降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★僕も東京新聞が読みやすい。

2012年07月31日 | 新聞
東京新聞(中日新聞東京本社発行)支持率アップではないか。
たまたま、手にした雑誌や新聞で目にした。
新聞読みの達人・池上彰さんは「こちら特報部」を評価し、
あの辛口コメンテーター・勝谷誠彦さんは「いまどき、まともな論調の新聞」と、築地をどりの合間に言及していた。
……あ、たった2人だけど(笑)勝谷さんだから10人分相当かな、と。

丁寧に、コンパクトに編集しているなぁ東京新聞=写真。
即売100円。他紙に比べ、建てページ数は少ないが、第1社会面の広告段数が少ないので(2~3段)記事・情報量は遜色ないと思う。

伝統の「こちら特報部」も読みごたえあるし、その両サイドに配した週刊誌ネタの連載コラムなども面白い。
……まあ、毎日同じレイアウトだから、こっちも落ち着くし(笑)。

先日、同紙Kさんと飲食した。
僕「あのラテ面が抜き取りやすく中央にあるのはいいのですけどねぇ、見開き面のテレビ・芸能ネタがムダにデカく多くないすかねぇ。水増ししているような気がしますねぇ。
古典芸能ネタが突然デカくなったり。たぶん、人員配置上の早め降版ページなんでしょうけど……」
Kさん「やっぱり、そう感じるか。わははははははははははは。やっぱりなぁ、やっぱりなぁ」
と言っていた。


(・∀・)

★祝!五木連載9000 回(2)終

2012年07月29日 | 新聞
【7月28日付の続きです】
五木寛之さん(79)のギネス認定長期連載「流されゆく日々」(日刊ゲンダイ)が9000回を突破した=写真。
10000回、僕は読めるのだろうか――ということは、さておき。

講談社から出された『流されゆく日々/抄1975~1995年』(1995年刊)を読むと、「ある年の、ある出来事」から次第に五木さんが親鸞教団に傾斜している。

1981年、実弟・邦之さん40代の急死――。
実弟・邦之さんとは引き揚げ以来苦楽を共にし、五木さんが作家デビュー後は「片腕&秘書的」パートナーだった。
また、五木さんは長男(実際は次男)なのに独り上京→早大進学したため、
「九州・八女にいる弟妹たちには、実に申し訳ない気持ちでいっぱいだった」
と記している。
その実弟急死が、40代後半の第2次休筆「精神的不安定期」への引き金をひいたのではないか(第2次休筆は1981~85年。その間もゲンダイ連載はファクス送信で休載せず)。


もともと、松延家(五木さんの本名)が真宗だったことも関係あるかもしれないが、
この充電休筆後『風の王国』(1985年)で文筆活動を再開し、『蓮如』『生きるヒント』『他力』など、親鸞思想共鳴が色濃くなっていくのだ。
――この『流されゆく日々』は後世、五木研究の第一級資料なるのではないだろうか(→おぉ、かっこいいシメ方じゃん)。


(〃▽〃)

★祝!五木さん9000回(1)

2012年07月28日 | 新聞
祝!祝! 五木寛之さん(79)のギネス認定済み長期連載「流されゆく日々」(日刊ゲンダイ)が7月27日発行で、ついに9000回を達成した。パチパチパチパチ。
9000÷365=24年だから、スゲー大記録。僕にはできない、24年間毎日毎日毎日書くなんて。

1975年10月日刊ゲンダイ創刊、同氏が40代で連載スタートだった。
それから37年。
講談社・週刊現代から来たK社長(当時)も、五木さん自身も、担当・Iさんも、僕たち読者も加齢した。
………ハァ~~~(m´Д`)m
信じられないけど一時期、五木さんは夕刊フジでも連載を持っていた(→週1だったかしらん。途中でゲンダイ一本化。だから、夕刊フジ創刊ウン周年記念のときは特別寄稿していた)。
「後発ゲンダイはどうせ3年で休刊になるだろうと思っていました(笑)」と話していた。

連載「流されゆく日々」は作家生活30年(1995年)記念で、講談社から
『流されゆく日々/抄1975~1987年』
『流されゆく日々/抄1988~1995年』
分冊で単行本化された=写真。

同書を読み込むと、
▽人気流行作家43~63歳の五木さんと、
▽9月で80歳になる現在の五木さんは、
心境と考えた方がかなり変わっているのに気づく。
そんなの当たり前じゃん、人間なんだから――は分かっているけど、「ある年」が五木さんのターニングポイントだった、と思う。
――――長くなるので続く(かも)。


d=(^o^)=b

★エステに行ったけど、それが何か?(2) 終

2012年07月27日 | 新聞
【7月26日付の続きです。写真は本文と関係ありません】

無料券を知人にいただき、メンズエステで髭脱毛体験をしたあと、
白衣の女性スタッフは――
「体験お疲れさまでしたぁ。では、当店の脱毛コースを紹介させていただきますねぇ。ウフフフフ」
タダより高いものはない! を痛感した。

「30時間、60時間、80時間コース」があって、通院30時間コースが約54万円、同60万円コース約84万円、80時間コースだと軽~く100万円突破!(別途入会金31500円)
……ひぇ~。脱毛そんなすんの。

白衣の女性スタッフ「では、次回はいつ来られそうですか? 現金か、カード、印鑑ご持参くださいね。いつ来られそうですかぁ? いつ来られますかぁ?」
…………え~、体験だけじゃダメですかぁ?
「どうしてですかぁ? 皆さん、すぐ契約されていますよぉ~、もう髭は生えませんよぉ~。
で、いつ来られそうですかぁ? 現金か、カード…(以下くりかえし)」

ナントカカントカ言って脱出できた。
あぶね~あぶね~、判おすまで帰らせてもらえないかと思った(汗)。

(大きな声じゃいえないけど、待合室に俳優・温水さん的シニアがけっこういたのにはビックリした。
「オジサン、今さらエステに通ってドコをドウするのだ?」と口がさけても言わないけど、シニアは金もっているからねぇ、ターゲットなんだねぇ)



(_´Д`)ノ

★メンズエステに行ったけど、それが何か?(1)

2012年07月26日 | 新聞
【写真は本文と関係ありません】

なでしこジャパン白星発進! あ~疲れたぁ、ということは、さておき――

「夏だから脱毛! エステ体験! 無料ご招待チケット」を知人からもらったので、メンズエステに行ってみた。
だはははははははは。生涯初。
今さら、ドコヲドウコウスルはないのだけど、髭を処理できるのかな――ただ、それだけ。

チン。エレベーターが開いたら、
「いらっしゃいませ」と白衣の女性がうやうやしくお辞儀。ナンタラ壮健茶を出され、待合室に案内された。
個人情報やらアレルギー問題やら脱毛事故対応やら、いろいろ説明されながら店内を見回す。飾り物は一見豪華そうだけど、ほとんどが新建材かプラスチック。ゴージャス感演出ですね。

治療(←って言うのかしらん)は約2時間。
髭処理体験後、
白衣の女性スタッフ「ご体験いかがでしたかぁ? 当店は毛根からひとつひとつ丁寧に科学的に処理していきますのですから、治療後は完全に生えませんよぉ。他店とは違います、完全脱毛ですよぉ。ウフフフフ」

……ところが、このあと、きれいな白衣の女性スタッフは平然とトンデモないことを言ったのだった――長くなったので、続く(かな)。



( ̄▽ ̄)

★名著復活!『天皇の影法師』。

2012年07月25日 | 新聞
【写真は本文と少し関係あります。京都・蓮華寺周辺で、山のあたりが八瀬比叡山口】

大正~昭和の新聞社の動きが分かる、猪瀬直樹さん(66=東京都副知事)の『天皇の影法師』が中公文庫で復刊した。
名著復活! である。
中央公論新社(読売新聞グループ)も、やるときはヤルなあ。

実は僕、1987年新潮文庫版【注】で読んでいたのだけど、覚えているのは「柩をかつぐ――八瀬童子の六百年」ぐらい(汗)。
だから、京都に行くたび思い出すのだけど。だははははははははは。


東京日日新聞、世紀の大誤報となった新元号「光文」事件に迫った「天皇崩御の朝に――スクープの顛末」はさておき(←いいのか、さておいて)、
同書を書き上げたのが、猪瀬氏37歳のとき。自分の37歳と比べ、ガックリしちゃう。

やっぱり、さておけないので――
「天皇崩御の~」は今読んでも色褪せない。
1926年、島根県松江の地方新聞社から物語は始まる。
X(エックス)デー当日の、東京日日新聞政治部と整理部記者(当時)の証言を積み上げ、
さらに、揺れる東日本社と親会社である大阪毎日(大毎)との激突、ネタ記者の去就までデータを丁寧に積み上げていく。
同じころ、政府、枢密院、共同通信、時事通信、電通(当時は通信社で配信業務をしていた)ではアアしてコウなっていた(←言えない)。
ところが、ある人物の「証言」が飛び出し、大誤報事件の謎はさらに深まった――。

猪瀬さんは「中公文庫版のためのあとがき」で書いている。
「純文学も批評もミステリーもノンフィクションも学術論文も兼ね備えたもの、そういう欲張りな『新製品』であった。そうでなければいけない、と思い込むのが若さだろう。(後略)」


次はぜひ、杉山隆男さんの『メディアの興亡・上下』(新潮文庫→文春文庫)を増補改訂で復刊してほしい! 読売グループ・中公さん頼むね! と思うのであった。

【注】『天皇の影法師』初版単行本は1983年に朝日新聞社から出て、その後87年に新潮文庫、さらに2000年に朝日文庫、ことし12年中公文庫に入った。


(* ̄O ̄)

★特撮映画「巨神兵」を見るべし( 2)終

2012年07月24日 | 新聞
【7月23日付の続きです】
東京都現代美術館(MOT=東京・江東区)で開催中の「館長・庵野秀明/特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(10月8日まで)に行った。

散逸の危機にある特撮映画のミニチュア、
全盛時の絵コンテ、シナリオ・設計デザイン図、
ウルトラマンのスーツ、スーパーヒーローたちのマスク
などを集めた展示ものもスゲーが、シメはやはり、博物館限定特撮映画!

「巨神兵東京に現わる」(製作=庵野秀明、鈴木敏夫/巨神兵=宮崎駿/言葉=舞城王太郎)は、凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い凄い。
えっ、CGじゃないの? と思える映像は、ミニチュアと、新発想の特殊効果と、伝統の特撮技術を駆使した映像マジック。
圧巻と興奮と紅蓮と疲労困憊の9分03秒!(余計なお世話だろうけど、いったいいくら製作費かけたの? と思えるほどの濃密さ)

最終の「映画で使った特撮ミニチュアステージ」コーナーはセット内を実際に歩けて(写真)、触れられる体験型オープンセット。
あらゆる年代の人たちが目を輝かせ、「ワォッ!」「まるで本物!」「巨人になったみたい!」と、みんな「!」ビックリマークで興奮。

他の展示コーナーはカメラ撮影厳禁だけど、
「こちらのコーナーは、撮影ご自由に」
とオープンになっている。
主催者のミニチュア特撮への愛と、後世に影響を与えたいという志(こころざし)の高さを見た。

平成ガメラシリーズ特技を務めた樋口監督は言っている。
「特撮の未来は君に任せた! 
来館された方で、一人でも二人でもいいですから、『オレもやってみてぇ!』と思って欲しい。
フィギュアとか模型を集めたりするよりも、作ったり動かしたり壊したり撮ったりしたほうが、もっともっと楽しいよ!」(パンフレットから)
――僕がもう少し若かったらなぁ。
また、見に行くつもりです。


(* ̄O ̄)

★特撮博物館に行くべし!(1)

2012年07月23日 | 新聞
「オジサン世代には面白いと思いますよ。だから、コレ、どうです」
知人に、東京都現代美術館(MOT=東京・江東区)で開催中の「館長・庵野秀明/特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」招待券をもらったので行った。

うはははははははははは。
こりゃ凄い! 興奮した! 東宝・円谷プロの技術力に驚嘆!
ウルトラQ、ウルトラマンなど特撮黎明期からの足跡をパネルで見せる定石どおりのものは、さておき――。
ゴジラが破壊した東京タワー(高さ1.5mぐらい)、
地球防衛軍のビートル(長さ80cmぐらい)、
初期「日本沈没」しんかい(長さ2mぐらい)、
マイティ・ジャック号の撮影用モデル(長さ1.5mぐらい)
などが、あんなに緻密で大きいなんて知らなかったぁ~(手を触れないでくださいね。ほとんどが個人所有です)。

デザインから寸法を入れて描き起こし(その設計図、絵コンテも残っていた!)、
それを作り上げた、昭和の美術小道具大道具スタッフの職人技には唸った。
初代ウルトラマンのカラータイマーは手作りですよ!(当たり前か)赤色はセロファンですよ! セロファンが赤く点滅し、シュワッチですよ(笑)

「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明さん、「平成ガメラシリーズ」特技監督の樋口真嗣さん、「風の谷のナウシカ」ジブリの鈴木敏夫プロデューサーが組んだもので、
「特撮賛辞」ともいうべき一文がとてもいいのだ。

『ご挨拶
私が生まれ育った昭和四十年代、日本の特撮技術は世界的レベルに達し、映画だけでなくテレビ番組やコマーシャル、博覧会映像に至るまで、様々なメディアで特撮を用いた映像が作られていました。
(中略)
現在では高度な表現が可能になったコンピュータグラフィックにとってかわられるようになり、そのミニチュアを作り、動かし、撮る技術を受け継ぐ機会も減ってきました。
当時に作られたミニチュアも合理化の名のもとに廃棄され、散逸しているのです。
今回の展示では残されたミニチュアを可能な限り集めました。破損している部分は製作当時と同じ技法で再現しました。
(後略)
マニアあがりの特撮監督・樋口真嗣』

どうせなら、ミニチュア主体の特撮映画をつくっちゃえ。
というわけで、OB含む現代の熟練特撮スタッフとエフェクト陣が集結、
樋口監督による短編映画「巨神兵東京に現わる」(製作=庵野秀明、鈴木敏夫/巨神兵=宮崎駿/言葉=舞城王太郎)は圧巻。
メイキング映像もあり、プロジェクト・スタッフみんな楽しそう。

精巧で緻密なミニチュア(写真は、窓越しの巨神兵を撮るために作られたミニチュアのアパート内部)、
火薬と風力機を使った爆発炎上シーン、
ロケを敢行した紅蓮の炎ナパームシーン、
リアルな人間は登場させずとも群衆を随所に映し込む、こだわりのセンス。


そして、いよいよ最後の展示セットが大興奮なのだ!――――長くなるので続くぅ~。


ε=ε=(ノ≧∇≦)

★外岡元編集局長は何を見た。

2012年07月22日 | 新聞
浄土真宗の親鸞聖人は、師・法然上人をこう言いきった。
「私は法然上人に欺かれ、たとえ、この身が地獄に堕ちようと後悔など一切しない。師のすべてを信じる」

ということは、さておき――。
僕は、外岡秀俊さんが東大生時代に書かれた小説に感銘を受けたためか、
氏が見たものは信じていいかもしれない、と(少しだけ、笑)思っている。

僕らオジサン世代から見ると、名著『北帰行』(1976年文藝賞、河出文庫)の作者であり、
昨年58歳で朝日新聞編集局長を早期退職(←ある意味すごい英断)、現在はフリージャーナリストの外岡秀俊さん(59)。

東日本大震災から1年4カ月。
今月末、僕の母方の実家があった仙台・荒浜に行くため
『3・11複合被災』(外岡秀俊、岩波新書)
を読み返している=写真は、僕が昨夏行ったときの荒浜。
同書は、何もかもすべて押し流された荒浜の写真から始まっているのだ。

外岡秀俊さん。
局長職を辞めて、「老いた両親と暮らそう」と郷里札幌に戻っていたときに起きた大震災。急きょ、北海道から南下したという。
同氏は、後の世代が、
あの「2011年3月11日14時46分以降」に起きたことを多角的に描き、輪郭を示しておこう
と書かれた。
――同書を携え、荒浜、気仙沼に行く予定。



(* ̄O ̄)

★「読み終われば買い取ります」=京都番外編

2012年07月20日 | 新聞
京都市内の新刊書店で本を買ったら、関東の新刊書店では見られないカードが差し込まれていた。
「この本、読み終わったら買い取ります。このカードとお持ちください」

全国チェーン新刊書店だから、関東でもやっているのかもしれないけど、少し驚いた。
例えば、税込み1000円の単行本・文庫本なら読了後、200~300円で買い取ってくれるというわけね。ブックオフよりはいい値。

当然、買い取り指定本で、
東野圭吾、村上春樹、冲方丁さん人気作家
限定だった。
…………ん、でも、買い取ったあと、その本はどうなるのだろう?



(* ̄O ̄)