降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★「北海タイムス物語」を読む ㊶

2016年01月31日 | 新聞

( 1月26日付の続きです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第41回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ報道部記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


( 小説新潮2015年11月号 298ページから )
日々一緒に仕事をするうち、社会部や経済部など外回りの先輩記者たちが萬田局次長を毛嫌い❶していることがわかった。
酒が入るたびに「萬田のやつ」と口癖のように言った。その言い分を聞くとたしかにそうだなと思えることもあったし、局内で人事権❶などの力を持つ萬田さんの言動をうがって見ているのではと思う部分もあった。
だが、僕も萬田局次長のことは好きになれなかった。
研修最後の十四日目❷、僕と武藤、芳村、磯田❸の四人で道警クラブの共用テーブルでコンビニ弁当の遅い昼食を食べていると、河邑が腰を屈めるようにやってきて「おいおい、ちょっと」と僕の袖を引いた。
「みんなこっち来てくれ」と袖を引っ張っていく。他社の連中がいぶかしげに見ている。
「いや、さっき慶應出身の某社の新人に聞いたんだけど、浦さんて大学時代にエンペラーのお立ち台に立ってた有名な女だったらしいぞ」



❶萬田局次長を毛嫌い、局内で人事権
編集局の人事権を掌握している萬田局次長兼整理部長(45)は、局内で嫌われているのが分かる。それも、かなり。
新聞社では、局次長をキョクジと呼ぶことが多いので、きっと飲み屋では
「萬田キョクジ、許さねーべ!」
とか言われていたのではないだろうか。
(連載2回目になっても、なぜか編集局長は出てこない…)

❷研修最後の十四日目
北海タイムス平成2年度新入社員研修には〝幹部候補生〟とかいたのだろうか?……まぁ、とにかく新人研修は2週間。
慣れないことばかりで、疲れが出てくるころだよねぇ。がんばれ若造!という感じ。
新聞社によっては、有力販売店で配達研修をさせるところもあるが、小説内で言及していないので、北海タイムスでは行われていなかったようだ。
配達研修をした、僕の知人は
「研修で配達していたとき、俺がいた販売店への配送遅れが何回かあって
『編集は降版時間まもれよな!』
『配るのが7時過ぎちゃうじゃないか!』
と痛感したね。だから、降版時間は絶対に守るの、俺」
「配達していた専門学校の学生たちと一緒に風呂に入ったり、いろいろな話が聞けたり、楽しかったかも」
と言っていた。

❸武藤、芳村、磯田
再び、小説「北海タイムス物語」登場人物紹介。
▽武藤=武藤達次、22歳。
千葉県出身、明治大学法学部卒。
「高校時代にはラグビーで花園に行ったやつです。明大ではラグビーやってないらしいですけど」(小説主人公・野々村くん談)
▽芳村=芳村太、22歳。
東京出身、琉球大学理学部地学科。
▽磯田=磯田昌一、22歳。
神戸出身、同志社大学社会学部新聞学専攻。
小説内では、言動に問題がある河邑太郎を諌める役に武藤くんが充てられている。
武藤くん、実はこの後、花園ラグビー経験が買われてムニャムニャ……。

———というわけで、続く。

★「猫よん。」の2匹はまっしぐらだった。

2016年01月29日 | 新聞
©︎2015「猫なんかよんでもこない。」製作委員会

映画途中から鼻をティッシュですする女のコ、ハンカチで目頭を押さえる男性が多かった——
映画「猫なんかよんでもこない。」(山本透監督=1月30日から全国公開、103分)を試写会で観た=写真
原作は杉作さんの同名実話コミック(実業之日本社)で、主演は子猫2匹と風間俊介くん。

【 邪魔にならない程度のストーリー 】
私鉄沿線のアパートに住む、ボクシングに青春をかけるミツオ(風間俊介くん)の兄(つるの剛士さん)が、捨て猫2匹を部屋に拾ってきた。
子猫のきょうだい、チンとクロ。
猫嫌いだったミツオはやんちゃな子猫たちの世話に振り回されるが、アパートの大家さん(市川実和子さん)や栄養士のウメさん(松岡茉優さん)らの応援を得て、次第に心を通わせていった。
ケガでプロボクサーの道を閉ざされたミツオは、2匹とともに新たな一歩を踏み出そうとするが……。

▽愛くるしいチンとクロ
ミャアミャア、ミャアミャア。映画冒頭、線路脇の箱に捨てられた2匹を見て、おじさん(←僕です)グッと来た。つかみはOKって感じ。
さらに、アパートの部屋を走り回る2匹を見て、中学時代に飼っていた猫を思い出してしまったし……(でも、ペット飼育可なアパートなの?←余計なお世話)。

▽1人の男と2匹の子猫の成長物語
冬、春、夏、秋の四季折々の映像とともに、それぞれが新しい世界に踏み出していこうとするストーリー展開だろうなぁ…と薄々分かっていても、やはり心温まる。
生きるのに猫まっしぐらな映画に、おじさん(←僕のこと)目が真っ赤になった。
2匹は、友だちで家族なのだった。

——というわけで、
イヌ派も、ウサギ派も、小鳥派も、熱帯魚派も、ペット飼えない派も、全世代OKな作品。
風間くんら人間の出演者は6人だけど、猫は総勢14匹という圧倒的ネコ映画だった。

★「北海タイムス物語」を読む=ちょっと小休止編❷止

2016年01月28日 | 新聞

( きのう1月27日付の続きです。〝止〟はコレデ終ワリのマークです )

小説新潮に連載中「北海タイムス物語」作者・増田俊也さん(50)の、2012年大宅賞&新潮ドキュメント賞ダブル受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』新潮文庫発売記念パンフレット(写真)があった。
同冊子の中の、増田さんインタビュー記事が興味深かった——の2止メ。
*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。



タイトル「僕は小説家だから、人間が生きる意味、生き続ける意味を、物語を通して問いかけていきたい。」
増田(中略)それから僕は北大を中退してすぐ北海道で新聞記者になった。
大学時代から柔道を通して警察官たちとの交流を持っていたし、記者としても、作家になってからもノンフィクションを書くときの取材も通して、警察官たちと密な付き合いをしてきました。
僕自身が警察官になろうと思っていた時期もあります。
だから警察小説や麻薬取締官の小説も書きたい❶。
いろいろな作家さんが警察小説を書いています❷が、僕にしか書けない警察小説を書きたいと思っています。
それから警察だけにこだわらず、組織小説を書きたいです。新聞社を舞台にしたもの❸とか。(後略)


❶麻薬取締官の小説も書きたい
突然でてきた〝麻取〟に、え?
警察小説、どうせなら数々のムニャムニャがある道警に特化した作品を読みたいな、と。

❷いろいろな作家さんが警察小説を書いています
新聞記者出身で、警察小説を書いているのは、
▽堂場瞬一さん(52)=読売新聞出身
▽本城雅人さん(50)=産経新聞→サンスポ出身
▽横山秀夫さん(59)=上毛新聞出身
(時事出身の相場英雄さん、日経出身の仙川環さんも、広~い意味では警察ものを書いているけど)
冊子が出た2012年頃だと、堂場さんが中央公論新社を中心に〝月刊ドウバ〟と言われるほどの量産態勢に入った時期。
増田さんが書いている柔道・格闘技系を「スポーツ小説」とくくると、同じスポーツ系・警察系の2シリーズを発表している堂場さん、本城さんとぶつかることになるが、増田さんならではの骨太重厚小説を読みたい。

❸新聞社を舞台にしたもの
現在、小説新潮で連載中の「北海タイムス物語」のことか。
新聞社小説でも、堂場さん、本城さんが先行している。

*堂場瞬一さんの新聞社もの=『虚報』(文藝春秋)『警察(サツ)回りの夏』(集英社)ほか多数。
さらに、刑事+記者ミステリー『傷』(講談社)というハイブリッド作品も。
*本城雅人さんの新聞社もの=『トリダシ』(文藝春秋)、2月発売の『ミッドナイト・ジャーナル』(講談社)。
分野と作風が似ているためか、よく堂場作品と間違われることがある——と本城さん。

★「北海タイムス物語」を読む=ちょっと小休止編❶

2016年01月27日 | 新聞

小説新潮に連載中「北海タイムス物語」作者・増田俊也さん(50)の、2012年大宅賞&新潮ドキュメント賞ダブル受賞作『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』新潮文庫発売記念パンフレット(写真)があった。
な、なんと、B5判オールカラー24ページの立派な冊子。
新潮社すげー! かなり力入れていた(てか、2012年ものだから僕もものもちがいい)!

ということは、さておき。
同冊子の中の、増田さんインタビュー記事が興味深かった。

〈 タイトル「僕は小説家だから、人間が生きる意味、生き続ける意味を、物語を通して問いかけていきたい。」〉

増田(中略)それから僕は北大を中退してすぐ北海道で新聞記者になった❶。
大学時代から柔道を通して警察官たちとの交流を持っていた❷し、記者としても、作家になってからもノンフィクションを書くときの取材も通して、警察官たちと密な付き合いをしてきました。
僕自身が警察官になろうと思っていた時期もあります。
だから警察小説や麻薬取締官の小説も書きたい。
いろいろな作家さんが警察小説を書いていますが、僕にしか書けない警察小説を書きたいと思っています。
それから警察だけにこだわらず、組織小説を書きたいです。新聞社を舞台にしたものとか。


❶僕は北大を中退してすぐ北海道で新聞記者になった
この部分は、小説新潮連載中「北海タイムス物語」登場人物の一人「松田駿太」くんと重なる。まったく同じ。
1990年を舞台にした小説内で、松田くんは、
▽北大教養部中退=24歳。北大柔道部出身。
▽風貌=髪は坊主頭が少し伸びた感じのボサボサで、物がたくさん詰まって膨らんでいる大きな紙袋を持ち「まるで浮浪者」(連載第1回から)
▽好きな柔道家=鬼の木村政彦。
「大山先生も仲良かった伝説の柔道家だべ」(連載第3回から)
▽口ずさむ歌=なぜか道新スポーツのCMソング
▽愛読誌=「週刊プレイボーイ」「朝日ジャーナル」「GORO」「FOCUS」
……と、心やさしき北大バンカラ系好青年として描かれている。
マツダシュンタとマスダシュンヤなので投影キャラなのだろう(増田さんは俊也=トシナリ)。
*朝日ジャーナル=1959年創刊、1992年廃刊。
連載小説の舞台となっている1990年の同誌編集長は、伊藤正孝氏だろうか(下村満子氏は1990年6月~1992年5月)。

*道新スポーツCMソング=「♪いい日いい朝、晴れ晴れ気分/パパはゴルフにフィッシング~/姉さんニッコニコ、芸能欄/僕はもちろん~~~野球にクイズ/タタタタタタタ/どれもこ~れも見逃せない/道新スポーツ~~」。
じゃあ、ママは道スポのどこを読むのだ?とツッコミいれたくなるけど、ほのぼのとした時代を感じる。


❷大学時代から柔道を通して警察官たちとの交流を持っていた
連載小説内で「松田くん」は、北海タイムス新入社員研修中にもかかわらず、突然整理部に配属が決まるシーンがある。
社会部でなかったのは、「松田くん」が柔道部を通じて警察関係者と親しくなりすぎていたから、とある。
うーむ……。

——ちょっと小休止編、続く。

★「北海タイムス物語」を読む ㊵

2016年01月26日 | 新聞

( きのう1月25日付の続きです。写真は本文と関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第40回。

( 小説新潮2015年11月号 297~298ページから )
サツ廻りで何年かいい仕事をすると朝毎読や道新などにスカウトされて引き抜かれるらしいという噂も聞いて、さらに同期たちは真剣になった❶。
僕たち新人のうち、支局ではなく最初から道警に配属されるのは一人か二人、その席を六人で争わなくてならない。
河邑は浦さんと武藤を敵視し、記者クラブや夜の飲み屋での反省会で何度もぶつかった。口論になると浦さんは厳しい表情でやりあい、最終的に必ず河邑を論破してしまった。
人とぶつかってばかりいる河邑に、道警キャップの佐藤次郎さんは「これくらい❷があって生命力のあるやつは将来伸びるぞ」と苦笑いしていた。
しかし河邑のいないところで「社会部はチームワークが第一だ。松田じゃなくて河邑に整理行ってもらいたかった❸よ。萬田の野郎、なに考えてんだか」と何度もぼやいた。
日々一緒に仕事をするうち、社会部や経済部など外回りの先輩記者たちが萬田局次長を毛嫌いしていたことがわかった。


❶いい仕事をすると……真剣になった
「朝毎読」は①朝日新聞②毎日新聞③読売新聞ということか。で、何の順番だ(笑)?
ということはさておき。
小説主人公の野々村くん、少し他人事のようだけど、
「一年だけ、この北海道で新聞記者としての経験を積もう。そしてもう一度、全国紙を受け直すんだ!」
という自ら立てた〝北海タイムス踏み台計画〟はどーした、と心配になっちゃう私。もう少し覇気&やる気が欲しいな、と(←小説の主人公に憤ってどーする、笑)。

❷棘
毎度おなじみ新聞用字用語集「記者ハンドブック」では、
とげ(△棘、● 刺)
→とげ、とげとげしい、とげのある言葉

(△漢字表にない字、● 漢字表にない音訓)
平仮名表記にしましょうと言っているけど、著作物なのでかまいません(←エラそうだな)。

❸松田じゃなくて河邑に整理行ってもらいたかった
小説内の佐藤キャップは、言外に
「言動に問題のある河邑は、俺たち社会部には要らない。整理部に行ってほしかった。松田こそ社会部なのだ」
と言っている。
……佐藤くん、きみは整理部をなんと思っているのかね!ドンッ!(←机を叩いた音)
確かにギャアギャア騒いで、整理デスクの言うことを聞きそうにないヤツは要らない!
と言いたいところだけど、整理部は慢性的欠員だから河邑でもいいか、この際。

———というわけで、続く。

★「北海タイムス物語」を読む ㊴

2016年01月25日 | 新聞

( 1月23日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第39回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


( 小説新潮2015年11月号 297ページから )
松田さんの整理部配属とともに同期のなかで話題になっているのは浦ユリ子さんの変貌ぶりだった。
金不二などでの呑みながらの反省会❶ではデスクや社会部長も彼女の原稿を絶賛していた。「切り口がいい」「文章に艶がある❷」「視点が素晴らしい」など。どこが違うのか僕たちは自分の原稿と読み比べてみたがよくわからない。
研修九日目には浦さんは研修期間の記者としては異例の編集局長賞❸までもらってしまった。
河邑太郎と武藤達次は、浦さんとは原稿の方向性こそ違うが、がむしゃらなフットワークでネタを抜き合い、一度ずつ社会部長賞をもらった。
ときどき本社に行くと編集局長や萬田局次長、木佐木社会部長らがご機嫌で「今年の新入社員はレベルが高い」と褒めちぎった。


❶呑みながらの反省会
「呑」は漢字表にない字なので、新聞表記では「飲み」にしましょうね、と記者ハンドブックは言っている。

——ということは、さておき。
「反省会」は、取材・出稿部だけでなく、整理部や校閲部(編成センター)も行っている。
例えば、朝刊担当の整理部「反省会」。
▽場所=どこの社もそうだろうけど、先輩から受け継がれた居酒屋・小料理屋が社屋付近にあるので、だいたい集まりやすい。
▽行く人・行ける人=反省会に行けるのは「早版止め」の面担。
版ごとに組み替えるニュース面担は疲労困憊なので、午前1時30分過ぎの社内で打ち上げ。
(どぉ~しても反省したいニュース面整理は午前2時過ぎ店に行き、宅送りタクシー帰宅コースもあるけど)
▽反省会の内容=紙面レイアウトや見出し、他紙の扱い方について激論する……
という建設的な反省はなく、たいがい
「あのA出稿デスク、処理が遅いよな」
「あのB出稿デスク、メニューと違うものばかりだよな」
「最近、広告段数が少ないんだよな」
だから、他部メンツがいたら困るのだ。

❷艶がある
画数が多いから表外字かと思ったら(笑)、使える字。
おなじみ新聞用字用語集「記者ハンドブック」では、
つや(*光沢)*印は字音・字訓で読む場合には使ってよい表記
→艶。艶気、艶種、艶っぽい、艶めく
〔注〕「つや消し」「つや出し」など光沢の意味や、使い分けに迷う場合は平仮名書き。

……そう!迷う場合は平仮名なのだ(間違うよりはイイ)。

❸異例の編集局長賞
同賞だと、10,000円ぐらいか。
整理部にも各種編集賞がある(←無い社もあるかも)。
▽社長賞・代表賞=50,000~30,000円。
なんとなく名誉賞に近いので金額の多寡ではないでしょうね……。
あ、受け取るときは整理部とはいえ、きちんとジャケット&ネクタイ着用ですよ。
▽編集局長賞=30,000~10,000円。
わりと出やすい。
整理部の場合は他紙が見逃したところを見出しにとったとか、出稿部に解説やメモ記事を要請したとか、紙面連携が見事だったとか。デスクも対象。
▽整理部長賞=10,000円。
局長賞より出やすい(当たり前)。
ニュース面、企画面のレイアウト&読みやすい紙面構成などが対象。
「けさの◯面よかったじゃないか、誰だい?整理面担は」
編集局長の、コレが決め手か。

———というわけで、続く。

★「北海タイムス物語」を読む ㊳

2016年01月23日 | 新聞

( きのう1月22日付の続きです。写真は本文と関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第38回。

( 小説新潮2015年11月号 297ページから )
しかし、研修三日目にして松田さん❶に大変なことが起きた。萬田局次長❶から本当に整理部からおよびがかかったのだ。
何があったのかみんなが聞いても松田さんは笑って、黙ったまま本社へ戻っていった。
同期たちは松田さんの前では同情するそぶりをみせたが、本心ではほっとしているようだった。
ここ数年、毎年一人が整理に配属されるというが、松田さんが整理に行った以上、残りの者たちは全員取材記者に決まった❷ということだ。
松田さんと仲がいい僕は一緒に仕事ができないのは残念だったが、気持ちは他の同期と同じだった。
松田さんが本社にまわされたのは、警察関係者とあまりに親密だからではないかと僕たちは噂したが、本当のところはわからなかった。松田さんはあちこちに柔道部時代の知り合いを持っていた。
松田さんの整理部配属とともに同期のなかで話題になっているのは浦ユリ子❶さんの変貌ぶりだった。
入社式や歓迎会でみせていたクールな顔が消え、なにやら華やいできていた。
原稿を書いているときの凛とした❸横顔は神々しいほどで、唇には強い意志❸が感じられた。



❶松田さん、萬田局次長、浦ユリ子
再び登場人物を整理——。
▽松田さん=松田駿太。24歳。
なんとしても北海タイムスに入りたく北大教養部中退。編集局校閲部で先行勤務していた。
いろいろ社内事情に詳しいので、小説主人公の野々村くんは慕っている。
マツダ⇆マスダ、さらに北大中退&柔道部にいた設定なので、作者・増田さんの投影キャラかもしれない。
▽萬田局次長=萬田恭介。青山学院大英米科卒、45歳。整理部長も兼務。編集局の人事権を掌握している。
黄色いレンズのレイバンをかけ、髪を七三分けにしている。東区の白亜の豪邸に住み、夫人は大学病院の婦長。
▽浦ユリ子=主人公・野々村くんと同期(平成2年度入社組)。札幌出身の23歳。
札幌南高→早稲田大政経学部卒。道新も受けたが落ち、北海タイムス入社。
「大きな目とソバージュの髪が華やかな美人」(野々村くんの第一印象)。

❷松田さんが整理……全員取材記者に決まった
ここまで読んで、新聞社整理部の人は、
「おいおい、そんなにイヤなのかぁ? 整理部が……」
とため息をついたはず(たぶん)。
でもねぇ(以前も書いたけど)整理部に配属された新人くんたちが半年ほどバタバタアタフタしたら、秋の終わりぐらいには
「新聞レイアウトけっこう楽しいかも!」
「天職みつけたかも!」
「外には出たくないかも!」
となるのだから、住めば都だよ。

❸凛とした、意志
「『意志』って字が出ると身構えるんだよねぇ~」
と新聞社校閲部。
毎度おなじみ新聞用字用語集「記者ハンドブック」では、3つのイシがある。
意思[ 持っている考え、思い、法律用語に多い ]
意思の有無を問う、意思の疎通を欠く、意思表示……
意志[ 物事を成し遂げようとする心、心理学用語に多い ]
意志が強い・固い・弱い、意志強固、意志薄弱……
遺志[ 死者の生前の志 ]故人の遺志を継ぐ
……「遺志」の用法は間違えないと思うけど。

———というわけで、続く。

★「北海タイムス物語」を読む ㊲

2016年01月22日 | 新聞

( 1月20日付の続きです。写真は本文と関係ありません )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第37回。

*増田俊也(ますだ・としなり)さん
1965年=愛知県生まれ。
1989年=北大中退後、北海タイムス入社。
1992年=中日新聞に転社、中日スポーツ記者。
2006年=『シャトゥーン・ヒグマの森』で「このミステリーがすごい!」大賞優秀賞受賞。
2012年=『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったか』(新潮文庫)で大宅壮一賞、新潮ドキュメント賞をダブル受賞。
ほかに、自伝的青春小説『七帝柔道記』(角川書店)など。
*北海タイムス(ほっかいタイムス)
1901年=北海タイムス創刊。
1942年=戦時統合で北海道新聞に統合。
1946年=道新僚紙として「夕刊北海タイムス」再刊。
1949年=「北海タイムス」に改題。
1962年=東京の日刊スポーツ新聞社と提携、日刊スポーツ北海道版を発行。
1998年=9月1日自己破産、2日廃刊。


( 小説新潮2015年11月号 296~297ページから )
一階にある道警記者クラブは、部屋自体が中央署のそれよりかなり広く、他社の記者もたくさんいてざわついている。
佐藤キャップが暖簾を分けて僕たちをブース内に入れてくれた。原稿を書いている記者が一人いて僕たちに黙礼した。
佐藤キャップが紹介した。
「時事通信の吉岡さんだ。うちの部屋は時事と一緒になってる❶から夕刊終わったらきちんと挨拶しとけ。
うちも時事も、若いやつはいまみんな所轄廻ってる❷からいないけど、さっきの中央署にはうちは一人詰めてる❷だけで、サツはここが中心になる。
俺、まだいまから若いやつらから電話入るし、本社の直しもある❸んで夕刊が降りるまで電話の前で待機してなきゃいけないから、そのあたり見てまわっててくれ」
僕らは言われるまま、また共用スペースの空いているソファに座った。

( 中略 )
同期たちはみな顔を火照らせていた。
他社も含め、忙しく働く先輩記者たちの所作は華やかで魅力にあふれていた。明らかに他社の新人だとわかる男女数人組があちこちにいて、それぞれ先輩記者について施設の説明を受けたり、与えられた作業にあたっていた。
研修は興奮の連続だった。七人を二班に分け、道警本部や道庁、札幌市役所などを数日ずつまわり、あるいは会社のハイヤーで道警クラブの先輩について所轄署を廻ったりした。

( 中略 )
しかし、研修三日目にして松田さんに大変なことが起きた。


❶時事と一緒になってる
あれ?と思ったところ。
同じブース内にいるので、僕たちなら
「時事さんと一緒になってる」
と言うのだけど。
新人くんたちの今後のためにも、軽い敬称ぐらいはつけたいな、と。

❷所轄廻ってる/詰めてる
作者・増田さんは、地の文と、会話体の文をきちんと分けて書いているようだ。
▽地の文=原稿を書いている
▽会話の文=詰めてる(→地の文なら「詰めている」)
以前、大野晋さんの文庫を読んでいたら、
「会話の場合、母音が連続するとき、あとの母音は消滅しやすい」
kaite Iru→kaite Ru
tsumete Iru→tsumete Ru
mawatte Iru→mawatte Ru
増田さん、意外と几帳面だな、と(←失礼だな)。

「廻ってる」。
おなじみ新聞用字用語集「記者ハンドブック」では、
まわる(● 周る、△廻る)→回る
統一しましょうね——とあるけど、著作物なのでかまいません(←今度はエラそうだな)。

❸本社の直しもある
出稿・送稿後、本社のデスクからデータ確認や
「こう直したけど、どうだぁ?」
ということがあるので、夕刊降版まで待機しなきゃいけない、の意味。
docomoが誕生したのは1992年だから、小説の当時(1990年)は、まだ携帯電話がなかったのだ。

———というわけで、続く。

★今野敏さんはブックオフ的人気作家?

2016年01月21日 | 新聞
( 写真はイメージです )
読み終えた単行本、文庫本がたまったので、ブックオフにもっていった。
新刊書店で発売中の本が〝高価買い取り〟なのは分かるんだけど、その基準が今ひとつ分からないのだ。
◆お断り=ブックオフは地域や店舗規模によって、買い取り価格に多少の差があると聞きました。また、本はいずれも、汚れナシ・書き込みナシ・ページ折りナシ(のつもり、笑)でした。


【 ★は新刊書店で発売中か比較的新しい文庫、▽は発売から数カ月~数年経たもの 】
▽文春文春「荒地の恋」ねじめ正一さん、本体 600円
→買い取り価格 100円
★光文社文庫「灰色の犬」福澤徹三さん、本体 920円
→買い取り価格 50円
★双葉文庫「喪国」五條瑛さん、本体 814円
→買い取り価格 80円
★小学館文庫「極卵」仙川環さん、本体 670円
→買い取り価格 60円
▽講談社文庫「難民探偵」西尾維新さん、本体 750円
→買い取り価格 30円
▽講談社文庫「邪魔・上下」奥田英朗さん、本体 629円
→買い取り価格 5円
▽講談社文庫「乱気流/小説・巨大経済新聞下巻」高杉良さん、本体 733円
→買い取り価格 50円
▽講談社「IN★POCKET」2015年12月号
→買い取り価格 5円
▽新潮文庫「アメリカひじき・火垂るの墓」野坂昭如さん、本体 520円
→買い取り価格 20円
★中公文庫改版「任侠書房」今野敏さん、本体 680円=「とせい」改題
→買い取り価格 150円
★幻冬舎文庫「Y氏の妄想録」梁石日さん、本体 600円
→買い取り価格 60円


「喪国」「極卵」はともに今月(2016年1月)発売なのに60、80円。
どっこい、ねじめ正一さんの「荒地の恋」は刊行後数年経ているのに100円……映像化だからかしらん。
今野敏さんだけが、改題改版なのに150円で突出しているのが分かる。
なぜだろう。
今野さんはブックオフ的売れ筋作家&売れ筋シリーズだからだろうか、やっぱり。
ブックオフの「人気作家」が分かって、けっこう面白い。

★「北海タイムス物語」を読む ㊱

2016年01月20日 | 新聞

( きのう1月19日付の続きです )

小説新潮に、増田俊也さん(50)の「北海タイムス物語」が連載されている。
僕は以前、北海タイムスと提携していた「日刊スポーツ北海道」に知人がいたので、札幌の北海タイムスに何回か行ったことがあった。
というわけで、増田さんの青春物語@新聞記者編ともいえる同小説に注目した——の第36回。


( 小説新潮2015年11月号 296ページから )
「おう。待ってたぞ」
佐藤次郎キャップが気づいて顔を上げた。「いま夕刊の原稿書いてる❶から、悪いけどそっちのソファに座って待っててくれ。左手の奥に布のソファがあるだろ。
本多勝一が若い頃にいつも寝転がって本を読んでた❷伝説のソファだ。そのへん座ってて。終わったら本部連れてくから」
早口で言いながら左手で共用スペースをさし、ザラ紙の原稿用紙❸にまた向き直った。
僕たちは本多勝一さんが寝ていたソファはどれだろうと話しながら、適当な共用ソファに掛けた。
ときどき他社のブースから記者がマグカップを手に出てきては、御茶を入れて急ぎ足で戻っていった。



❶いま夕刊の原稿書いてる
小説の当時1990年、北海タイムスは夕刊「1版止め」(全国紙などは遠隔地向けに複数の版制を敷いている)。
北海タイムスの降版ダイヤは不明だが、午前11時前ぐらいだから、入稿締め切り時間まで多少ありそう。
「書いてる」はワープロ書きではなく、実際に原稿用紙にペンで書いているの意味。
*夕刊締め切り時間=だいたいA版11:30、B版12:30、C版13:30ぐらい(複数版をとる場合)。
北海タイムスの夕刊締め切りは12:30だったのかも。


❷本多勝一が……本を読んでた
本多勝一さん(83)は1958年に朝日新聞東京本社校閲部に途中入社後、翌1959~62年まで北海道支社に勤務している。
小説は1990年時点だから四半世紀も前のこと。
すでに〝本多伝説〟が生まれていたことが読み取れる。

❸ザラ紙の原稿用紙
1990年当時、CTS先進国の朝日、日経新聞はデジタル入稿になっていた。
書き原(かきげん)の北海タイムスのブースには、本社から持ち込まれたザラ紙原稿用紙が山のように積まれていたと思う。
*CTS=コンピューター組み版編集。1979年3月の日経新聞東京本社、翌1980年には朝日新聞東京本社がフルページで始めた。2社の基本システムはともに日本と米国IBMが技術協力。NASAで使われた画像処理や軍事技術なども投入されたという。
小説の当時1990年、朝日・日経の記事・写真・広告すべてを取り込む「大型フルページネーションCTS」と、電算写植を活用した「パートCTS」があった。規模から北海タイムスはパート型(かな)。


*ザラ紙原稿用紙=北海タイムスは1行13字組みの時代だから、マス目は13(あるいは15字時代の残存用紙かも)。
ワープロ入稿に移行した他社の、紙の原稿用紙が残っていて、
「あ、この原稿用紙よかったら使ってよ」
ということがけっこうあった。


———というわけで、続く。