【 1月22日付の続きです。写真は、本文と関係ありません。
インフルエンザでダウンしました。健康は原稿より大事です 】
ついつい最近まで、新聞は鉛活字・活版で組んでいたのだよ────後世に書き遺しておこうかな、の第66回。
番外編「CTS始動・前夜編」として
「1990年代初頭、とある新聞社の製作局はこうして活版時代の幕を閉じた」
について、僕自身が忘れないうちに書いておきます、の Part 36。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社、日本IBMが主導・開発した。
日経東京本社は1978年にアネックスシステムを、朝日東京本社は1980年にネルソンシステムをそれぞれ全面稼動した。
その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている
】
前回までのあらすじ
1990年代初頭、とある夜21:50過ぎ( →21時は夜だろっと突っ込まれましたが、分かりやすく、ということで)。
途中まで組んでいた地方版の一部が、試運転中CTSのシステムダウンで出力不能になり、
慌てた僕たち整理部&製作局は非常事態宣言。
急きょ、印画紙出力→見出しなど手貼り→スキャナー送信に切り替えて降版することになり、CTS開発室、製作局、整理部は
「どーすんだ、どーすんだ、どーすんだ」
と大騒ぎだったが………。
▼ 局次長は平然と「何かあったのかね」────
我らが整理部長がT編集局次長に
「地方版印刷不能の非常事態だから、出稿時間を繰り上げてほしいっ」
と詰め寄ったところ
「んー、騒がしいが、何かあったのかね?」
ムッ。ムッ。
CTS開発室からも製作局からも緊急連絡があったはずなのに、まるで他人事
【注・下段】でござる。
我らが整理部長は、こりゃ時間の無駄とばかりにクルリと背を向け、出稿デスクNさんのもとに向かった。
( ↑ 以前かきましたが、出稿部のみならず、新聞社全体の動きを見渡せるNさんは後に局長→もっと上(笑)に昇格するのであった)。
既に、非常事態を認識していたNデスクは
「分かっています。
ニュース面は活版組みだけど、地方版CTSがダウンなんですね。
地方部デスクを通じて各支局からの入稿を早めるように言ってありますから」
こういう非常事態に、作業処理能力が高いNデスクがいたので助かるのだが、
組み版・印刷・発送態勢に無関心派が意外と多いのだ、出稿部には(←そうではない社もありますよ、もちろん)。
────長くなったので、続く。
次回は、編集局出稿部からドタバタアタフタの整理部&製作局に戻ります。
【まるで他人事=まるでひとごと】
あくまで一般的に、です。
編集局整理部は、組み版・赤字処理など日常業務で製作局と関係が深く、
「△△ちゃん、小組み頼むねぇ~」
などと局員の名前も熟知しているが、
出稿部はさほど製作局と親密ではないのだった………初期CTSが始まった1990年代初頭は、ね。
(=゜ω゜)ノ