた。
(ボスは整理部経験もあるので、昔の新聞には詳しいのです)

ルビは活版部泣かせだったのだよ
昭和初期の紙面で驚くのは、記事にたくさんのルビ(ふりがな)が入っていること。
東京朝日新聞・校正係時代の石川啄木も、赤字処理(*1)で「ルビ付き活字」を文選課で探したようだけど、
ルビ一本一本を組み版・植字班が手で処理していたのだよ、と聞いて(あらためて)驚いた。
…………こんなにたくさん、大変じゃん。
僕も活版組み版時代、ルビ組みを活版部で見たけど、気が遠くなるような面倒な作業だった。

僕が見た活版組み版時代のルビ処理(一部推定、笑)
①校閲部からルビ個所を指定した小ゲラ(*2)が出る
②製作局活版部デスクが小ゲラを選択し、文選に回す
③文選工員、小ゲラを見て
「わっ、面倒なの来たよ。まだ(ルビ活字)あったかなぁ」
とブツブツこぼしながら、文選活字棚から一本一本一本一本一本一本手拾い
④手拾いした極小ルビ活字を、小ゲラに乗せて植字班に回す
⑤植字工員、ルビ活字が乗った小ゲラを見て
「わっ、面倒なのつかんじゃったなぁ」
とブツブツこぼしながら(→つまり、文選も植字も面倒なのだ)
鉛活字を探し出す(*3)
⑥ルビ指定された行のインテル(行間をつくる金属板)を抜き、漢字部分に合わせて極小ルビ活字を付ける
⑦インテルは長さ15倍なので、ルビがあるところ以外のインテルをそれぞれ合うように切る
⑧出来上がり。フゥ~。
鉛活字の上から水を吹きかけて(*4)活字ゲラ全体を調整、小ゲラ刷り機に回す。
⑨ローラーで刷られた再校ゲラを、校閲部に返す
(校閲部では、危なそうな記事は再度確認するために、
「要再校!」
という赤ハンコを小ゲラにドーンと押してある)

…………という感じで、幾人もの手作業だった。
だから、91年前の復刻版新聞のルビの多さを見て、日本のものづくり技術に絶句するのであった。

(*1)赤字処理
記事にある誤字・脱字を直すこと。鉛活字を差し替えること。
誤字以外にも、その新聞社独自の用字用語ハンドブックに従い、文字を修正する。

(*2)ルビ指定の小ゲラ
小ゲラ(こゲラ)は1段分の鉛活字数十行で、棒のようだから「棒ゲラ」とも。
大組みした組み版に黒インクをつけて刷ったものは「大ゲラ」(おおゲラ)。

(*3)鉛活字を探し出す
フロント1面から内政面、外電面、経済面、投書面、家庭面、文化面、スポーツ面、各地域・地方面、社会面、ラジオ・テレビ(ラテ)面のほか、
夕刊面、企画特集面、記事広告面(記事広=きじこう)、案内広告面、追い込み面(=前もってつくっておくハコや記事)
まで数百本に及ぶ鉛活字は、製作局活版部の金属製備え付け棚や大組み台下に、面ごとに収容されていた。
ごくまれに、活字が見当たらないこともあったが、記事モニター番号が分かれば再鋳植できた。

(*4)水を吹きかけて
花などにシュッシュッとかけるスプレー状のものが植字班においてあった。
鉛活字は乾燥すると、大組み時にコボしやすいので、少し湿らせていたようだ。

★新聞は同じことをしているだけのようだ=東京朝日篇❷

2014年12月29日 | 新聞

【きのう12月28日付の続きです。
写真は、91年前の東京朝日新聞と、
「です・ます・ございます」体で一見低姿勢を装いながら「みなさまの声に耳を傾け続けます」の、いろいろ話題になった2014年12月27日付の朝日新聞。
だははははははははははは。他意はありませんよ】

ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第51回。


大正12(1923)年9月21日付・復刻版「東京朝日新聞」市内版篇❷
南太平洋海戦を報じる、91年前の新聞。
朝日が東京に進出したのが1888年だから、同紙面は35年ほど経ったもの。
12段組みはどのぐらいは、いつからなんだろう、大正期には普通だったのだろうか。

組みは、1段(1行)15字どり。
刷り寸(*1)紙面でタテ18倍あるから、1文字約1.2倍(*2)になる。
文字をみると、偏平ではなく正体(せいたい)に近いようだが……。
「ポイント活字」を混在使用していた新聞社もあったから、8ポ(ハチポ=8ポイント)なんだろうか。

8ポ活字=天地・左右110ミルスの正体活字=1.25倍活字
新聞社製作局の一部の人は「ワンテン」とも呼んでいた。
1倍活字の左右幅が110ミルスなので、行間(インテル)を調整せずに組めたから、8ポはけっこう新聞社で使われたはずだよ、と先輩整理から聞いた。

2008年、朝日と読売新聞が地殻変動的12段編成に移行して驚いたけど、
なんのことはない、90年前に原形があり、見本となる活字サイズもあったのかぁ………
と年末、再び感慨にふけるワタシであった。

(*1)刷り寸=すりすん
編集整理が端末で組むときは「組み寸」で、降版後、輪転機にかけられるときは「刷り寸」になる。
刷り寸ではサイズが縮むので、カラー印刷初期は、その縮小率も計算しながらカラー指定をしていた。

(*2)倍
編集整理、グラフィック部、製作センターなど、新聞編集で使う単位。
1倍=88ミルス=CTSでは8U
(11ミルスを1Uとした。CTSはコンピューター組み版・編集。Uはユニットの略)
1倍活字のサイズは天地88ミルス、左右110ミルスで、同文字は現在でも(新聞によっては)経済面人事などで使われている。

★衝撃的!新聞だった=東京朝日篇❶

2014年12月28日 | 新聞


ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第50回。


大正12(1923)年9月21日付・復刻版「東京朝日新聞」篇❶
南太平洋海戦を報じる、91年前の朝日新聞=写真左
「あれれぇ~」と思ったのは、大正12年版の題字書体が、現在の朝日書体とほぼ同じで、バックの「サクラ」模様も同じなこと。
へぇ~。

大正12年版紙面の題字下には、
「發行所 東京市京橋區瀧山町一、二、三、四、五番地
東京朝日新聞發行所
定價一月六十錢、一部二錢(但し本月中)
市内版」

とある。
(「瀧山会」って、この町名に拠るのかしらん……)

さらに、衝撃を受けたのは、
1ページが、すでに12段編成(*)じゃん!
やたらと文字が大きいので、タブロイド版を拡大製版したのかしらん、と思ったけど、
どうも違うらしく、当時のブランケット版のままを製版したよう。

12段編成新聞は、すでに90年以上前にあった!
12段編成新聞は、すでに90年以上前にあった!!
12段編成新聞は、すでに90年以上前にあった!!!
12段編成新聞は、すでに90年以上前にあった!!!!
(頭の中で、エコー状態、笑)

2008(平成20)年、15段→12段編成に紙面刷新した朝日(読売新聞も)を見たとき、
「新聞整理の地殻変動が、ついに起きた……」
(←僕は、新聞といえば、15段編成しか見たことがなかったから)
なんて唸ったけど、なんのことはない、昔は12段編成だったのだ。
…………不明を恥じちゃう私(笑)。

(*)12段編成
きれいに、折り線が6段目に入っている。
大正12年版の文字サイズは不明だが、1段(1行)には15文字。
1段の天地は18倍(刷り寸)で、ほぼ現在の新聞サイズと同じ。

★直木賞はコノ人→勝手に選考会。

2014年12月27日 | 新聞/小説


第152回直木賞は、この人ではないだろうか(芥川賞は関心ないので、パス)。

【2014年下半期・第152回直木賞(日本文学振興会主催)候補5作品】
選考委員=浅田次郎、伊集院静、北方謙三、桐野夏生、髙村薫、林真理子、東野圭吾、宮城谷昌光、宮部みゆき(敬称略)

青山文平「鬼はもとより」徳間書店
▲もう数作様子見では=66歳、初候補。
日経書評欄で「現代の藤沢周平」とあったから購入(→整理部的にはオイシイ言葉っすね)。
藩経済を再生させるフリーのコンサルタントが主人公………時代ものが苦手なので、パラパラ読み m(__)m スミマセン。

大島真寿美「あなたの本当の人生は」文藝春秋
▲もう数作様子見では=52歳、初候補。
新人作家、担当編集者、ファンタジー作家が絡み合いながら、なんてことない生活を描くのだけど、書けない新人作家の
「コロッケの声がきこえる」
には、ムッとして思わず本を閉じてしまった私……。

木下昌輝「宇喜多の捨て嫁」文藝春秋
▲もう数作様子見では=40歳、初候補。
同作で、2012年にオール讀物新人賞。そして、いきなり同作で直木賞候補!
かなり力がある感じなんだけど、苦手な時代もの連作集なので、パラパラ読み…… m(__)m スミマセン。

西加奈子「サラバ!」上・下巻、小学館
◎最有力=37歳、候補2回目。
イラン・テヘラン生まれの西さん、作家生活10年記念作品を飾れるか。
父は出家、母は再婚、姉は問題行動連発。一家離散の末、友人には裏切られ、地に堕ち、崩壊していく「垰歩」(あくつ・あゆむ)の物語。
転落もの小説が大好きな僕だけど、上巻と下巻に差があるよーな気がした。
とはいえ浅田、伊集院、北方、桐野、髙村、林、東野、宮部選考委員が推す感じ。

万城目学「悟浄出立」新潮社
◯有力=38歳、今度こそっ!の候補5回目。
大阪全機能停止の「プリンセス・トヨトミ」から読んでいるけど、いずれも大長編すぎませんか……読み続けるの~大変(苦笑)。
宮城谷選考委員が推しそうだけど、この作品で獲れなきゃ……もっと凄いの書かなきゃならない。

……以上、うーん、西さんでなきゃ「該当作なし」かも。
選考会は年明け1月15日夕、東京・築地の料亭「新喜楽」で発表。

★エトキはケツ⁈=東京日日篇❻止

2014年12月25日 | 新聞

【おととい12月23日付の続きです。「止」は分載原稿の最後コレデ終ワリダカラナのマークです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻!昭和の新聞紙面を見た!読んだ!第49回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❻止
74年前の新聞。
読み始めると面白いし、現在の新聞編集と比べると、けっこう
「へぇ~、そうなんだぁ~。ふむふむ」
なところがあった。

【ヤマは入れないの?】
写真右下の2段見出し
3倍M「盛り場の駐車場」
2倍M「來月からいよ〃廢止」
(Mは明朝体*)
の横写真(人がたくさんいる写真)が記事に対応しているのかと思ったら、上の
4倍M「蓋開け 忽ち満員」
1.5倍G「本社主催」
3倍M「『戰ふドイツ展』の人氣」
(Gはゴシック体)
の記事写真だった。
同記事の最後行に
ベタG「寫眞は白木屋の〝ドイツ展〟」
とある。
へぇ~、こういうのアリだったのかぁ(→たまたまのイレギュラーだったのかもしれないけど)

普通なら、「盛り場の駐車場」右に2段ヤマケイを立てて記事を分けるのだけど、当時は
ケツエト(最後行にエトキ)
でよかったようだ。
というか、
下エト(写真の下にエトキ。上ならウエエト)
自体が無いのだなぁ。

(*)Mは明朝体
製作局文選との暗黙ルールで、見出しなどで書体指定がなければ、自動的に明朝体。
CTS(コンピューター組み版・編集)でも、入力モードにすると、とりあえず「M」が出てくる設定になっていた。

ところが、
製版部とはなぜか暗黙ルールがなく(笑)、書体指定忘れ地紋凸版を出稿すると、ジリリリーン
「忙しいんだからよぉ、MかGぐらい書いておけよ!激オコよ!」
と直通電話が来た。

活版当時、製版部が持っていた地紋見出し用書体(写植フォント)は、
▽極太ゴシック体→文字数自体がそろってなかった。
▽太ゴシック体→フロント1面トップ専用的な。
▽中ゴシック体→普通の地紋見出しに使用。
▽細ゴシック体→黒字・袋字とも、僕好み(あ、関係ないか、笑)
▽中太丸ゴシック体→なんとなくマンガチックになってしまうので、僕は1度も使わず(あ、関係ないか、笑)
▽細丸ゴシック体→かなり弱々しい書体、僕は1度も使わず。
▽太明朝体(大蘭明朝体とも)→どぎついので、整理部誰も使わず。
▽中明朝体→普通は、これ。
▽細明朝体(新聞明朝体とも)→企画ものに使うと、面白い効果あり。
………けっこう、たくさんあったのだなぁ。

★猪瀬本は250円だった=12月のブックオフ買取価格

2014年12月24日 | 新聞/小説

【写真は本文と直接関係ありません】
年末掃除と、読み終えた本の処分を兼ねて、ブックオフに持ち込んだ。
あの前都知事の、作家再始動的新刊(お涙頂戴本)、ブックオフはいくらで買い取ったのだろーか。
お断り=ブックオフは地域と店舗特性で、買い取り価格に多少の変動があると聞きました。
また、同チェーンは美本重視ということなので、ページ折りナシ・書き込みナシ・汚れナシ・カバー破損ナシの「4ナシ」のつもりでした(笑)。

【ハードカバー・単行本部門】
▽『さようならと言ってなかった/わが愛わが罪』猪瀬直樹前都知事、マガジンハウス刊、本体1,300円
→ブックオフ買い取り価格 250円
イヤなもの見たさに買ったはいいけど、五輪誘致の自慢と、ほんの少しの辞任言い訳。まさか、お涙頂戴もので作家活動再開とは……。
ふんぞり返って、部下を怒鳴りちらしていたわが世の春が急転、
汗をダラダラ流しながら、醜態をさらしての辞任劇。
「さようならと言ってなかった」は僕たち都民へのメッセージなのか(笑)。
あいさつなんか要らないよ。

▽『フィルムノワール/黒色影片』矢作俊彦さん、新潮社刊、本体2,300円
→買い取り価格 500円
日活映画100年記念、10年ぶり二村永爾シリーズ最新作。
宍戸錠さん実名登場なんだけど、ちょっと長すぎかな、と。
表紙は江口寿史さんイラストだったから、正直ジャケ買いだった私。

▽『杖ことば』五木寛之さん、学研パブリッシング刊、本体1,300円
→買い取り価格 250円

▽『鳩の撃退法・上下』佐藤正午さん、小学館刊、本体各1,850円
→買い取り価格 各500円
面白かったけど、まぁそのぉ~なんと言うかぁ………角田光代さんの推薦コピーに惹かれて購入。

▽『ルール』堂場瞬一さん、実業之日本社刊、本体1,700円
→買い取り価格 400円
来年2015年に100冊を迎える堂場さん。こんな短期間に大台突破は〝ニュース〟ではないか、読売新聞は取材すべきではないか!……ということはさておき。
堂場さんの一般紙記者もの『虚報』(文春文庫)などはリアルなんだけど、
登場人物全員が愚痴ばっかりなんで、最近やや食傷気味でございます。
単行本は、ほか9冊。

【文庫本部門】
新刊書店で発売中でも、昨年刊行のものでも、汚れがなく〝きれい〟なら、
買い取り価格は一律50円!
( ↑ 比較的新しい文庫のケース。ブックオフは本の裏表紙バーコードで読んでいるようなので、コードが付いていない本の買い取り価格は分かりません)

【雑誌部門】
「サライ」12月号、「メンズEX」12月号ほか3冊
→買い取り価格 一律20円
11月の買い取り値は50円だったから、かなり下がっている。
まぁ、かさばる雑誌を引き取っていただいただけでも御の字かな、と。


以上、それなりの買い取り金額だった。
帰途、メビウス・スーパーライト4箱と、新刊の講談社現代新書、新潮文庫、
夕刊フジ、日刊ゲンダイなどが買え、残りでなんとか年を越せそうな感じでございました(笑)。

★74年前の焼き込みに驚いた=東京日日篇❺

2014年12月23日 | 新聞


【きのう12月22日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?アーン?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第48回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❺
とても74年前の新聞とは思えない(←そりゃまぁ、記事や見出しの文字づかいを見れば一目瞭然だけど)。
重ねて書くけど、これだけの小さな鉛活字(*1)を一本一本すべて手で拾って組んでいたことに、
「はぁ~~~」
ため息が出てしまうし、
4段ハコ(紙面上から2段目)を見て
「ほぉ~~~~、これはこれは……」
と感心してしまう。

【凸焼き込み・切り込みは大変なのだ】
2段目4段・全角グニャリケイ(*2)巻き
描き文字カット「景風新の街」(→街の新風景)
3倍M体「會組隣で屋呂風たい空」(→空いた風呂屋で隣組會)Mは明朝体

天地35倍・左右49倍写真に、「街の新風景②」が焼き込んである。
………これ、どうやったんだろう?
①凸写真板に、整理面担が糸ノコでギーコギーコして描き文字カットを組み入れたのか。
あるいは、
②写真製版時に、同時に焼き込みをしたのだろうか。
たぶん①だろうけど、これ、とても大変だし、誤って手を切ってしまうおそれもあるのだ(→活版組み版時代、先輩整理が大組み台でギーコギーコと苦労しているのを見たから、僕はやらなかった、笑)。

【さらに、鉛活字を組み込みしているし!】
描き文字カットの余白に合わせて、鉛活字を組み込みしているのも、ビックリ。
芸が細かい。
記事は「25日」のことで、掲載は「26日付」だから、作り置き(*3)ではなさそう。
あらためて、人の力だけでつくる凸製版技術と、当時の活版組み版技術にため息をついてしまった。

(*1)小さな鉛活字
1倍活字で、天地88ミルス・左右110ミルス。1段(1行)には15字入った。
1倍=全角=88ミルス=CTSの8U(Uはユニットの略)
すべて文選手拾いで、はやい文選工だと1分間に4~5行は活字を拾ったと聞いた。

(*2)全角グニャリケイ
波打つようなケイ。
正式なケイ名(ケイ番号)があるのかもしれないけど、整理部から「全角グニャリケイで巻いといてね!」と指定すれば、小組みで同ケイが入っていたから、まぁいいのかぁ、だった(笑)。

(*3)作り置き
ニュースものは当日つくって掲載するけど、
速報性がなく日付がさほど重要ではない「このほどモノ」「季節・企画モノ」は数個作り置きし、製作局活版部の大組み台下の棚で保管していた。
ただ、ナンバリングに気をつけないといけなく、僕は何回掲載番号を間違えたことか…… (>_<)

★丁寧なレイアウトこそ!=東京日日篇❹

2014年12月22日 | 新聞


【12月19日付の続きです】
ついつい最近(1990年代前半)まで、鉛活字と凸版(とっぱん)、黒インクを使って活版で組みあげていた新聞。
僕たち新聞社整理部から見た、活版鉛活字組み版から第1期CTS(コンピューター組み版・編集)までを後世に書き遺しておこうかな、と。

お断り=紙面は「激動の昭和史を読む/太平洋戦争の記憶」(アシェット・コレクションズ・ジャパン発行)の毎号コレクションズから。
当時の社会情勢や政情などには言及せず、ただ単に
「60年以上前の、昭和初期の鉛活字組み活版新聞紙面はどーなっていたのだ?あーん?」
に注目しました。
「倍」「凸版」など新聞製作で使う用語は、繰り返し(クドイかもしれないけど )注釈をつけました。
というわけで、復刻新聞紙面を見た・読んだ第47回。


昭和15(1940)年9月26日付・復刻版「夕刊東京日日新聞」篇❹
74年前の、同日付新聞の中面……というか裏面(当時の夕刊建てページが不明。たぶん裏表だけのペラだったのでは)=写真

【中段ケイが抜いてあるぞ】
硬軟さまざまな記事が組まれている。
おんやぁ?だったのが、右上記事と写真の関係。
倍半(1.5倍)見出し「建川大使等に賜謁」
同時期の他紙では中段ケイを〝アリ〟にしているところが多かったが、
この夕刊東京日日では〝ヌキ〟にしている。
現代の紙面でも、
▽関連写真と記事間→段ケイヌキ
▽見出しとリード(段組み前文)だけで、記事は下段から流れる場合のみ→段ケイヌキ
だから、70年以上前は段ケイアリ・ヌキが混在していたようだ。

ちなみに、現在の新聞大組み。
上の場合で段ケイをアリのまま大刷りゲラを出すと(*1)、製作デスクが必ず飛んできて指摘する。
「こらぁっ、たとえ記者組み版・CTSが進歩しても、俺の目の黒いうちはルールに外れた組みは許さんっ」
と職人気質な製作局デスクがいるのが頼もしいな、と思っている私。

【ハコは、いいぞ】
この中面の整理担当者(面担=めんたん)は、実にコンパクトな組み方をしていると思う(←整理部の大大大先輩に対し、紙面審査委員会のよーな言い方、申し訳ありませんっ)。
必ず読んでほしい記事を、
右上5段ハコ
「防空訓練迫る/内相らラヂオで指導」

にしてアクセントをつくったり(*2)
横に3段見出しを配したり、
大小の段見出しを配したり、
きめ細かく丁寧につくっているなぁ、と思った。
僕が整理部ド新人の頃、先輩デスクに
「見出しは、オレらデスクが直すのが仕事だからいいんだけど、乱雑な紙面レイアウトをするな。
1ページを丁寧につくれ。そうすれば、読者は読んでくれる(はず)」
と言われた。

(*1)大刷りゲラを出すと
活版組み版のときは、組み上げた紙面1ページにローラーで黒インクをつけて刷る大型機があり、大組み担当者がローラーを回して大ゲラを刷った。
刷った大ゲラは庶務さん(学生バイトくんたち)が必要枚数を受け取り、編集局に駆け上がり、局長や担当デスクに渡した。
といっても、早版の時間帯は編集局長はいない…………じゃなくて、いらっしゃらないので局長席にポ~ンと置くだけ。
戻られた頃には、局長席の上には大ゲラが数十枚ヤマのように重なっていて、局長が丸めて捨てていた。
いつも遠くから見ながら
「紙が無駄だよなぁ、ホント」
と思った私(笑)。

(*2)アクセントをつくったり
5段ぐらいのハコをつくっておくと、紙面アクセントになるうえ、
緊急ニュースが入って全面組み替えのとき、大組みが早くなる利点がある(と思う)。
だから、整理面担は最終版まで使えそうなハコを、まずつくる(と思う←人によって違いますが、笑)。

★再読でも面白かった『国境』!

2014年12月21日 | エンターテインメント

疫病神シリーズ最大のスケール&映像化不可能の『国境』の舞台は、北朝鮮!
入手困難だった、黒川博行さん(65)の『国境』上・下(小説現代連載は1998年。第1次文庫は講談社2003年刊)が、ようやく文春文庫から出たので再読した=写真中央
全1巻の分厚い講談社版でも読んでいたが、あらためて読み直しても面白かったぁ~(ちなみに『疫病神』は角川文庫から12月新刊なり。
余計なことだけど、講談社と黒川さん何かあったのだろーか。直木賞受賞後、版権譲渡だし……)。

ということは、さておき。
北朝鮮は、ここまでヒドい惨状なのか(小説は1990年代後半のデータ)……と唸ってしまった(→11月20日付で北朝鮮隠し撮りドキュメントを観たけど)。
かの国の風景、乏しい食べ物、平壌の街並み、国境地帯、軍人の腐敗ぶりなど徹底的に書き込まれている。
圧巻は、疫病神の桑原・二宮らが人民軍兵士に追われての、決死の北朝鮮脱出シーン(以下、本文から引用しました)。

「逃げろ!」
桑原は叫び、二宮は走った。ヒュンと空気を切り裂く音。川原の石が弾ける。二宮は川
(僕註・豆満江)に飛び込んだ。潜って顔を出し、振り向くと桑原は李(僕註・密入国の手配師)を抱え起こしていた。
「こっちや。早く!」
銃声。桑原は前にのめり、倒れた。李も横倒しになる。
「桑原さん!」
返事がない。銃声がいくつも響き、川面に着弾して水柱があがった。
(後略)

………なんとまぁ、極道たちが人民軍兵士から逃げ果(おお)せたがな、ということもさておき。
文庫巻末に、『朝鮮観光』(国家観光総局)『北朝鮮の現況』(ラヂオプレス)ほか膨大な関係資料・書籍などが掲出されているけど、
きっと産經新聞もあったはず(笑)。
解説を書いていた藤原伊織さん(2007年死去、享年59)は以前から
「黒川が直木賞を取れないのはおかしい」
と言っていた。

トウモロコシ麺の不味さから、道路の舗装状態・電力事情までの、北のリアルに加え、
詐欺師と極道の行動力と軽妙洒脱な会話、短文の連続でぐいぐい読ませるスピード感、あっと驚く結末……黒川エンターテインメントの傑作。
と思ったら、
『後妻業』(文藝春秋刊、本体1,850円=写真左
も「国境」超え的大傑作!
(『後妻業』カバーの爺がなんともリアル。これは日本画家の雅子夫人画なんだねぇ)。