降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★制作局は戦場なのだ=「北海タイムス物語」を読む (92)

2016年04月30日 | 新聞

(4月29日付の続きです。写真はイメージです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第92回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 370ページから 】
四階の制作局に入ると、人でごった返していた。
奥の入力機でキーボードを打っている人、大きな紙や小さな紙を持って走る人、そして先に降りた整理部の人たち。
テレビで観た❶証券取引所や魚市場の競りのような騒ぎだった。
松田さんや秋馬さんも大きな机に制作局の人と向かい合って立ち、指示しながらハサミで何かを切っていた❷。
机の上には大きな段ボールがあり、それが新聞のもとで、記事や写真を貼り付けている❸ようだった。
「二面の再校大刷り、校閲の分が足りないぞ!」
「一面の道庁の記事、急いでくれ!」
あちこちから大声が上がっている。


❶観た
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集 13版」(株式会社共同通信社)では、
みる=(観る、看る、視る)
➡︎見る〈一般用語〉足元を見る、憂き目を見る、映画・テレビを見る、大目に見る、景気の動向を見る、隙を見る……
(副詞・あるいは副詞的用法の書き方)見るからに、見る見るうちに……

——「観る」は漢字表にない字なので平仮名表記にしましょう、といっているけど、著作物なのでこのまま行ってください(って、校閲部は言うよね)。

❷大きな机に制作局の人と……何かを切っていた
1990年当時の北海タイムスの組み版は切り貼りCTSだったので、大きな机、ハサミ(あるいはカッター)が必需だった。
「大きな机」は新聞1ページをつくる大組み台みたいなもので、たぶん上部がやや持ち上がって傾斜していたのではないだろうか。
広告段側に制作局員、反対側に整理部員が立ち、組み指示をしていたのだろう。
「ハサミで何かを切っていた」は、記事の棒ゲラ(小ゲラ)か写真印画紙、見出し出力紙などだろう。

*CTS(シー・ティー・エス)=コンピューター組み版・編集
1978年に日本経済新聞東京本社(初期システム名=アネックス)が、
続いて1980年に朝日新聞東京本社(同=ネルソン)が新社屋完成とともにスタートした。
2社とも1960年代から電算化研究に着手し、米IBMがソフト開発を担った。
主要新聞社の初期CTS完了は1993年といわれている。

*切り貼りCTS(きりばりシー・ティー・エス)
①北海タイムス紙のような規模の小さな新聞社が採用した電算写植組み版
②規模の大きな新聞社が鉛活字組み版からフルページ全面CTSに移行するまでの、過渡期に採用した暫定的組み版
の2つがあった。
どちらも、組み上げた紙面を撮影→ネガ刷版にするので制作時間は同じようにかかる。


❸机の上には大きな段ボール……貼り付けている
僕ははじめ「大きな段ボール」が分からなかった。
「新聞のもと」とあるので、記事印画紙などを貼り込む、やや厚めの台紙のことだと思う。
同台紙の欄外上部には
「北海タイムス」「1990(平成2)年4月◯日(◯曜日)夕刊」「◯面」
が別出しされて、既に貼り込んであったはず。


————というわけで、続く。

★増田さんの記憶力は凄い=「北海タイムス物語」を読む (91)

2016年04月29日 | 新聞

( 4月28日付の続きです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第91回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 370ページから 】
権藤さんが振り返った。
「おい、行数のメモ用紙と倍尺もってこい!」
廊下へ出て階段を駆け下りていく。
「急げ!」
四階の制作局に入る
❶と、人でごった返していた。
奥の入力機でキーボードを打っている人❷、大きな紙や小さな紙を持って走る人❸、そして先に降りた整理部の人たち。
テレビで観た証券取引所や魚市場の競りのような騒ぎだった。
松田さんや秋馬さんも大きな机に制作局の人と向かい合って立ち、指示しながらハサミで何かを切っていた。
机の上には大きな段ボールがあり、それが新聞のもとで、記事や写真を貼り付けるているようだった。
「二面の再校大刷り、校閲の分が足りないぞ!」
「一面の道庁の記事、急いでくれ!」
あちこちから大声が上がっている。



❶廊下へ出て……制作局に入る
あれ?廊下に出ちゃうの?と思った箇所。
新聞社は(たいてい)編集局フロアと制作局フロアに直結の階段をつくっていたから、
当時(1990年)の北海タイムス社屋ビルは建て替えた仕様のようだ。
階段といっても、編集局フロアの一部を打ち抜いた、急降下な螺旋階段。
降版時間に慌てた整理部員が、よく転げ落ちていたので、違法建造物だったのかもしれない。

❷奥の入力機でキーボードを打っている人
さあ、いよいよ北海タイムスの制作心臓部突入(でもないか)——。
1990年は日本の新聞CTSが始まり10年ほど経ち、多くの新聞社が鉛活字組み版を終えて電算組み版に移行していた時期。
当時の北海タイムス紙は、
「切り貼りCTS」
だったので、フルページの画面大組みができなかったバージョン。

入力機でキーボードを打っている人は、
▽漢字校正端末(ターミナル)か、
▽見出し入力端末
だったのではないか。
現在なら簡単に校正モードや入力モードに切り替えられるが、当時はそれぞれ異なる端末機をつかっていた。
たぶん、近くには校閲用小ゲラ出力(感熱紙!)専用端末もあったのでは。

*CTS(シー・ティー・エス)=コンピューター組み版・編集
1978年に日本経済新聞東京本社(システム名=アネックス)が、
続いて1980年に朝日新聞東京本社(同=ネルソン)が新社屋完成とともにスタート(両社ともフルページ型)。
2社とも1960年代から電算化研究に着手し、米IBMがソフト開発を担った。
主要新聞社のCTS完了は1993年といわれている。


❸大きな紙や小さな紙を持って走る人
「大きな紙」は新聞1ページ大の印画紙貼りこみ台紙、
「小さな紙」は小ゲラ、見出し、地紋見出し
など(かな)。
それにしても、小説作者・増田さんの記憶力は凄い。
おそらく
「いろいろあったけど、あのタイムス時代も今となっては楽しかったかも……」
と想われているのではないだろうか。

————というわけで、続く。

★制作局は怒鳴った=「北海タイムス物語」を読む (90)

2016年04月28日 | 新聞

(4月26日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第90回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【 小説新潮2015年12月号=連載③ 369~370ページから 】
権藤さんは険しい表情のままひとりで作業❶していた。
次から次にくる新しい原稿の行数を数え、見出しをつけ、ベルトコンベアに放り投げる。割り付け用紙の鉛筆の線を引き直し、制作局からの電話に怒鳴り返した❷権藤さんが最後の原稿をベルトコンベアに投げた。
「行くぞ!」
立ち上がった。割り付け用紙を持ち、倍尺をズボンの後ろポケットにさして走る。何が何だかわからぬまま僕も急いで走りだした。
権藤さんが振り返った。
「おい、行数のメモ用紙と倍尺❸もってこい!」
廊下へ出て階段を駆け下りていく。


❶権藤さんは険しい表情のままひとりで作業
あらためて、小説の時代設定と場所をおさらい——。
時代はバブル期(1986年12月~1991年2月で換算)ど真ん中の、1990(平成2)年4月中旬。
札幌の北海タイムス本社ビル5階@編集局整理部のシマ。
平日夕刊作業中の13:46(➡︎おそらく14:05あたりが降版時間か)。

整理部のシマには、社会面面担(めんたん=紙面編集担当者)の権藤くんのほかには、萬田整理部長しかいない。
(整理部デスクの記述がないので、当時のタイムス紙に同デスクは不在だったのか)
……いちばん焦る、いちばん胃にこたえる時間。

❷制作局からの電話に怒鳴り返した
ここはリアルで、細かい。
この時間帯、「制作局からの電話」内容は
〈 おいっ社会面! いいかげんにしろっ、時間だぞっ、大組みまだなのか! きょうも降版遅れか! 〉
——制作局デスクの怒声が受話器から聞こえてきそう。

❸行数のメモ用紙と倍尺
ここも、細かい描写。
なぜ、権藤くんは「行数のメモ用紙」にこだわったのか?
当時の北海タイムスの組み版は、CTSといいながらも電算写植(印画紙切り貼り)だったから行数がかなり重要なのだ。
全紙面が組めるフルページネーション型CTS組み版なら細かい行数の把握はそれほど重要ではないけど、
(素材メニューをみながらアーデモナイコーデモナイと整理がなんとかできるので)
切り貼りCTSはそうはいかないのだ。
それはさておき、急げっ権藤くん!
制作局が、印刷局が、配送センターが、そして読者が、キミを待っている!

*CTS(シー・ティー・エス)=コンピューター組み版・編集
1978年に日本経済新聞東京本社(初期システム名=アネックス)が、
続いて1980年に朝日新聞東京本社(同=ネルソン)が新社屋完成とともにスタートした。
2社とも1960年代から電算化研究に着手し、米IBMがソフト開発を担った。
主要新聞社の初期CTS完了は1993年といわれている。


————というわけで、続く。

★急げっ整理部=「北海タイムス物語」を読む (89)

2016年04月26日 | 新聞

(4月24日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第89回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 369~370ページから 】
一時三十分を回ったころ、二面の秋馬さんが立ち上がり❶、割り付け用紙や倍尺を手に小走りで四階の制作局❷へ降りていった。
一時四十分頃❸、今度は松田さんが萬田さんに渡された一面の割り付け用紙を手に走っていった。その五分後には僕の隣に座る第二社会面の人がダッシュしていく。残るは社会面だけとなった。
権藤さんは険しい表情のままひとりで作業していた。
次から次にくる新しい原稿の行数を数え、見出しをつけ、ベルトコンベアに放り投げる。割り付け用紙の鉛筆の線を消して新しい線を引き直し、制作局からの電話に怒鳴り返した権藤さんが最後の原稿をベルトコンベアに投げた。
「行くぞ!」
立ち上がった。割り付け用紙を持ち、倍尺をズボンの後ろポケットにさして走る。
何が何だかわからぬまま僕も急いで走りだした。


❶一時三十分を回った……秋馬さんが立ち上がり
当時(1990年4月)の北海タイムス夕刊の降版時間は、これで推測すると午後2時ぐらいだったのだろうか。
13:30=2面が大組み開始(整理・秋馬)
13:40=1面が大組み開始(整理・松田)
13:45=2社が大組み開始(整理・不明)
13:50=社会が大組み開始(整理・権藤)
——やはり、夕刊なので当日組みが少ないのが分かる。
海外スポーツなどは2面下か2社面下に入れたようだけど、現場の指揮をとる整理デスクの姿が見えない……う~む。

❷割り付け用紙や……四階の制作局
ここの描写は、こまかい。
慌てふためきながら、整理部員が編集局から制作局に持っていくものは下記のとおり(個人差あり)。
▽割り付け用紙➡︎必携!
▽倍尺➡︎必携!
(当時の北海タイムス紙の組み版システムを考えると、行数をはかるだけでなく、カッターを当てるスケール代わりだったはず)
▽赤ペン➡︎必携!
(制作局の大組み現場で、見出しを思いついたりエトキを書く場合もあるので)
▽たばこ、ライター➡︎喫煙者は必携!
(1990年当時は社内喫煙可だったはずだけど、やはり制作フロアは全面禁煙。制作局一画に休憩室があったので、降版後プハァ~するのだ)
▽ハンカチ➡︎キレイ好きは必携!
(コピーで汚れるので、手を洗うのだ)
▽携帯電話・スマホ➡︎あ、1990年はまだ無かった……

❸一時四十分頃
どこの新聞社整理部も同じようなので、シーンは下記のような感じかな。
——フロント1面担当の松田くん(23)は、社内の吊り下げ大時計をにらむ萬田整理部長(45)がかいた割り付け用紙とモニターを渡されながら、
「おい、松田!時間だから行け!」
「左カタに27行2段のPスペースをとって、そのまま2行どり全角カスミケイを6段な!」
「記事はコレでブン流し、ケツは2段に折ってヤマ立て!」
「アタマはコレで、5段9行見出しスペース。リード4段6行どり。さらに3段3行見出し立てて本文イッテコイだ!」
「分かんなくなったら、大組みのヤマさんに聞きゃ分かる。頼んだぞ!」
急げっ、走れっ、整理部ルーキー松田くん!
*イッテコイ
と、呼ばない新聞社整理部もあるかもしれないけど、
「ブン流して、あとは臨機応変!」
の意味。
記事を流して、ケツ9行だったら3行折り3段にするなど、ナリユキ(あとは野となれ山となれ的)の意味が強い。



———というわけで、続く。

★『天才』は 250円だった。

2016年04月25日 | 新聞

( 写真はイメージです )

地震が頻発化してきたので身軽になろうと、読み終えた本や雑誌をブックオフに持っていった。
売れているアノ作家の、アノ本のブックオフ買い取り価格は……。
*お断り=ブックオフの店頭買い取り価格はセンターで決めているけど、各店舗のキャンペーンや地域特性で多少の差があると聞きました。
持っていった本は、いずれも①カバー汚れナシ②本文に書き込み・マーカーナシ③日焼けナシ(のつもり)でした。


▽石原慎太郎さん『天才』幻冬舎、税別 1,400円
➡︎ブックオフ買い取り価格 250円

僕は石原さんが嫌いである。
でも、なぜ83歳になって突然の角さん本なのか知りたくて読んだ。怖いもの見たさ。
「石原慎太郎が田中角栄に成り代わって書いた衝撃の霊言!」(オビのコピー)
ど、ど、どーした?石原さんって感じ。
角さんに憑依して書かれているので不気味なのだけど、角栄という男の中に潜む、切ないほどの孤独と寂しさと意志が時代を動かす力となり、一奇跡を生んだのだ——という。うーむ。
むしろ僕は、田中元首相に栄枯盛衰、晩年の姿(→毎日新聞が撮った空撮写真は衝撃だった)に諸行無常を感じてしまう……田中眞紀子さんは今なに思う。
60万部突破。見城徹社長が心酔している石原さんが、幻冬舎を再び救うという意味でも面白い一冊だった。

▽五木寛之さん『はじめての親鸞』新潮新書3月刊、税別 700円
➡︎ブックオフ買い取り価格 100円

五木さんと石原さんは、ともに1932年9月30日の同年同月同日生まれ。
ともに83歳だけど、五木さんの方が(左脚痛とおっしゃっていたけど)お元気そう——ということは、さておき。
▽一橋大卒・早大中退
▽芥川賞・直木賞
▽自力・他力
歩いてきたフィールドは違うものの、実に対照的な2人の軌跡。

同新書は昨年開かれた新潮講座(3回)を起こしたもの。
僕はもぐり込んでいたので、五木さんの当日の様子を思い出した。
メモを見ることなく仏教用語や歴史年号、難解人名をスラスラ口にされていたのでビックリした。すげ~記憶力。小説「親鸞」3部作効果か。
評判が良かったので、新潮講座も3部作になるという。楽しみ。

▽見城徹さん『たった一人の熱狂』幻冬舎文庫4月刊、税別 650円
➡︎ブックオフ買い取り価格 100円

石原さん、五木さん、と来れば見城さん(65)。祝・幻冬舎文庫創刊20年!
自身の「顰蹙はカネを出してでも買え」のモットーどおり過去の自慢話に終始しているのがアレだし、他社既刊本(双葉社、講談社)との重複が多々あるので即ブックオフ行き。

でも、僕は2011年の幻冬舎株買い占めあわや乗っ取り事件に絡み、「AERA」で見せた見城さんの痩せ細った悲愴な姿が忘れられない(➡︎2011年2月16日付、28日付みてね)。
「海外ファンドの仕業ではない。〝犯人〟は分かっている……」
と苦渋の表情だったけど、一転みずほ銀行から多額融資を受けたとたんに元気いっぱいのイケイケドンドン。バラエティー番組にも出演。
地獄から天国。
分かりやすい。
一連の著作本は、師匠だった角川春樹さん(74)にも献本されているのだろーか(と小さな声)。

———単行本5冊、新書6冊、文庫本 11冊、雑誌 3冊、ブックオフ持ち込み。
帰りに、マツキヨでパブロンゴールド顆粒、造血剤、カルビーうすあじポテトチップス(58円ですよ!)、
ローソンでメビウススーパーライト、65cmビニール傘、夕刊フジが買えたので、まぁいいかな、と。

★ど新人見出しはゴミ箱直行=「北海タイムス物語」を読む (88)

2016年04月24日 | 新聞

(4月22日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第88回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 367~368ページから 】
「おい、見出しつけたか」
権藤さんが僕の手元を見た。
「あ、はい……」
僕は急いで見出し用紙を渡した。
〈 山村さんの漁船が火災で沈没した
釧路海保への連絡でわかる 〉
権藤さんはちらりと見て、ぐちゃぐちゃと丸め、傍らのゴミ箱に捨てた。
啞然として❷僕は権藤さんの横顔を見た。
「なんだ。文句あるのか。早くつけろ」
僕は悔しさを噛み殺して❷原稿を読み返した。
「早くつけろ」
「あ、はい……」
「早くしろ!」
「はい……」
急いで書いて渡した。
〈 山村さんのカレイ漁船が火災
二人乗り、プロパンガス爆発で 〉
権藤さんは一目見て、鼻で笑って丸め、ゴミ箱に捨てた。
「その原稿出しとけ。見出しはもう俺がつけたから」
そのあと僕に一暼もくれず❷、権藤さんはひとりで仕事を続けた。僕は権藤さんの手元を見ているしかなかった。黙って居心地悪く座っていた。
心臓の音が気になる。背中と胸にじっとりと汗が滲んでいる。乾いた粘膜が喉の奥で貼り付いている。緊張で腹具合も悪くなってきた。早くこの状況から解放してくれ——。


❶権藤さんはちらりと見て……ゴミ箱に捨てた。
この描写は、リアルでこまかい。
僕が整理ど新人のときについた先生役の先輩整理は、小説の権藤さんとは違って〝優しい〟人だったので、つけた見出しはゴミ箱には捨てられなかった。
だけど………先輩整理は、下を向きながら
「うーん、なるほど! 惜しいなぁ、見出しには字数制限があるからねぇ」
「大ゲラで、俺がつけた見出しみといてねぇ」
「でもねぇ、俺がキミぐらい(ど新人)のときはねぇ、先輩は俺がつけた見出し用紙をバーンと高く掲げてねぇ
『こんな見出しつけちゃだめだという例だ!』
と言われたんだよ。
もう、ホントつらかったよ。転部願だそーと思ったよ」
「今、そんなことはやらないからねぇ。明日も会社に来てねぇ」
と言っていたことを思い出した(「明日も会社に来てねぇ」とは、ある意味すごい)。
———どこの整理部も同じようだ。

*大ゲラ(おおげら)
新聞1ページ大のゲラ。
降版直前のチェック用だから、記事・見出しのほか写真、画像、広告が載っている。
大型プリンターから出力され、編集バイトくんたちが面担、整理部長、同デスク、校閲担当者をはじめ、出稿部長、同デスク、制作デスクらに配布。それぞれ2分以内でクロスチェックする。
対して、記事だけは小ゲラ(こげら)、棒ゲラ(ぼうげら)と呼ぶ。


❷啞然として/噛み殺して/一暼もくれず
「いやぁ~、面白くなってきたなぁ。俺の新入社員時代を思い出しちゃうよぉ」
と読みすすんでいた校閲部の赤鉛筆がピタッ、ピタッ、ピタッと止まるであろう3カ所。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集13版」(株式会社共同通信社発行)では、
▽あぜん(啞然)→あぜん、あきれる、あっけにとられる
▽かむ(噛む、咬む)→かむ、一枚かむ、かみ切る、ギアがかむ
▽いちべつ(一暼)→一見、一目、ちらっと見る
(△は漢字表にない字)
——それぞれ平仮名表記か言い換えましょうといっているけど、著作物なのでこのまま行ってください。


———というわけで、続く。

★両ナガレ防止ケイを久々に見た。

2016年04月23日 | 新聞

久しぶりに見た——両ナガレを遮る組み方。
両記事に関係する写真を挟みつつ、中段にケイをかませば(矢印)、左のミドリ記事を読みすすんできた読者も、右のアオ記事には行かないのだ(一応ね!……でも、やっぱり目はアオ記事方向の段に向かう)。
日経新聞東京本社版4月21日付社会面=写真
懐かしい。

朝日、毎日、東京(中日新聞東京本社発行)、産経新聞は矩形を中心としたレイアウトなので、まったく見なくなった。
記事が2~3行ぐらいずつ上段から下段へ流れる、オーソドックスな組み方をしている日経ならでは。
まず、アオ記事を先に流して、ダブルリーダーケイでおさえる。
次にスペースをとってP(画像)を重ね置き、ミドリ記事を強制流し➡︎実行——という組み方か。
きわどい組みだけど、コレを考えた、頭のいい整理大大大先輩がいたのだなぁ……。

*ダブルリーダーケイ
新聞社によって各種ケイの呼び方はかなり異なる。
ダブル点(てん)ケイ、二重点ケイとも。
リーダーケイ(点ケイ)は飾りケイではなく、関連を示すケイ。〈太線・中太線・細線〉ケイを整理した朝日以外では、現在でも使用されている。
んじゃあ、リーダーケイと、ダブルリーダーケイを使用するときの違いは?——あまり意味はないようだけど、単リーダーケイだと弱いときがあるので、ぐらいかしらん。

★整理部は無敵艦隊か=「北海タイムス物語」を読む (87)

2016年04月22日 | 新聞

(4月20日付の続きです)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第87回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


【 小説新潮2015年12月号=連載③ 368ページから 】
「整理は黙って待ってりゃいいんだ!」
「きさまこそ黙れ! 五分以内に出さないと外す❶ぞ! 編集権は整理にあるんだ!」
萬田さんが「ようし。パチパチパチ」と言いながら手を叩いた。
「整理部は無敵艦隊
❷だからな。月月火水木金金。六〇センチ砲が四門、機関砲が一八ついてる。社会部なんか集中砲火で十五分で沈めてやる」
「ったく、たまらんよな。武闘派集めてその気になってるから」
社会部デスクが顔をしかめた。
萬田さんはにやけながら松田さんを見て「なんちゃってな」と言った。松田さんも笑って倍尺を日本刀のように持って振り上げた。
「おい、見出しつけたか」
権藤さんが僕の手元を見た。
「あ、はい……」
僕は急いで見出し用紙を渡した。
〈山村さんの漁船が火災で沈没した
釧路海保への連絡でわかる〉



❶五分以内に出さないと外す
「出稿しないと外す」は、いけない(➡︎出稿を急いでほしい!の強調的意味なのかもしれないけど)。
事件・事故が進行中なのだから「出せ!」と息巻いても出ないこともあり得る。
事件は、札幌市内で発生した朝火事。だから何としても夕刊に突っ込みたい。
だが、社会部は
「放火の疑いがある。いま、追加取材をかけている」
とテンパっている。
こういう場合、整理部としては
〈 分かっている範囲の第一報を 〉
〈 降版ギリギリまで待つが、とにかく今は火災場所、延焼規模、状況ぐらいは出せるはず。
動きがあったら、追訂・差し替えで処理する 〉
〈 何行ぐらいになる? スペースをとっておくから 〉
ではないだろうか。
——こういう場面、面担(紙面編集担当者)ではなくて、整理部デスクの出番なんだけどね、うーむ。

❷萬田さんが……整理部は無敵艦隊
「萬田さん」は、北海タイムス編集局次長兼整理部長。45歳。
「整理部は無敵艦隊」という表現はチョー古いが、この発言で社会部デスクvs権藤面担の一触即発をおさめようとしたのだろう。
やるじゃん、萬ちゃん(⬅︎知ってる人?)。

❸松田さんも笑って……持って振り上げた
「松田さん」は(小説主人公の野々村くんと同じ平成2年度)新入社員だけど、北大中途後から北海タイムス紙でバイト勤務していたので、局内の事情や新聞編集を知っているようだ。
この日、松田くんは萬田部長の指導下、夕刊フロント1面の見習い組み屋をやっている。
倍尺(ばいじゃく)は新聞編集でつかう物差し。サシとも=3月2日付第58回の写真みてね。
新聞社によっては長いサシと、短いサシの2本を用意しているが、
「日本刀のように」
とあるので、当時の北海タイムス紙は長いサシのみだったのだろう。

*組み屋(くみや)
整理部デスクや先輩整理がかいた割り付けにしたがって制作局で大組みをする人(⬅︎という呼び方をしない新聞社もあります)。
現場で組み方を学ぶので、だいたい新人くんが多い。
その間、面担は次版の準備か、事件の展開によって差し替わるであろう記事や情報を編集局で待っている。


———というわけで、続く。

★編集権は整理部か?=「北海タイムス物語」を読む (86)

2016年04月20日 | 新聞

(4月19日付の続きです。写真はイメージです)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第86回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時繰り返して説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 368ページから 】
「伝えるのが俺たちの仕事だろ! 突っ込まないで何が新聞だ!」
「その前に商品作ってるんだってこと忘れるな!」
整理は黙って待ってりゃいい❶んだ!」
「きさまこそ黙れ! 五分以内に出さないと外すぞ! 編集権は整理にある❷んだ!」
萬田さんが「ようし。パチパチパチ」と言いながら手を叩いた。
「権藤、よく言った。もっと言ってやれい。おい社会部。整理に喧嘩売ってくる❸なら秋馬と松田をけしかけるぞ」
秋馬さんがキッとした眼を社会部に向けた。萬田さんが相好を崩した。



❶整理は黙って待ってりゃいい
暴言である。
謝罪と撤回を求めるべき発言である。
沸点の低い整理部デスクなら、社会部暴言デスクのイスをバーンと蹴りとばすね(⬅︎僕は見た。整理部あるある)。

❷編集権は整理にある
……うーん、これはどうかなぁ。
〝大整理部主義〟をうたった、昭和のころはあったかもしれないねぇ(➡︎3月30日付第74回みてね)。
小説の時代設定は1990年——26年前だけど、どうかなぁ。
編集権は局にあるのであって(多少の記事取捨選択はあるにしても)、いくらなんでも整理部に編集権はない、と思う。

❸整理に喧嘩売ってくる
《 整理部殺すにゃ刃物は要らぬぅ~。原稿出さなきゃ、はい、それまでさぁ~ 》
と出稿部デスクから聞き、うまいこと言うねぇ~と笑ったけど。
整理部サイドから見ると、
▽いつも入稿ギリギリな記者
▽直しが遅く、くどい記者
▽言葉づかいが悪い、無礼なヤツ
▽優柔不断、決断力がない記者
の場合、記事の扱いをコノヤロ小さくしてやろーかぁ(整理部だって人間だもの)と思わないわけではないのである。

———というわけで、続く。

★殺気立つ整理!=「北海タイムス物語」を読む (85)

2016年04月19日 | 新聞

(4月18日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません)

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第85回。
(小説の時代設定や登場人物のほか、新聞編集でつかう「倍数」「CTS」などの用語は随時説明します)

【 小説新潮2015年12月号=連載③ 368ページから 】
僕が頭を下げると、権藤さんが社会部を振り返った。
「おい、社会部。朝火事の原稿どうなってるんだ! 早く出せ!」
社会部のデスクが真っ赤な顔でこちらを見た。
「放火かもしれないんだって言ってるだろ! いま追取材させてんだ!」
「ばかやろう! 何時だと思ってるんだ! 降版時間があるんだ!」

「伝えるのが俺たちの仕事だろ! 突っ込まないで何が新聞だ!」
「その前に商品作ってるんだってこと忘れるな!」
「整理は黙って待ってりゃいいんだ!」
「きさまこそ黙れ! 五分以内に出さないと外すぞ! 編集権は整理にあるんだ!」
萬田さんが「ようし。パチパチパチ」と言いながら手を叩いた。



❶「放火かもしれない……降版時間があるんだ!」
興奮している北海タイムス編集局の前に、小説の時代設定などを再確認——。
時代は、昭和から平成に変わった翌1990(平成2)年4月中旬。バブル期真っただ中(1986年12月~1991年2月で換算)。
場所は、北海タイムス札幌本社5階の編集局。

当時の北海タイムス紙の夕刊降版時間は不明だけど、複数版をとる新聞社の降版時間は(だいたい)下記のとおり。
▽夕刊②版入稿締切11:30➡︎降版時間11:45
▽夕刊③版入稿締切12:30➡︎降版12:45
▽夕刊④版入稿締切13:30➡︎降版13:45
……となると、だいたい北海タイムス紙の夕刊降版時間は13:45ぐらいか(⬅︎同紙の規模から見ると、当時は1回勝負=1版止めと思われる)。

整理部社会面担当(面担=めんたん)の権藤くんは
「朝火事の原稿を早く出稿しろ!」
大声をあげられた社会部デスクは、怒りで顔を真っ赤にし
「事件性がある。追取材をしているんだ!」
と応酬(整理部あるある)。
おんやぁ~、整理部のデスクは何しているの?
——ということはさておき、こういう場合は(朝火事だから夕刊には何としても入れないとならないのだ)、
「分かった。分かっている第一報だけ出せ!」
「事件性があったら追加差し替える! 一応、違う記事も(同じ行数ぐらい)出稿を!」
とすればいいのだけど(⬅︎僕の経験上ね)。

❷突っ込まないで何が新聞だ!」
報道するのが俺たちの仕事——新聞社〝お仕事小説〟という設定上の、敢えての発言。
現場で、こういう大上段に振りかぶった言い合いはしないよね。

———というわけで、続く。