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★「陛下は重体」と秘書官は言った=『平成紀』を読む(39)

2016年11月02日 | 新聞/小説

(10月28日付の続きです。写真は本文と関係ありません)

青山繁晴さん(1952〜)の『平成紀(へいせいき)』(幻冬舎文庫、税別540円)を読んだ。
青山さんが、1987(昭和62)年から共同通信政治部記者として、あの「Xデー」を担当した最前線リアルを活写した情報小説。
わずか195ページ、とても面白かった。
というわけで、Xデーをめぐり、あのとき共同通信社の深奥で、さらに官邸で何があったのか、そして僕たち新聞社では……の第39回。
*青山繁晴(あおやま・しげはる)さん
1952年、神戸市生まれ。
慶應義塾大学文学部中退、早稲田大学政治経済学部卒。
共同通信記者(1979〜1997年)、三菱総研研究員を経て2002年、日本初の独立系シンクタンク「独立総合研究所」社長兼、首席研究員に就任。
2016年、参議院議員に当選。

*幻冬舎文庫『平成紀』主な登場人物
▽楠陽(くすのき・よう)=通信社の政治部記者。青山さんの等身大キャラ、35歳
▽元寇=佐藤元行(さとう・もとゆき)=楠が勤務する通信社の政治部デスク。
元行から元寇(げんこう)と呼ばれている
▽吉野庄一(よしの・しょういち)=通信社の官邸キャップ
▽赤錆(あかさび)さん=崩御に関して政府が動くマニュアルを司る実務責任者と評される高官
▽竹下登(たけした・のぼる)=第74代総理大臣。1924〜2000年(76歳没)。


【幻冬舎文庫『平成紀』152〜154ページから】
「重体と書いていいか」と、もう一度言いそうになり、言うべき言葉が見つからず「重体かどうか内閣にとっても一番大事なところでしょう。確認すべきです」と咄嗟に切り込んだ。
秘書官は、黒っぽい背広の袖を摑んでいる❶楠の手を振り払って総理執務室に去った。
五分ほどで廊下に姿を現し、官房長官室に入り際、「俺だってトイレに行くよ」と小声で言った。
小声は何人かの記者に聞こえた。直接行くわけにはいかない。しかし、そもそもこの手洗いなのかどうかが分からない。官邸には、いったい何か所の手洗いがあっただろう。
誰もいない。官邸全体が狂っていて誰も手洗いに入らない。
小用の便器の前に立ち、通常の動作をした。そのまま立っている。何も出ない。誰も来ない。出ない以上は浄めの水も流れない。うっと立ちのぼる臭気がする。
どん、とドアを押して、秘書官が入ってきた。楠に並んで同じ動作をする。何も出ていない。顔をしかめた。
一語一語を嚙みしめる❶努力をしながら言った。
「さっき、あなたは確かに、ご容態は相当にお悪いと言いました。つまり、重体と記事に書いて、間違いないんですか」
「あんたが何度も言うから、さっき宮内庁側に電話して確かめたよ」
歓喜が湧いた。電話してくれたと思った。
「重体ですか」
鼻を啜りあげながら、もう一度、聞いた。
「そう書いていいだろう。ただし危篤ではないよ。そこだけは間違えるな」
トイレを出て右へ折れ、狭い中央階段を一階へ下りた。周りを何人かの記者が走ったが、ふつうに歩いた。官邸外に出ると公衆電話へ走る。そこからなら大声で元寇デスクに一報できる。電話ボックスのドアを押しながら自分の右手が震えているのを見た。
九月二十日午後零時三十分❸、通信社は「天皇陛下は重体」のニュース速報を打った。ほとんどの加盟紙が夕刊に間に合った。



❶摑んでいる/嚙みしめる
石原さとみさん主演のテレビドラマ「地味にスゴイ!」(日本テレビ系)で人気上昇中の校閲記者がチェックする語。
新聞社のルールブック「記者ハンドブック・新聞用字用語集第13版」では、ともに新聞表記では平仮名にしましょう、としている。
▽つかむ(摑は漢字表に無い字)
➡︎つかむ、つかみどころがない、手づかみ、わしづかみ
▽かむ(嚙・咬は漢字表に無い字)
➡︎かむ、一枚かむ、かみ切る、ギアがかむ
——「校閲ガール」があるなら、来年は「編成ボーイ」「整理ボーイ」はダメだろうか。

❷周りを何人かの記者が……右手が震えているのを見た
官邸官房秘書官から「陛下は重体」と聞き、静かな高揚感を秘めながら官邸から早歩きで公衆電話に向かった楠記者。
(公衆電話に時代を感じるが、楠記者は取材先では真っ先に送稿できる電話のあるところを必ず捜して確認している。取材記者としてスゴイところ)
同秘書官は、宮内庁筋に確認の「電話をしてくれた」。
他社記者たちの流れとは逆流ながらも、心の中では拳を握りしめていたのでは——記者冥利を感じる記述。

❸九月二十日午後零時三十分
小説の時間は、1988(昭和63)年9月20日午後。
前日19日午後10時30分過ぎ、天皇が大量吐血し容態急変から14時間後のこと。
楠記者は連勤である。
(共同も記者の勤務体制きびしいなぁ。楠記者は多少休めたのだろうか……と思うけど、実際は取材活動に熱中しているからそれほどでもない、はず)

というわけで、続く。
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【1988=昭和63年】文中敬称略
*参考=「文藝春秋」2009年2〜5月号、
佐野眞一『ドキュメント昭和が終わった日』(文藝春秋刊)、
新潮文庫『昭和最後の日/テレビ報道は何を伝えたか』(日本テレビ報道局天皇取材班)、
横山秀夫『64/ロクヨン』(文春文庫刊)

▽1月2日=天皇、皇居長和殿で宮中一般参賀
▽2月10日=「ドラゴンクエストⅢ」発売。初日で100万本完売
▽3月17日=東京ドーム落成
▽5月19日=春の園遊会
▽6月2日=天皇、皇居内水田で「お田植え」
▽7月6日=リクルート江副浩正会長、未公開コスモス株譲渡で辞任
▽7月20日=天皇、夏季静養のため那須御用邸
▽8月15日=終戦記念日戦没者追悼式
▽9月8日=天皇、静養先の那須から帰京
▽9月17日=ソウル五輪開幕
▽9月18日=大相撲ご観戦を中止
▽9月19日=天皇が吐血・下血し容体急変
▽9月24日=ソウル五輪でベン・ジョンソンの金メダル剥奪。
鈴木大地が100m背泳ぎで金メダル
▽11月1日=ダイエーが南海ホークスの経営権取得。福岡ダイエーホークス発足
▽11月8日=米大統領選で共和党ブッシュ当選
▽11月17日=東京外為1㌦121円52銭の戦後最高値更新
▽12月5日=天皇の最大血圧が40台まで落ち「極めて危険なご容体」に
▽12月15日=西武セゾングループが世界的ホテルチェーンのインターコンチネンタルホテルを21億5000万㌦で買収

【1989=昭和64=平成元年】
▽1月2日=天皇は体内出血があり、計1,400ccの輸血を受けた。
前年9月吐血以来の輸血総量は30,865ccに

▽1月4日=大発会で東証平均が 30,243円66銭の最高値更新。
米海軍機が地中海上空でリビア軍機2機撃墜。
▽1月5日=天皇、最大血圧が60に降下。
輸血を受けるも回復遅く、尿毒症の症状
▽1月7日=午前6時33分、十二指腸部の腺がんのため、昭和天皇87歳で崩御。
皇太子明仁親王が即位。
翌8日施行の新元号を「平成」と発表
▽1月8日=竹下首相を委員長に大喪の礼委員会設置
▽2月24日=大喪の礼。
164カ国の代表・使節参列

▽4月1日=消費税3%スタート
▽4月26日=民主化を求めて天安門広場に集結していた学生市民を、中国戒厳部隊が武力制圧
▽6月3日=歌手・美空ひばり死去。52歳
▽11月4日=横浜の坂本堤弁護士一家3人が行方不明に
▽11月9日=「ベルリンの壁」崩壊
▽12月29日=東証平均株価 38,915円の史上最高値

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