降版時間だ!原稿を早goo!

新聞編集者の、見た、行った、聞いた。
「降版時間」は新聞社整理部の一番イヤな言葉。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(13)

2014年04月30日 | 新聞

【 4月28日付の続きです 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(13)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、米IBMと日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

またまたまたまた、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』( 新潮文庫1989年版=写真 )からの引用をもとに、僕が見てきたことを書きます。
( 以下は、1971年の日経新聞東京本社アネックス技術開発室。
米IBMで開発が遅れていたソフトがようやく出来、いよいよ機能テストに入った。
だが、当時でも能力不足が指摘されていたIBM360が壁となった。同問題は日経だけではなく、同じプロジェクトを進めていた朝日新聞東京本社でも表面化していた )
それは、記事を組むにしても見出しを立てるにしてもおそろしく時間がかかるということだった。
たとえばDTV
( 僕注・デジタルテレビジョン。レイアウトディスプレー・ターミナルのことか。社によってCTS組み版ディスプレーの呼び方は異なっていた )の画面に写っている文字を一字訂正するのにも軽く三秒はかかってしまう。たった一文字でもこのありさまなのだから、あとは推して知るべしである。
見出し一本つくるのに五、六分、記事を流してケイで囲むようなちょっとしたコラムを組んだりすると、十五分あってもまだ時間が足りないというなさけない状態だった。
《 後略 》



▽ 初期CTSはベース変更( グリッド変更 )でさえドタバタだった……

上記の引用は、日経アネックス初期の初期システム開発段階だから、1970年代。
僕がCTSに携わったのは1980年代後半だったけど、
ハコもの( ボックス=通常の文字数とは異なる字どりの記事をケイ巻きした囲み )
タタミ( 中段ケイを抜き、写真・見出し・記事を集めたもの )など、
基本文字数以外の記事を流すときは、通常にプログラミングされた「ベース」をいじらなければならなかった。
入る文字サイズ=◯U・◯U
入る文字数=◯本
行間=5U
段間=8U
ケイサイズ=8U◯番ケイ◯行◯字どり………
メッセージボックスに出てくる組みデータをそれぞれ書き直して、よーやくグリッドがウィーーンと変わっていった。
………今では信じられないけど、ハコものの大きさによっては、たばこ1本吸えるほど遅かった。「おそろしく時間がかか」ったのだ。
おまけに、ナントカ系統があって、1台がベース変更処理に入ると、他系統の端末まで影響を受けたし。ニュース面編集時間には大騒ぎだった。
…………ん? 社のコンピューターの容量・処理能力がただ低かっただけかもしれないなぁ、笑。


(・ω・)ノ

★この手があったかぁ2題www

2014年04月29日 | 新聞/小説

以前、とある新聞地域面で
「◯◯2題」
という昭和的ヨコ見出しを見て、ビックリした。
かなり、ご高齢の整理面担なのだろーか( 定年された整理大先輩が再び働いていることはよくあるし )と。

………ということは、さておき。
朝日新聞の連載開始社告を見たとき、知人と
「この手があったかぁ!」
さらに、ハヤカワ新刊広告を見たときも、
「この手があったかぁ!」
と唸った。

▽ 「『こゝろ/石漱』聞新日朝京東・日六十二月四年三正大」
この手があったかぁ。
「100年ぶり連載」を思いついた人は、頭がいいです。社内表彰ものではなかろーか 。
僕も朝日連載を読んでいるけど( ほとんど忘れていたから )新鮮な古典という感じ。
切り抜き用「こゝろノート」希望者プレゼントのほか、
書店では夏目漱石のビジュアルを使った朝日新聞広告付きブックカバー(文庫本)を配っていた。さすが。

▽ あのハードボイルド名著「東京篇」とは!
この手があったかぁ。
NHKドラマ化で翻案なのかしらん。
『ロング・グッドバイ/東京篇』( ハヤカワ文庫、4月新刊、本体660円=写真 )脚本・渡辺あやさん、執筆は司城志朗さん。
で、あのチャンドラーの畢生傑作を継承したものかと読んでいるけど、ほとんど別物。チャンドラー世界観とも関係ないみたい( →まだ読書中 )。
文庫帯コピーは
「戦後の東京に生きた人々の、孤独と死、愛と友情を謳う傑作ハードボイルド小説」
「舞台を日本に置きかえ、和製フィリップ・マーロウを浅野忠信が好演! ビジュアルブックも同時刊行!」
戦後の東京を舞台にしたハードボイルド的私立探偵もの……矢作俊彦さんでも面白かったのでは。



(・ω・)ノ

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(12)

2014年04月28日 | 新聞

【 4月26日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません 】

1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(12)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、米IBMと日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

またまたまた、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』( 上下巻、新潮文庫1989年版)から引用します。
( 以下は昭和46年夏【 注・下段 】、日本IBMの朝日・日経CTSプロジェクト営業マネージャーの伊藤正亮氏が、CTSセールスとして
毎日新聞新社屋パレスサイドビルに向かい、中谷不二男編集局長と雑談するシーン )
《 前略 》
朝日や日経で進めているCTSプロジェクトのことは持ちださなかったが、毎日へも何とか同じ話を売り込みたいと考えていた伊藤は、それとなく水を向けた。
「新聞の編集というのは、じっさい大変なお仕事ですね」
中谷は笑った。
《 中略 》
「そもそも新聞なんてものはね、紙面を四つにぶった切ればそれでいいんだよ。
整理記者は見映えがどうのとか職人芸の美しさがなくなるとか、うるさいことを言うが、新聞は簡潔であることが一番なんでね。
紙面を四ブロックにして、そこに記事を入れてしまえば割付けの七面倒臭さも解消されるんだよ。
その方がコンピュータにだって仕事をさせやすいんじゃないのかね」
《 中略 》
しかし、朝日も日経も、最初FSD(米IBMフィデイラル・システム・デイビジョン)が寄越した短冊を四つならべたような機能一点ばりのレイアウト・プランを突っぱね、
「たとえコンピュータでつくろうと今まで通りの紙面でなければダメだ、手を加えることはいっさい許さない」
と、頑固なまでに当初の方針を崩さなかった。
ところが中谷は、紙面のレイアウトなんて四分割で十分という。
同じ新聞人でもこうまで考え方に開きがあるものかと、伊藤は内心驚きを禁じえなかった。
《 後略=文字表記は原文のままです 》



▽ 確かに「四分割」紙面が登場したけど………

うーむ、うーむ、30数年後のハラキリ紙面、ブロック編集を見越している。
毎日新聞が1991年の紙面刷新時に
「A3コピーがとりやすいように」
真ん中で上段と下段が真っ二つになるハラキリ紙面を展開すると、朝日新聞はメディア面で取り上げた( その後、毎日新聞のハラキリは少なくなり、現在は上→下段に記事が流れている )。

仕出し弁当を重ねたよーな「四分割紙面」は、たまに朝日新聞地域面で見る。
早い話、B5判ボックスが上下左右4つだから、
読者は記事が切り抜きしやすいと思う。
電子版でも「スクラップ」しやすいと思う。
…………だ・け・どぉ~、
整理者として
「見映えがどうのとか」
「美しさがどうのとか」
もう言わないけど、なんとなく食指が動かないツマラナイ紙面構成だった気がした………。

【 昭和46年=1971年 】
この年11月、日経新聞東京本社にアネックス・システム引き渡し式。
米FSD社長ジョン・ジャクソンから
「CTSプロジェクトは、わが社が手がけたNASAのアポロ計画に匹敵する難事業であった」
と祝辞があった。
朝日・日経CTSプロジェクトのDTV(デジタル・テレビジョン)には、当時の軍事技術も使われている。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(11)

2014年04月26日 | 新聞

【 4月24日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(11)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

またまた、杉山隆男さんの名著『メディアの興亡』( 新潮文庫1989年版 )から引用します。
( 昭和48(1973)年10月1日、コンピューターでつくる世界で初めての日刊紙「日経産業新聞」がついに創刊された。
以下は、その直前、CTS始動を目前にした日本経済新聞東京本社の活版部。
当時、約150人の活版部員がいたが、CTS勉強会と配転、日々の新聞製作で大揺れだった、というシーンから )
もう自分たちに新聞づくりはできないのだろうか、と切実な声で訴える彼ら( 僕注・活版部の高齢者工員 )を、香取( 僕注・香取治男さん=元組合書記長 )は元気づけた。
「先輩だって、今使っているモノタイプのさん孔機なら操作できるんでしょう」
香取の言うように、従来の活版職場では工員たちが文選、モノタイプにはじまって大組みまで活版部の仕事をひと通りマスターすることになっていたから、
古参の工員といえども、原稿をパンチして穴あきテープをつくるさん孔機は使った経験があった。

《 後略 》

▽ 新聞社によって、仕事範囲が違うのですね

「へぇー、日経さんはモノタイプ入力も活版部の仕事なのかぁ」と思った。
以前にも書いたけど、モノタイプの入力は「編集局漢テレ課」の仕事で、組合も編集労組だった。
1970年代後半、CTS編集の先陣を切った日経東京本社は、初のコンピューター開発という巨大プロジェクトと同時に、
職場そのものが消滅してしまう150人もの活版部スタッフ雇用問題にも初めて取り組んだのだ。

日経の活版部→同社の営業、出版、保安課への配転を受け入れなかった人たちの何人かは転社され、
活版に来られた数人と僕は大組みをしたが、とても手際がいい人ばかりだった。
早版前、製作局の面担ボードを見て
「おっ、今夜はイケさん( 元・日経活版部 )かぁ………むふふふ、大組み15分だな、楽勝楽勝」
大組み時間が計算できるのは、整理部にとってありがたいのだ( ←新人くんや不慣れな大組み者だと、組みに20分以上かかることもあったのだ。
降版時間前の数分は、とても貴重なアドバンテージなのだった )。

★湊かなえ新刊は290円だった。

2014年04月25日 | 新聞/小説

【 4月14日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】

読み終えた本がたまったので、ブックオフで断捨離(買い取り)に行った。
人気作家・湊かなえさんの最新刊は、買い取りいくらなんだろー。
( 持ち込んだ本はいずれもオビ付き、ページ折りナシ、書き込みナシ、汚れナシ……のつもりです。
ブックオフは美本重視で、また地域によって買い取り価格には多少の差があると聞きました )

▼ 単行本=買い取り価格@240~290円
『豆の上で眠る』( 湊かなえさん、新潮社2014年3月刊、本体1,400円 )
→ イヤ・ミス的湊作品は面白いのだけど、後味がちょっとなぁ……なので、僕には合わないみたい。
新刊書店で現在も平台販売中だけど、買い取り@290円!

『55歳からのハローライフ』( 村上龍さん、幻冬舎2012年12月刊、本体1,500円 )
→ 今月幻冬舎文庫になったし、単行本も20万部突破だから、まぁこんなもんでしょうの、同@ 30円!30円!30円!( ←頭の中でエコー、笑 )

『教場』( 長岡弘樹さん、小学館2013年6月刊、本体1,500円 )
→ 警察小説の大家(かな)横山秀夫さん絶賛&「本屋大賞2014」有力候補作だったけど、同@240円!
読み終えてから、何となく交番警官を見る目が優しくなった。

『聖地巡礼ビギニング』( 内田樹さん&釈徹宗さん、東京書籍、2013年8月刊、本体1,500円 )
→ 読んでいて「あれぇ?読んだよーな……」なデジャヴ感があったのは、角川ソフィア文庫『聖地感覚』( 鎌田東二さん、KADOKAWA刊、角川学芸出版編集、2013年10月刊、本体 800円 )を読んでいたからかな。
意外に、高めの同@ 240円!
単行本は、以上のほかに11冊。

▼ 新書=買い取り価格一律@ 70円
日経プレミアシリーズ『おどろき京都案内』( 日本経済新聞京都支社編、日本経済新聞出版社2014年2月刊、本体850円 )でも、
文春新書『作家の決断/人生を見極めた19人の証言』( 阿刀田高さん編、文藝春秋2014年3月刊、同850円 )でも、
ポプラ新書『大和路の謎を解く/古代史巡礼の旅』( 関裕二さん、ポプラ社2014年3月刊、同780円 )でも、
出版社・執筆者ランクなし!の買い取り価格一律@70円!
→ 確かに、新書は乱立&デフレ状態だし、鮮度がすぐ落ちるので、まぁこんなもんでしょうか。

▼ 文庫=買い取り価格一律@ 50円
『捜査一課・澤村慶司/歪( ひずみ )』( 堂場瞬一さん、KADOKAWA・角川書店編集2013年11月刊、本体 734円 )
『虚像の政商/上・下』( 高杉良さん、新潮文庫2014年4月刊、同810円 )
『巨大訴訟/上・下』( J・グリシャム、新潮文庫2014年3月刊、同810円 )
→ リーガル・ベストセラーだろーが、オリックスの政商M氏ものだろーが、警察小説だろーが、容赦なしの一律@50円!
ただ、
「東野圭吾、池井戸潤本は買い取り強化中!」
のポスターが相変わらず張ってあったので、両氏はブックオフ売れ筋作家なのでしょう………でも「買い取り強化」価格がいくらなのか知りたいなぁ、でございました。

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編(10)

2014年04月24日 | 新聞

【 4月21日付の続きです。写真は、本文と直接関係ありません 】

1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編(10)。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

▽ 僕は見た!鉛活字手拾いを!②止

上記にもあるとおり、
1978年=日本経済新聞東京本社でフルページCTSアネックス始動
1980年=朝日新聞東京本社でフルページCTSネルソン始動
で、日経・朝日以外の社も活版からCTS化を急ぎ、
①コンピューター組み版の新聞社
②全自動モノタイプ( 漢テレ )活版組み版の新聞社

のほか、
③電算写植組み版の専門紙印刷会社
④活字一本一本手拾い組み版の専門紙印刷会社

という、4タイプの新聞組み版が1980年代にはあったのだ( と思う )。
都内に、光と電子の最先端コンピューター組み版と、
手拾い鉛活字組み版があったなんて、ある意味すごくね↑( 語尾上げ )。


僕は、本業の新聞社は②だったけど、
バイトで行っていた、とある新聞( 徳間書店系列S印刷 )は④だった( →のちに新工場、富士通製CTSに移行 )。
僕が見た「活字一本一本手拾い」作業は、下記のとおり。

▼ 毎週木曜日午後、ブランケット全8ページのうち、6ページ分出稿。

▼ 同夕方から、文選スタッフ6人が一斉に活字棚から鉛活字を一本一本手拾い。
フ~ンフ~ン♪と演歌を口ずさみながら、手は千手観音の如く上下左右に動き、棚から鉛活字を「一本一本」拾う工員、
くわえ煙草で( ←信じられないけど、当時は勤務中でも吸っていたのだ )、
文選棚から「一本一本」拾う工員…………
市原悦子さんのよーに柱の陰から活版部を見ていた僕は
「職人の熟練技は、超すげ~!」
と思った。

▼ 1980年代当時のS印刷では1段15倍13字基本文字【 注・下段 】の他に、
88活字( ハチハチ1倍活字=天地8U左右10U )
倍半( バイハン=1倍活字の1.5倍サイズで天地左右12U )
8ポ( ハチポ=同10U )
の棚もあり、文選スタッフは55インテル( 行間をつくる金属片 )を挟みながらゲラ組みを形づくっていた。

▼ 木曜夜遅くまで鉛活字を拾いに拾いまくり、出稿第2便の出た翌金曜午前も拾いまくっていた( 土曜日朝から割り付けと校正開始だから )。
再び、市原悦子さんのごとく柱の陰から見ていた僕は、
「手拾いに比べると、社の漢テレは、なんて素晴らしい機械なんだ!」( ←もうその頃、朝日新聞はCTS化していたけどね、笑 )
「でも、手拾いものづくり職人技も素晴らしい!」
なんてノー天気に思っていた。

【 13字基本文字=13じきほんもじ 】
新聞社によって、基本文字に独自の「ナニ字」というネーミングがつけられた。
例えば、S印刷では
「13字=サーティーンだから、Th文字」( ティーエイチもじ)
だった。なんという、センス(笑)。
CTSに移行すると、S字、S1字、N字、C字、D字、M字など次々新字が登場して、整理部もこんがらがることがなきにしもあらず、だった(笑)。

★校閲ブームが来たぁーーーーーかな。

2014年04月23日 | 新聞

来たぁーーーーーーーーかな⁈ 校閲ブーム。
作家・五木寛之さん(81)は
「最近、新聞の連載小説を書いていて、校閲の方から言葉づかいを直されることが多い。
一応、平安末期から鎌倉時代のはじめ頃の話だが、19世紀、20世紀になって使われるようになった言葉の用例をしばしばチェックされるのだ。」

同・林真理子さん(60)は
「校閲がいないと、まるで裸で路上に立たされるようなもの」

エコノミストの浜矩子さん(61)は
「この世界には、編集者が存在する。そして校閲のスタッフがおいでになる。特に後者が怖い。彼らは、全く情におぼれることの無い目で、執筆者たちの原稿を見る。( 中略 )
この小姑さんたちがいてくれるからこそ、執筆者たちは、安心して締め切りと格闘できる。( 後略 )」=写真左

さらに、お仕事小説も出たぁ。
『校閲ガール』( 宮木あや子さん(37)、KADOKAWA、2014年3月刊、本体1,200円 )
さらに、さらに、新潮社校閲部長・井上孝夫さん(60)は
『その日本語、ヨロシイですか?』(新潮社2014年1月刊、本体1,200円=同右 )。

最近、校閲・校正に関する記事や本をよく目にするので、
整理部の前に、校閲部にいた僕は、
「ようやく、校閲にスポットライトが当たってきたなぁ...........むふふふ」
嬉しい。 (^O^)/
改訂ごとの、ボロボロ記者ハンドブックも残っているし、手紙やメールを書くときも、同ハンドブック通りの送り仮名・文字づかいにしているし(笑)。


だ・け・どぉ~
敢えて言うなら「本の雑誌」( 本の雑誌社2013年「イカ納豆からまり号」9月号特集=いま校正・校閲はどうなっておるのか! )が嘆いていたような
「文字使いだけでなく言葉そのものも勝手に変えられてしまうこともある。( 中略 )
最近の校正者の多くに言えることだが、その種の指摘がとても偉そうなのだ。先にも述べたように、文章指導も行おうとする。」( 坪内祐三さん )
「校正者がそれ( コンピューター )を使うようになってから彼らの指摘することがらにかなりいらだつことが多くなった。」( 椎名誠さん )
執筆者でも、編集者でもないのに、原稿に手を入れてしまう勘違い校正者もいるのだ。

以前にも書いたけど、タテ組み記事中の
「二人三脚」
が、ハコ用ヨコ組みに変換したら
「2人3脚」
と赤字直しされてしまったのだ。
「ムッ。ヨコ組みだからって、なんでもかんでも洋数字にすんなよっ怒」
トンデモ校閲者もいないわけではないのだ。




_| ̄|○ ガックリ................

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編⑨

2014年04月21日 | 新聞

【 4月19日付の続きです 】
1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編⑨。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、米IBMと日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている


以下は、
杉山隆男さんの名著『メディアの興亡/下巻』( 第17回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作、新潮文庫1989年版 )から引用しました。
昭和36(1961)年に登場した全自動モノタイプに揺れる日経新聞東京本社の製作局活版部を描いたシーン。

《 前略 》
活版職場は編集局や輪転機をまわす印刷職場と違って、日経の中でも早くから機械化の波に洗われていた。
《 中略 》
それまで活版職場では、工員が編集局から送られてきた原稿を見ながらいちいち活字を拾って、
それを新聞紙面の形に組み上げていくという、明治以来の手作業による紙面づくりが行なわれていた。
活字を拾うといっても、むろん一朝一夕にマスターできるような技術ではない。
二千五百字近い活字がぎっしりと詰まったケースの中からタテヨコ三ミリにも満たない小さな文字を次から次へと見つけだしてくる。
一人前になるのに最低十年はかかると言われ…………
《 後略 》


▽ 僕は見た!「活字一本一本手拾い」作業を。

僕が新聞社整理部に入ったころにはさすがに、
「原稿を見ながらいちいち活字を拾」
うことはなくなっていて、漢テレ全盛だった。
( ↑ これだけでも、画期的技術革新だったけど )
ただ、漢テレ経由で鋳造できるのは、基本文字サイズ【 注・下段 】の明朝体のみ。
整理部が指定したゴチック(G)部分は、
「二千五百字近い活字がぎっしりと詰まったケース」=写真はイメージ
の中から、文選課スタッフがG活字を一本一本手拾いしていた。

全国紙新聞社では、上記の漢テレ・全自動モノタイプなどに機械化されたけど、
僕が新聞社本業の傍ら、アルバイトで業界紙を編集していた( ←以前にも書いたし時効だし、笑 )徳間書店系列のS印刷工業( 東京・港区 )では、1980年代まで「手拾い」が残っていた。
僕は、その印刷会社活版部で、上記の活字一本一本手拾い作業を見て、ビックリしたな、もうぉ( ←超・古い )だった…………ありゃりゃ、長くなったので、続く。

【 基本文字サイズ=きほんもじさいず 】
新聞の記事部分に使われている文字サイズで、1段12字組み、同13字組み……とサイズがそれぞれ異なる。
新聞社によっては、社内で「基本文字=ベタ」とも呼ばれるが、古参整理マンは「ベタ=1倍88活字」と認識していることが多々あり、話が噛み合わないことがないわけではない、笑。
例えば、下記1段見出しの場合、
(主1.8G)自動車保険 値上げ
(袖G)2%程度、秋以降に
の袖Gは基本文字サイズのG。

★編集者うっとりな書き原稿。

2014年04月20日 | 新聞/小説

新年度の、サントリー新聞広告を毎年楽しみにしているーーー。
三省堂書店有楽町店( 東京・千代田区 )で、伊集院静さんの『許す力/大人の流儀4』( 講談社、本体926円 )を買ったら、特製ブックカバーが( 写真 )付いてきた。
筆跡の、あまりの美しさと達筆さにビックリした。

講談社『ノボさん/小説正岡子規と夏目漱石』原稿コピー@伊集院静用箋。
なんて達筆なんでしょう!
なんて分かりやすい表記なんでしょう!
おまけに、ルビ&傍点指定も、なんて的確なんでしょう!
眺めているだけで、気持ちが良くなっちゃう文字なんでしょう!
こりゃ、編集者&校正者はきっとウットリしちゃう!( 返却したくなくなるかも、笑 )

以前、
「万年筆は、どちらをお使いでしょう」
とお尋ねしたら、
「うーん、モンブランのマイスターシュテュック太軸No.149タイプですが、縦線が太くなるように調整しているんです。
買ってから、ペン先を斜めにカットしているんです」
「パーカーにもいいのがありますよ。
神保町( 同・千代田区 )の専門店で、同じように斜めにカットしてもらっています」
とりあえず、なんでも形から入る僕は、すぐ買いに行ったのだった(笑)。

...........それにしても、伊集院静さんのナマ原稿ほとんどアートではないだろーか。



(^O^)

★新聞を鉛活字で組んでいた頃=改稿編⑧

2014年04月19日 | 新聞

【 きのう4月18日付の続きです。写真は、本文と関係ありません 】

1990年代初頭、フルページCTS編集によーやく移行したけど、
それまで僕たちは鉛活字&活版で新聞を組んでいました。
ついつい最近まで、新聞は鉛活字で編集していたのです。
というわけで、
「後世に書き残しておこうかな……整理部から見た、新聞活版組みから初期CTSまで」全面書き直し編⑧。
【 CTS=Computerized Type-setting System( 新聞コンピューター組み版・編集 )。
シー・ティー・エス。1960~80年代、朝日新聞社、日本経済新聞社の2社が主導、日本IBMが技術協力して開発した。
日本経済新聞東京本社は1978年にアネックスを、朝日新聞東京本社は1980年にネルソンをそれぞれ全面稼動した。その時つくられたソフトの一部は、パソコンの文字訂正などに転用されている

▽ きのう18日付「漢テレ編」2止です

CTS組み版・編集が始まるまで、新聞社では鉛活字をつくるハイテクマシンが「全自動モノタイプ」。
( ↑ 漢テレと僕の社では呼んでいたけど「漢テレ=モノタイプ」なのか?どーなんだ?と言われると困るのだけど…… )
全自動モノタイプは、1961(昭和36)年に毎日新聞社が開発し、1960~70年代、鉛活字・活版で組んでいた新聞社ではどこでも使っていた(と思う)。
手書き原稿を漢テレ室( パンチセンター )でパチパチパチ入力すると、
デッカい端末からピューピューとさん孔テープが出てきた。

▼ 各さん孔テープをクルクルッと巻き上げたものを、別階にある製作局活字鋳造課に流し、
14~13字組み鉛活字【 注・下段 】をつくる。

▼ 鋳造課で金属製ケースに〝出来たて熱々〟棒ゲラを入れてコンベアーに流し、文選課でゴシック体活字を差していた。
※ この工程あたりで、ようやく整理部と関係してくる。
整理部から出た感熱紙( ←うわっ、懐かしい )モニターの「G」と指定した個所を、文選スタッフが活字棚から一本一本手拾いして差し替えるのだ。

▼ 「刷り屋さん」がわら半紙に棒ゲラを刷り、小ゲラを校閲部へエアシューターで上げる……………のだけど、なんて複雑な工程だったのでしょう!
※ 編集ピーク時間帯には、コンベアーに次から次と棒ゲラが流れ込んできていたから、製作局は戦場状態。
棒ゲラには掲載面( ▽版△面 )が記され、植字・大組みスタッフが各面大組み台に運んでいた。
出稿→漢テレ→鋳造→大組み台まで、
全工程約1時間ほどかかっていたのではないだろーか。

【 14~13字組み鉛活字=14~13じぐみなまりかつじ 】
1980年に朝日新聞東京本社( 中央区築地 )でフルページCTSネルソンが始まると、
「目に優しい朝日文字」
というキャッチフレーズで、基本文字サイズを1段15→14字、さらに14→13字組みと拡大していった。
そりゃあ、コンピューターCTSだと文字サイズ変更は自在だけど、
鉛活字・活版ではインテル変えたり、小物変えたり………追いつくのが大変だったのだよ、ほんと(笑)。